両親の思い出・続報 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 10月19日(水)の「両親の思い出」のブログの上段に、

「(前略)去る 4年前の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。 ちな みに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、両親と ともに 頂いている気持ちでおります。なお、 勿論 もちろん 、毎日のように 御仏壇に おそなえを致して お線香を あげております。(後略)」と記させて頂きました。

 

 ときに、 高校生のときのことであります。すなわち、両親 と 当方の 三人さんにんで、父親が 車の運転をして 隣の市の ラドン温泉(現在は、廃館)に 数回行きました。ちな みに、誠に有り難い 親子水入みずいらずの出来事であります。なお、温泉にかったあと、館内の食堂で 食事をしました。そこで、毎回 あじのたたきが 注文されました。それを 皆は 誠に有り難いことに、舌鼓したつづみを打つように 頂きました。それは、ささかな幸せだったのでありますね。オーバーな表現と思われるかもしれませんが、まさしく 確かに 至福の ひとときでありました。ついながら、生前 母親によりますと、幸せなのは 両親がそろっていること とのことでありました。ちな みに、両親が生きているときには、このことは それほど 深く考えたことはありませんでした。なお、当たり前になっていたのでありますね。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)