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さて、去る 5年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。
ときに、去る7月31日(月)の「夢について・続報95・シンクロニシティ・後編」のブログの中段やや上に、
「(前略) 去る 昨年の8月1日(月)の『榊・52・後編』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 昨年の12月9日(木)の【父親のこと(令和3年)】のブログの上段に、
【(前略)去る 一昨々年の8月3日(金)の〖父親の食事、洗濯 そして 入浴・71〗のブログの中段に、
〖(前略)去る 一昨々年の8月30日(日)の〔衝突〕のブログ の上段に、
〔(前略)プロフィール(英語:profile)に記させて頂きましたように、東京都新宿区生まれです。そして、小学校一年生の夏迄、山手通り(東京都道317号環状六号線) と 目白通りという、東京都心の主要幹線道路の交叉点の前に住んでいました。毎週のように、自宅の前で traffic accident(英語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で綴ることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。交通事故のことで御座います。以下、traffic accident と示させて頂きます)がありました。元・読売ジャイアンツの某・選手も、昼間、自宅の前で traffic accidentを起こしました。しかも、後に 昭和50年(1975年)シーズン終了後 読売ジャイアンツの一軍投手コーチに就任した 長身の某・コーチも、自宅の前で traffic accident を起こしました。因みに、当時 父親によりますと、長身の よく 顔を知っている人である と話していました。
一方、当時は、主要幹線道路の交叉点でも、夜間は黄色の点滅の信号でした。御承知のように、信号機が黄色の点滅ですと、車は一時停止しないで交叉点に進入して来ます。それで、椎名町方面から来るトラック(英語:truck)が、居眠り運転をして 交叉点で 衝突して 三回 自宅に飛び込みました。そのうち 一回は、祖母の枕元迄 トラックの車輪が来たそうです。父親によりますと、明け方に〘ドカン!〙と来るそうです。当時、地元の警察署に行って、夜間の黄色の点滅の信号を通常の信号にしてもらうように話しても、変更してもらえなかったそうです。因みに、当時は高度経済成長時代であり、夜間の輸送の迅速さが優先されたとも伺っております。山手通りの特徴として、五叉路など 変形交叉点が多く 赤信号が長いのです。自宅の前の交叉点も 変形交叉点であり、椎名町方面から来ると、正面に 自宅が見えました。数年前に 法事の序でに、この元・自宅を訪れましたら、元・自宅前のガードレール(英語:guardrail)が、強固なものになっていました。
また、当時は、通常の信号にすると 電気代が掛かったから、とも聞いております。現在では、御承知のことであらせられますように、去る5月25日(月)の〘L.E.D.電球(エレクトロニクス)〙のブログ 、そして、去る10月10日(金)の〘青色発光ダイオード(エレクトロニクス)〙のブログ のそれぞれ上段に青色発光ダイオード(L.E.D.)のことを記させて頂きましたように、この発明により、信号機の電気代がコスト・ダウン(和製英語)(英語:cost reduction)されましたね。
そこで、直接 警視庁に行って話しましたら、漸く夜間も通常の信号に変更してくれたとのことです。
現在でも、自宅傍の、前述の昼間でも赤の点滅の信号を通常の信号にしてもらうように以前、父親が話しても変更してもらえておりません。今回のような traffic accidentが起こって 初めて、重い腰を挙げて通常の信号に変更してくれることを考えてくれるのでありましょうか。
次に、毎週のように、自宅の前で traffic accidentが あったと前述致しました。因みに、当時は 廃車になった 自動車が 直ぐに レッカー車で撤去されることなく、暫くの間 道路脇に 放置されていました。なお、自動車のバック・ミラーも 置いたままになっていました。なお、当方は 幼児でありましたので そのバック・ミラーが 珍しくて、持って帰ったことがありました。すると、誠に有り難いことに、そのバック・ミラーを 姉が コレクション(英語:collection)にして、使っていました。
ときに、前述致しましたように、東京都心の主要幹線道路の交叉点の前に住んでいました。当時は、現在のような東京都の排ガス(英語:gas)規制はありませんでした。ディーゼル機関(英語:diesel engine)のトラックやバスが、自宅の前を頻繁に走行していました。また、当時は、ガソリン(英語:gasoline)に四エチル鉛が多く添加されていました。因みに、乗用車のガソリン機関は、圧縮比が高いエンジン(英語:engine)程性能がよいのですが、圧縮比が高すぎると、ノッキング(英語 knocking)が起こり、運転することが出来なくなります。このノッキングは燃料の性質にも関係があり、燃料のノッキングの起こりにくさを オクタン価(英語:octane number)で表します。ガソリンのオクタン価を高めるために、四エチル鉛が多く添加されていたのです。
