告別式前日の打ち合わせ | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 4年前の3月8日(木)の「うなぎ蒲焼かばやき・73(お通夜・父親の食事)」のブログの上段やや下に、

「(前略)一昨日おととい すなわち 3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親は 死の転帰を迎えられました。それで、昨日の午後6時から 某・葬儀場で お通夜がありました。 ちな みに、自転車で 午後3時55分にけつけました。なお、僧侶から 説法がありました。この説法によりますと、『天国と言うのではなくて、浄土と言うように』とのことでした。基督キリスト教では 天国と言いますが、基督キリスト教のかた も参列しているのに と思われました。姉も、この僧侶は・・・ とのことでした。最先端の 物理学でも パラレル・ワールドが 議論されていますが、浄土のほかにも パラレル・ワールドがあり それが 天国であっても いいこと と思われました。ついながら、直会なおらいの お開きは、午後8時半でありました。この直会なおらいのときに、甥(姉の長男)によりますと 数えていたとのことであり、父親は お寿司を 10貫 食べた とのことでした。この お寿司以外にも、父親は 酢豚などのおかずを食べており、義理の兄 と 当方が あまり食べ過ぎないように めました。叔父が 食べてなかったのか と言っていましたが、父親は 朝食も 昼食も しっかり 食べていましたので、そう回答しました。

 案の定あんのじょう 帰宅致しまして 父親によりますと、食べ過ぎた とのことでした。

 また、その叔父によりますと、自宅に来る とのことでした。すると、従兄弟いとこ(この叔父の長男)によりますと、安い日本酒があればいい とのむね でした。

 そのうえ、この従兄弟いとこによりますと、息子が 某・国立の大学院に入学したので、頑張らなければ とのことでした。

 

 

お通夜の会場

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 

 ときに、告別式前日の打ち合わせで 午後4時に来るように言われました。それで、午後3時5分以前に 到着しました。担当者によりますと、感謝という言葉を言うのは止めてくれとのことでした。また、去る 4年前の4月19日(木)の「納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)」のブログの上段に、

「(前略)誠に有り難いことに、この僧侶によりますと、墓石には 縦に 『○○家』と書くのではなくて、下の画像のように 『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』と 記すのが 正式 とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。この話をしましたら、その担当者によりますと、浄土真宗では、信徒よりも 名号「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」を大切にするとのことでした。

 ならびに、その担当者によりますと、老人になっても、鼻骨は成長するとのことでした。 ちな みに、鼻骨は軟骨だから 成長するのですね。

 

 

会場の様子

 

 

お棺の中の 父親の尊顔

 

 

 

 ところで、父親は 医者になりたかったのです。それで、自分が死んだら 白衣を着せて欲しいとのことでした。そこで、生前に購入してありました。その白衣を 着せました。 ちな みに、家政婦は 色付きの Yワイシャツで いいとのことでありましたが、白衣に合うのは 純白のYワイシャツであります。それで、当方の 新しいYワイシャツを持ってきました。すると、誠に有り難いことに、当方のサイズと同じでした。すなわち、39-78でした。

 なお、去る3月11日(金)の「父親の転帰」のブログの上段に、

「(前略)のみならず、午後5時半頃にも、父親の様子を みに行きました。すると、父親によりますと、台所に 女の人が立っているとのことでした。そして、父親によりますと、姉ではないかとのことでした。しかしながら、台所には 誰もません。さらに、午後5時40分頃にも、父親の様子を みに行きました。すると、父親によりますと、やはり 台所で 女の人が 二人ふたり おしっこをしているとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 5年前の7月14日(金)の「両親の食事、洗濯 そして 入浴・17」のブログの上段やや下に、

「(前略)去る5月16日(火)の『母親のこと(母の日にちなんで・両親の食事)』のブログの上段 そして 去る5月6日(土)の『フローリングの滑り止め(両親の食事)』のブログの中段ややや上に、

『(前略)母親によりますと、何の花かは よく分からないが、薔薇ばらのような花が 壁に 散りばめられているのが見える とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。そして、昨日も 母親によりますと、壁に 模様が見える とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上のふた つの事例は、両親 それぞれの御臨終前の様子であります。 ちな みに、日々 測定している バイタルでは 死の転帰は 予想出来ませんでした。つまり、死の転帰を知るには 上記のような 科学を超えたことなのであると思われました。

 そして、生前 父親が 食事を しているときに、父親に話してしまいました。御免ごめんなさい。

 それから、父親は 亡くなる 前 すなわち 3月3日に、姉に電話しています。しかも、ほかの人たち すなわち 岐阜の母校の大垣商業学校の 二人残った友人に電話しています。 ちな みに、家政婦によりますと、電話の後に 相手のことを 父親は ボケたと言っていたとのことでありました。

