桜の花(玉川上水) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 11月11日(火)の「玉川上水」のブログ の冒頭に記させて頂きましたように、自宅の近くに、玉川上水が流れていまして、一昨日、用事のついでに通ることが出来ました。去る2月24日以来でした。このブログ に記させて頂きましたように、玉川上水は、武蔵野台地を東流しています。辺(あた)りは、明治の文豪・国木田独歩の著書「武蔵野」の面影(おもかげ)を残しております。因(ちな)みに、この「武蔵野」のことは、去る3月27日(金)の「馬鈴薯(ばれいしょ)」のブログ の中段、そして、去る11月15日(土)の「ブダペスト(東欧)」のブログ の上段でも言及させて頂きました。


 玉川上水流域には「桜堤(さくらづつみ)」という地名がありまして、その地名の通り付近を流れる玉川上水の「桜」の「堤(つつみ)」から来ています。玉川上水沿いの桜の花の写真を、下に掲載致します。これでも写真を間引いて、いい写真のみを抜萃(ばっすい)して添付させて頂きました。なお、このような 日本の心とも いえる 見事な情景を 大切にしていきたいものですね。

 直接見ることは適(かな)いませんでしたが、一昨日は、皆既月食でしたので、夜桜とのコラボレーション(英語: collaboration)が楽しめたと、テレビで放送されていました。次回、皆既月食と夜桜のコラボレーションを見ることが出来るのは、2032年になるのだそうです。

 一昨日は、花散らしの雨が降る前の、桜の花を見る最後の機会でした。クリーニング店に行きましたら、店員から、風(南風)が強くて、桜は散ってしまうから、と否定的なニュアンス(フランス語:nuance)(言葉などの微妙な意味合い。また、言外に表された話し手の意図のこと)の言葉がありました。そこで、このブログを御覧になられておられる方々(かたがた)も充分に御承知のことであらせられることを話しました。すなわち、桜の花の生命は短くて、散り際が潔くていいのですね。その潔い散り際が日本人の心に合うのでしょうね。日本の美、散り際の美学ですね。その最も美しい時が短期間しかなくて、いつでも見られるものではないから稀少価値があるのですね。因(ちな)みに、このクリーニング店・店員の子息が臨床心理士志望であり、去る4月2日、上智大学大学院の入学式だったとのことでした。



桜
桜の花


桜
桜の花


桜
桜の花


桜
桜の花


桜
桜の花



 花には、様々な終わり方(かた)がありますね。中国原産のツバキ(椿)は、花弁が個々に散るのではなく萼(がく)と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちます。但し、花弁がばらばらに散る園芸品種もあるとのことです。また、同じく中国原産の牡丹(ぼたん)の花は、ボタンと落ちると言われます。牡丹(ぼたん)の花の写真は、去る10月13日(月)の「芥子(ケシ)の花ー脳内麻薬」のブログ の中段に掲載させて頂きました。

 桜は「散る」、梅は「こぼれる」、菊は「舞う」、朝顔(あさがお)は「しぼむ」、椿は「落ちる」、牡丹(ぼたん)は「崩れる」、そして、萩は「こぼれる」と言われ、花の終わりはそれぞれ違うのですね。これらの花の終わりを表現する日本語は誠に素晴らしいですね。

 最後に、前述の、去る10月13日(月)の「芥子(ケシ)の花ー脳内麻薬」のブログ の冒頭で言及させて頂きました東京都薬用植物園で、10月初旬の休日に撮影(と)らせて頂きました萩の花の写真を添付致します。唯々感謝。(^-^)



萩
萩の花