菜食のおかず・493(味噌汁)・花火 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)


 さて、去る 8年前の12月4日(金)の「 占守島 しゅむしゅとう 」のブログ の中段やや上に、 「(前略)話を その 占守島 しゅむしゅとう の戦いのことに戻しますが、当初 ソ連軍は この島を 一日で占領する予定でした。ところが、日本軍の抵抗により 六日間 足止めされました。冒頭に  硫黄島 いおうとう の戦いことを言及させて頂きましたが、この戦いと同様の働きの お かげ で 北海道に侵攻されることが おく れました。スターリンは、北海道を二分割して 北東部(釧路-留萌を結んだ直線以北)半分を ソ連のものにしようと考えていました。あわよくば、北海道全体以上を考えていたかもしれません。御承知のように、戦後、連合国によって 日本を四分割統治する計画があったわけでありますからね。仮に、千島列島と同様に ソ連軍に上陸されて 実効支配されていましたら、少なくても 北・北海道に 日本民主主義人民共和国が誕生していたかもしれません。実際に、 ドイツ 、朝鮮 そして ベトナムでは そうであったのですからね。(後略)」と記させて頂きました。仮に、上記のように 北海道を二分割されていましたら、 納豆の原料となる 北海道産の 大豆は、入手しにくかったかもしれません。

 

 ときに、国産の わかめ、国産の ねぎ、国産の ぶなしめじ、国産の なめこ そして 国産の 榎茸 エノキタケ の味噌汁です。 ちな みに、去る 8年前の3月22日(日)の「わかめ」のブログ の中段に、 
「(前略) 昆布 こんぶ  や わかめなどの 海藻 かいそう 類には、『水溶性食物繊維』であるヘミセルロースが含まれています。(後略)」と記させて頂きまして、食物繊維につきまして お伝えさせて頂きました。さら に、食物繊維のことは、去る 9年前の11月20日(木)の「切り し大根(昨日のおかず)」のブログの中段でも記させて頂きました。しかも、アレルギーを抑える 制御性T細胞(英語: regulatory T cell, Treg、もしくは 和名で 調節性T細胞とも われます)を増やす食べ物が、昆布 こんぶ とされています。なお、去る 9年前の11月4日(火)の「アレルギーの代替医療(食事療法)」のブログ そして 去る 7年前の1月25日(月)の「アレルギーについての考察」のブログ の冒頭に、「平成6年から平成20年 まで 、日本 アレルギー学会員でありました(後略)」と記させて頂きました。

 そのうえ、去る 7年前の5月27日(金)の「歯科受診・続報3」のブログ の中段に、この 日本の味噌と同様に、すぐ れた発酵食品である 日本の 醤油 しょうゆ のことを記させて頂きました。そして、この 醤油  しょうゆ 多糖類は アレルギー反応に効果がある と言われていることにつきまして 述べさせて頂きました。

 また、昆布 こんぶ のことは、去る 9年前の10月24日(金)の「すこ やかに生活をして頂くために」のブログの中段に記させて頂きました。

 

 ならびに、去る 9年前の10月9日(木)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ」のブログの中段に詳細に記させて頂きましたように、ねぎにはアリシン(硫化りゅうかアリル)(英語:allicinアリシン)が含まれています。

 および、「ぶな」のことは、去る 9年前の12月26日(金)の「ぶなしめじ」のブログに記させて頂きました。

 それから、 榎茸 エノキタケ の効用とこれに含まれています 「きのこキトサン(英語:mushroom chitosan)」のことにつきましては、去る 8年前の10月15日(木)の「 仏花 ぶっか 」のブログ の中段やや下に記させて頂きました。くわうるに、この 榎茸 エノキタケ の調理をする際、 榎茸 エノキタケ の栄養素を逃さない ため に 心 ける 二つ ふたつ のポイント(英語:point)につきましては、去る 8年前の12月5日(土)の「霊峰・富士・8( さかき  と  仏花 ぶっか )」のブログ の下段に記させて頂きました。

 

