落書きの効用 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、昨日の「絵本の影響」のブログでも言及させて頂きました、去る 昨年の10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山」のブログ去る1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログで、

「(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々(かたがた)二人に委託されて、おこなって参りました。そのボランティアで、過日、子供達・・・」と お伝え申し上げました子供達が黒板にいたずら書きや落書きをしていても注意致しません。

 

 その理由は、以下の幼稚園児の頃の体験によるものであります。

 幼稚園に入園して、最初の お弁当の日、持参した弁当が食べきれなくて、勇気をもって、食べきれないむねの許可を先生にもらいに行ったことがあります。先生は神様のような、絶対的な存在であると思っていたからです。

 ところが、他の園児も落書きをしていて、同様に黒板に落書きをしましたら、個人的に その先生に怒られました。驚いて、子供心に ショック(英語:shock)でした。幼稚園に行くのが いやになりました。無理矢理むりやり 連れて行かれたので、朝の全体体操をしながら泣いていました。他の先生の話しを間接的に、あとで聞いたことですが、「授業中、『この子、(ふる)えている!』と思った。」とのことでした。そして、幼稚園に行かなくなりました。ちなみに、誠に有り難いことに 1回は お祖母ばあちゃんが連れてってくれましたが、そのときに その先生に 無理矢理むりやり  連れて行かれそうになりました。それで、雨の日で (かさ)を持っていたのですが、不可抗力で その先生に当たってしまいました。そうして、教室で 他の園児に尋ねられていました。

 そして、幼稚園に行かなくなりました。

 あとでわかったことですが、新任一年目の女性の先生でした。ちなみに、家政婦さんから 「個人的に その先生に怒られたことに対して、その新任一年目の女性の先生から あとから 御免ごめんと言ってもらえましたか。」とのむねのことを聞かされました。それで、その新任一年目の女性の先生は、そのようなことは 一切 言ってくれなかったと答えました。 

 

 ときに、平成9年(1997年)頃から、今日(まで) 、日本芸術療法学会員です。

 

 落書きは自発的な行為、「自己防衛が緩んだ状態の自己を表出するもの」と記述された原著(Japanese Bulletin of Arts Therapy, Vol.30 No.2, 2000 p38~44)があります。

 

 子供が心を許し、自己表現をし始めたということで、先生にとっても、信頼関係が得られて、安心出来る、喜ばしいことなのではなかろうかと思われます。

 また、落書きを認めることは、子供を保証(英語:reassurance)(心理学用語)することにも(つな)がっていくと思われます。

 しかも、子供にとって、落書きをすることは、カタルシス(英語:catharsis)効果(浄化法とも呼ばれ、観念洗浄、そして、観念泄瀉(かんねんせっしゃ)が期待出来ます)もあるのに、と思われます。また、子供の心を観察することも期待出来ると思われます。

 このことは、丁度、簡単に お伝え申しますと、箱庭療法がカタルシス(catharsis)効果と心理的診断の両者を持ち合わせていることと同様と思われます。ちなみに、 箱庭療法とは、心理療法の一種であり、箱の中にクライエント(英語:client)(来談者)が、心理セラピスト(英語:therapist)(治療者)が見守る中で、自由に部屋にあるおもちゃを入れていく手法のことで御座ございます。

 

 子供は落書きをすることによって、ストレッサー(英語:stressor)(去る10月29日(水)の「身体の効率」のブログ で、この意味を詳細に記させて頂きました。)にさらされることからまぬがれています。

 心ある先生なら わかったでありましょう。この先生のことは、このことを契機けいきとして 気付いて頂くように、心より祈って参りました。

 救いと言えば、去る1月14日(水)の「『三つ子の魂百まで』の教育」のブログ に記させて頂きました三歳を過ぎていたということで御座ございます。

 

 自宅が通園路に面していて、自宅の二階から、園児が幼稚園に通う姿をうらやましくながめていました。

 その状態が長く続いた後、両親が、ようやく腰を上げてくれました。両親は商売をしていたので、忙しかったのです。

 幼稚園を転園することになりました。幼稚園のレベルは下がりましたが、誠に有り難いことに、卒園はしました。但し、その おかげで 誠に有り難いことに、その後 小学校に通いました。

 

 最後になりますが、上記の子供達が黒板にいたずら書きや落書きをしていても注意致しません。消せばよいのでありますから。

 

 黒板にいたずら書きや落書きをしていたら、社会性を伝えることも必要で御座いますので、落書きをしてもよいスペース(英語:space)を用意することで御座ございます。例えば、雑記帳を持たせたり、前述のカタルシス(catharsis)効果の期待できる時間を提供したりすることで御座ございます。
 

 以上は、10数年前に書きました内容で御座ございまして、実践して参りました。

 

 ところで、去る12月26日(金)の「ぶなしめじ」のブログ の上段やや下に記しました、母校の後輩医師によりますと、Facebook(フェイスブック)は落書きなのだ そうです。落書きのように考えているとのことです。

 大人になっても落書きの相当する行為は必要である、ということで御座ございましょうか。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後(まで) お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)