頑張れオンボロ食堂奮闘記 ― ロクとクゥーのまかない哲学 ― -3ページ目

頑張れオンボロ食堂奮闘記 ― ロクとクゥーのまかない哲学 ―

町はずれの少し古びたレトロカフェ食堂。木の温もりと柔らかい光に包まれ、落ち着いた大人向けの空間です。読書やひとり時間も楽しめ、厨房ではゆるい日常が流れています。

夜は静かだった。


時計の針の音だけが、
店の隅で、かすかに生き残っている。


カウンターの客は、
焼きリンゴを見て、少しだけ苦笑した。


「甘いもの、昔は苦手だったんですけどね」


ロクは返事をしない。


ただ、リンゴを返す。


じゅ、と。


溶けたバターが、小さく泡を鳴らした。


熱を吸った果肉の縁から、
ゆっくり色が深くなっていく。


クゥーが背伸びをする。


「焦げるー?」


「そこからだ」


鍋の奥で、
砂糖が静かに沈んでいく。


琥珀色。


あと少しで、
戻れなくなる色。


甘い匂いの奥に、
かすかな苦みが混ざりはじめる。


その香りは湯気にほどけ、
静かに席まで流れていった。


皿に落ちたキャラメルソースは、
夜の底みたいな色をしている。


客は、ひと口だけ食べる。


最初に来るのは甘さだった。


熱を含んだ、
やわらかい甘さ。


けれどそのあと、
舌の奥に小さな苦味が残る。


遅れて残る。


静かに残る。


不思議と、嫌ではなかった。


もうひと口。


今度は少し、
ゆっくり噛む。


「……こういう味って、
歳取らないと分からないですね」


ロクは小さく鼻を鳴らした。


火を見たまま言う。


「苦くないと、残らん味もある」


客は少し笑った。


来た時より、
昔を責める顔をしていなかった。


皿の底に残ったキャラメルを、
最後にパンでぬぐう。


それだけは、
妙に丁寧だった。


外はもう、
夜更けの色をしている。


暖簾が、かすかに揺れた。


【今日の注意書き】


・焦げは境界線です(越えてからがロク担当)
・昔を思い出した方は、帰り道で空を見上げすぎないでください
・苦いのに食べ進める現象は仕様です(たぶん夜のせい)




雨は降っていなかった。


それなのに、

客の肩だけが濡れて見えた。

引き戸が、静かに閉まる。


クゥーが「いらっしゃい」を言うより先に、

客は小さく頭を下げていた。


座ったのは、いつもの席より少し奥。

灯りの届ききらない場所だった。

ロクは何も聞かない。


炭の熱だけが、
黙って赤い。


網の上で、団子が転がる。


ころ、ころ。


焼き目がつくたび、
醤油の焦げる匂いが、
ゆっくり空気へ溶けていく。


甘い匂いなのに、
少しだけ胸に残る匂いだった。


クゥーが鍋をのぞき込む。


「今日の、ちょっとしょっぱいね」


ロクは団子を返しながら、
小さく言う。


「甘いだけじゃ、届かん日もある」


タレが落ちる。


とろり、と。


深い色の艶が、
店の灯りを細く引き伸ばしていた。

皿が置かれる。

客は少しだけ笑う。


「こういうの、久しぶりです」


その声は、
どこかほどけかけていた。


一本目。


唇に触れた瞬間、
先に来るのは醤油の塩気。


少しだけ鋭い。


そのあとから、
甘さがゆっくり追いついてくる。

遅れて来る。


包むみたいに、
あとから来る。


噛むたびに、
やわらかな熱がほどけていった。


二本目に手が伸びる頃には、
肩の力が少し落ちていた。


ぽたり。


湯飲みの横に、
小さな跡が落ちる。


客は急いで顔を伏せた。


クゥーは何も言わず、
湯を足す。

立ちのぼる湯気だけが、
そっと席のあいだへ入っていく。

ロクは焼き網を返しながら、
火を見たまま言った。


「……塩があるから、甘さも残る」

客は答えない。


けれど最後の一本だけは、
ちゃんと最後まで食べ切った。


帰る頃には、
目元だけが少し赤い。

外の空気は、
まだ少し冷えていた。

ロクが暖簾を整える。


「ゆっくりで、ちょうどいい。」


【今日の注意書き】

・団子は三本までです(四本目から思い出が動きます)
・泣いた場合、湯のみのおかわりが静かに増えます
・タレの照りに人生を映さないでください(だいたい映ります)


