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 体系的な記述はなく断片的な情報がほとんどだから読み物としてはつまらない。京都を訪れる場合のユニークな視点で記述されたガイドブックのようなものとして編集されたらしいから、それも仕方がないのだろう。

 

 

【菅原道真と雷神】
 これまでにも怨霊となって御霊として神に祭られた人々は大勢いました。しかし、雷神となったのは菅原道真が初めてです。そして、雷神と合体したからこそ彼は平安京最強の怨霊となり得たのでした。
 延長8年(930)9月29日。道真の怨霊に悩まされ続けた醍醐天皇が、「咳」 によって46歳の生涯を閉じます。そして天徳3年(959)、菅原道真の怨霊を鎮めるために、藤原師輔(もろすけ)が北野に天満宮を造営したのです。偶然か故意か、この地にはもともと雷神を祭る祠があり、それは火之御子社としていまも北野天満宮の境内に残っています。(p.38)
 中国の雷神と言えば、
 中国で雷神と言えば、 『封神演義』 などに登場する 「雷震子」 が有名です。彼は雷とともに地上に落ち 『周易』 を作った周の文王に拾われて養子となり、長じては息子の武王を助けて太公望・姜子牙らとともに戦いました。武器は 「黄金棍」 で、打てば大音響がひびきわたり、山をも砕くというスゴイ威力をもったもの。これは稲光と雷鳴、落雷といった雷のイメージから生み出されたものでしょう。(p.82)
 この 『封神演義』 に描かれている 「雷震子」 は、日本の烏天狗に似ている。

 

 

【 「礼」 と 「楽」 】
 古代中国において 「楽」 とは、「礼」 の儀式の際に奏でる音楽のことを指していました。「礼」 とは、社会の秩序を守る 「まつりごと」 そのものであり、「楽」 とは、人の心を和らげるものであり、どちらも古代中国の政治において最も重視されたものです。しかも 「楽」 の音色は 「陰陽説」 においては 「陽」 とされるため、「陰」 の 「気」 が凝(かたま)ったものである 「鬼」 や 「物の怪」 に対抗して、「陽」 の 「気」 を高める働きも持っていました。 (p.47)
 著者は中国古典の翻訳家でもあるらしい。
   《関連・参照》   『周公旦』 酒見賢一 文芸春秋
                   【礼】

 

 

【ベスト・オブ・陰陽師】
 平安中期には、「陰陽寮」 に属するもので 「陰陽道」 を能くする者は、すべて 「陰陽師」 と呼ばれるようになっていました。さらには、陰陽寮から離れて別の役職に就いた者でも 「陰陽師」 として天皇に呼ばれ、「占い」 や 「祓い」 を行うことがありました。(p.43)
 「陰陽寮」 の 「陰陽師」 が行った 「占い」 は、内裏の紫宸殿の東の軒廊(こんろう)で行われたことから 「軒廊御卜(こんろうみうら)」と呼ばれた。
 一方、天皇個人に関する占いは、宮中の一切を司る最も重要な部署であり、内裏の校書殿の西廂にある 「蔵人所(くろうどどころ)」 で行われた。ゆえに、「蔵人所御卜」 と呼ばれた。
 「蔵人所陰陽師」 には、安倍晴明、加茂光栄(みつよし)といった 「陰陽道」 の第一人者が順番に任命されていることをみても、彼らは、「陰陽寮」 の 「陰陽師」 を超えた 「陰陽師」 であり、「ベスト・オブ・陰陽師」 であったと言えるのでしょう。(p.45)
  《関連・参照》 『聖徳太子の「日本が沈む日」秘書 『未来記』 の真相』  友常貴仁  三五館
             【安倍晴明も聖徳太子あってこそ】

 

 

【式神】
 静明は、普段から目に見えない式神を使って、家の蔀戸開け閉めさせてもいたようで、式神というのは基本的に目に見えない存在だったようです。
 しかし、安倍晴明は一般人の目にはっきり見える式神も使っています。
 こういった式神的な術は、中国では 「左道の術」 と蔑称されていたという。
 しかし、日本では式神を使う安倍晴明を 「妖術使い」 と非難するような文は見られないという。

 

 

【泰山府君祭】
 「泰山府君祭」 によって、死者すら蘇らせることができたスーパー陰陽師。(p.51)
 そもそも、中国の泰山に住む神で人々の寿命を司るとされた泰山府君を祭って延命を祈願する 「泰山府君祭」 自体が晴明が編み出したとされ、のちの安倍家の陰陽道で最も重視される 「祭り」 となったものです。(p.54)
   《関連・参照》   『周公旦』  酒見賢一  (文芸春秋)
                   【魯国・泰山】

 

 

【簠簋(ほき)内伝】
 鎌倉時代に祇園社の神人として仕えていた安倍晴朝という人物が書いたとされる 『簠簋内伝』 という書物があります。宮中に仕える陰陽師の家系である安倍家や加茂家に伝わる陰陽道のテキストは、それぞれの家の秘伝として伝えられるのみで、一般に流布されることはありませんでした。しかしこの 『簠簋内伝』 の方は広く流布し、室町時代から江戸時代にかけて民間陰陽道のテキストとして大いに利用されたのです。(p.99)
 この( 『簠簋内伝』 の中に記されている) 「牛頭天王縁起」 には、牛頭天王と八王子の疫神になるまでのことが書かれているのですが、さらに 『簠簋内伝』 の他の部分には、「八将神というのは、牛頭天王の八王子である」 とも書かれているのです。(p.102)
 祇園社とは祇園祭の八坂神社のこと。牛頭天王、八将神、八王子。連鎖的に連想されるものがとても多いから書き出しておいた。
   《関連・参照》   『やまと心のシンフォニー』 松浦光修  国書刊行会 
                      【痛ましい神】

 

 

<了>