 さらに、その家政婦によりますと、日がつにつれて 悲しくなるとのことでした。 ちな みに、父親からは きつく言われても、つぎ の日に 言い過ぎたと言われたとのことでした。なお、父親は そのような優しい人でした。ついながら、生前 父親によりますと、自分が 死んだら 泣いてくれるかとのことでした。 ちな みに、家政婦とともに 泣きました。

 くわうるに、誠に有り難いことに、その家政婦によりますと、父親は 度々たびたび きていて よかったと言っていたとのことでした。

 のみならず、姉によりますと、腰が痛いとのことでした。

 おまけに、姉は 3月12日(土) と 3月14日(月)に来るとのことでしたが、3月14日(月)のほうは 見えせんでした。

 

 去る 2月13日(日)の「武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・前編」のブログ そして 去る 2月13日(日)の「武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・後編」のブログなどを記させて頂きました。

 また、去る1月15日(土)の「マッサージ(父親)・197・中編・5」のブログの中段に、

「(前略)去る1月12日(水)の『武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報15』のブログの下段に、

『(前略)前述致しましたように、コロナワクチン特例承認の取消を求める訴えが 東京地方裁判所に なされました。それで、明日 いよいよ 第2回目の公判が開かれます。ちなみに、上記のように、相手の代理人は 厚労省職員をはじめ そうそうたる メンバーです。なお、ケア マネージャーのかた、マッサージ師のかた、理学療法士のかた、訪問看護師のかた、介護福祉士のかた そして 家政婦たちなどの 父親のための介護スタッフの方々かたがたにも、伝えていることであります。すなわち、当方も、父親の介護のことがなければ、東京地方裁判所に行き 応援したいです。(後略)』と記させて頂きました。そのマッサージ師のかたに、その コロナワクチン特例承認の取消を求める訴えの話をしました。ちなみに、半年前に 訴状が提出されているのも関わらず、いまだに 罪状認否が なされていないとのことでした。すなわち、相手は、牛歩戦術なのですね。それから、原告側の弁護士によりますと、昨年 武漢ぶかんウイルスのせいで 5万4千人も亡くなっているとのことでした。つまり、厚労省も、人口動態統計までは 誤魔化ごまかせないのであります。なお、子供に 接種が及ぶ前に、一刻も早く 武漢ぶかんウイルスのワクチンをめなければなりませんね。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、昨年 武漢ぶかんウイルスのせいで 5万4千人も亡くなっているのであります。それで、今回 担当者によりますと、火葬場が 一杯とのことでした。つまり、告別式の日程を決める上で 火葬場の予約を取れることが ネックなのであります。

 

  つぎ に、打ち合わせをして お焼香をして 午後4時45分に終了しました。それで、姉によりますと、「これで あんたも 一人前になるわね。」とのことでした。それで、某・宗教では 「子供が 一人前になると、親が死ぬ。」と説いていると答えました。すると、その家政婦によりますと、自分は 両親を亡くしているが、一人前ではないとのことでした。

 さて、姉によりますと、コーヒーを飲みに行きたいとのことでした。そこで、家政婦も行きたいとのことでしたので、姉とその家政婦の二人 ふたり が行きました。それから、午後6時47分頃、その家政婦から 電話が入りました。すなわち、この家政婦によりますと、約1時間 普通の話をしたとのことでした。 ちな みに、この家政婦の 喫茶店代は 当家が 出すと言いましたら、その家政婦によりますと、姉に出してもらったとのことでした。なお、その家政婦によりますと、姉は きな粉もちが食べたいから その喫茶店に行くとのことでした。

 

 ときに、異例なことに 去る3月12日(土)の午後7時40分に、ケア・マネージャーから 電話が入りました。 ちな みに、父親が逝去しましたのが 去る3月11日(金)の午後7時39分でしたので、もう ケア・マネージャーが帰宅してしまっていました。そこで、警備員に伝えるのでは と思い、週明けの3月14日(月)の開始時間である 午前8時30分の一番に 連絡しようと思っておりました。ところが、上記のように 連絡があり、そのケア・マネージャーによりますと、土曜日であるが 当直とのことでした。しかも、当方が 電話しようと思っていた 来る3月14日(月)は そのケア・マネージャーの休みの日とのことでした。なお、このとき このケア・マネージャーによりますと、出勤する 3月15日(火)に また 電話するとのことでした。それで、この3月15日(火)は 終日 待っていましたが、結局 電話は ありませんでした。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)