今や「国際関係」と名がつけば学生が多く集まるから、どの大学にもそんな学部・学科名が増えているけれど、そうであるなら、必然的に日本文化に関する質の高い書籍にも注目が集まるはずである。
そんな時流から推察すれば、著者の書籍は、どこの図書館にも置かれているだろうと思うのだけれど、あんまり見かけないのが不思議である。再読。95年11月初版。
そんな時流から推察すれば、著者の書籍は、どこの図書館にも置かれているだろうと思うのだけれど、あんまり見かけないのが不思議である。再読。95年11月初版。
【同じお茶を使っても・・・】
「茶禅一味」って、分かりやすく言えばこんな感じだろうか。
“精一杯生きる”ってことの大切さを、禅宗のお坊さんたちはよく教えてくれる。
《参照》 『玄理玄則』 玄秀盛 ゴマブックス
【必死】
「同じお茶を使っても、おいしく入れる人もあれば、まずく入れる人もある。同じ人間として生まれながら、よく生きる者もあれば、悪く生きる人もある。精一杯生きれば成仏だよ」(p.27)
著者が子供の頃、禅の老師に言われた言葉だという。「茶禅一味」って、分かりやすく言えばこんな感じだろうか。
“精一杯生きる”ってことの大切さを、禅宗のお坊さんたちはよく教えてくれる。
《参照》 『玄理玄則』 玄秀盛 ゴマブックス
【必死】
【人間本来平等】
ところで、人間本来平等という理想のもとにできた茶道が、どうして位の上下に結びついてしまったのだろうか。茶道も、「人間本来無一物」と悟った禅的境地を基としながら、人間本来平等を示現していたはずなのに、茶道をするにはお金がかかる。財力(貨幣経済)は平等を容易に破壊するのである。現代の日本のお坊さんたちにしたって、財力と不可分な関係で実に詳細に階級化・序列化がされているのである。
茶道と仏道(禅道)。現代では本質を忘れて腐ってるなりに、ここでも「茶禅一味」なのである。
権力を手に入れた者は、人間本来平等という崇高な理想のもとに築き上げられた道の世界は、少しずつ手を加えて、自分こそは、その頂であるという上下の関係の世界へと潜在的に変化させようとします。
書院には、上位、下位の座る位置の位というものが存在しますが、利休居士の考えた茶室には、そのような考えを捨てさり、主と客が対等な関係で一期一会できるように示現されています。しかし現代、そのような心の茶人も少なくなり、真の平等を知ることができなくなっているのも事実なのです。(p.40)
上記文章の中の、「道の世界は」、は、「世界に」 であろうし、「利休居士の考えた茶室には」、は、「茶室は」 が正しい助詞の使い方なんだろうけれど、こんな風に書かれている。読んでいる時は、意味を察しているからそれほど気にならないけれど、書き出すとなると気になって仕方がない。書院には、上位、下位の座る位置の位というものが存在しますが、利休居士の考えた茶室には、そのような考えを捨てさり、主と客が対等な関係で一期一会できるように示現されています。しかし現代、そのような心の茶人も少なくなり、真の平等を知ることができなくなっているのも事実なのです。(p.40)
ところで、人間本来平等という理想のもとにできた茶道が、どうして位の上下に結びついてしまったのだろうか。茶道も、「人間本来無一物」と悟った禅的境地を基としながら、人間本来平等を示現していたはずなのに、茶道をするにはお金がかかる。財力(貨幣経済)は平等を容易に破壊するのである。現代の日本のお坊さんたちにしたって、財力と不可分な関係で実に詳細に階級化・序列化がされているのである。
茶道と仏道(禅道)。現代では本質を忘れて腐ってるなりに、ここでも「茶禅一味」なのである。
【礼と礼節】
礼は人と人が交際する相手を心に敬い行う法則を守ることであり、頭で覚えられる世界です。しかし、礼節となると、その覚えた礼をいかに使うかという、現実的、実行の世界なのです。“礼節”を知ってこそ、はじめて一人前の人間といえるわけです。(p.70)
