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さて、去る 5年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。
ときに、去る 昨年の11月21日(月)の「夢について・続報20・シンクロニシティ」のブログの下段に、
「(前略)去る4月24日(日)の『父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)』のブログの上段に、
『(前略)去る3月16日(水)の【告別式前日の打ち合わせ】のブログの中段やや下に、
【(前略)父親は そのような優しい人でした。序で乍ら、生前 父親によりますと、自分が 死んだら 泣いてくれるかとのことでした。 因みに、家政婦と共に 泣きました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日は、納骨(七七日・満中陰法要)の日です。 因みに、この四十九日間、父親の お骨を 何度も 抱きました。すると、自然に涙が 溢れてきました。なお、生前 父親は、上記のように 自分が死んだら 誰か 泣いてくれるかと 何度も 尋ねました。それで、勿論 泣くよと回答しました。すなわち、この四十九日間は、そうでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、今でも 日々、父親のことを思いますと、自然に涙が 溢れてきます。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 5年前の11月15日(木)の「鰻の蒲焼・190(天ぷら・父親の食事)」のブログのそれぞれ中段やや下に、
「(前略)去る4月29日(日)の『昭和の日(鰻の蒲焼・113[父親の食事])』のブログの中段やや下に、
『(前略)母親には 【生きていて欲しいな。】です。しかも、上記のように 【母親が どんな姿になっても・・・】 です。(後略)』と記させて頂きました。この『母親には 【生きていて欲しいな。】』は、今でも 思われます。しかも、父親も 同様の思いです。(後略)」と記させて頂きました。
および、生前 度々 母親は、「父親が 私を大切(大事)にしてくれるのは、自分の為。」と話していました。 因 みに、 度々でありましたこともあり 傾聴していましたが、今 思えば 「それは、おふくろさんの為だよ。」と 母親に伝えればよかった と思われます。なお、去る8月14日(月)の「母親のこと・9」のブログの中段やや上に、
「(前略)生前 母親は、度々 『父親は、父親 自身の為に 私を大事にするのである。』との旨のことを話していました。因みに、母親の死後 約4年間、上記のように 父親は、繰り返し 『何で ママ 先に 逝っちゃったの 。』と訴えました。なお、『おふくろさん。親父さんは、おふくろさんのことを 心から思っていましたよ。』、すなわち、このことが あの世の おふくろさんに届くようにと 心から祈りました。序で乍ら、生前 おふくろさんに このことを伝えることが出来なくて、本当に御免なさいね。因みに、おふくろさんが 亡くなってから 分かったことなのであります。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、生前 ほとんど 寝た切りになった 父親は、しばしば 「自分が死んだらどうする。」と話してくれました。それで、その度に 上記のように 泣くよと答えました。そして、神佛と偕に 生きていく と伝えました。すなわち、父親が亡くなったら 佛になる訳でありますから、誠に有り難いことに、父親と一緒に ということでもあります。因みに、上記のように 父親が 「自分が死んだらどうする。」という言葉には、誠に有り難いことに、父親の当方に対する 深い思いが籠められていたのでありますね。すなわち、自分が亡き後の 当方の将来を心配してくれていたのであります。なお、去る 8年前の5月23日(土)の「親の言葉」のブログの上段に、
「(前略)去る5月18日(月)の『一大事とは』のブログに記させて頂きました吉田松陰によりますと、江戸在獄中の、安政6年10月20日(旧暦)付(刑死の約1週間前)、父、叔父、そして、兄等に宛てた書状の中で、『親思う心に勝る親心 けふの訪れ何と聞くらむ』という句が詠まれています。子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうが遥かに深いということを伝えています。この吉田松陰の言葉も有名なので、以前、父親から、よく聞かされました。(後略)」と記させて頂きました。
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「(前略)去る 昨年の7月11日(月)の『父親の 初盆(新盆)での 挨拶』のブログの下段に、
『(前略)親父さん そして おふくろさんには たいへんな世の中でありましたね。(後略)』と記させて頂きました。因みに、お二人の御冥福を 心より お祈り申し上げます。(後略)」と記させて頂きました。なお、誠に 掛け替えのない両親でありました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)