母親のこと・42 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 6年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る 一昨年おととしの3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。 ちなみに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、両親と ともに 頂いている気持ちでおります。なお、 勿論もちろん、毎日のように 御仏壇に おそなえを致して、毎日 お線香を あげております。

 ときに、去る 昨年の8月30日(水)の「ボランティア・その3・昭和記念公園」のブログを記させて頂きました。

 ならびに、去る 昨年の7月29日(土)の「菜食のおかず・493(味噌汁)・花火」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 8年前の12月11日(金)の『クリスマス・イルミネーション』のブログの中段やや上に、

『(前略)約20年前 すなわち 平成7年に、母親に誘われて この最後の国営昭和記念公園に行きました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、本日は 国営昭和記念公園でも 花火大会が開催されています。 ちなみに、誠に有り難いことに、上記のように 約28年前 すなわち 平成7年(1995年)の夏に、母親に誘われて 二人ふたりで その花火大会にいきました。そして、帰りは、西立川駅から 立川駅まで 歩いて、パレスホテル立川 一階の喫茶店に入り 休憩しました。

 さらに、去る 6年前の8月14日(月)の『さかき(両親の食事)・8』のブログの中段やや下に、

『(前略)去る5月27日(土)の【トイレ介護(両親の食事)】のブログに記させて頂きました 排泄介助のかたが、誠に有り難いことに 昨日も 昼過ぎに見えました。ちなみに、この排泄介助のかたによりますと、先のことを考え いろいろ考えると 不安になる とのことでした。それで、【今を 一所懸命行うことのみで 精一杯せいいっぱいですね。】と話しましたら、今日は 今日のことしか考えない とのことでした。貧乏ひまなしだそうです。頭がわるい とのことでした。孫が 東大和市に住んでいて 夏休みが 8月25日までなので、不満に思っているそうです。それで、この前日に 西武園に 花火を見に行ったそうです。入園すると お金がかるので、園内の近くの橋の所で見た とのことでした。この橋の所で見ても 将来 お金がかることになるのでしょうか とのことでした。ならびに、昨年 娘が 浴衣を着て 隅田川の花火を見に行ったが、一杯いっぱいだった とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。 ちなみに、学部生の頃 すなわち 約37年前の昭和61年(1986年)の夏に、上記の 隅田川の花火を見に行ったことがありました。ところが、人で 一杯いっぱいであり、最寄もより駅の地下鉄浅草駅の通路も、人で渋滞でありました。すなわち、その地下鉄浅草駅から 地上に上がる階段が 一杯いっぱいなのであります。そして、ようやく 地上に出たと思いましたら、道も 人で 一杯いっぱいであり、前に進みませんでした。つまり、隅田川まで 辿たどり着かないのであります。それで、肝腎の花火は 建物に邪魔されて 見ることが出来ません。ときたま 建物と建物の狭い空間から、花火の一部を見ることが出来るのみでありました。そこで、早々に 帰ったことがありました。

 のみならず、去る 昨年の3月13日(日)の『肉親の来訪・12・後編』のブログの中段やや下に、

『(前略)姉の結婚前に、千葉県の鴨川や伊豆の熱川に 家族旅行した話になりました。(後略)』と記させて頂きました。 ちなみに、約52年前 すなわち 昭和46年(1971年)の夏に、上記のように 伊豆の熱川に行きました。なお、街中まちじゅうから 温泉が出ていて、夏に訪れるのは 暑過あつすぎる所であると思われました。しかも、海岸で泳げないので、海水プールに行きました。但し、当方は 小学5年生であり その海水プールは 足の届かない深さでありましたので、浮き輪を使いました。ついながら、祖母(母親の母親)、母親、叔母(三女) そして 姉が 一緒でありました。 ちなみに、当時、テレビ ドラマである 細腕繁盛記が試聴されていました。それで、母親は テレビ ドラマで見た所に 行く傾向がありますので、このときも 同様でありました。なお、二泊三日でありましたが、途中の夜に 伊東で花火大会がありました。それで、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉とともに、熱川から 電車に乗って 伊東に行きました。ついながら、この電車の中で、『私は貝になりたい』 そして 『ママは 殺されたの』という漫画を見ました。

