《前編》 より
 

 

【超意識】
 究極では宇宙全体へとつながる知性的な意識領域を、本書では全体として 「超意識」 と呼びます。つまり、超意識はユングの集合無意識を含み、それよりも大きな意識です。
 このように一般に潜在意識と呼ばれている意識領域は、条件反射的な無意識領域と知性溢れる超意識に分かれます。(p.80)
 マーフィーは、潜在意識の中の条件反射的な無意識領域だけの働きに囚われていた。だから努力も因果律も無視することになってしまっていたわけである。

 

 

【高次元の生命意識が関与する超意識】
 超意識は、我々の言いなりにはならないのである。なぜならば、高次元の存在に関わっているから。
 超意識の領域はむしろ私たちを導き、ガイドしていきます、私たちが正しく成長していかれるように常に心配し、心にかけてくれます。
 私たちは普段生きていく上で、さまざまな形で超意識から恩恵を受けています。でも、それに気づいている人はごくわずかでしょう。(p.81)

 ガイドは指導霊とも守護霊とも呼びます。英語ではガーディアン・エンジェルと呼ばれることもあります。ガイドは慈悲の心で私たちを導き、私たちの霊的な成長を助長しています。
  ・・・(中略)・・・ 。
 こういう生命意識の中には、いろいろな分野に秀でた知的生命存在たちも大勢います。 ・・・(中略)・・・ 私たちは必要とあれば、こういった知的生命体から知識を得ることが可能なのです。(p.85)
 宗教的なことに馴染んでいる人々は、守護霊や指導霊といった存在に関わる意識領域が、超意識なのだと理解すればいいのである。このような存在たちの概要については、以下の著作が最も相応しい。
   《参照》   『守護霊を動かせ!』 深見東州  たちばな出版

 

 

【意識の進化は方向付けされている】
 人間の意識というのは、超意識によって善に向かって進化するように方向付けがされ、そして守られているのである。しかし、超意識領域の生命存在は、強制的介入はしないという基本原則があるから、邪悪な欲望を最大化させて自らの念力によってそれを実現しようとすれば、この現実界では確かに叶う場合がある。しかし、その方法を続けた場合、進化の先には限界があるのである。著者の属するモンロー研究所のインデックスでいうならは、我欲系念力の最高到達点は《フォーカス27》までである。
   《参照》   『不思議の科学』 森田健 (同朋舎)
               【念力のパフォーマンス】

 現在の地球は《フォーカス22》のレベルにあるのだけれど、地球はここから一挙に《フォーカス27》を超えて行くかもしれない時代にさしかかっている。
 欲望肯定系の自己啓発書と愛なき宗教は、必然的に淘汰されることになる。

 

 

【人生という学校】
 ガイドの目的はただひとつです。私たちの霊的成長を促すことだけです。
  ・・・(中略)・・・ 
 霊的成長にとって重要なことは、愛情、因果律、努力、忍耐について学ぶ事です。人間界とは、それらを実体験を通じて学ぶための場なのです。その意味で、ここは学校なのです。学ぶことを学び、卒業することが目的になります。
 最終的に何を学べば、卒業できるかについては、拙著 
『SUPER LOVE』 (ハート出版) に詳しく書きました ・・・(中略)・・・ 一言でいえば、「無条件の愛」(モンローはこれをスーパー・ラブと呼びました)を学ぶのです。(p.89)
 まるで宗教家の著作からの引用みたいだけれど、これは、アメリカ人ビジネスマンであったモンローさんが始めた研究所の成果から導き出された見解である。
 このような視点で見た場合、すべての人々にとって意味ある願望とは、
 それが自分の霊的な成長を促すかどうかです。(p.99)
 超意識を活用した願望が叶うか否かは、この1点にかかわっている。
 当然のことながら、ガイド(守護霊・指導霊)のヘルプもこの1点にかかわっている。
 寄付をしたかった時、ちょうどそれと同じ金額が叔父さんからもたらされたという、努力なしで実現した願望は、ガイドによるバックアップだったのである。

 

 

