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 ノストラダムスの世紀末予言のベストセラー作家だった著者が、聖徳太子が秘め置いた日本の予言体系についてそのアウトラインを記述した著作。大規模な変革の時期は1999年と特定されていたわけではない。
 1991年9月初版のこの著作に記述されている重要なポイントは、聖徳太子と日本文化の深層(神道)に関して殆ど知識のなかった当時より、今読んだほうが分かりやすいし、時宜を得ているといえそうである。

 

 

【日本書紀・巻二十二】
 西洋の予言に詳しい著者が、聖徳太子に詳しい京都の尼さんに出会っての会話。
「日本書紀の巻二十二というのは、原本を見てくだされば分かりますけど、日本書紀の中ほどにあります。推古天皇の時代のことと、聖徳太子の若い時のことが書かれている巻どす。 ・・・(中略)・・・  “厩戸皇子” いう名で呼ばれてはった。 ・・・(中略)・・・さりげなく一行だけ書かれてますよって、たいていの人、読みすごしはります。けど、そこにはこう書かれてます。 “厩戸皇子、壮に及びて未然をしろしめしたもう” て・・・」 (p.38)
 “未然” とは “未来の出来事”。 “しろしめしたもう” は “知る” の敬称。
   《参照》   『聖徳太子の「日本が沈む日」秘書 『未来記』 の真相』  友常貴仁  三五館
           【過去に千年、未来に千年、自由自在に行き来した聖徳太子】
   《参照》   『もう朝だぞ!』  友常貴仁  三五館
           【聖徳太子】

 

 

【聖徳太子の “未来記” 】
「 ・・・(中略)・・・ その “未来記“ には、これからの日本や人類のことも出てくるわけですか?」 
「はい、出てきます」
「日本も人類も、これから何とか無事に進んでゆけますか? それとも、何かとんでもない事がこれから起こるんですか?」
「はい、起こります」
「ああ! じゃあその点は、ユダヤの予言や聖書と似ているわけですか?  ・・・(中略)・・・ 」
「そこはちゃうように思います。 ・・・(中略)・・・ 。世界はその大変化で、めちゃくちゃになってストップします。けど、そのとき、こんどは日本や人類にとって、もっと信じられへん最良のことが起こってきます。それは聖書のメシアの出現とか救世主の降臨なんて問題にならへん、人類がいっぺんも経験したことのない、想像もできんような秘密の超大吉や、ということになってます」 (p34-35)
 最終的な結果は、決して暗くはないけれど、その前に大きな変革が起こらざるを得ない。1999年が過ぎたから、地球にはもう何も起こらないと考えるのは早計らしい。むしろ、聖徳太子の “未来記” の予言も、聖書の予言も、その核心的な部分はこれから最後の幕が開くのだろう。

 

 

【二人目のイエス】
 神の預言者はみんな似たような生まれ方をすると、原始キリスト教では言われてきたからだ。景教でも、東方の世界を受け持つ二人目のイエスが、太陽の都で生まれる、という言い伝えがある。
 景教の景という字はそれを示したものだ、という人もいるほどだ。たしかに景という字は “日の京” と書く。 (p.172)
 景教とは、辞書をひけば “ネストリウス派のキリスト教“ と説明されているけれど、簡単に言えば “原始キリスト教” である。

 

 

【外典が示す破局の時期】
 聖徳太子の時代の文献には、内経(仏教経典)に対して、外典という言葉が用いられている。外典の典とはもともとは書物のことで、バイブルはもともと書物という意味。つまり外典とは、漢訳の聖書。
 来るべき大破局とイエスの救いは、彼の昇天(30歳または34歳のとき)から2000年後。西暦2030年か34年。これがユダヤ予言の究極期限を、もっとも遅く説いた年数になるのだ。しかし、もっとも早い指定も旧約聖書のダニエル書にある。
 それを書いたダニエル、つまり旧約きっての妖しい美少年預言者は、大破局と救いの期限として、「荒らす憎むべきものが立てられてから1290日」 という謎の言葉を天使から聞いた。この暗号を複雑な手続きで解き、ユダヤ秘法に従って 「日」 を 「年」 に置き換えると、西暦1992年という年が出てくる。
 だからこの範囲内、つまり1992年から2023年までのあいだのいつかに、ユダヤ・キリスト教予言では世界破滅が起こるのだ。(p.179-180)
 一方、内経はというと・・・。

 

 

【内経が示す破局の時期】
 そう、あの 「大集経」「法華経薬王菩薩本事品」 の一節、釈迦が残した仏法の究極のあの予言を。 ・・・(中略)・・・ 。そして釈迦の死から数えた仏法の重大期限が、西暦に直せば1956年から2017年ごろまでにあてはまる ・・・(中略)・・・ 。(p.181-182)
 外典も内経も “重大な時” はピタリではないにせよ、ほぼ一致している。
 今すでに2010年ではあるけれど、 “重大な時期” の前半と中盤に起こるはずだった禍々しき事態は、日本人の力によって未生のうちに摘み取られてきたのである。しかし、外典の2023年、内経の2017年という年限が過ぎたわけではない。
 環境問題や政治問題、経済問題など、地球上のあらゆることどもが行き詰まりを見せている。日本の国政も殆ど停止しているに等しいような状況ではなかろうか。地球規模の異変は招かれているように思えてならない。
 であるにせよ、日本の未来は決して暗くはない。日の出の国は、先頭に立って世界を牽引することになるはずである。
 著者は、聖徳太子が作った法隆寺の五重塔の構造自体から、釈迦滅後2500年までを500年単位で五層の塔自体に、以降を塔の頂部に立つ相輪から読み解こうとしている。また、法隆寺の全景から、五重塔のある西院伽藍を西洋文明に、夢殿のある東院伽藍を東洋文明に対比して解釈してもいる。ここからも、日本の重要な役割が見えてきそうである。
 法隆寺にしろ四天王寺にしろ、聖徳太子が作ったとされる寺(テラ=地球)は予言に満ちている。
   《参照》   『経営に生かす聖徳太子の教え 深見所長講演録4』 (菱研)
            【斑鳩に移った本当の理由】
   《参照》   『やはり世界は予言で動いている』 五島勉 青萠堂

 

 

【 「世間虚仮、唯仏是真」 】
 ブッダが語ったとされるこの有名な文言は、単なる “空の認識” とそれを語った仏の正当性を意味しているのではない。認識論や仏の教えについてどんなに整っていても、それだけの解釈しかできないのなら、仏教はブッダの語った未来を見て真摯に対応していないといっても過言ではないのだろう。
 「未来人だけが真実だ。それまでの人類がつくる世界はしょせんウソッぱちだが、いずれブッダ類=未来人類が、そうでないほんとに進化した世界をつくる」 の意味になる。(p.218)
 「世間」 という漢字の暗号を解読し、「仏」 が “未来人類” を意味するものとして読み変えると、上記の引用のようになる。さながら、今日巷にあふれている地球と人類のアセンションを示していたのでもあることが分かる。