 ときに、昔から言われている味噌汁のことを発展させた話につきましては、去る 8年前の4月8日(水)の「 南瓜 かぼちゃ 」のブログの中段以降に記させて頂きました。しかも、去る 8年前の7月11日(土)の「日本人の魂の食べ物」のブログ の中段やや下に、

「(前略)去る(昨年の)6月29日(月)の『 微笑 ほほえ み』のブログ の中段やや下に、『味噌汁は、日本人の たましい の食べ物ですね。』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。そのうえ、去る 8年前の8月23日(日)の「アスコルビナーゼ」のブログ の下段やや上に、味噌汁である「 御御御付 おみおつけ 」のことにつきまして、

「(前略)『御』が3つも付くのですから、誠に有り難い食べ物ですね。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 3月4日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・257(柚子ゆず湯)」のブログの中段やや上に、

「(前略)昨日も この家政婦によりますと、薄味の料理を作ると 檀那から 『病人食だ。こんなの 食えるか!』と言われるとのことでした。それで、その家政婦によりますと、檀那は 濃い味付けを好むとのことでした。そこで、『作ってやるか!』と思うとのことでした。なお、食塩(塩分)制限食は これくらいの味付けであることを伝えました。ついながら、食塩(塩分)制限食の場合は 素材の美味おいしさを 味わうのですねと話しました。(後略)」と記させて頂きました。今回も この家政婦によりますと、檀那には 濃い味付けの味噌汁を作っている とのことでありました。それで、自分の分は 薄めて飲むのか きましたら、量を少なくしているとのことでありました。確かに 水で薄めただけでは まずくて、ダシを入れなければなりませんからね。そこで、最初から 当家では その家政婦の好みで作ってもらって いいからと伝えています。それで、毎回 お昼のときに この家政婦に飲んでもらっています。


 

国産の ねぎ

 

 

国産の なめこ

 

 

国産の 榎茸 エノキタケ

 

 

味噌汁(伝えてないのに、家政婦が 作る味噌汁の量を減らしてしまいました)


 

 

 ところで、去る 7年前の9月26日(月)の「母親の入院・続報3(資源回収)」ブログの上段やや下などに、

「(前略)去る 一昨年 おととし の9月23日(金)の『資源回収・続報16(母親の血圧)』のブログの中段に、『家族の洗濯物のことも致しました。』と記させて頂きました。 ちな みに、毎日 洗濯致しております。なお、昨日は、母親の洗濯物も致しました。(後略)」と記させて頂きました。毎日 家族の洗濯物を洗濯して しています。

 

 また、前述の 去る 7年前の9月23日(金)の「資源回収・続報16(母親の血圧)」のブログなどに記させて頂きましたように、平日 毎日のごみの回収(可燃物資源、不燃物資源、可燃物ごみ そして 不燃物ごみなど)がありますので、これらに対応しなければなりません。ちな みに、去る 7年前の3月2日(水)の「焼き・資源の回収」のブログの上段に、

「(前略)資源を出して それらの資源を回収してくれることが成立する、この ちょっとしたことが 喜びにつながっています。幸福とは 幸せを感じるその人の気持ち次第であるのである ということが、この資源の回収から 今さらながら 思われます。(後略)」と記させて頂きました。


 ならびに、お風呂、トイレ そして 部屋などの掃除、庭の植物への水 き や 外壁塗装など 自宅の維持管理のことがあります。

 

 さて、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、誠に有り難いことに、 一人 ひとり で  二人 ふたり の親をみることは たいへん とのことでありました。しかも、これからも 長丁場ながちょうばだから とのことでしたが、去る 5年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。ちな みに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、両親と ともに 頂いている気持ちでおります。なお、 勿論 もちろん 、毎日のように 御仏壇に おそなえを致して お線香を あげております。ついながら、父親も 母親も、神様であります。したがいまして、両親をおもうことは、神様をおもうことであると思われます。

