雨は降っていなかった。
それなのに、
客の肩だけが濡れて見えた。
引き戸が、静かに閉まる。
クゥーが「いらっしゃい」を言うより先に、
客は小さく頭を下げていた。
座ったのは、いつもの席より少し奥。
灯りの届ききらない場所だった。
ロクは何も聞かない。
炭の熱だけが、
黙って赤い。
網の上で、団子が転がる。
ころ、ころ。
焼き目がつくたび、
醤油の焦げる匂いが、
ゆっくり空気へ溶けていく。
甘い匂いなのに、
少しだけ胸に残る匂いだった。
クゥーが鍋をのぞき込む。
「今日の、ちょっとしょっぱいね」
ロクは団子を返しながら、
小さく言う。
「甘いだけじゃ、届かん日もある」
タレが落ちる。
とろり、と。
深い色の艶が、
店の灯りを細く引き伸ばしていた。
皿が置かれる。
客は少しだけ笑う。
「こういうの、久しぶりです」
その声は、
どこかほどけかけていた。
一本目。
唇に触れた瞬間、
先に来るのは醤油の塩気。
少しだけ鋭い。
そのあとから、
甘さがゆっくり追いついてくる。
遅れて来る。
包むみたいに、
あとから来る。
噛むたびに、
やわらかな熱がほどけていった。
二本目に手が伸びる頃には、
肩の力が少し落ちていた。
ぽたり。
湯飲みの横に、
小さな跡が落ちる。
客は急いで顔を伏せた。
クゥーは何も言わず、
湯を足す。
立ちのぼる湯気だけが、
そっと席のあいだへ入っていく。
ロクは焼き網を返しながら、
火を見たまま言った。
「……塩があるから、甘さも残る」
客は答えない。
けれど最後の一本だけは、
ちゃんと最後まで食べ切った。
帰る頃には、
目元だけが少し赤い。
外の空気は、
まだ少し冷えていた。
ロクが暖簾を整える。
「ゆっくりで、ちょうどいい。」
【今日の注意書き】
・団子は三本までです(四本目から思い出が動きます)
・泣いた場合、湯のみのおかわりが静かに増えます
・タレの照りに人生を映さないでください(だいたい映ります)

