両親の思い出 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 4年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。 ちな みに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、両親と ともに 頂いている気持ちでおります。なお、 勿論 もちろん 、毎日のように 御仏壇に おそなえを致して お線香を あげております。

 

 ときに、去る 7年前の1月30日(金)の「永代神楽祭」のブログの上段に、

「(前略)昨日は、去る12月4日(木)の『神社参拝』のブログ で記しましたように、1月29日で、靖国神社にまつられている伯父の祥月しょうつき命日(御承知のように、一周忌以後の当月の命日のことです)であり、永代神楽祭えいたいかぐらさいに参りました。最近では、母親は寒いから行けないとのことで御座ございました。以前から父親は、この日は家にます。近年では家族で 一人ひとりになりましたが、参ります。(後略)」と記させて頂きました。但し、小学生のときは お正月に 小さな自家用車で、家族5人で 靖国神社に参拝に行きました。 ちな みに、父親が運転して 助手席に 祖母がすわって、後部座席を荷台に転換して 母親、姉 そして 当方の三人さんにんすわりました。なお、姉が ギターを持ち込みました。ついながら、当方は、毎回 車酔くるまよいをしていました。 ちな みに、参拝の帰りに 新宿の ちゃぶ台のような テーブルがあった ひなびた料理屋に立ちったことがありました。なお、なべ料理を注文していました。それで、父親は、ささやかですが 満足そうに、「冬は、なべが いい。 なべが いい。」と繰り返し 言っていました。ついながら、子供心こどもごころに 父親の この言葉が響きました。いまだに その父親の言葉が聞こえてきます。 ちな みに、子供の頃(小学校低学年の頃)に聞かされた言葉は 心に突きさっているものなのですね。

 そして、その7年前の 一人ひとりで参拝した 帰りに、去る 7年前の1月31日(土)の「不感蒸泄ふかんじょうせつを利用したタイツ」のブログに記させて頂きました タイツを買いました。 ちな みに、タイツを買うことを 心配をしてくれる 母親 や お線香の火の心配をしてくれる 両親は、もはや この世には ません。

 

 ところで、去る 5年前の1月31日(火)の「永代神楽祭えいたいかぐらさい・3」のブログの上段に、

「(前略)去る 一昨年おととしの1月30日(金)の『永代神楽祭えいたいかぐらさい 』のブログの上段に、

『(前略)伯父は パン屋で修行していました。パンを調理する レシピ(英語: recipe)のノートが 残されています。当初、伯父は 二等兵で御座ございましたが、戦死して 二階級特進で 曹長そうちょうになった と聞かされています。

 母親は、日本の官僚でもあり、実業家でもあった白洲次郎しらすじろう(但し、国際金融資本系列)のことが好きです。その言葉に、徴兵されるよりも、農家は農業のことを行うことが一番いいとのむねのことが御座ございます。家族は、伯父が パン屋で進んでいたら・・・と話します。父親によりますと、伯父は 犬死だったとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 伯父は パン屋で修行していましたので、母親から 参拝後に ケーキ(英語:cake)を 二つふたつ 買って来るように とのことを言われました。父親とともに 食べる とのことでありました。

 

 

ケーキ

 

 

 

 昨日、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)に 上のケーキを お裾分すそわけしました。すると、ヘルパー(家政婦)によりますと、美味おいしいとのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、この 5年前の 一人ひとりで参拝した 帰りには、やはり 新宿の某・百貨店に立ちり、両親に 上のケーキを買って参りました。 ちな みに、靖国神社を参拝した帰りには、帰り道である 新宿に 立ちることが 多いようであります。なお、約40年前のときは、両親は 新宿の寿司屋に 立ちりました。

  つぎ に、去る5月15日(日)の「収骨(分骨)(父親)続報2・後編」のブログの下段に、

「(前略)毎年 お正月 すなわち 1月2日には、両親と 一緒に 三人さんにんで その浅草の某・本願寺に 参拝に来ていました。そして、帰りに 両親は カレー ライスが好きで 新宿の有名な某・カレー ライスを食べるのですが、御承知のように 当方は 菜食ですので、いつも 両親が食べる姿を見ておりました。また、ときには その浅草の近くのレストランに入ったこともありました。そこでも やはり、両親が食べる姿を見ておりました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、同じ お正月でありますが 浅草の某・本願寺に 参拝した帰りでも、やはり 上記のように 新宿に 立ちっております。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)