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 タイトルの意味するところは、人生の幸福と不幸は相半ばする(総量は同じ)というほどの意味である。美輪さんが観察してきた様々な人々の人生のあり様を書き連ねて、その実態らしきものをこれでもかというほどにテンコモリ示している。
 特にタイトルとの相関があるとは思えないけれど、レトロっぽい表紙に合わせて、50年ほど前のものと思われるイラストが随所に用いられ、宝塚女優のような美輪さんの若いころの美しい写真がカバーの折り返しに掲載されてもいる。美輪さんは1935年生まれとあるから、もう74歳。かつての美少年は、今や大御所的妖怪である。
 本文中の漢字には、すべてルビがふられている。小中学生に読んでほしいということか。

 

 ところで、《正負の法則》については、下記にチョット書いたけれど、分かり切ったことなのでそれほど興味がない。
   《参照》   『人生の実力』  柏木哲夫  幻冬舎
             【「小さな死」 と 「本当の死」】
 だから、それ以外のことで、印象的なことを書き出すのみ。

 

 

【裏街道を見ながら・・・】
 私が《正負の法則》というものに気がついたというのは、私の家は後ろがお女郎屋さん、遊郭だったのです。人身売買が当たり前の時代でしたし。貧富の差が激しかった。世界中がそうでしたが、日本も80%ぐらいは貧乏人だったのです。(p.43)
 うちは色町にあり、料亭もやっていて金融、質屋も経営していました。人生の裏街道を見るような商売なのです。お風呂屋さんも、カフェもやっていました。どの商売も、人間の本音と建前をあからさまにする世界で、それを見ながら育ったのです。(p.44-45)
 美輪さんは宗教的なる書物もきっと紐解きはしたのであろうけれど、きっとそれは、幼少期から見てきたあからさまな人間模様の中に見られる法則性の確認にすぎなかったのではないだろうか。
 年配者であっても美輪さんのように、はっきりと人生を語る人は多くない。単なる歳の功だけでは、そこまで語れないものである。幼少期から積み重ねてきたあからさまな人間模様に関する見分の広さ深さを含んでいたはずのその当時にあって、あのような美少年顔というのは、実に推し量りがたいものがある。

 

 

【赤い鎖と手錠】
 すべてにおいて、こよなく自由を愛する人は、結婚には向きません。赤い糸で結ばれた二人というのは、実は赤い〈鎖と手錠〉で繋がれた仲なのです。(p.85)
 なんか笑ってしまうけれど、普通の人々にとっても、そんなものなのではないだろうか・・・。

 

 

【〈世にも美しい人〉】
 たとえ貧しい三畳一間の部屋でも、それなりに清潔に、美しいロマンに満ちた上品なインテリアの部屋に居住し、優美な音楽を聴き、書物や美術に親しみ、適宜なスポーツで身体を動かし、値段の高い安いに関わらず、たしなみのよい服装をする人間は、年齢性別に関係なく〈世にも美しい人〉が出来上がります。お金はそういう人の所へ集まりたがります。
 〈世にも醜い人〉になりたければそれと反対のことをすればよろしい。どれか一つその条件から外れてもそうなります。(p.126)
 〈世にもズボラな人〉である私は、たわいもなく〈世にも醜い人〉の側にハマってしまう。特に最後の一文はギョッとするほど強烈である。
 世にもズボラな私は、広い部屋、広い家、広い屋敷が苦手であることを、かなり前から気付いていた。そもそも、ズボラな人間は、定住せず流れの中に生きた方が、そもそもからして相応しく、その方が美しく生きられるのではないだろうか、と思ったりもする。 『ムーン・リバー』 を流れゆくドゥリフターズのように。

<了>
 

  美輪明宏・著の読書記録

     『愛の話 幸福の話』

     『乙女の教室』

     『霊ナンテコワクナイヨー』

     『ぴんぽんぱんふたり話』

     『人生讃歌』

     『ああ正負の法則』