《前編》 より

 

 

【屋根の反り上げ】
 僕は一度道教の研究家ジョン・ブローフェルド氏に屋根の反りについて聞いたことがあります。・・・中略・・・昔から東南アジアでは、建物を建てること自体がタブーでした。柱を立ててその上に屋根を被せることは大地に対しての罪だと思われていました。だから大地に向かって降りる軒を天の方へ反り返してしまいました。それによって罪から解放されるのです。東南アジアの文化背景から離れても、人間は心のどこかでその罪を感じているのでしょう。だから、ヨーロッパの教会には必ず天に聳える塔がついていました。
 なるほど、南大門の心のゆとり、般若寺の楼門の美しさ、平等院の解放感は偶然なものではありません。屋根を反り上げることによって罪が許されたという安心感があります。 (p.185-186)
 「そうだろうか・・・」 と思ってしまう。 懸案課題として書き出しておいた。

 

 

【 神道の 「大本」 で働いているための罰? 】
 奈良の大徳寺の塔頭(たっちゅう)である松源院にトーラーさんというアメリカ人の和尚さんがいる。トーラーさんが剃髪したちょうど翌日、著者はトーラーさんに会ったのだという。
 500年の秘仏を30分、トーラーさんの髪の毛を1日、ちょっとの差で大事なものを見過ごしてしまうことがあるのです。神道の 「大本」 で働いているための罰か、やはり仏教との相性が悪いようです。 (p.202)
 おそらく半分はジョークで書いているのだろうけれど、これを読んで笑ってしまった。
 神道は、決して仏教を否定することなどないわけだし、むしろ仏教のエッセンスを仏教徒以上に広汎な視野でよく知っている。仏教は日本文化の中に溶かし込まれつつ、日本神霊界の主要な部分を時代の役割として担ってきたのである。
   《参照》   『宗教入門』 中沢新一 マドラ出版

 

 

【オックスフォードの文人たち】
 オール・ソールズ・カレッジ ( All Souls College ) は、入学をだんだんと難しくした結果、ついに200年前から学生が入れなくなりました。今、このカレッジにいるのは先生だけです。しかも先生方は研究したり、学生を教えたりする義務はありません。ただ考えるだけでよいのです。シンクタンクの原型です。
 オール・ソールズは英国の学問の最高峰です。そのカレッジの学長がジョン・スパローさんでした。(p.211)
 「象牙の塔」 って、まさにこういうのを言うんじゃないかなと思う。

 

 

【日本の文人】
 オックスフォードを卒業して就職のため日本にきました。しかし、・・・中略・・・、日本の伝統文化を勉強しましたが、禅や茶道は厳しい 「道」 が主流のようで、イギリスで経験した楽しい 「文」 の世界がなかなか見当たりませんでした。しかし、・・・中略・・・。
 煎茶や儒学の書は日本の 「文人」 の名残だということを発見しました。・・・中略・・・。
 僕が就職した 「大本」 という宗教法人で初めて日本の文人と会いました。その人は沢田実というお茶の先生です。しかし、沢田さんはお茶だけではなく、武道、花、書道、墨絵、能の笛、園芸、和歌など、日本の伝統文化を幅広く学んだ実に驚くべき人です。(p.214)
 大本の開祖の一人である出口王仁三郎さんは、「芸術は宗教の母体」 というふうなことを言っていたはず。つまり神道家は芸術家でもあり、日本の伝統芸能を演ずることができるのが本来ということになるのだろう。仏教の教祖さんで日本の伝統芸能全般の芸術力に秀でた人は見かけない。神道こそが日本文化の源流だからである。

 

 

【文人比べ】
 沢田さんが木の上に登って枝を切り落としている姿は、丁寧に刈り上げられた芝生の上を歩くスパローさん達と少し違います。沢田さんの方は自然と一緒になっています。また、西洋の文人は文学を徹底的に追及しているけれども、沢田さんのように芸術(お茶、墨絵、笛、書道など)を自分で手掛けることは少ないのです。自然の中で遊ぶこと、芸術を身に付けることで、東洋では一つの洗練された理想的な人間像ができたのです。(p.216)

 

 

【日本人と中国人の違い】
 僕は中国が大好きですが、「子供」 のようなところは中国人にはあまり感じられません。やはり、大人です。金の計算、あるいは美術のバランス、あるいは人生の原理などを常に頭の中で練っています。それによって素晴らしい商売、文学、哲学などが生まれるので、中国を大変尊敬しています。でも中国の社会の中にいると精神的に落ち着かないのです。(p.242) 
 中国社会に長く滞在したことのある日本人は、必ずこれに類する感想を記述している。
  《参照》  前をください 北京放送の1000日』 青樹明子 新潮社
              【中国で働くこと】
一方、タイやタヒチの人たちのスマイルには裏がなく、スマイルに一瞬の純粋な幸せがあるように感じます。その 「子供」 のような部分は意外と日本にもあるように思います。 (p.242) 

 

 

【雪舟と東山文化】
 雪舟は応仁の乱の始まった年、1467年に中国に渡り、一年間絵の勉強をして日本に帰ってきました。それまでの日本の絵画はほとんど 「真」 や 「行」 の絵でしたが、ちょうど雪舟が日本に帰った後から 「草」 の破墨が流行り始めました。東山文化は1460年から1510年までのわずか50年しかありませんが、その間の文化の変化は著しいものがあります。
 華道の「投げ入れ」、村田珠光の「わび茶」、一休の荒々しい書道、竜安寺と大仙院の枯山水など。


【日本を憂える】
 京都と奈良を色々と遊びまわりましたが、それは目の前で破壊されつつあります。特に京都の場合、その破壊は凄まじいものであって、「今の日本人は昔の美に対してなんらかの恨みをもっているのではないか」 と思えるようになりました。
 右の話のつまる所は、日本の自然と日本の伝統文化はもうだめだという結論です。 (p.262)
 昨年だったであろうか。京都の町屋を改築しようとする業者と著者が話し合う場面がテレビに映し出されていた。 「住みやすく・・・」 という業者の主張に対して、「必要ですか?」 というふうな反問で応じていた著者。便利さを何よりの基準として、昔の文物をそのまま残そうとする意思のない現在の日本人たち全てに投げかけられた反問だったはず。
 
 この著書のクロージング・センテンスは、強烈である。
 昔の美が消えてゆくことは避けられないでしょう。それにしても僕は幸せだったと思います。美しい日本の最後の光を見ることができました。 (p.264)
 
 

<了>