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 西洋の視点で記述されたノストラダムスの世紀末予言関連書籍が、巷を賑わせていたころ、日本サイドからの視点で記述されたこの様な書籍もいくつか出回っていた。最近、古い本の納められている書庫を見た機会に、この本が目につき再読してみた。2000年8月初版。

 

 

【はじめに】
 日本の未来を見切った聖人・聖徳太子の予言とは、いったいいかなるものなのでしょう。
 「日本の未来はない」 との悪しき言魂靈を封じるために、この一本を献じます。
 素晴らしい未来を開くために・・・。 (p.13)
 これが、著者の本書に対する主旨であるけれど、これに則してこのブログを記述するのではない。毎度のことながら、私は私の視点で興味深い個所を部分的に抽出するのみ。

 

 

【上宮王の秘事:九字の秘法】
 この秘法を日本で初めて会得し自由自在に使ったのは聖徳太子なのです。また 「しのび」 今でいう 「忍者」 の最初の組織をつくり、使ったのも聖徳太子なのですから驚きです。神仏習合の考え方の元祖も聖徳太子です。九字と神々と仏たちが三身一体なのです。
 九字      仏たち        神々
「臨」 ・・・ 毘沙門天 ・・・・・ 天照大御神
「兵」 ・・・ 十一面観音 ・・・・ 八幡神
「闘」 ・・・ 如意輪観音 ・・・・ 春日大明神
「者」 ・・・ 不動明王 ・・・・・ 加茂大明神
「皆」 ・・・ 愛染明王 ・・・・・ 稲荷大明神
「陣」 ・・・ 聖観音 ・・・・・・ 住吉大明神
「烈」 ・・・ 阿弥陀如来 ・・・・ 丹生大明神
「在」 ・・・ 弥勒菩薩 ・・・・・ 日天子
「前」 ・・・ 文殊菩薩 ・・・・・ 摩利支天  (p.112-116)
 上記の ”「しのび」 今でいう 「忍者」 の最初の組織をつくり、使ったのも聖徳太子” に関しては、
   《参照》   『隠れたる日本霊性史』  菅田正昭  たちばな出版
 密教系の僧侶や行者さんが用いている九字の秘法であるけれど、安易に霊を封じ込める為にこの九字を用いている行者や宗教団体の信者が多い。これでは霊を救済できない。 “愛念” を受け取ったことによる霊自体の改心ではなく、力による封印だからである。力で封印した人はいずれ報復を受け、哀れな末路を辿る可能性が高い。

 

 

【九字を解く】
 結んだ九字は、物事が解決した後に必ず解かなくてはなりません。ここのところを蔑にしては大変です。
 ・・・中略・・・。
 九字を戻す方法は、真言を3回唱えるのです。
 「おん、きり きゃら はら はら ふたらん はそつ そわか」  (p.117)

 

 

【吉田兼好は卜部一族】
 実は、 『徒然草』 の著者として有名な吉田兼好も、卜部家の一員です。本名は卜部兼好(かねよし)といいます。だからこそ、聖徳太子の墓のことなど数々の秘伝が、 『徒然草』 には登場してきます。
 卜占の術をもって神事に奉仕した古代氏族に発する氏が、卜部氏で、吉田家はその一族ということです。当然、後醍醐天皇の討伐計画を幕府側に密告した吉田定房もその一員でした。定房は 『未来記』 の内容を知っていたのです。(p.99)
   《参照》   『未知への旅 「日本」とのつながりを求めて』  丸山敏秋 新世書房
              【鴨長明と吉田兼好の出自】
 