それで、この排ガスの為に、家中の者が 皆、bronchial asthma(英語)(上記の理由で、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。同様に 小さく記させて頂きます。気管支喘息のことで御座います。以下、bronchial asthmaと記させて頂きます)になりました。そこで、毎日のように、自宅で、霧吹式ネブライザー(英語:nebulizer)(医療用噴霧器のことです)を用いて 塩水の吸入を一時間位 行っていました。子供心に、毎日 この塩辛い吸入を 一時間位 行うのかと思うと 気が遠くなったことを覚えています。
そして、前述致しましたように、小学校一年生の夏に引っ越しました。後で 親から聞いたことですが、地元の新聞には、当家のことを〘排ガスの為に(疎開して)引っ越し〙との記事で 掲載された とのことで御座います。因みに、去る10月29日(水)の〘身体の効率〙のブログ の中段に、
〘(前略)ディーゼル・エンジン(機関)の排気ガスによって、bronchial asthma(英語)(ネガティブ[negative]で御座いますし、お読み下さっている方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。気管支喘息のことで御座います)が引き起こされる、と 母校の第四内科(呼吸器内科)講師(当時の役職。現在は教授)との対話で指摘されました。(後略)〙と記させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、51年前の8月初旬 つまり 今頃の季節に、上記のように 東京都新宿区から 東京都下に 引っ越しました。このとき、朝 起きて 母親 と 姉と話したことですが、東京都新宿区に比べて 涼しかったです。それで、この話を 上記の介護福祉士の方に話しましたら、東京でも 三鷹を超えて 西側に来ますと、都心に比べて 涼しいと感じられるのだそうです。(後略)〗と記させて頂きました。
ときに、昨日も 父親によりますと、目白では traffic accident で 寝られなくなった とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。なお、その目白から 引っ越してきたのが 昭和42年(1967年)8月1日ですから、本日で 丁度 55年になります。それで、今朝、そのことを 仏壇の前で 今は亡き 両親に 報告しました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、明日で 丁度 56年になります。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、去る 5年前の4月9日(月)の「リハビリテーション(父親)・2」のブログの上段に、
「(前略)去る8月11日(木)の『父親のこと(山の日)』のブログ、去る7月5日(火)の『父親のこと』のブログ、去る6月26日(日)の『父親の米寿祝い』のブログ、去る5月4日(水)の『父親のこと(みどりの日)』のブログのそれぞれ上段などに、
『(前略)去る3月12日(土)の【両親のこと】のブログの冒頭に、
【(前略)去る1月4日(月)の〖義兄の来訪・お正月料理 〗のブログの上段に、
〖(前略)父親のトラウマに 因 ませて頂きますと、去る(昨年の)9月6日(日)の〔無畏施 〕のブログ の上段に、
〔(前略)去る(昨年の)8月30日(日)の〘 衝突 〙のブログ の中段やや上に、
〘(前略) トラック(英語:truck)が、居眠り運転をして 交叉点 で衝突して 三回 自宅に飛び込みました。そのうち一回は、祖母の枕元 迄 トラックの車輪が来たそうです。(後略)〙と記させて頂きました。この自宅から引っ越したのが、約48年前の、今年と同じ 未 年の夏のことです。すなわち、 十二支 で四周致しました。しかし 乍 ら、父親にとりましては、このことが トラウマ(英語:psychological trauma)(心的外傷)になっているようです。この48年以上の間、現実に車が飛び込むことは無いのですが、自宅に車が飛び込むのではないかと 繰り返し phobia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座 いますし、お読み下さっている 方々 に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。恐怖のことで 御座 います。以下、phobiaと記させて頂きます)を訴えます。phobiaの対象が 他 のことに移ることもしばしばあります。 例 えば、近所のプロパン・ガス(英語:propane gas)の爆発や人などに対してです。最近では、車が飛び込むという delusion(英語)(上記の理由で、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。妄想のことで 御座 います。