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さて、去る 5年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。
ときに、去る 8年前の11月5日(木)の「法人マイ・ナンバー」のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、16年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。 因 みに、若い頃 父親は 日本国内のいろいろな場所に行きましたが、商売を始めてからは ほとんど 自宅に居ました。すなわち、誠に有り難いことに、家を守っていたのであります。
なお、当方が 小学生のとき 夏休みに 家族で 旅行するというときにも、父親は 祖母と一緒に 留守番をしていました。
しかも、母親によりますと 父親は 寝ることが出来た日と 出来なかった日で 人が違うとのことでありました。すなわち、父親は 寝ているかどうかで 別人になるということでありますね。つまり、父親は 明け方迄 仕事をしていることが ありましたからね。
そのうえ、母親によりますと 父親は 一年中 disease(英語)(ネガティブ[negative]で御座いますし、お読み下さっている方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。病気のことで御座います。diseaseで御座いますから、ease[安楽]の否定形で御座いますね)とのことでありました。すなわち、それだけ 父親は、 ストレッサー(英語:stressor)(去る 9年前の10月29日[水]の「身体の効率」のブログの中段で、この意味を詳細に記させて頂きました)が 大きかったのでありましょう。
それから、姉によりますと、夕食のときの 家庭の団欒が なかったとのことでありました。すなわち、父親は、仕事場に 食事を運ばせて 一人で食べていました。但し、ストレッサーが 大きいと、仕方のないことであるか と思われました。因 みに、このことは 家政婦にも 話しました。すると、誠に有り難いことに、その家政婦さんは 頷いて 納得してくれました。
ところで、上記のように、父親が亡くなりましたので、以下のことは 初めて 書かせて頂きます。すなわち、父親は 人から 言われたときに、神経科で処方された 安定剤を服用んでいました。 因 みに、父親の生前は、父親の名誉の為に このことは 記しませんでした。
次 に、去る 3月5日(日)の「父親の 一周忌での 挨拶」のブログ、去る 昨年の7月11日(月)の「父親の 初盆(新盆)での 挨拶」のブログ そして 去る 昨年の3月20日(日)の「父親の告別式[家族葬]での 挨拶」のブログのそれぞれ中段やや上に、
「(前略)父親は、当方が 物心が付いてからは 入院したことがありませんでした。
父親は 医者に なりたかったのですが、色弱であり 当時は 医者に なることは 出来なかったと聞かされています。
それで、生前 父親によりますと、自分が死んだら 白衣を着せて欲しいとのことでありました。それで、父親の希望で 告別式の 最期のときには、白衣を着てもらいました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、来世は、父親は 医者になるという話になりました。それで、開業するといいとのことでありました。 因 みに、神仏と一緒に行ないましょうね。
さて、生前 父親が交換してくれた 「流し台」であります。 因 みに、備え付けられて 約11年になりますが、こまめに 掃除をして 大事に使わせて頂いております。
約11年前に 父親が交換してくれた 「流し台」
ときに、去る 昨年の11月21日(月)の「夢について・続報20・シンクロニシティ」のブログの下段に、
「(前略)去る4月24日(日)の『父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)』のブログの上段に、
『(前略)去る3月16日(水)の【告別式前日の打ち合わせ】のブログの中段やや下に、
【(前略)父親は そのような優しい人でした。序で乍ら、生前 父親によりますと、自分が 死んだら 泣いてくれるかとのことでした。 因みに、家政婦と共に 泣きました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日は、納骨(七七日・満中陰法要)の日です。 因みに、この四十九日間、父親の お骨を 何度も 抱きました。すると、自然に涙が 溢れてきました。なお、生前 父親は、上記のように 自分が死んだら 誰か 泣いてくれるかと 何度も 尋ねました。それで、勿論 泣くよと回答しました。すなわち、この四十九日間は、そうでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、今でも 日々、父親のことを思いますと、自然に涙が 溢れてきます。(後略)」と記させて頂きました。そして、今になっても 日々、父親 そして 母親のことを思い、自然に涙が 溢れてきます。
ところで、昨日 すなわち 7月6日(木)の「両親のこと・続報2」のブログ、一昨日 すなわち 7月5日(水)の「父親のこと・10」のブログ、一昨々日 すなわち 7月4日(火)の「父親のこと・9」のブログ、去る 6月20日(火)の「両親のこと・続報」のブログ、去る 6月18日(日)の「父親のこと・8」のブログ そして 去る5月15日(月)の「父親のこと・7」のブログの下段などに、
「(前略)去る 昨年の7月11日(月)の『父親の 初盆(新盆)での 挨拶』のブログの下段に、
『(前略)親父さん そして おふくろさんには たいへんな世の中でありましたね。(後略)』と記させて頂きました。因みに、お二人の御冥福を 心より お祈り申し上げます。(後略)」と記させて頂きました。
(半角で 6万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)