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 日本史上に輝く聖徳太子の賢明さを実に分かりやすく説明してくれている。経営者も学べるだろうけれど、そうでない一般人でも、日本人ならば必ずや深く深く首肯しつつ、その明瞭かつ的確な解釈に感心してしまう内容である。

 

 

【斑鳩に移った本当の理由】
 飛鳥からここに映した理由もまさにそれは、飛鳥の西北に当たるからということで、ここに移したわけです。今、地図を見たら、ここ斑鳩、法隆寺は飛鳥から見たらまさに西北に当たります。そういうところにちゃんと引っ越した故に、天皇家は連綿と続いているわけです。天皇家の権威、揺るぎません。(p.17)
 斑鳩の里に立つ法隆寺。聖徳太子が建立した寺院であることは言うまでもない。
 西北とは神の位を意味する方位。
 聖徳太子が建立したお寺は三十三あるといわれておりました、それはいまだに全部、残っているんです。観音の数だけつくっているわけですが、この五重塔は、世界に冠たる日本にするためにつくったんだということでして、五重塔が何度も何度もそう言っています。 (p.21)
 この五重塔も一千何百年たっているわけですから、当然、気が宿っていますから、声が聞こえてくるんです。(p.20)

 

 

【聖徳太子が経営者に教える3つのポイント】
 3つの点の第一は信仰。第二番目が学問。第三番目が自在性。この3つが聖徳太子のルーツであり、聖徳太子が示されたひな型である、ということです。(p.28)

 

 

【信仰と学問】
 一番目の信仰ですが、・・・中略・・・。要するに神仏との交流です。「神様、仏様、これはどういうことなんでしょうか。どうすればいいんでしょうか」 と、朝な夕な拝んでいる。そうすると、「あっ、こういう学問をしなきゃいけないな」 ということで、学問への心が開いて、必死になって学問をする。それを神仏が励ます。・・・中略・・・。その学問もポイントを踏まえて、要所をバシッとつかむ。それだけの咀嚼力があった。これはもう霊覚です。神仏の導きによって学問をされた。(p.28-30)

 

 

【日本人の精神性に最も合う 『維摩経』 】
 数あるお経の中で唯一、在家の人間にとっての悟りの道について説かれているのが 『維摩経』 なんです。これは神道と軌を一にするもので、出家主義ではなく在家主義でありながら神仏への信仰が生活の中に生かされなければいけないんだ、というふうに教えているわけです。(p.32)
 維摩はお金持ちだし、酒場にも行くし、それから色街にも平気で出入りするような人なんだけれども、お釈迦様の十大弟子をことごとく論破していくんです。(p.33)
 かつて学者さんが書いている仏教系の書物をいくつか読んだことがあるけれど、維摩経については名前以外、具体的に何の印象も情報も残っていなかった。維摩経のことをこんなに分かりやすくポイントを押さえて教えてくれるのは、深見所長くらいのものである。

 

 

【 『法華経』 『維摩経』 『勝'689;経』 】
 3つのお経の特色は、神道の基本的な思想である、現実のこの世の中を具体的に幸せにしなきゃいけない、ということ。(『法華経』) そして、出家をするのではなくて生活の中に生きて、その中で悟りを開かなきゃいけない、と。(『維摩経』) また女性の持つ素晴らしさに目覚めなきゃいけない、と。(『勝'689;経』)(p.36)
 聖徳太子が著した 『三経義疏』 の三経のポイントを、それぞれ一文で教えてくれている。そして、それらはいずれも神道の基本的な思想なのである。わかりやすい!
 

【学問と自在性】
 聖徳太子は本当の学問を極めて、咀嚼力を持っていたがゆえに自在性があって、表面的なことだけに拘泥しなかった。また、それゆえに、一つの宗教に凝らないで、バランスよく調和させることができた。和の精神が持てた。一つのものごとに偏った人間は、和の精神が持てない。偏屈です。(p.42)

 

 

【西洋に千年先んじていた聖徳太子】
 西洋では30年戦争などの宗教戦争に明け暮れ、人口が3分の1に減ってしまうというような経験を通じて、漸く、政治に宗教をもちこまないという啓蒙思想が生まれた。17世紀のことである。
 聖徳太子さん、その一千年前にそれをやってるわけですから。一つの宗教の凝らないという日本人の感覚には自在性があるわけでしょ。政治というものがあって、国があって、現実があって、それらをよくするために宗教があるわけで、宗教があって政治じゃない、宗教があっての生活ではないんだ、と。聖徳太子はそういうふうに考えていたわけで、それがまた、日本人の感性になっているんです。(p.45)

