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 この手のタイトルの書籍はいっぱいあるけれど、他の類書と読み比べてみれば、この書籍は、奥深い霊智に基づいた内容であろことが分かる。しかも分かりやすくコンパクトに記述されている。

 

 

【守護霊ではなく憑依霊】
 守護霊は霊界にいるのですから、霊視ができても守護霊は見えることはありません。霊界から見守っているのです。
 おじいさん、おばあさんが霊視で見えるということは、憑霊しているだけで、子孫に頼っているわけです。要するに、そのことを霊能者に知ってほしいから、憑霊しているのです。
守護霊は、憑依霊などとはまるで違う品格を持っています。  (p.20)
 本当の守護霊は、霊界から見守っており、ここぞという時にだけやってくるのだという。

 

 

【守護霊の霊界での有様 と 人間の側へのかかわり原則】
 そういう方々(守護霊)は、あの世でも智恵を磨き、学問を磨き、信仰心を磨き、芸術を磨いて研鑽に励んでおられる。もちろん、この世にいたときに勉強したものをベースにして、研鑽しているのであって、あまりにも飛び越えたものまではできません。だからこそ、この世に命ある間に一生懸命、研鑽しなければならないのです。(p.35)
 誰でも守護霊になれるわけではなく、守護霊になれる方々って、現世に生きていた時の達成度が前提になっているということになる。だからこそ、守護される側のありかたも問われている。
 自分はこれを目指すんだという志や主体性がないと、守護霊も積極的に関与することはできません。
 守護霊はあくまでも守護する霊であって、守護霊の守護を大きくするか否かは、すべて主体たる私たちの志にかかっているのです。守護霊のほうから、ああだこうだと関与してはいけないことになっております。 (p.35)
 守護霊には 「本人が何かを一生懸命やっているとき以外は、守護してはいけない」 という原則がある。
 守護霊は、人間の進歩向上のために守護する存在である。
 単なるわがままや低次元の欲望を叶えようとやってくる存在は、単なる先祖霊である。


【守護霊に投げかけた祈りや願いの答えは、どのようにかえってくるのか】
 回答のしかたに 「直接内流」 と 「間接内流」 の2つがあるという。
 「直接内流」 というのは、直感や霊感を通して、直接的に守護霊様がパッと教えてくださるものでありまして、霊的に研ぎ澄まされていると、「あっ、これが守護霊様の答えだ」 と直感的にわかります。
 もうひとつの 「間接内流」 というのは、人の口や新聞、テレビ、雑誌などの媒体を通じて答えを返す、というものであります。
 「間接内流」 の場合は、3回ほど回答があるそうである。

 

 

【強い守護を受けるには】
(おかげの原因がなんであろうと、)「感謝の先取り」をすると、守護霊は動かざるを得ない。 (p.111)
 極めて人間的である。
 ということは、おかげをいただいても感謝すらしないと守護は弱くなるということか。
 少なくとも強くはならないだろう。

 

 

【守護霊様に、何百倍もの霊力で動いていただく方法】
 ○△□◎☆▽◇ (p.148-150)
 最高神の意向に沿う祈りが認められればよいことになる。
 つまりこれが、自らの守護霊に全権大使になってもらう方法である。

 

 

【神霊を動かす方法】
 発願、人間的なあらゆる努力、絶叫こそが、神様に来ていただく一番の秘訣であり、神様と一つになる、仏様と一体になる秘訣なのです。 (p.165)
 発願、人間的なあらゆる努力、絶叫の3ステップは、ホップ・ステップ・ジャンプに相当すると書かれている。
 守護神・守護霊は、どこまでも 「天意に叶った真摯な生き方」 に比例して、よりパワフルに動いてくれるということらしい。

 

 

<了>

 

深見東州・著の読書記録