以下、delusionと記させて頂きます)を訴えることが、以前より多くなりました。すなわち、現実に車が飛び込むことは無い、今の自宅を、車が飛び込むので 引っ越したいと言います。引っ越すとなりますと、家庭問題に発展します。母親によりますと、父親は〘苦しくて 我慢 出来ない〙と言っているとのことです。P.T.S.D.(英語:post-traumatic stress disorder)(上記の理由で、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。心的外傷後ストレス障害のことで 御座 います。以下、P.T.S.D.と示させて頂きます)で 御座 いますね。そこで、今の自宅には 現実に車が飛び込むことは無いと、安心するように、心より祈り 乍 ら繰り返し話しております。(後略)〕と記させて頂きました。父親は 若い頃から 新聞の三面記事を 夜中に読んだり、traffic accident(英語)(上記の理由で、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。交通事故のことで 御座 います。以下、traffic accidentと示させて頂きます)の現場を 入念に見に行ったり致します。このtraffic accidentの光景が、フラッシュ・バック (英語:flashback)するのかもしれません。 因 みに、去る12月21日(月)の〔催眠に効果的な言葉〕のブログ の上段に、夜中の時間帯は 潜在意識に入り易い 旨 を記させて頂きました。なお、潜在意識に関しましては、去る 一昨年 の10月7日(火)の〔日本人の心情〕のブログ 、去る 一昨年 の10月22日(水)の〔セロトニン(脳内[で機能する神経]伝達物質)〕のブログ 、去る 一昨年 の10月25日(土)の〔右脳記憶とインスピレーション(inspiration)〕のブログ 、去る 一昨年 の11月5日(水)の〔くもの糸(シンクロニシティ)〕のブログ のそれぞれ中段 そして 去る 一昨年 の11月2日(日)の〔時差ぼけについて〕のブログ の上段などにも記させて頂きました。
更 に、御承知のように、フラッシュ・バックとは、強いトラウマ体験を受けた場合に、後になってその記憶が、突然 かつ 非常に鮮明に思い出されたり、同様に 夢に見たりする現象のことです。 元々 〔フラッシュ・バック〕は 映画用語であり、過去の出来事などを 現在の流れの中に 一瞬 挿入 する手法を 云 います。なお、前述のP.T.S.D. そして A.S.D.(英語:acute stress disorder)(上記の理由で、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。急性ストレス障害のことで 御座 います)の特徴的な症状の中の 一つ であるとされています。
また、話を戻しますが、今回も このdelusionを訴えましたので、繰り返し話しております。そして、去る10月29日(木)の〔理容店〕のブログ の上段に、
〔(前略)去る(昨年の)9月6日(日)の〘無畏施 〙のブログ そして 去る10月26日(月)の〘姪の挙式〙のブログ のそれぞれ上段に、
〘(前略) (父親が)現実に車が飛び込むことは無い、今の自宅を、車が飛び込むので 引っ越したいと言います。(中略)そこで、今の自宅には現実に車が飛び込むことは無いと、安心するように、心より祈り 乍 ら繰り返し話しております。(後略)〙と記させて頂きました。以前から親戚が話しても、父親は、特別養護老人ホーム(特養・介護老人福祉施設。以下、特養と記させて頂きます)に入居することは死んでも 嫌 と回答しています。母親によりますと、今回、引っ越す代わりに 特養に入居するのはどうかと話したとのことでありました。すると、父親は 〘母親と一緒だったらいい。〙との回答だった、とのことでありました。しかし 乍 ら、これには 母親の 方 が 嫌 とのことでありました。
御承知のように、dysmorphophobia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座 いますし、お読み下さっている 方々 に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。醜形恐怖症のことで 御座 います。以下、dysmorphophobiaと示させて頂きます)のため、形成外科で繰り返し 美容整形を行う 方 が見えます。両者に共通していますことは、美容整形も引っ越しも 現実的に可能である 間 はいいのでありますが、 何時 迄 も出来るかといいますと、当然のこと 乍 ら 出来なくなることがあるということで 御座 います。そのときには、現実の 方 ではなくて、心の 方 を変えなければならなくなります。このときが、心理療法併用内科の出番で 御座 います。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。
話を戻しますが、このように、phobiaの対象が 他 のことに移っていくのです。根本的には、前述の P.T.S.D. から生じているとされています。このトラウマに関わりますことは、フロイト( 独 語: Sigmund Freud)(オーストリアの精神分析学者 そして 精神科医)の考え
