― 静かな甘さの理由 ―
夕方の光がオンボロ食堂のカウンターに差し込む。
今日は、いつもの揚げ油の音がしない。
代わりに聞こえるのは、ボウルに当たる木べらの音。
コツ…コツ…
クリームチーズの甘い香り。
そこへ冷たい豆腐を混ぜると、生地がふっと軽くなる。
クゥーが横からのぞく気配がした。
「ロクさん、ケーキっスか?」
ロクは手を止めない。
「火は使わんが、料理だ。」
ビスケットを砕く。
サク、サクという音。
溶かしバターを混ぜ、型にぎゅっと押し固める。
そして、冷蔵庫へ。
ロクがぽつりと言う。
「温度が低いほど、味は素直になる。」
数時間後。
常連席の私の前に、白く静かなケーキが置かれた。
フォークを入れると、しっとり。
口に運べば、ふわっと軽い。
厨房でロクが一口食べているのが見えた。
「……悪くない。」
そして静かに言う。
「料理はな、重くないほうが長く愛される。」
余った材料を見て、クゥーが目を輝かせる。
ここからは、彼の時間だ。
「まだ作れるッス。」
ロク
「味噌汁だ。」
クゥー
「いやデザート第二弾ッス!」
30分後、何かがカウンターの端に置かれた。
豆腐はちみつクリーム。
・見た目:まあまあ
・味:意外とうまい
・高さ:なぜか高い
ロクが一口。
「……悪くない。」
クゥーが胸を張る。
「成功率7割ッス!」
ロク
「残り3割は?」
クゥー
「冷蔵庫の奥っス。」
その軽口に、常連客の肩が少しだけ揺れる。
いつもの、笑い7割の空気。
今日は厨房が少し静かだ。
甘い香りが店の中にゆっくり広がっている。
クゥーがまた口を開く。
「ロクさん、急にケーキとか珍しいッスね。」
ロク
「たまにはな。」
クゥー
「なんか理由あるんスか?」
ロク
「別にない。」
クゥー
「ほんとっスかね。」
そのやり取りを聞きながら、私は思い出した。
今日は3月12日。
世間では、スイーツの日らしい。
たぶんロクは知っている。
でもクゥーはまだ気づいていない。
私はそれを口にはしない。
まあ、この店はそういう優しさの出し方をする。
問題を解決する場所ではなく、
少しだけ軽くなる場所。
閉店後。
皿を洗う音が静かに響く。
クゥー
「ケーキ少し残ってるッス。」
ロク
「明日でもいい。」
クゥー
「味落ちないんスか?」
ロク
「落ちない。」
少し間があって、ロクが言う。
「甘いものは、急がないほうがうまい。」
33皿目の豆腐レアチーズケーキは、
今日の店によく似合っていた。

