まだ夕飯には少し早い時間だった。
珍しく、
店の中がにぎやかだった。
小さな子どもの声。
その横で笑う母親。
向かいでは、
白髪の父親が静かに茶をすすっている。
クゥーが目を丸くする。
「今日、いっぱい」
ロクは卵を割った。
と、と、と。
黄色が、
ボウルの中で重なっていく。
出汁が入る。
それから、
ほんの少しだけ砂糖も入った。
クゥーが首をかしげる。
「甘いの?」
「少しだけだ」
卵液が鉄板へ流れる。
じゅわ、と音がして、
湯気がふくらむ。
巻く。
また流す。
重ねる。
何度も重ねたあと、
四角い形が静かに出来上がった。
皿に置かれた瞬間、
出汁の香りがふわりと立つ。
子どもが最初に箸を伸ばす。
「あつっ」
そう言いながら、
ちゃんと笑っている。
祖父がひと口食べる。
何も言わず、
小さくうなずいた。
母親は、
その顔を見て少しだけ安心したように笑う。
箸を入れるたび、
じゅわ、と小さな音がした。
口に入れると、
先に来るのは出汁。
やさしい旨味。
そのあとから、
ほんの少しだけ甘さが残る。
遅れて残る。
角の取れた、
やわらかい甘さだった。
誰も感想を言わない時間が続く。
でも、
箸だけは止まらない。
クゥーが小声で聞く。
「なんで静かなの?」
ロクは火加減を見たまま答えた。
「うまい時は、そうなる」
帰る頃には、
子どもが眠そうに母親の袖を掴んでいた。
店の戸が閉まる。
湯気だけが、
まだ少し店に残っている。
【今日の注意書き】
・だし巻きは飲み物ではありません(気づくと減っています)
・湯気に安心して眠くなる場合があります
・「ひとくちちょうだい」は、だいたい二口なくなります