 それから、去る7月22日(土)の『親戚からの突然の電話連絡・続報52・後編』のブログの中段やや下に、

『(前略)姉によりますと、(叔母[三女]は、)一人ひとりで よく 頑張ってきたとのことでありました。それで、本当に よく 頑張ってこられたと答えました。(後略)』と記させて頂きました。 ちなみに、叔母(三女)は 上記の伊東の花火大会に行かずに、宿泊場所で 留守番をしているとのことでありました。それで、電動マッサージ機にすわっていました。なお、叔母(三女)は 未亡人になってからは 一人ひとりのことが多かったですが、元々もともと 一人ひとりほうを好む人であったのかもしれませんね。おそらく、ずっと 集団生活でありますと、疲れてしまうのでありましょうね。それで、一人ひとりで 休憩したかったのかもしれません。ついながら、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉と一緒に 伊東の花火大会に行きましたが、事故がありました。すなわち、ビルの屋上で 花火を見たのでありますが、老人が そのビルの階段から 落ちたとのことでありました。それで、搬送されていました。

 なお、この伊豆の熱川に来るときに、途中 すなわち 伊東から 私鉄の伊豆急行に乗りました。ところが、この伊豆急行の車内が 渋滞で しかも きわめて 暑いのであります。それで、隣の車両は 冷房がいていて 涼しいのであります。そこで、隣の車両に移動しましたら、あとから気が付いたのでありますが、グリーン車だったのであります。それで、車掌が来て 倍以上の料金を支払わされました。しかも、グリーン車であっても、すわれずに 立っていなければなりませんでした。ついながら、以上は、花火に関連した 話であります。

 そして、去る 4年前の3月28日(木)の『うなぎ蒲焼かばやき・282(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 一昨々年さきおととしの4月7日(木)の【大東亜戦争の真実】のブログの上段に、

【(前略)去る 昨年の4月6日(月)の〖桜の花(玉川上水)〗のブログ の上段に、

〖(前略) 一昨日おとといは、花散らしの雨が降る前の、桜の花を見る最後の機会でした。クリーニング店に行きましたら、店員から、風(南風)が強くて、桜は散ってしまうから、と否定的なニュアンス( フランス語:nuance)(言葉などの微妙な意味合い。また、言外に表された話し手の意図のこと)の言葉がありました。そこで、このブログを御覧になられておられる 方々かたがたも充分に御承知のことであらせられることを話しました。すなわち、桜の花の生命は短くて、散り際が潔くていいのですね。その潔い 散り際が日本人の心に合うのでしょうね。日本の美、散り際の美学ですね。その最も美しいときが短期間しかなくて、いつでも見られるものではないから 稀少価値があるのですね。(後略)〗と記させて頂きました。なお、〖同期の桜〗という歌がありますね。先日 郵便局員との話で、会話の流れから 東京に 桜の開花を告げるのが 靖国神社の桜であることを申しました。(後略)】と記させて頂きました。なお、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、桜(染井吉野ソメイヨシノ)は 散る とのことでした。しかしながら、上記のように 桜の花は、散り際が潔くていいのですね。ついながら、このことを もう一人ひとりの ヘルパー(日本語:家政婦)に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、桜の花は はかないですね。つまり、花火も、桜の花と同様に はかないから 日本人に好まれるのでありますね。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、花火の音がするので、屋上に上がりました。すると、隣家の人たちも、窓から 花火を見ていました。それで、当方に気が付いたらしく、誠に有り難いことに、奥さんのような年配女性が お辞儀じぎをしました。ちなみに、本日は、上記と同様に 午後7時15分から 同・8時15分まで 、国営昭和記念公園でも 花火大会が開催されていました。

 

 ところで、去る 昨年の6月6日(火)の「両親の思い出・続報4」のブログ去る 昨年の5月28日(日)の「両親の思い出・続報3」のブログ去る 昨年の2月8日(水)の「両親の思い出・続報2(映画)」のブログ去る 一昨年おととしの12月10日(土)の「両親の思い出・続報」のブログ そして 去る 一昨年おととしの10月19日(水)の「両親の思い出」のブログなどを記させて頂きました。

