― はじまりの匂い
古い暖簾は、今日も少しだけ曲がっている。
まっすぐ直しても、また曲がる。
どうして曲がるのかは、もう誰も気にしていない。
……まあ、気づいたら笑ってください。
店の奥では、鍋がことこと鳴っている。
火の音は大きくしない。
聞こえるか聞こえないかの、ちょうどいい場所に置いてある。
入口近くには椅子がひとつ、またひとつ。
座る人が来た順に、静かに埋まっていく。
ここは、料理を自慢する店ではないかもしれない。
それでも、湯気はちゃんと届くようにしている。
匂いで、少しだけお腹が鳴るくらいがいいと思っている。
うまくいく日もある。
同じだけ、うまくいかない日もある。
それでも火は落とさない。
今日も、ちゃんとやってます。
厨房の奥から、包丁がまな板を軽く叩く音がする。
今日も、何かを切っている。
野菜かもしれないし、時間かもしれない。
暖簾は少しだけ曲がったまま。
直そうとすると、また同じ角度に戻る。
まあ、うちはこんなもんです。
お腹も心も、また明日で。
――扉の向こうでは、クゥーが何かを運んでいる。
今日のまかないになるのか、
それとも明日の看板になるのかは、まだ分からない。
ただ、湯気だけが、ゆっくり厨房から流れてきた。
本日も、営業中。
第1話 ラーメン ― 湯気のむこうの静かな一杯