夜は静かだった。
時計の針の音だけが、
店の隅で、かすかに生き残っている。
カウンターの客は、
焼きリンゴを見て、少しだけ苦笑した。
「甘いもの、昔は苦手だったんですけどね」
ロクは返事をしない。
ただ、リンゴを返す。
じゅ、と。
溶けたバターが、小さく泡を鳴らした。
熱を吸った果肉の縁から、
ゆっくり色が深くなっていく。
クゥーが背伸びをする。
「焦げるー?」
「そこからだ」
鍋の奥で、
砂糖が静かに沈んでいく。
琥珀色。
あと少しで、
戻れなくなる色。
甘い匂いの奥に、
かすかな苦みが混ざりはじめる。
その香りは湯気にほどけ、
静かに席まで流れていった。
皿に落ちたキャラメルソースは、
夜の底みたいな色をしている。
客は、ひと口だけ食べる。
最初に来るのは甘さだった。
熱を含んだ、
やわらかい甘さ。
けれどそのあと、
舌の奥に小さな苦味が残る。
遅れて残る。
静かに残る。
不思議と、嫌ではなかった。
もうひと口。
今度は少し、
ゆっくり噛む。
「……こういう味って、
歳取らないと分からないですね」
ロクは小さく鼻を鳴らした。
火を見たまま言う。
「苦くないと、残らん味もある」
客は少し笑った。
来た時より、
昔を責める顔をしていなかった。
皿の底に残ったキャラメルを、
最後にパンでぬぐう。
それだけは、
妙に丁寧だった。
外はもう、
夜更けの色をしている。
暖簾が、かすかに揺れた。
【今日の注意書き】
・焦げは境界線です(越えてからがロク担当)
・昔を思い出した方は、帰り道で空を見上げすぎないでください
・苦いのに食べ進める現象は仕様です(たぶん夜のせい)