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 1998年7月から2001年1月までの期間、中国国際放送(北京放送)日本語部に勤務していた著者の体験的記録。


【3つのタブー】
 中国報道には3つのタブーがある。台湾独立問題。チベット問題、そして民主化問題。天安門事件は民主化運動だから、絶対に触れてはいけない問題の一つだ。・・(中略)・・。見解はすべて、共産党のもとで統一させなければならない。 (p.41)
 この文章の後には、NATO軍によるユーゴの中国大使館爆撃事件(1999年5月8日)が起こったことにより、放送局に勤務する外国人たちの心配そうな様子や、当時の北京市民の様子が記述されている。

 

 

【下崗(シアガン)】
 下崗。リストラである。それまで辞書にも載っていなかったこの言葉が、中国社会を揺るがし始めたのはいつごろのことだろう。完全雇用が原則の中国人にとって、解雇の可能性というのは、人生観の崩壊にもつながる一大事件だった。 (p.64)
 日本人も高度経済成長が始まった1960年頃から1989年のバブル崩壊までは終身雇用が普通だったから、中国人と同じようなものである。先進国の中では圧倒的に自殺者の多い日本。中国人よりはるかに繊細な精神を持つ日本人は、その分極めて脆い。

 

 

【中国で働くこと】
 中国で仕事をして、数々の不合理に出会うたび、留学時代のクラスメートの言葉を思い出す。
「私は中国語が大好き。中国も大好き。でも中国人と仕事することだけは二度とごめんだわ」
中国人ですら言う。留学時代の先生のひとりは本気で心配してくれた。
「本当に中国で働くんですか。せっかく今あなたは中国が好きと言ってくれているのに残念だなあ。中国で仕事をすると、必ず中国が嫌いになりますよ」
 何人か集まってこのテの話になったとき、うなずかない外国人を、私はまだひとりとして知らない。 (p.114-115)
 中国人は、“相手を気遣う” ということがない。日本人が職場でよく使っている、「**していただけますか」 のような “謙虚に相手を気遣う” 表現が中国語にはないのである。ゆえに中国では必然的に上下関係が露骨になる。そういった “相手を気遣う” 言語環境や、 “謙虚さ” を尊ぶ文化的風土がない中国社会の中で、ストレスなしで生きられる日本人がいたとしたら、その方が異常である。

 

 

【東史郎という問題】
 いつものように<実話実説>を見ようとテレビをつけると、突然日本語が耳に入ってくる。画面を見ると白髪で縁の太い眼鏡をかけた老人が日本語で熱弁をふるっていた。
 又来了! また出たわ。
 彼がつまり東史郎だった。東氏の肩書きは 「元日本軍兵士」。南京大虐殺に関わった日本軍兵士として南京を訪れた彼は、土下座して中国人民に謝罪した。その様子はテレビを通じて中国全土に流れ、「南京大虐殺を認めて謝罪する唯一の日本人」 として今では 「東条英機」 に次ぐ有名人である。
そして彼はこの主張をかかげ、自著の宣伝をしつつ中国行脚を繰り返している。 (p.126-128)
 この東史郎というおじいさん、日本のテレビにも出演して欲しいものだ。


【日本の名前をください】
 日本語をまじえたラジオ番組を担当している著者である。
 (日本の)名前が欲しいという手紙は、週に何十通も届く。そこで私も、彼らの本名、そして自己申告してくる性格などの情報をもとに、映画やテレビ、漫画の主人公にありそうな、おもいっきりロマンティックな名前をつけている。
 こうして私が名前をつけた 「名づけ子」 たちはかなりの数にのぼり、私は 「明子小姐(ミンツンシャオジエ)」 ならぬ、別名 「名字小姐(ミンツシャオジエ)」 と呼ばれるようになった。 (p.133)
 台湾に 「哈日族(ハーリーズ)」(日本ファン) が存在していることは、謝雅梅さんの著作 『台湾論と日本論』 『日本に恋した台湾人』 『台湾人と日本人』 (いずれも総合法令) など幾つかの本で読んでいたけれど、「哈日族」 は中国にもいた。漫画や音楽によって感化されたか、日本の実状を知っている親族などから話を聞いて感化されている子供たちである。
 上海の街中を歩いていると、中国人男性青年から厳しい眼差しを向けられることは多いけれど、「日式**」 と看板を出している屋台の前には、小学生のような女の子達が行列をなしていたことも事実だ。彼女達が 「哈日族」 なのであろう。
 これから先の、中国 vs 日本は、軍事力 vs 文化力、の対比になるのだろう。中国人民は、現状のまま軍事力を背景にした強大な国家を志向するのだろうか、それとも、日本の繊細な文化力に影響されて穏やかな国際社会の一員になることを選択するのだろうか。
 いずれにせよ、著者が行ってきたラジオ放送番組は、中国が変われる可能性を与えた重要な番組になっていたたことは確実であろう。

 

 

【北朝鮮の人々】
 第7章には著者が北朝鮮旅行をしたときのことが記述されている。

 数々のインパクトを与えて、またたく間に過ぎ去った北朝鮮の一週間だったが、忘れられないのは、いくばくかの接触があった北朝鮮の人々である。
 特筆すべきは「人々の微笑み」ではないか。胸には必ず金日成バッジが光っていたり、「敬愛する主席が」 「党の温かいご配慮で」 「偉大なる首領様が」 などという耳慣れない修飾語が頻発するものの、マニュアルだけでははかれないホスピタリティの心がある。 (p.171)

 私も、北朝鮮の一般の人々には何ら悪意を持つことがない。高句麗、高麗といった言葉は、日本国内、地名に限らずいろんな処にその痕跡を残している。
 政治体制さえ変えることができるならば、良き国家になれるのではないだろうか。
 
<了>