そこで、去る 昨年の2月15日(日)の【落書きの効用】のブログ の上段で、
【(前略)平成9年(1997年)頃から、今日 迄 、日本芸術療法学会員です。(後略)】と お伝え申し上げました。音楽療法があります。去る10月31日(土)の【父親の満足】のブログの上段 そして 去る3月12日(土)の【両親のこと】のブログの中段やや上に記させて頂きましたように、父親には 音楽を聞いてもらっています。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の9月17日(土)の『父親のこと(付き添い)』のブログの中段やや上に、
『(前略)この続きと致しまして 去る8月11日(木)の【父親のこと(山の日)】のブログの下段に、
【(前略)過日 母親によりますと、父親が 網戸のことに phobiaを訴えているとの 旨 でした。このブログの上段に、〖phobiaの対象が 他 のことに移ることもしばしばあります。 〗と記させて頂きましたが、phobiaの対象が グルグル回っているとも 表現出来るか と存じます。お気付きのことであらせられますように、結局は、対象を問題とする 心の 方 に原因があるのであります。なお、前述致しましたように、継続して 心より祈っております。(後略)】と記させて頂きました。そして、母親も知っていますが、
次 に、去る8月21日(月)の「父親のこと・15」のブログの中段やや下に、
「(前略)当家のポストには 『チラシを入れないで下さい。』と 大きく書かれてあります。ところが、本日も、下の画像のチラシが入っていました。 因 みに、窓ガラスフィルムに関する チラシでありました。なお、約半世紀前になりますが、父親は、上記のように 近所のプロパン・ガスの爆発を怖れて、当家の窓に 窓ガラスフィルムを貼 りました。序で乍ら、当時 窓ガラスフィルムを貼 ることに対しては 相手にされませんでしたが、現代では 当たり前になっていますね。 因 みに、このことを あの世の 親父さんに 報告したいと思います。すなわち、『親父さん。窓ガラスフィルムを貼 ることは 当たり前になりましたよ。ありがとうございます。』であります。(後略)」と記させて頂きました。
さて、去る 8年前の11月5日(木)の「法人マイ・ナンバー」のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、16年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。
ときに、前述致しましたように、父親によりますと、目白では traffic accident で 寝られなくなった とのことでした。すなわち、父親は 目白で 15年間 苦しみました。 因 みに、生前 父親は、しばしば その目白の15年間は 滅茶苦茶であったと話していました。なお、上記のように 父親は 商売を廃業して 15年 経過して、天壽を 全う致しました。すなわち、同じ 15年間であります。序で乍ら、誠に有り難いことに、父親は 苦労した 15年間の分を 休むことが出来たのでありますね。そして、 お浄土に 旅立ちました。
次 に、昨日 すなわち 9月26日(火)の「母親のこと・17」のブログ、去る9月13日(水)の「母親のこと・16」のブログ、去る 9月11日(月)の「父親のこと・18」のブログ、去る 9月11日(月)の「母親のこと・15」のブログ、去る9月11日(月)の「父親のこと・17」のブログ、昨日 すなわち 9月10日(日)の「母親のこと・14」のブログ、去る9月6日(水)の「両親のこと・続報4」のブログ、去る9月5日(火)の「母親のこと・13」のブログ、去る9月2日(土)の「母親のこと・12」のブログ、去る8月28日(月)の「祖母のこと・2」のブログ、去る8月27日(日)の「父親のこと・16」のブログ、去る8月27日(日)の「母親のこと・11」のブログ、去る8月24日(木)の「母親のこと・10」のブログ、去る8月21日(月)の「父親のこと・15」のブログ、去る8月17日(木)の「父親のこと・14」のブログ、去る8月14日(月)の「母親のこと・9」のブログ、去る8月13日(日)の「父親のこと・13」のブログ、去る8月12日(土)の「父親のこと・12」のブログ、去る7月18日(火)の「両親のこと・続報3」のブログ、去る7月7日(金)の「父親のこと・11」のブログ、去る7月6日(木)の「両親のこと・続報2」のブログ、去る7月5日(水)の「父親のこと・10」のブログ、去る7月4日(火)の「父親のこと・9」のブログ、去る 6月20日(火)の「両親のこと・続報」のブログ、去る 6月18日(日)の「父親のこと・8」のブログ そして 去る5月15日(月)の「父親のこと・7」のブログの下段などに、
「(前略)去る 昨年の7月11日(月)の『父親の 初盆(新盆)での 挨拶』のブログの下段に、
『(前略)親父さん そして おふくろさんには たいへんな世の中でありましたね。(後略)』と記させて頂きました。因みに、お二人の御冥福を 心より お祈り申し上げます。(後略)」と記させて頂きました。
(半角で 6万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)