両親の思い出・続報2(映画) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 5年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。

 ならびに、去る 昨年の3月13日(日)の「肉親の来訪・12・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)姉によりますと、姉が 中学2年生のときに、父親のオートバイで 送ってもらったとのことでした。ちなみに、オートバイの後部座席に乗ったのではないかとのことでした。なお、50ccの原動機付オートバイであると思われるのでありますがね。(誠に有り難いことに、後日 家政婦によりますと、その当時は、皆 二人ふたり乗りしていた とのことでした)ついながら、このオートバイで 父親は 石油を運んでいましたので、姉によりますと、石油の匂いがした とのことでした。

 くわうるに、自宅の近くに 東映映画館が あったのですが、姉によりますと、四谷怪談を見たとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、7歳くらいのときのことであります。 ちな みに、高度経済成長期であり、怪獣映画が 流行はやりました。御承知のように 東宝が 「ゴジラ」、そして、大映が 「ガメラ」の怪獣特撮映画を放映していました。たとえば、「ゴジラ」シリーズとしては、第七作目である「ゴジラ エビラ モスラ 南海の大決闘」(昭和41年12月17日劇場公開・同時上映が、「これが青春だ」)が放映されていました。

 そして、当時 新宿区中落合に住んでいて、上記のように 自宅の近くに 東映映画館が ありました。

 なお、父親が、上記の50ccの原動機付オートバイで おそらく 高田馬場方面の映画館に連れてってくれました。それで、まだ 寒い時期に、日活配給の映画「大巨獣ガッパ」(昭和42年4月22日 劇場公開)を見ました。ついながら、帰りは 日が暮れていましたが、その50ccの原動機付オートバイで 父親のまたの間に またがって 毛布にくるまって 自宅に戻りました。ちな みに、父親は やさしい人でありましたので、ガッパ親子の最後のシーンが 可哀想かわいそうだったとのことでありました。なお、この映画は ほかの怪獣映画と違い 親子のきずなが感じられる映画でありましたので、父親と一緒に 見に行くことが出来て よかったと思われました。ついながら、父親と一緒に 映画を見にったことは、なんと これが 最初で最後の経験でありました。そして、このように 父親が 映画館に連れてってくれたことは、繰り返し 生前の父親に 感謝の気持ちをめて 伝えました。

 

 ところで、去る 8年前の8月30日(日)の「衝突」のブログ の上段に、

「(前略)プロフィール(英語:profile)に記させて頂きましたように、東京都新宿区生まれです。そして、小学校一年生の夏まで、山手通り(東京都道317号環状六号線) と 目白通りという、東京都心の主要幹線道路の交叉点こうさてんの前に住んでいました。

(中略)

 そして、前述致しましたように、小学校一年生の夏に引っ越しました。あとで親から聞いたことですが、地元の新聞には、当家のことを『排ガスのために(疎開して)引っ越し』との記事で 掲載された とのことで御座ございます。ちなみに、去る10月29日(水)の『身体の効率』のブログ の中段に、

『(前略)ディーゼル・エンジン(機関)の排気ガスによって、bronchial asthma(英語)(ネガティブ[negative]で御座ございますし、お読み下さっている方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語でつづることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。気管支喘息のことで御座ございます)が引き起こされる、と 母校の第四内科(呼吸器内科)講師(当時の役職。現在は教授)との対話で指摘されました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 昨年の12月2日(金)の「家政婦さんの入院・続報39・後編」のブログの下段に、

「(前略)当家は、今の場所に 約55年前の夏(8月1日)に 引っ越してきました。(後略)」と記させて頂きました。

 すなわち、引っ越した 約1年後の 8歳(小学校二年生)のときに、母親と 新宿に 映画「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(「ガメラ」シリーズの第四作目)をに行きました。 ちな みに、上記のように 大映の「ガメラ」シリーズとして、この前作が 第三作目「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(昭和42年3月15日 劇場公開)であり、次作が 第五作目「ガメラ対大悪獣ギロン」(昭和44年3月21日 劇場公開)でありました。なお、当初 大映の内部では、「ゴジラ」のようには 「ガメラ」は ヒットしないであろうとの意見だったとのことであります。ところが、御承知のように、結果は そうではありませんでしたね。ついながら、第一作目「大怪獣 ガメラ」のときから 「ガメラ」が男の子を助けるという situationシチュエーション(日本語:状況・場面)が 挿入されていて、この路線変更が 子供たちから支持されたとのことであります。 ちな みに、同時上映は「妖怪百物語」でありました。なお、東宝でも 実現出来なかったのに、大映が 「大魔神」 と 「ガメラ」シリーズ 第二作目の「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」の大型特撮映画の二本立て 同時上映という壮挙を成し遂げました。それから、きそうように 東宝も 「サンダ対ガイラ」と「ジャングル大帝」の二本立て 同時上映を行ないました。但し、上記の二本目の「妖怪百物語」まで  てしまったために、帰りに苦労することになります。すなわち、日曜日の日没後でありましたが、大雨で 中央線がまってしまったのであります。それで、武蔵堺駅あたりで まってしまい、雨の中を かさをさして 待たなければならないことになりました。かなり 長い時間が経過しました。そして、ようやく 特別に 一本のみ 高尾行きが運行されるとのことでありました。ついながら、当時は 上記のように 引っ越したばかりでありましたので、高尾という名称は 馴染なじみがありませんでした。それで、しばらくして 高尾駅が 中央線の終点の駅であることを知ることになりました。

 

  つぎ に、母親は 思春期の頃 パスポートを入手して、「カサブランカ」 そして 「哀愁」などの オールディーズの映画を たとのことでありました。それで、晩年 母親と 自宅のテレビで 「旅愁」を ようと 準備しました。ところが、母親は 多用であったのか 最後まで  ないで 席を立ってしまいました。そして、誠に有り難いことに、母親の介護をするようになってからは 「ローマの休日」などの映画を テレビで てもらいました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)