夕方。
暖簾が風に揺れ、少しだけ涼しい空気が店へ入り込む。
「いらっしゃい。」
ロクが顔を上げる。
「今日は七夕ですね。」
常連さんは席に腰を下ろし、少し照れくさそうに笑った。
「実は今日、誕生日なんです。」
クゥーは目を丸くした。
「えっ! おめでとうございます!」
「じゃあ今日は、願い事もし放題ですね!」
常連さんは首をかしげる。
「どういうこと?」
「だって七夕でしょ? 誕生日でしょ? 一年分まとめてお願いできそうじゃないですか!」
一瞬の静寂。
やがて常連さんは吹き出した。
「そんな制度があったら、毎年お願いしてるよ。」
クゥーは本気で不思議そうな顔をする。
「違うんですか?」
「でもね、七夕生まれって、毎年ちょっと損なんだよ。」
「損?」
「みんな短冊や星の話ばかりで、誕生日はつい後回しになるんだ。」
クゥーは少し考えてから、ぱっと顔を上げた。
「じゃあ今日は、七夕より先にお誕生日をお祝いしましょう!」
常連さんは少し驚いたあと、ふっと笑った。
「それ、いいな。」
クゥーはロクを見る。
ロクは何も言わず、小さくうなずくと鍋にそうめんを入れた。
ほどなくして運ばれてきたのは、よく冷えたそうめん。
透き通るつゆに、青ねぎ、みょうが、しょうが。
氷が小さく音を立てる。
その横には、揚げたての天ぷら。
海老、かぼちゃ、大葉、なす。
熱い油から引き上げられた衣は、カラリと音を立てそうな淡い黄金色。
大根おろしを添えた天つゆにくぐらせると、だしの香りがふわりと立ちのぼる。
「いただきます。」
そうめんをひとすすり。
ひんやりとしたのど越しに、思わず肩の力が抜ける。
続いて海老天をひと口。
軽やかな衣が心地よくほどけ、噛むたびに海老の甘みが広がった。
ロクは静かに口を開く。
「一番おいしい瞬間は、待ってくれないからな。」
クゥーは湯のみを持って席へ向かった。
「改めて、お誕生日おめでとうございます!」
湯のみを置きながら、照れくさそうに笑う。
「来年も、お待ちしてます!」
常連さんは少し目を丸くしてから、やさしく笑った。
「うん。また来るよ。」
食事を終え、勘定を済ませた常連さんは、暖簾をくぐる前にロクへ軽く頭を下げた。
ロクはいつものように、
「ありがとうございました。」
とだけ返した。
店を出た常連さんは、夜空を見上げて笑った。
願い事はしなかった。
今日はもう、
ちゃんと一つ叶っていたから。
今日の注意書き
※そうめんは、伸びる前が食べごろです。
「あとで」は、案外すぐやってきます。
※天ぷらは揚げたてが一番。
「おめでとう」も、思ったその日が一番です。
※七夕生まれの人を見かけたら、
星より先に「おめでとう」をどうぞ。