父親のこと・22 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 5年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。

 ときに、去る 昨年の11月21日(月)の「夢について・続報20・シンクロニシティ」のブログの下段に、

「(前略)去る4月24日(日)の『父親の納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)(シンクロニシティ)』のブログの上段に、

『(前略)去る3月16日(水)の【告別式前日の打ち合わせ】のブログの中段やや下に、

【(前略)父親は そのような優しい人でした。ついながら、生前 父親によりますと、自分が 死んだら 泣いてくれるかとのことでした。 ちなみに、家政婦とともに 泣きました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日は、納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)の日です。 ちなみに、この四十九日間、父親の おこつを 何度も 抱きました。すると、自然に涙が こぼれてきました。なお、生前 父親は、上記のように 自分が死んだら 誰か 泣いてくれるかと 何度も 尋ねました。それで、勿論もちろん 泣くよと回答しました。すなわち、この四十九日間は、そうでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、今でも 日々、父親のことを思いますと、自然に涙が こぼれてきます。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 5年前の11月15日(木)の「うなぎ蒲焼かばやき・190(てんぷら・父親の食事)」のブログのそれぞれ中段やや下に、

「(前略)去る4月29日(日)の『昭和の日(うなぎ蒲焼かばやき・113[父親の食事])』のブログの中段やや下に、

『(前略)母親には 【生きていて欲しいな。】です。しかも、上記のように 【母親が どんな姿になっても・・・】 です。(後略)』と記させて頂きました。この『母親には 【生きていて欲しいな。】』は、今でも 思われます。しかも、父親も 同様の思いです。(後略)」と記させて頂きました。

 および、生前 度々たびたび 母親は、「父親が 私を大切(大事)にしてくれるのは、自分のため。」と話していました。 ちな みに、 度々たびたびでありましたこともあり 傾聴していましたが、今 思えば 「それは、おふくろさんのためだよ。」と 母親に伝えればよかった と思われます。なお、去る8月14日(月)の「母親のこと・9」のブログの中段やや上に、

「(前略)生前 母親は、度々たびたび 『父親は、父親 自身のために 私を大事にするのである。』とのむねのことを話していました。ちなみに、母親の死後 約4年間、上記のように 父親は、繰り返し 『なんで ママ さきに っちゃったの 。』と訴えました。なお、『おふくろさん。親父おやじさんは、おふくろさんのことを 心から思っていましたよ。』、すなわち、このことが あの世の おふくろさんに届くようにと 心から祈りました。ついながら、生前 おふくろさんに このことを伝えることが出来なくて、本当に御免ごめんなさいね。ちなみに、おふくろさんが 亡くなってから 分かったことなのであります。(後略)」と記させて頂きました。

 

 ところで、生前 ほとんど 寝た切りになった 父親は、しばしば 「自分が死んだらどうする。」と話してくれました。それで、そのたびに 上記のように 泣くよと答えました。そして、神佛かみほとけともに 生きていく と伝えました。すなわち、父親が亡くなったら ほとけになるわけでありますから、誠に有り難いことに、父親と一緒に ということでもあります。ちなみに、上記のように 父親が 「自分が死んだらどうする。」という言葉には、誠に有り難いことに、父親の当方に対する 深い思いがめられていたのでありますね。すなわち、自分が亡きあとの 当方の将来を心配してくれていたのであります。なお、去る 8年前の5月23日(土)の「親の言葉」のブログの上段に、

「(前略)去る5月18日(月)の『一大事とは』のブログに記させて頂きました吉田松陰によりますと、江戸在獄中の、安政6年10月20日(旧暦)付(刑死の約1週間前)、父、叔父、そして、兄等にてた書状の中で、『親思う心にまさる親心 けふの訪れなんと聞くらむ』という句がまれています。子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうがはるかに深いということを伝えています。この吉田松陰の言葉も有名なので、以前、父親から、よく聞かされました。(後略)」と記させて頂きました。

 

  つぎ に、一昨々日さきおととい すなわち 10月12日(木)の「母親のこと・19」のブログ去る10月8日(日)の「両親のこと・続報6」のブログ去る10月6日(金)の「母親のこと・18」のブログ去る10月3日(火)の「父親のこと・21」のブログ去る9月30日(土)の「両親のこと・続報5」のブログ去る9月28日(木)の「父親のこと・20」のブログ去る9月27日(水)の「父親のこと・19」のブログ去る 9月26日(火)の「母親のこと・17」のブログ去る9月13日(水)の「母親のこと・16」のブログ去る 9月11日(月)の「父親のこと・18」のブログ去る 9月11日(月)の「母親のこと・15」のブログ去る9月11日(月)の「父親のこと・17」のブログ昨日 すなわち 9月10日(日)の「母親のこと・14」のブログ去る9月6日(水)の「両親のこと・続報4」のブログ去る9月5日(火)の「母親のこと・13」のブログ去る9月2日(土)の「母親のこと・12」のブログ去る8月28日(月)の「祖母のこと・2」のブログ去る8月27日(日)の「父親のこと・16」のブログ去る8月27日(日)の「母親のこと・11」のブログ去る8月24日(木)の「母親のこと・10」のブログ去る8月21日(月)の「父親のこと・15」のブログ去る8月17日(木)の「父親のこと・14」のブログ、前述の 去る8月14日(月)の「母親のこと・9」のブログ去る8月13日(日)の「父親のこと・13」のブログ去る8月12日(土)の「父親のこと・12」のブログ去る7月18日(火)の「両親のこと・続報3」のブログ去る7月7日(金)の「父親のこと・11」のブログ去る7月6日(木)の「両親のこと・続報2」のブログ去る7月5日(水)の「父親のこと・10」のブログ去る7月4日(火)の「父親のこと・9」のブログ去る 6月20日(火)の「両親のこと・続報」のブログ去る 6月18日(日)の「父親のこと・8」のブログ そして 去る5月15日(月)の「父親のこと・7」のブログの下段などに、

「(前略)去る 昨年の7月11日(月)の『父親の 初盆(新盆)での 挨拶』のブログの下段に、

『(前略)親父おやじさん そして おふくろさんには たいへんな世の中でありましたね。(後略)』と記させて頂きました。ちなみに、お二人ふたりの御冥福を 心より お祈り申し上げます。(後略)」と記させて頂きました。なお、誠に えのない両親でありました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)