映画タイトルしりとり~『と』~トッツィー(1982) | あの時の映画日記~黄昏映画館

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映画タイトルしりとり・・

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映画タイトルしりとりも41作目となりました。

今回は『と』から始まるシチュエーションコメディの傑作、

『トッツィー』(1982)のご紹介。

演技熱心がゆえに演出等に口出しをして制作側から疎まれている役者マイケル(ダスティン・ホフマン)。

 

ある日、友達の女優(テリー・ガー)がオーディションを受けに出かけるが落選。

彼女に演技指導もしていた彼は納得ができなくて女装してドロシーと名乗りそのオーディションを受験する。

オーディションの役柄は男勝りの性格をした病院の女理事長。

その演技を見たディレクターはドロシーを気に入り採用。

ドロシーは、そのドラマの人気者として(女優として)欠かせない存在となる。

そして、

そのドラマで共演していたジュリー(ジェシカ・ラング)に女友達として気に入られ、

悩みを打ち明けられたりする。

 

そして、ドラマの相手役には異性(女性)として気に入られ迫られて、

さらに、

ジュリーの父親には求婚までされてしまう。

 

だが、

マイケルはジュリーのことを次第に愛するようになっており、

ドロシーのままジュリーに愛を伝えようとするが、

「私はあなたのことが好きだけど、レズビアンではない」と拒否される。

 

事態は混乱し、

同性、異性を問わない恋愛ゲームが繰り広げられるのだが、

ドロシーはマイケルとしてジュリーに思いを伝えることができるのか・・・

 

ざっとあらすじはこんな感じです。

ダスティン・ホフマンの女装がまったくいやらしさとか気持ち悪さを感じさせないのが、

この作品の成功の最大のポイント。

美人女優、ジェシカ・ラングと並んでも、まったく違和感がありません。

物語的には、

男女入れ替わりパターンの変化球みたいな感じで目新しいところはないのですが、

男女同権を唱えつつも、

男は男らしく、女は女らしくのメッセージが込められているように思います。

劇中のセリフで、

「男女同権は支持する。しかし、女が男の真似をするのは許せない。雄鶏が卵を産むか?」

というようなのがあったと思います。

 

LGBTで大騒ぎしているジェンダーフリー推進者の方は、

どう感じられるのでしょうかね。

この作品をコメディとして観ることができるのでしょうか?

 

もともとこのパターンのコメディは、

(この場合はダスティン・ホフマン)が男性なのに女性のような振る舞いをするのを、

観客がゲラゲラ笑って楽しむものです。

それを笑うなんて不謹慎だという性的マイノリティの方はこのシチュエーションが不快に感じるのでしょうか。

もしその声が大きくなりすぎて映画製作者側が委縮してしまったら、

面白い映画なんて作れない。

 

今ではクラシックの名作と言われている、

お熱いのがお好き』(1959)なんかでもそういうシーンがありましたよね。

女装した男二人が女性のマリリン・モンローに恋してしまうなんて、

この作品によく似てますよね。

 

日本映画でも、

例えば大林宣彦監督の『転校生』(1982)なんかは、

マイノリティに対する性差別を叫んでいる人には非難の対象となってしまうのですかね。

階段から転げ落ちて男女の性が入れ替わってしまう中学生。

女の子になってしまった尾身としのりの演技や、

男の子になってしまった小林聡美の演技に眉をひそめているんでしょうか?

私は、性的マイノリティの方たちに差別の念は全く感じません。

愛する対象が男性であろうが女性であろうがその人の個性であると思っています。

そういった感情を描いた文芸作品や映画の傑作がたくさんあります。

 

でも、

こういった男女逆転物で、

男性が女言葉で少しか弱くなったり、

女性が男性のように腕力をひけらかしているのを見て笑うのは、

決して差別ではないと思うのです。

常識の中にある非常識に私たち観客は笑うのであって、

この場合の非常識とは、例えばオネェ言葉で会ったり、オラオラ言葉だったりするのです。

それを非常識という言葉で表現して非難されるのであれば仕方ないですね。

お話になりません。

性別を笑うのはいけないことですが、

異性を演じているものまで笑ってはいけないのは窮屈だと思います。

 

作品レビューの本筋から少々外れてしまいましたが、

面白い作品です。

理屈っぽくなってスイマセン(どうしたんだ!)

 

未見の方はぜひ!

監督は都会派、シドニー・ポラック。

脇役のビル・マーレ―がいい味出してます。

 

トッツィー Tootsie (1982)

シドニー・ポラック監督  113分