今や欧米文化に席巻されて礼節の意味をきちんと教えてくれる人も少ないのだろう。竹の節のように、「節」がなければ竹は容易に割れてしまうけれど、この様な例えをもって礼節の大切さを教えてくれた学校の先生など一人もいなかった。そもそも日本文化は、1月1日から9月9日まで奇数のゾロメの月日を五節句としていたけれど、最近の学校の先生はこんなことも教えやしないんだろう。
【「たたみ」部屋の原点】
【義政と能阿弥】
たった一か所、室町時代末期に「たたみ」の敷きつめられた空間が誕生します。それが足利義政公の銀閣寺東求堂なのです。日本の「たたみ」を敷きつめた部屋の原点です。その空間は、四畳半でした。茶の湯の世界の茶室は、すべてその伝統を引き継いでいます。のちに江戸時代となり、建築様式も武家流の書院造りとなりましてから、部屋に「たたみ」が敷きつめられるようになり、一般化していったのです。そして、武家屋敷用の、武家用の座り方として、今でいう正座が確立していきました。(p.75)
《参照》 『京都の秘密 経営の絶対ヒント 深見所長講演録5』 (菱研)【義政と能阿弥】
【忍者のように・・・】
《参照》 『日本を継ぐ異邦人』 井上和博 (中央公論社)
【杖術、ツルコ・チェザーレさん。1951年イタリア生まれ】
【日本を継ぐ異邦人の危惧】
忍者たちは、いろいろな身分の様々な所作を身につけていました。当然座り方もです。そうしないと、どんなにうまくひとつの社会の内へ入り込んでも、見破られてしまうからなのです。
要するに、すべての所作に、その人の品位が表わされてしまうということなのです。私は、現代に生きる当主として、現代人にとって、ほんとうに必要な日本の所作は、忍者のようにすべてを知って自由自在に使い分けれることではないかと思っています。(p.78)
アクション系のハチャメチャなら、「忍者大好き!」って言う日本人の若者は多いんだろうけれど、こんな品位のある所作なんていう理由で忍者を勧められるんなら、大抵の人はドン引きだろう。でも、本当に日本文化に嵌った外国人は、一般的な日本人よりず~~~っと凄い品位ある忍者になっている。そして日本を・・・・要するに、すべての所作に、その人の品位が表わされてしまうということなのです。私は、現代に生きる当主として、現代人にとって、ほんとうに必要な日本の所作は、忍者のようにすべてを知って自由自在に使い分けれることではないかと思っています。(p.78)
《参照》 『日本を継ぐ異邦人』 井上和博 (中央公論社)
【杖術、ツルコ・チェザーレさん。1951年イタリア生まれ】
【日本を継ぐ異邦人の危惧】
【日本人の挨拶】
育児にしても幼児期にオンブやダッコによって皮膚感覚が十分満たされていれば、大人になってから精神的成長が保証される。欧米では幼児期からベビーベッドやベビーカーに隔離して皮膚感覚を十分満たさないから、大人になってもスキンシップに固着するんだろう。挨拶の仕方から文化度を判定しても、日本文化の方が優れていると言えるのである。
また、触れ合いによる挨拶は、心理学的な安心と共に、社会学的には武装解除の意味をもつけれど、頻繁に異民族が流入することなき島国として文化を培ってきた日本では、そんな必要性はないのである。
《参照》 日韓文化比較
● 違いの原因は? → “安全保障”
日本のあいさつは触れ合いを求めません。相手と親しくなる以前の空間、時間を大切にしています。 ・・・(中略)・・・。
日本人は(相手をむこうにおしやるというのではなく)一歩退くという間合いによって接触をする以上の心のつながりを求めていきます。(p.82)