 

 

【最高の経営者になるために】
 聖徳太子は信仰があったがゆえに学問に目覚め、学問の真髄を得たがゆえに自在性があって、一流一派にこだわらなかった。・・・中略・・・。
 で、宗教にこだわらないがゆえに儒教のいいところ、仏教のいいところ、神道のいいところ、道教のいいところを吸収して、それをビシッと全部活用しているわけでしょ。それがすごい。それだけの自在性があったのは、この3つ(信仰・学問・自在性)が揃っているから。これがやはり日本人の気質の根源だし、日本の国の一つのやり方であるし、日本人の宗教観、日本人の政治観です。ということは日本の経営者も、聖徳太子のやり方にのっとってやれば最高の経営者になれるということです。(p.45-46)

 

 

【経営者は中国の古典を読め】
 日本は 「和を以て貴しと為す」 国ですから、国を治めるといってもあまり理屈は要らない。理屈よりは感覚の世界なんです。日本の為政者の世界は。しかし、それでは後世の人には役に立たない。企業経営者が日本のかつての為政者が残した書物を見ても、ほとんど役に立たない。・・・中略・・・。ほとんどが精神論に終始していて、統治の技術や権謀術数などを説いたものはきわめて少ないですね。
 だから、日本の経営者はみんな中国の古典を読むわけです。その証拠に、一部上場、二部上場のトップで中国の古典の知識がまったくない人なんかいないでしょ。皆さん、当然のごとく勉強されてます。(p.68-69)
   《参照》   『中国古典からもらった不思議な力』 北尾吉孝 (三笠書房)

 

 

【趣味は読書】
 聖徳太子の示す第二のポイントが学問だから、以下のようになる。
 菱研の人はやはり、「趣味はなんですか」 と聞かれたら、「読書です」 と答えなければいけないと思いますね。・・・中略・・・。
 経団連の会長、平岩外四さん、「趣味は読書」 と書いています。(p.73)
 平岩さんは既に故人となっておられるけれど、氏の読書好きは、財界ではよく知られていることだった。
   《参照》   『味の素 食文化のクリエーター』 堀章男 (TBSブリタニカ)
             【経営理念は「共生論」】
 私の場合は、他にすることがないから読んでいるだけで、趣味という自覚はない。
 所長が読書を薦めているのは、単に知識を蓄えるなどという目的ではない。
 そうやって頭脳の使い方、人の使い方、経営の技術がどんどん伸びていくような人でないと、会社を大きくするなんてまず無理です。会社が脱皮して大きくなるということは、すなわち経営者が脱皮を遂げる、ということなのですからね。(p.76)
 そして、
 いろんな知識や情報をたくさん持っていても、頑固だったらダメですね。知識は豊かでも頭は悪いんです。
 そういう人は職人さんにはなれても、経営者にはなれません。経営者は職人気質じゃダメなんです。職人の技術は持っているけれども、広い視野と見識を持っているのが経営者なのです。それを可能にするのはやはり知性と学問です。学問が極まれば自ずから自在性が出てきますからね。(p.86)

 

 

【聖徳太子の品格】
 かつて、日蓮に凝ったことがありましてね。日蓮の書物を読んでたら、
 「日蓮上人って、すごいなあ」
 と思って、それ以来、日蓮に凝るようになったわけですけれど、きっと荒々しい気が出ていたのでしょう。植松先生は、
 「日蓮が何なのよ。あんな下駄みたいな顔して」
 とおっしゃいましてね。その一言で 「そうだなあ」 と思って、今度は弘法大師、弘法大師と思うようになったんですけど、考えてみたら弘法大師にしても伝教大師にしても。ルーツはやっぱり聖徳太子だ、と。この聖徳太子の品格と比べると、弘法大師も伝教大師もちょっとガラ悪いな、と。日蓮もガラ、悪いですよ。(笑)(p.95-96)
 「下駄みたいな顔」 なんて言われて、日蓮さん霊界でたいそうビビっていたことだろう。
 結論は、やっぱ、聖徳太子ちゃん。(←この表現、“品格“ ない)
 
<了>