甘い、とは言わなかった日
火は、今日もよく鳴いてました。
ジュワ、と小さく。
給料日だったのか、店は少しだけ忙しかった。
クゥーは朝から落ち着かない。
「ロクさん、今日いけますよ。なんかこう…波きてます!」
「油と対話しろ」
それだけ言うと、クゥーは少し真顔になった。
次の音は、さっきより静かだった。
カウンターの端、いつもの席で、
同じ手つきで箸が動いている。
四時を過ぎて、ようやく手が止まった。
空いたところに腰を落として、
誰かが持ってきたチーズケーキを一口。
悪くない。
けど、少しだけ遠い。
クゥーは隣でがつがつ食べている。
「甘いっすねこれ!勝ち確の味!」
「そうか」
皿に戻して、手を止める。
……と、
こと、と音がした。
横を見ると、みかんがひとつ置かれている。
しわの入った手が、ゆっくり引っ込む。
そのまま何も言わずに、湯気の向こうへ戻っていった。
「……どうも」
声は届いていない。
皮をむく。
指に、残る。
一房。
——少しだけ、止まる。
ああ。
それだけで、十分だった。
もう一房。
今度は、最初からそこにあった。
ふと、カウンターの端を見る。
さっきと同じ席に、同じように座っている。
何も変わらない顔で、湯気の向こうにいる。
今日は、少しだけ、甘い日だと思った。
「ロクさん、それどうっすか?」
「ゆっくりで、ちょうどいい。」
クゥーはよく分かっていない顔で、またケーキに戻った。
最後にそれでいい、を口にする夕暮れでした。
・営業日は気分です(開いてたら縁があります)
・火は見てます(サボるとバレます)
・差し入れは静かに効きます