  つぎ に、一昨日おととい すなわち 7月25日(木)の「父親のこと・37」のブログ去る6月17日(月)の「母親のこと・41」のブログ去る6月9日(日)の「母親のこと・40」のブログ去る6月2日(日)の「父親のこと・36」のブログ去る5月25日(土)の「母親のこと・39」のブログ去る5月23日(木)の「父親のこと・35」のブログ去る5月20日(月)の「母親のこと・38」のブログ去る3月27日(水)の「父親のこと・34」のブログ去る3月20日(水)の「母親のこと・37」のブログ去る3月20日(水)の「母親のこと・36」のブログ去る3月4日(月)の「父親のこと・33」のブログ去る2月27日(火)の「祖母のこと・6」のブログ去る2月24日(土)の「父親のこと・32」のブログ去る 2月13日(火)の「母親のこと・35」のブログ去る 2月5日(月)の「母親のこと・34」のブログ去る1月26日(金)の「母親のこと・33」のブログ去る1月17日(水)の「父親のこと・31」のブログ去る1月14日(日)の「母親のこと・32」のブログ去る1月2日(火)の「祖母のこと・5」のブログ去る 昨年の12月22日(金)の「母親のこと・31」のブログ去る 昨年の12月20日(水)の「母親のこと・30」のブログ去る 昨年の12月20日(水)の「母親のこと・29」のブログ去る 昨年の12月18日(月)の「父親のこと・30」のブログ去る 昨年の12月12日(火)の「祖母のこと・4」のブログ去る 昨年の12月8日(金)の「母親のこと・28」のブログ去る 昨年の12月6日(水)の「父親のこと・29」のブログ去る 昨年の11月30日(木)の「母親のこと・24」のブログ去る 昨年の11月30日(木)の「母親のこと・23」のブログ去る 昨年の11月28日(火)の「母親のこと・22」のブログ去る 昨年の11月21日(火)の「祖母のこと・3」のブログ去る 昨年の11月15日(水)の「母親のこと・21」のブログ去る 昨年の11月9日(木)の「家のこと」のブログ去る 昨年の11月8日(水)の「父親のこと・28」のブログ去る 昨年の10月30日(月)の「父親のこと・27」のブログ去る 昨年の10月26日(木)の「父親のこと・26」のブログ去る 昨年の10月25日(水)の「母親のこと・20」のブログ去る 昨年の10月24日(火)の「両親のこと・続報7」のブログ去る 昨年の10月23日(月)の「父親のこと・25」のブログ去る 昨年の10月19日(木)の「父親のこと・24」のブログ去る 昨年の10月17日(火)の「父親のこと・23」のブログ去る 昨年の10月15日(日)の「父親のこと・22」のブログ去る 昨年の10月12日(木)の「母親のこと・19」のブログ去る 昨年の10月8日(日)の「両親のこと・続報6」のブログ去る 昨年の10月6日(金)の「母親のこと・18」のブログ去る 昨年の10月3日(火)の「父親のこと・21」のブログ去る 昨年の9月30日(土)の「両親のこと・続報5」のブログ去る 昨年の9月28日(木)の「父親のこと・20」のブログ去る 昨年の9月27日(水)の「父親のこと・19」のブログ去る 昨年の9月26日(火)の「母親のこと・17」のブログ去る 昨年の9月13日(水)の「母親のこと・16」のブログ去る 昨年の9月11日(月)の「父親のこと・18」のブログ去る 昨年の9月11日(月)の「母親のこと・15」のブログ去る 昨年の9月11日(月)の「父親のこと・17」のブログ去る 昨年の9月10日(日)の「母親のこと・14」のブログ去る 昨年の9月6日(水)の「両親のこと・続報4」のブログ去る 昨年の9月5日(火)の「母親のこと・13」のブログ去る 昨年の9月2日(土)の「母親のこと・12」のブログ去る 昨年の8月28日(月)の「祖母のこと・2」のブログ去る 昨年の8月27日(日)の「父親のこと・16」のブログ去る 昨年の8月27日(日)の「母親のこと・11」のブログ去る 昨年の8月24日(木)の「母親のこと・10」のブログ去る 昨年の8月21日(月)の「父親のこと・15」のブログ去る 昨年の8月17日(木)の「父親のこと・14」のブログ去る 昨年の8月14日(月)の「母親のこと・9」のブログ去る 昨年の8月13日(日)の「父親のこと・13」のブログ去る 昨年の8月12日(土)の「父親のこと・12」のブログ去る 昨年の7月18日(火)の「両親のこと・続報3」のブログ去る 昨年の7月7日(金)の「父親のこと・11」のブログ去る 昨年の7月6日(木)の「両親のこと・続報2」のブログ去る 昨年の7月5日(水)の「父親のこと・10」のブログ去る 昨年の7月4日(火)の「父親のこと・9」のブログ去る 昨年の6月20日(火)の「両親のこと・続報」のブログ去る 昨年の6月18日(日)の「父親のこと・8」のブログ そして 去る 昨年の5月15日(月)の「父親のこと・7」のブログの下段などに、

「(前略)去る 昨年の7月11日(月)の『父親の 初盆(新盆)での 挨拶』のブログの下段に、

『(前略)親父おやじさん そして おふくろさんには たいへんな世の中でありましたね。(後略)』と記させて頂きました。ちなみに、お二人ふたりの御冥福を 心より お祈り申し上げます。(後略)」と記させて頂きました。なお、誠に えのない両親でありました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)