夕方にはまだ少し早い時間。

店の中は、静かすぎるくらい静かだった。


カウンターの端。
いつもの席に、見慣れない封筒がひとつ置かれている。
角が、少しだけ折れていた。


クゥーが皿を運ぶ。


赤いあんが、光を拾ってゆっくり揺れる。
先に、匂いが届く。
少しだけ、鼻にくる。


「すっぱいの、大丈夫?」


客は一瞬だけ間を置いて、うなずいた。


箸が伸びる。


ひと口。
ほんの少し、顔が止まる。


それから、ゆっくり噛む。


もう一口。
さっきより迷いがない。


赤いあんが、野菜と肉にまとわりつく。
甘さのあとに、少し遅れてくる酸。


気づけば、箸が続いている。


テーブルの上の封筒に、手が伸びる。
今度は、止まらない。


紙の音が、小さく鳴る。


ロクは火を見たまま、何も言わない。


皿が空に近づいた頃、
客は一度だけ息を吐いた。


来たときより、少しだけ軽い。


ロクが火を落とす。


「……まあ、うちはこんなもんです。お腹も心も、また明日で。」



今日の注意書き

・冷めないのは、あんだけとは限りません

・考えごとは、一口目ではほどけません

・酸っぱい顔をしていても、だいたい途中から箸が止まりません






夕方の湯気が、静かに店の窓を曇らせる。


ロクは少し曲がった背中のまま、慣れない筆を持っていた。


油の匂いがまだ残る厨房の隅。


古びた木机の上には、一枚の厚紙。


「字が下手でも、気持ちは入るだろ」


そう呟きながら、ロクはゆっくり“思い出お品書き”を書き始める。


母の日限定  

― おもいで献立表 ―  


一、先付

「ごろっとじゃがいもとウィンナーのスパニッシュオムレツ」


昔、忙しい朝に母ちゃんがよく作ってくれた。
少し焦げた端っこを取り合った記憶まで、ちゃんと味になってる。

「最初の一口は、懐かしい台所の匂いから。」


二、主菜

「オンボロ食堂仕込み・山盛り唐揚げ」


揚げる音だけで、なんだか家が明るくなる料理。
今日は揚げたてを、ゆっくり食べてもらいたい。

「今日は台所、休んでてください。」

横でクゥーがつまみ食いしようとして、ロクに軽く頭を小突かれている。


三、飯物

「季節の炊き込みご飯」


湯気の向こうに、いつもの食卓が見える。
特別じゃない日を、ずっと支えてくれた味。

「変わらない毎日に、ありがとう。」

ロクはそこだけ少し書き直した。
墨がにじんでいた。


四、甘味

「なめらか手作りプリン」


最後は、ちゃんと甘いものを。
少し固めで、昔ながら。


クゥーが端っこに小さく描いたカーネーションと、
ちょっと似てない母ちゃんの似顔絵。

横には震えた字で、

『いつもありがと』

とだけ書いてある。


店の外では、夕方の風が暖簾を揺らしている。

ロクは品書きを見つめたまま、少し照れくさそうに鼻を掻いた。


「……まあ、うちはこんなもんです。


お腹も心も、また明日で。」




順番の話は、だいたいあとになる


暖簾が、少しだけ早く揺れている。


風というより、人の出入りの気配に近い。


「ロク、今日さ、なんかそういう日らしいぞ」
クゥーが曖昧なことを言って、包みを持ち上げる。


葉っぱの匂いが、ふっと広がる。


「これ、取るの?」


足元から声がして、
そのまま、もう一口いっている。


ロクは見ない。
油の中だけを見ている。


「順番、あるだろ」


短く、それだけ。


クゥーは笑ってごまかす。
火は、ほんの少しだけ強い。


やがて、皿がひとつ置かれる。


音がして、
口の中が少し変わる。


「これ、交互にいくやつだな」


誰に言うでもなく、クゥーが言う。


その通りにして、
小さいのが、少しだけ真似する。


気づくと、葉っぱだけが残っている。


さっきまであった声も、もうない。


ロクが油を切る。


「まあ、うちはこんなもんです」


一拍おいて、


「お腹も心も、また明日で」


暖簾は、今は静かだ。


今日の注意書き

・葉っぱは残ることがあります(理由はそれぞれです)

・順番は、守っても守らなくてもいいものです

・また来れば、続きからになります