映画タイトルしりとり~『いぃー』~イージー★ライダー(1969) | あの時の映画日記~黄昏映画館

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映画タイトルしりとり・・

明日に向かって撃て」(1969)~「天井桟敷の人々」(1945)~「となりのトトロ」(1988)~「ロンゲスト・ヤード」(1974)~「ドラゴンへの道」(1972)~「地下鉄のザジ」(1960)~『ジョーイ』(1977)~『生きる』(1952)~『ルードウィヒ神々の黄昏』(1972)~『レイダース失われたアーク<聖櫃>』(1981)~『暗くなるまで待って』(1967)~『テキサスの五人の仲間』(1966)~『摩天楼はバラ色に』(1986)~『ニッポン無責任時代』(1962)~『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)~『妻は告白する』(1961)~『ルーカスの初恋メモリー』(1986)~『陸軍残虐物語』(1963)~『リンダ・リンダ・リンダ』(2005)~『抱きしめたい』(1978)~『いちご白書』(1970)~『欲望という名の電車』(1951)~『シャイニング』(1980)~『グローイング・アップ』(1978)~『プライベート・ライアン』(1998)~『暗殺の森』(1970)~『リバティ・バランスを射った男』(1961)~『殺しのドレス』(1980)~『スカーフェイス』(1983)~『洲崎パラダイス赤信号』(1956)~『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』(1972)~『運動靴と赤い金魚』(1997)~『夜の大捜査線』(1967)~『戦場のメリークリスマス』(1983)~『スティング』(1973)~『グリーンブック』(2018)~『狂った果実』(1956)~『椿三十郎』(1962)~ウォリアーズ(1978)~『スイート・チャリティー』(1969)~『イン・ザ・カット』(2003)~『トッツィー』(1982)

 

今日は6月6日、あのダミアンの誕生日なので、

リチャード・ドナー監督のオカルトホラー『オーメン』(1976)のご紹介にしようかと思ったのですが、

やっぱりしりとりに戻りました。

 

『いぃー』で始まる作品ということで、

今回は『イージー★ライダー』(1969)のご紹介をしようと思います。

詳しいレビューはこちら

↓ ↓ ↓ ↓

 
アメリカンニューシネマの傑作と言われますが、
アメリカンニューシネマというのは日本の造語だそうですね。
アメリカ本国(および英語圏)では「New Hollywood」「The Hollywood Renaissance」「American New Wave」と名付けられたらしいです。
 
このムーヴメントが起こる前のハリウッド映画は、
勧善懲悪や、カッコいいヒーローと可憐なヒロインによるラブストーリーなど、
ハッピーエンドが主流を占めていました。
 
それがベトナム戦争の泥沼化により、
若者が政府の政策に懐疑的となり、
その鬱屈した思いを映画人が自分たちの主張をするようになりました。
 
低予算ながらそれまでのハッピーエンドを否定した作品群は、
圧倒的な支持を集め、
後年名作と言われる作品が次々と生まれました。
 
『イージー★ライダー』はそのニューシネマと言われた作品群の中でも代表的な作品でした。
 
コカインの密売で儲けた金をタンクに隠し、真のアメリカを求めてオートバイで放浪の旅に出る二人の若者。
自由を求めて旅立ったのだが、
アメリカの自由と正義なんて嘘っぱち。
途中、風変わりな弁護士の若者と出逢い旅を続けるが、
“伝統的で保守的”なアメリカ人に二人は蔑視され悲劇的な結末を迎えます。
作劇的には決して上手とは言えず、
中盤など少しもたもたしてしまうのだが、
ステッペン・ウルフの主題歌『ワイルドで行こう』でハイになった気分は萎えることがない。
 
LSDでのトリップシーンも時代らしい描写で興味深い。
当時の若者に多くの共感を生んだシーンです。
 
そんな中唐突に訪れるラストの悲劇。
それまでのアメリカ政府の欺瞞を見事に表して見せる。
 
その時代をよく理解していないと、
ひょっとしたらひどく退屈な作品に思える若い人もいると思う。
これといった起承転結がないうえに、
共感できる正義のヒーローが登場しないしね。
 
そんなアメリカンニューシネマも、
若者運動の陰りとともに終焉を迎えることとなり、
シンデレラストーリーの『ロッキー』(1976)が低予算ながらオスカーを受賞したり、
スターウォーズ』(1977)のようなおとぎ話がヒットするようになった。
古き良き時代のハッピーハッピーエンド主義が復活した。
 
が、
個人的考えですが、
私は『タクシー・ドライバー』(1976)の主人公トラビスの銃弾が、
アメリカンニューシネマを終わらせたんじゃないかと思っています。
その理由は、またいつか・・・