スキンシップって感覚的に親しみを感じやすいだろうけれど、余りにも即物的なコミュニケーション法である。精神的・霊的に進化していたら、スキンシップなんかするわけがないのである。全く不要ですらある。日本人は(相手をむこうにおしやるというのではなく)一歩退くという間合いによって接触をする以上の心のつながりを求めていきます。(p.82)
育児にしても幼児期にオンブやダッコによって皮膚感覚が十分満たされていれば、大人になってから精神的成長が保証される。欧米では幼児期からベビーベッドやベビーカーに隔離して皮膚感覚を十分満たさないから、大人になってもスキンシップに固着するんだろう。挨拶の仕方から文化度を判定しても、日本文化の方が優れていると言えるのである。
また、触れ合いによる挨拶は、心理学的な安心と共に、社会学的には武装解除の意味をもつけれど、頻繁に異民族が流入することなき島国として文化を培ってきた日本では、そんな必要性はないのである。
《参照》 日韓文化比較
● 違いの原因は? → “安全保障”
【爪の手入れ】
中国の古代は、文官と武官では文官のほうが身分が上だった。そこで戦う道具を使わぬ文官どもは、爪をのばしてその高貴さを誇ったそうだ、わたしたち日本人はよくはたらく人々で、爪をのばしていることを、はたらきもせずに人のうわまえで暮らす怠け者として嫌った。武士のたしなみとして、爪の手入れは怠れない。(p.89)
働く必要のない専業主婦であっても、爪をのばしてネイルアートに凝っていたら家事の邪魔になるだろうと思いつつ呆れて見とれていたことがある。どんなに邪魔であっても家事より爪先が大事って言うなら相当に重傷である。専業主婦を辞めなくてもいいから日本人を辞めてほしい。そもそも霊学的には凶事である。
【日本文化の粋】
上記文中に“文官と武官では文官のほうが身分が上”という記述があるように、中国や朝鮮といった儒教国家は、儒教典籍を尊ぶ文官が統べる国ということに表向きはなっている。日本は文武の両方を尊重した国である。
【 “尚武” と “尚文” 】
上記文中に“文官と武官では文官のほうが身分が上”という記述があるように、中国や朝鮮といった儒教国家は、儒教典籍を尊ぶ文官が統べる国ということに表向きはなっている。日本は文武の両方を尊重した国である。
日本の文化は、貴族社会の為来(しきたり)から、質実剛健を旨とする武門の礼へと変遷しました。そして、その礼は激しい時の流れに流されず、いまだに当家の為来として、時代の流れの狭間に存在しているのです。絢爛豪華な貴族的世界と、質実剛健な武門的世界とが日本文化の粋(すぐれたもの)であると、相対立する両方の世界を認めています。(p.126)
《参照》 『「ふろしき」で読む日韓文化』 李御寧 学生社【 “尚武” と “尚文” 】
【武門の袴】
ところで、武門の袴には折り目が前ひだ五本あるのですが、どうしてだかご存知でしょうか。
意味するところは、仁・義・礼・智・信。この五行を整えることは武門の掟で、毎晩休む前に一日の反省をし、仁・義・礼・智・信を旨として生き抜けたかを心にするのです。そして明日への契(ちか)いを新とするわけです。
この仁・義・礼・智・信、儒教でいう五常の徳目ですが、日本で最初に知り行じたのは聖徳太子です。(p.64)
古代中国において、文官の典籍であった儒教文献の徳目を、武官が取り入れていたのかどうか知らないけれど、文武両道の日本は、武門にすら儒教が浸透していた証拠である。意味するところは、仁・義・礼・智・信。この五行を整えることは武門の掟で、毎晩休む前に一日の反省をし、仁・義・礼・智・信を旨として生き抜けたかを心にするのです。そして明日への契(ちか)いを新とするわけです。
この仁・義・礼・智・信、儒教でいう五常の徳目ですが、日本で最初に知り行じたのは聖徳太子です。(p.64)
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