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 この本の最も良いところは書き出せない。全体の記述を読みつつ感じ取ることでしか大和的なるものの顕れは感受できないのだから。故に、このブログに書き出してあるのは瑣末なことだったりもする。1995年2月初版。

 

 

【月・ついたち・月読】
 どうして月を「つき」というか知っていますか。じつは、お日さまの つぎ に明るいところから、「つき」といわれるようになったのです。(p.77)
 毎月の始めの日を“ついたち”といいますが、これは「つきたち」の音便で、新しい月の立つ日ということ、つまり陰暦の“ついたち”は、月齢の一日と同じなのです。月の満ち欠けの姿から一日・二日・三日・・・と日を数えるのです。
 ですから、「つくよみ」を「月読」とも漢字をあてるようになります。
 しかし、この「月読」の世界では、もう人間の手の内に月が納まってしまっています。人間の手の届かない神秘的な「つくよみ」とは、「月読靈」でなくてはならないのです。神の神秘性は目に見えないところにあります。(p.17)
 第1章は、目に見えない「月読靈」のことを記述している。それを書き出すんなら全部になってしまう。

 

 

【大和言葉】
 日本語(やまとことば)というのは一つひとつよく考えてみると、深い意味があってとても素晴らしい言語です。どうか、日本語という美しい響きをもった世界を大切にしてください。(p.77)
 音読みと訓読み。小学生でも知っていることですが、訓読みの世界こそ、大和人の言の葉・言霊の世界だと知る人は稀です。(p.120)
   《参照》   日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <前編>
 日本語の意味としての一例。酒について、
 “さけ”という言葉は大和言葉で、“さ”は接頭語、“け”は“か”と同源で「香」の意味です。“さけ”とは「かおりよきもの」ということで、お米と麹で醸造した日本独特のアルコール飲料「日本酒」のことをいう言葉です。(p.96)
 お酒は、日本人を日本人たらしめているお米を原料として造られる最も貴重な飲料であるけれど、アルデヒド分解酵素が欠落しているチャンちゃんは日本人として大損しているといつも思っている。

 

 

【三教一体】
 当家にて、古代からお守りしております秘仏・聖徳太子像は左手に笏を持ち、右手に柄香炉を、そして首からクルスをかけておられるのです。笏は神道を表わし、柄香炉は仏教を、クルスは当然、キリスト教を示しています。この三教一体の貴き姿をザビエル来日以前の秘仏にあることが当家の宝でもあり、聖徳太子の心を守り抜く家としての構えともしているのです。(p.48)
 聖徳太子の本当の姿に関しては、今日、いろんな人々によって顕わにされているし、このブログの中でも、幾度となく書き出している。クルス(クロス=十字架)は原始キリスト教≒古代ユダヤ教のこと。
   《参照》   『日月地神示』 白峰聖鵬 (明窓出版) 《前編》
             【聖徳太子と19条の憲法】
   《参照》   『聖徳太子「未来記」の秘予言』 五島勉 (青春出版社)

 

 

【未発】
 日没に時を合わせて、大鏑の矢は矢いっぱいに引きしぼられ、未発の気が満ちるのを待っています。私の頭の中には、何もありません。心もからっぽです。無心ですらないのです。(p.49)

 『古事記』『日本書紀』のころは、大和歌初発の時期であり、未発の心が極まり、言の葉となって発しました。また、歌は詠じて口伝で語り継がれてきましたが、ここで初めて文字として記録されてくるのです。(p.126)
 “未発”とはいかにも日本文化的な表現のひとつだろう。「自らなす」のではなく「自ずからなる」のを待つからこそ、「未発の気が満ちる」とか「未発の心が極まり」という表現になっている。
 意志の文化で育っている欧米人には、この「自ずからなる」という未発の極が分からないらしい。ヘリゲルさんが一番悩んだのもここだった。
   《参照》   『超意識 あなたの願いを叶える力』 坂本政道 (ダイヤモンド社) 《後編》
             【 自ずから「なる」 】

 

 

【 大和的品ある世界 ⇔ 幽玄 】
 平安時代まで大和人の美意識の中心は、「ひかり」でありました。
 ここでいわゆる「わび・さび」の心の基が生まれてくるのです。直接的な「ひかり」を避け、間接的な「ひかり」を意識していきます。このことは後に茶の湯の世界に大きく影響を及ぼしていくのです。
 しかし、この時代には、「大和的」美意識の世界で、「わび・さび」は認識されておらず、この「わび・さび」の心の基の言うに言われぬ世界の余情を伴う感覚を「幽玄」と呼んでいます。この「幽玄世界」というのは、「大和的品ある世界」と言い換えられます。「大和的品ある世界」を「幽玄」と名づけたと思えばいいでしょう。「心・詞・姿」の幽玄を、和歌(やまとうた)の素材・要素として鑑賞するようになるのです。
 この〈幽玄観〉を打ち立てたのが、藤原俊成です。まことに美事なまでの大和人であった彼は、俊成老境の撰である『千載集』において、『古今集』復帰を志しながら、〈姿さび・心細し〉を新しい見解として示しています。
 俊成の子が定家です。彼は、この〈余情幽玄〉という父の世界を踏まえて、心の響き歌〈余情有心〉へと展開していきました。(p.130)
 玄人好みの記述である。だから阿呆チャンちゃんはパス。
 「大和的品ある世界」の品(しな)に関しては、下記リンクを。
   《参照》   『美人のお作法』 友常貴仁 (インデックス・コミュニケーションズ)
             【 「品がいい」 は最高の褒め言葉 】

 

 

【「小倉山荘色紙」と「紀貫之の秘軸」】
 「小倉山荘色紙」とは、小倉山にあった藤原定家の山荘に貼られていた100枚の色紙。百人一首のこと。
 小倉山荘色紙の中でも、古来もっとも秘儀を持つのが「紀貫之」の色紙です。『古今集』の筆頭撰者となった貫之、和歌の世界では重要な地位にあります。
 この幻の色紙「紀貫之」の秘軸の掛かる床前で濃茶一服を行ずるとき、定家の声が聞こえ、三条西実隆・武野紹鴎・千利休も参じてくる庵となるのです。

 人はいさ心も知らずふるさとは
 花ぞ昔の香ににほひける      (p.133)
 この「秘軸」の例を読めば、下記の精神がよく分かるだろう。
 茶の湯というのは、来る客のためにかまえるのではありません。来ぬ客を待つ心にこそ、真の茶の湯の精神があります。(p.142)

 

 

【神器日本刀】
 心頭を滅却し威虎のごとく寒き日本刀の威力を示現し、国を治め人を助け正を致して邪を排す神器日本刀。精神が邪悪であっては、日本刀は使えない。(p.152)
 (大瀧)老人は私にご自分の大切にされていた秘伝の書を写させました。『耆耄耋志(きもうてつし)』と題された一書は、いつも大切に私の身近にあります。鹿島神流の秘伝の書です。(p.186)
   《参照》   『絶筆 日本人への遺言』  草柳大蔵  海竜社
             【日本刀の文化性】

日本刀に宿る剣気に関しては、
   《参照》   『人と神と悟り』  日垣の庭宮主  星雲社