【 自ずから「なる」 】
 マーフィー流のやり方は、意志的な感じが強いけれど、著者は反対の方法を示している。
 無心、つまり、意志の力を捨て去るのです。実現させようとする作為的な心を捨て去って初めて、願望が実現するのです。無為自然の状態です。(p.118)
 この顕著な具体例として、オイゲン・ヘリゲルに 『日本の弓術』 を教えた阿波研造さんの射に関することが引用されている。
   《参照》   『無我と無私』  オイゲン・ヘリゲル  講談社
 ヘリゲルさんの弓道に関するこの本を読んだことがある人は意味するところがすぐに分かるであろうけれど、意図的に 「する」 のではなく、無為と化して 「なる」 のが最上なのである。
 私たち日本人は、無意識にこのような生き方を言葉で表現している。 「お茶を入れました」 ではなく 「お茶が入りました」 と言うし、駅のアナウンスでは 「ドアを閉めます」 ではなく 「ドアが閉まります」 と言う。
 このように日本人は自然に 「なる」 という発想を好み、自分で意図して 「する」 というのを嫌う傾向がありました。(p.163)
 なんたって、日本人は神様ですら 「なりませる」 と捉えて 『古事記』 に書き残しているくらいだから、人は皆、「自(みずか)らなす」 より、「自(おの)ずからなる」 ことを最上としてきたのである。
   《参照》   『天皇が日本人を動かす』 高木桂蔵  はまの出版
             【「ある」のではなく「成る」】
   《参照》   『「脱亜超欧」へ向けて』  呉善花  (三交社)
             【外国人でなければ気付けない日本語の特性】

 これらは、大自然の究極たる大宇宙に全託する生き方であり、大宇宙の法則の必然性に任せて 「自ずからなる」 ことを良しとする考え方である。自らの意志で 「自らなす」 と言うのは狭小な人智によっているからこそできることであり、そこには自ずからなる限界がある。

 

 

【日本の立ち位置】
 現在の地球は、西洋発の 「自らなす」 威力に席捲されて進んできているけれど、畢竟するにそれは 「自ずからなる」 大自然の必然性の中にあってはたわいもないものなのである。
 日本が日本本来の力を発揮するための立ち位置は、「自ずからなる」 という処にあるのである。その解明は、右脳の再評価、ないし全脳の活性化によって果たされるのであろう。
 非合理的、非論理的、直観的、経験的という日本人本来のものの見方、生き方は、いってみれば右脳的なものの見方です。・・・(中略)・・・
 それに対して、西洋的な論理的、合理的なものの見方は、左脳的なものの見方です。日本の 「なる」 文化に対して、「する」 文化とでも呼べるでしょう。(p.166)
   《参照》   『「無邪気な脳」で仕事をする』 黒川伊保子・古森剛 (ファーストプレス) 《後編》
             【 「母音系アナログの日本語」 と 「子音系デジタルの英語」 】
             【日本語と脳】

 

 

【自分でできるイメージング】
 私たちの物質界では、想いが具現化することはありません。そういうことができる人は、ごく限られた超能力者だけです。ですから、私はイメージングは効果がないとお話ししました。
 それに対して、非物質界では、私たちの思いは具現化しやすいのです。たとえば、花を思い描くと花が目の前に現れてきます。
 そういう世界ですので、エネルギー体や生命エネルギーに対して、イメージングが効果を発揮します。(p.194)
 つまり、 “霊” とか “気” のような非物質領域ではイメージングが効果を持つのである。
 この特性を用いたものとして、白隠の 「軟蘇の法」 は有名であるし、「大周天法」、「小周天法」 などもよく知られている。 霊力≒イメージ力 である。

 

 

【願望実現の方法】
 願望実現には3つの方法があります。
(A)超意識(ガイド、高次の意識存在)を活用する方法。
(B)宇宙と一体になり、思い・願望と一体となって思いを具現化する(願望を実現する)。
(C)自分の力で思いを具現化させる(願望を実現させる)方法。  (p.222)
(A)は、【超意識】~【人生という学校】 に書きだした。
(B)は、【自ずから「なる」】と【日本の立ち位置】 に書きだしたけれど、「~道(武道・茶道など)」 の習事、芸事に関しては、「守・破・離」 の 「離」 に達していて、悟りに近いような状態にあって初めて可能になる方法である。 「自ずからなる願望実現法」 ないし 「無為にして化す願望実現法」 とも言えるだろう。世界の中で、この方法をもっとも完成度高く成し得るのは、圧倒的に日本人のはずである。
   《参照》   『解決策』 三休禅師 (たちばな出版)
              【道の奥には何が・・・】

(C)は、【自分でできるイメージング】 に書きだした。体の健康上の問題などでは特に効果が得られる。

 

 

<了>
 

坂本政道・著の読書記録