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 21人の外国人が紹介されている。最も若い方でも1966年生まれ(43歳)で、殆どが1960年以前に生まれて長年日本文化に接している方々である。
 “多くの外国人が日本文化を学びに来ており、彼らが日本人以上に日本を愛し、日本に学び、日本を憂い、日本を理解しているのは、本書で述べたとおりだ。” とあとがき (p.216) に書かれている。
 一日本人としてこの著作を読むと、彼らの “憂い” の部分ばかりが目に入ってしまう。

 

 

【版画家、クリフトン・カーフさん。1927年アメリカ生まれ】
 「最近の人は、伝統工芸を手にしなくなったね。本物の道具は長持ちするのに。高いからといって買わないと、職人さんの技がなくなるし、職人さんもいなくなると日本の魅力は、何が残るの・・・。TV、コンピューター、カラオケがはやって、日本人は、人とのコミュニケーションをしなくなり、機械の奴隷になっている。自然や祭りを大切にしなくなった。横のつながりをしないと、暴力事件や強盗が増えてくるよ。
 そして呟いた。
「美しいもの、愛するものだけを描きたい。日本の美が壊される前に、少しでも多くの版画に残しておきたいのだ」 (p.48)
表紙の写真のクリフトン・カーフさんは、常に着物に草履、下着は越中褌ですごしているという。

 

 

【鋳物師、ジョセフ・ジャスティスさん。1947年アメリカ生まれ】
 本職の鋳物以外でも、ブランドを持っている。
 生麩は、グルテン(小麦タンパク)で作った団子のようなもので、懐石料理には欠かせない食材である。この生麩を、彼はなんと生菓子に仕立て上げた。パンプキン、チーズ、ベーコン、バジリコ入りなどのオリジナル作品が 「JOSE麩」 の銘柄で店頭に並んでいる。(p.52)
 鋳物の師匠である29代目・長谷川亀右衛門さんの発言
「もう昔のように、金をとって教える状態ではないんです。お金を払ってまで後継者になろうとする人はいない。後継者がいないと、作品をきちんと評価できる人もいなくなります」 (p.55)
 現在、鋳物は日本より海外の方が需要を生んでいる。鋳物の質感(クオリア)に日本的な文化を感じるのだという。黒一色ではなく赤などを彩色した鋳物が海外で人気あるとか。
 現在の伝統工芸も、かつては多いに需要があったからこそ発展した物だったのだから、新たな需要を生む中で、不易流行の両面性を生かして維持発展してゆくべきものなのだろう。

 

 

【杜氏、フィリップ・ハーパーさん。1966年イギリス生まれ】
 スコッチ・ウイスキーの国イギリスからやって来た青年が、神棚に手を合わせてから、黙々と作業をしている。「神様に手伝ってもらわないとね」
「最初はメチャクチャきつくて、死ぬかと思いましたわ」 と言うくらい肉体的にも精神的にもハードな毎日だったという。
「酒は生き物です。気を緩めることはで見ません。特に吟醸酒は世界一複雑な酒やと思います。日本人はもっとプライドを持っていいですわ。杜氏さんが変われば酒の味も変わる。その個性が蔵元の魅力なんで」
 日本の酒の味の決め手は、一に杜氏の技、二に水、三に酵母菌、四に原料の米だという。(p.78)
 繊細な味わいの分かる人々ほど、「日本酒が最高」 と言うらしい。
 日本人でウイスキーやワインの製造法を学ぶためにヨーロッパへ行った人々の数は膨大なはず。海外から日本に学びに来る人がいてもいい。しかし、最近の蔵元の多くは全自動化されてしまっているところが多いことだろう。

 

 

【能楽師範、リベッカ・ティールさん。1949年アメリカ生まれ】
 リベッカは、京都新聞に 「現代のことば」 という連載を持っていた。一部引用する。
「今の若い人は礼儀を知らないのでしょうか。全然、話ができないですよ。挨拶もせず店にはいってきて、黙ってお酒やつまみを選んで、代金を払ってでます。 ・・・(中略)・・・ 。彼らはどう言う家で育ったのでしょうか。 ・・・(中略)・・・ 」
 京都に住む多くの外国人同様、リベッカの眼には伝統文化を尊重しない日本人の姿勢が我慢ならない。
  ・・・(中略)・・・ 。
 彼女の稽古場を訊ねた。チェコから留学している女性、アメリカ人男性に交じって、アメリカ留学中の日本人女性が、夏休みを利用して稽古に来ていた。彼女が能の魅力を学んだのは、アメリカでだったという。(p.178-181)
 日本人がアメリカへ留学して能の魅力を知り、日本でアメリカ人の能楽師範から能を学ぶ・・・。俄かには信じ難い話である。 「灯台もと暗いし」 というより、「灯台のもと真っ暗け」 という感じである。
 海外に出たことのない日本人は 「ブタ鳥」 になってしまう可能性が高い。
   《参照》   『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』金文学(祥伝社)《後編》
               【ブタ鳥】