【過去に千年、未来に千年、自由自在に行き来した聖徳太子】
 聖徳太子は七日七夜の儀式を超え、千歳の未来を見切り、書き記しました。
 ここに聖徳太子の予言書 『未来記(いまだきたらずのふみ)』 は認められました。その中には、物凄いことが書き残されているのです。
 そして、南北朝の時代を駆け抜けた楠正成は、この、 『未来記』 により未来を見て、時代を動かしました。
 過去に千年、未来に千年、聖徳太子は自由自在に行き来しました。過去の分が 『千歳旧事本紀』 です。後に誤って 「千歳(せんざい)」 を 「先代(せんだい)」 と伝えられた 『先代旧事本紀』 のことです。未来の千年が 『未来記』 なのです。当家では、「記紀」 とは、 『古事記』 『日本書紀』 のことではなく、 『未来記』 と 『千歳旧事本紀』 のことを表すという口伝があります。 (p.118)

 

 

【やまとに異国の教えを持ち込んだ “豊聡耳王子“ 】
 太子は、ある夜、夢を見ました。それは、日本古代の夢でした。日本の古代の神々があらわれ、太子の真意を尋ねます。
「汝は、何が為に異国の教えをこの国に持ち込むのだ」
 太子は答えます。
「やまとの国ぶりを失わないためであります」
 すると、多くの神々は。それぞれに語り出しました。みんなが一緒に語るものですから、ふつうの人にはとても理解できません。ところが太子は、一つ一つを理解し、答えたのです。やまとの神々は、その人並み外れた神に通ずる力に驚きました。
 そして最後に、こう言い伝えたのです。
「このやまとの国ぶりは、和(やわ)らぎである。多くの種族が争ってきたが、民が苦しまぬよう戦いをやめ、儀式で多くのことを決めてきた。・・・中略・・・」  (p.129)
 “豊聡耳王子“ という聖徳太子の別称の由来がこれなのであろう。「10人の話を聞き分けた」 というエピソードを、単に人間界の範囲で理解してしまうのなら、誇張として解釈される程度である。どんなに偉人として聖徳太子を語っても、その本質的な能力について何も知らないのならば、日本神霊界(日本文化)の奥深さも理解できなくなってしまう。
 今日、仏教が広まっているという結果だけを見て、聖徳太子が秘め置いた “やまとの国ぶり” に関する知見を欠いている仏教徒は、日本神霊界の真相をほとんど知らない。
 この記述に続いて、草薙御神剣の話に展開してゆく。興味深いけれど、それを言い出せば限がない。

 

 

【十七条憲法に見る仏教との統合】
 陰陽道に明るかった太子は、自らの叡智を駆使し言魂靈の力を込め、未来へ理想の国づくりの思想が伝わるよう陰陽の数の方陣に条理を編み込んでいます。
 当家の秘伝書には、 『十七条憲法』 の条文の17という数は 「維摩経」 で菩薩の心事を17項目挙げてあることにも関係し、陰陽道と仏教の統合した力を込めていると記されています。 (p.159)
 十七独自の数霊の意味以外にも、こんな編み込みもあったということ。
   《参照》   『「素頭」で1億円稼ぐ仕事塾』  小山政彦  ビジネス社
            【聖徳太子の17条憲法】

 

 

【安倍晴明も聖徳太子あってこそ】
 治世4年(676) 「陰陽道」 は、官僚機構に取り入れられ、中務(なかつかさ)省に 「陰陽寮」 という部局が行われるようになりました。 ・・・中略・・・。 陰陽寮における学問的分科は陰陽道、天文道、暦道の3部門でした。日本初の占星台も作成されます。
 ・・・中略・・・。
 安倍晴明は天才的な陰陽師でした。もともと陰陽道は世襲的なものではありませんでしたが、加茂家・安倍家がこの世界を独占していきます。南北朝時代には、安倍家は土御門家を名乗り、表裏の世界に動きました。この日本の闇の部分にもなる 「陰陽道」 のもとにいるのが聖徳太子であり、安倍晴明も 『未来記』 を見て、未来を知った一人なのです。安倍晴明の神秘の力も、聖徳太子がいてこそのものと言えましょう。(p.147-148)
   《参照》   日本文化講座 ⑦ 【 易経 】
             【 易経 と 日本文化 】
 
 
<了>