夕方より、少しあとの時間。
鍋の底で、ぐつ、ぐつ。
重たい音が続きます。
味噌の匂いは甘いのに、軽くない。
湯気は白いのに、空気は濃い。
牛すじは急がない。
一度下ゆでして、余計なものを落とす。
本番は弱火。
蓋は、きっちり閉めない。
少しだけ、ずらす。
逃がす熱と、残す熱。
味噌は二度に分ける。
最初に半分。
仕上げに、もう半分。
照りは急いで出すものじゃない。
脂と味噌が、時間の中で握手して、
ようやく黒が落ち着く。
「煮込みはな、急ぐと浅くなる。」
ロクが火を少しだけ落とします。
ぐつ、ぐつ。
黒は、待てる人の色です。
千切り大根のめんつゆおかかサラダ。
水にさらしすぎない。
しゃきっと残す。
めんつゆは一度に入れない。
しらすとキャベツの海苔和え。
キャベツは塩をして、軽く絞るだけ。
しらすは最後に混ぜる。
潰さない。
重たい鍋の横に、軽い皿。
バランスは、音で取る。
余った煮汁を見て、
クゥーが言います。
「これ、うどん入れたら絶対うまい。」
ロクは答えません。
止めないのが、止め方です。
結果――今日は七割。
「ちょっと濃いな。」
「若いな。」
――――――――――
閉店後。
鍋の底に、少し残った黒。
水を張ると、
さっきまでの濃さが静まります。
どうでもいい会話は、
火を落としたあとに出てきます。
厨房の音は、もうありません。
水菜とたまごのとろみ汁。
だしは強くしない。
水菜は最後に。
火を止めてから、溶き卵。
ふわ、と広がる黄色。
とろみは、つけすぎない。
飲んだあと、喉に残らない程度。
黒の余韻が、
すっとほどけます。
――――――――――
食べても、
人生は変わりません。
でも、急がなくてもいい理由が
ひとつ増えます。
鍋は洗われ、
皿は重ねられ、
湯気は消えました。
でも、
火は消えていません。
――――――――――
・煮込みは急ぎません(時間が味です)
・味噌は二回入れます(香りは後半)
・大根は水に浸けすぎません(しゃきっと残す)
・卵は火を止めてから(広がります)
・クレームは一晩寝かせます(翌朝まろやか)
次回 9皿目
湯豆腐
― 白は、揺れるだけでいい