 

 

【薙刀術、マイク・スカースさん。1947年アメリカ生まれ】
「最近の日本人は、辛いことに耐えられず、楽な生活を求めている。心の余裕がなく、静(安定)もない。技を磨いて自分自身の欠点を直そうとする修業精神が足りません。私は武道における極限の鋭さ、厳しさが面白いのです。唯物論的生活などつまりません。しかし、平成の日本はまさに唯物論的社会になっているようです。このままではアメリカと同じになってしまう。(p.197-198)
“物に囲まれた便利で安楽な生活“。これが日本人の精神を衰退させている最も根本的な点なのだろう。
何にしても ”我慢“ することがない。溜めが利かなくなり、物事の核心が掴めなくなっている。
 「 ・・・(中略)・・・ TVは相撲放送しか見ません」 ・・・(中略)・・・ 「スポーツと武道は違うんですよ。勝つことを目的とするスポーツと、自分を磨く武道の修業は違うんです。勝ち誇ってガッツポーズをする選手には価値などありません」
 オリンピックで金メダルを確定させた試合で、井上康生、鈴木桂治、いずれもガッツポーズをしていた。それ以後、たいした成績は残せていないはずである。日本神霊界は見放すのである。

 

 

【横綱・白鵬、強制引退の勧め】
 ところで、大相撲の横綱・白鵬も朝青龍と同様に、強制的に引退させてはどうだろうか。昨日(初日)の栃煌山との取り組みで、勝負がついた土俵の外、相手を落下させないよう土俵内に引き寄せるどころか、顔面を押して意図的に突き落としていたではないか。この一番に限らず、白鵬の相撲には、神事というより殺戮を思わせる過剰な行為をしばしば見ている。 “尚武優” なる資質は全く感じられない。完全なる “荒武慢” である。このような土俵態度のどこに横綱の品格があるというのか。
 懸賞金を受け取るときも白鵬は “心字” など決して描いてはない。栃煌山はもっとも綺麗な “心字” を描く力士である。まさに “日本の心” が踏み躙られているのである。大相撲協会は精神などどうでもいいというのか。腐ったリンゴを放置すると周辺まで腐るのである。ましてやトップの腐敗は危急のことである。暴力問題だけを引き金にすることはない。横綱不在であってどこが悪いのか。
   《参照》   『日本人の忘れもの』中西(ウェッジ)《後編》
             【相撲の「心字」】
           『斎藤一人 15分間 ハッピーラッキー』舛岡はなえ(三笠書房)
             【横綱・白鵬のこと】

 

 

【杖術、ツルコ・チェザーレさん。1951年イタリア生まれ】
「日本人は我慢強く、死ぬまでギブアップしないと聞いていましたのに、最近は弱い民族になってしまったんですかね。イタリアでは 『目は心の鏡』 と言いますが、最近のTVのレベルの低さにはあきれます。 ・・・(中略)・・・ 。渋谷、新宿を歩いている若者の目を見ると、まるで牛の眼のようなブラックホール状態ですよ。歩き方、座り方、箸の使い方、みんな自分の 『体』 を忘れ、自らの伝統にも自信をなくしているようです。禅や武道も忘れ 『道』 をなくした日本などには興味が持てません。(p.206)
 「ふ~~~っ」 と、溜息をつくばかり。

 

 

【日本を継ぐ異邦人の危惧】
 今回の取材を終えてみて愕然としているのは、取材の対象となった外国人の誰ひとりとして日本国籍を取得する意志のないことだ。彼らは日本の伝統文化を愛するが、日本社会の現状、とくに教育問題については深い危惧を抱いている。美しい日本の姿、佇まいが、他ならぬ日本人の手によって失われようとしている状況を、彼らの誰もが嘆く。その言葉に、ひとりでも多くの日本人が耳を傾けてほしい。(p.217)
 日本に造詣の深い外国人であればあるほど、このような危惧を抱いている。
    《参照》   『美しき日本の残像』アレックス・カー(新潮社)《後編》
              【日本を憂える】

 ところが普通の日本人がこのような危惧を抱いていないのは、当の日本人こそが日本の文化を知らないからであろう。徐々に加温される水の中にいる蛙が、自覚なきままに茹であがって死んでしまうように、海外と比較する中で日本を見ていない日本人は、日本の現状に対して危機意識すらもてないのである。
 
<了>