 ならびに、去る 昨年の9月22日(木)の「菜食のおかず・172(大和芋やまとイモ)・洗濯物」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 一昨々年さきおととしの2月24日(日)の『母親の一周忌いっしゅうき挨拶あいさつ』のブログ そして 去る 一昨年おととしの2月27日(木)の『母親の三回忌さんかいき挨拶あいさつ』のブログの上段に、

『(前略)【今日は、何が食べたい?】、【少し暖かくなったね。】と、誠に有り難いことに、毎日 会話しました。(後略)』と 記させて頂きました。なお、僧侶をまねいて 供養することも 必要であるか と存じますが、人に両親の話をすることが 供養であるとされています。さらに、おそなえをすることも 大事ですが、一番 大切な供養は、日々 両親に 上記のように、『少し暖かくなったね。』と話しけることであると思われます。(後略)」と 記させて頂きました。

 および、去る 3月5日(日)の「父親の 一周忌いっしゅうきでの 挨拶あいさつ」のブログ去る 昨年の7月11日(月)の「父親の 初盆はつぼん新盆にいぼん)での 挨拶あいさつ」のブログ そして 去る 昨年の3月20日(日)の「父親の告別式[家族葬かぞくそう]での 挨拶あいさつ」のブログのそれぞれ上段に、

「(前略)当方から『よかったね。御飯 食べられて。』 そして 父親から『美味おいしかった。』が 毎朝の言葉のり取りでした。

 母親との言葉のり取りは、『暖かくなったね。今日は、何が食べたい?』などでありました。すなわち、 去る 一昨々年さきおととしの2月27日(木)の『母親の三回忌さんかいき挨拶あいさつ』のブログの上段に記させて頂きましたように、毎日 会話しました。

(中略)

 なお、『よかったね。御飯 食べられて。』は、日々 食べることが出来ることに 感謝の気持ちをささげた言葉であります。(後略)」と 記させて頂きました。

 また、去る7月15日(土)の「菜食のおかず・479(ピーマン と 茄子なす)枝豆・花火」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 昨年の8月14日(日)の『菜食のおかず・133(ピーマン と 茄子なす)枝豆・花火』のブログの中段やや上に、

『(前略)昨日 すなわち 8月13日(土)の【菜食のおかず・132(味噌汁)・花火】のブログの中段やや上に、

【(前略)去る8月7日(日)の〖菜食のおかず・126(味噌汁)・花火〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)昨日 すなわち 8月6日(土)の〔菜食のおかず・125(買い物)・花火〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)去る7月31日(日)の〘菜食のおかず・119(味噌汁)・花火〙のブログの中段やや上に、

〘(前略)本日 すなわち 日曜日の午後7時45分から 5分間だけ 某・遊園地で 花火が上がりました。それで、当家の屋上から見ました。 ちなみに、両親が生きていたら 見せたかったです。なお、このブログに 記載しましたら、あの世で 見てくれるでしょうか。(後略)〙と記させて頂きました。ついながら、家政婦さんに見せましたら、以前は 30分間だったとのことでした。すなわち、現在では 5分間に短縮されたのであります。(後略)〕と記させて頂きました。本日 すなわち 日曜日の午後7時45分から 5分間だけ 某・遊園地で 花火が上がりました。(後略)〗と記させて頂きました。本日 すなわち 土曜日の午後7時45分からも 5分間だけ 某・遊園地で 花火が上がりました。(後略)】と記させて頂きました。本日 すなわち 日曜日の午後7時45分からも 5分間だけ 某・遊園地で 花火が上がりました。(後略)』と記させて頂きました。本日 すなわち 土曜日の午後7時45分からも 5分間だけ 某・遊園地で 花火が上がりました。(後略)」と記させて頂きました。

 しかも、去る7月16日(日)の「菜食のおかず・480(ブロッコリー・南瓜かぼちゃ)・花火」のブログの中段やや下に、

「(前略)本日 すなわち 土曜日の午後7時45分からも 5分間だけ 某・遊園地で 花火が上がりました。 ちなみに、昨年に比べて 今年の花火は こぢんまりしています。なお、花火の開く高さが、昨年と比べて 全然 違います。すなわち、今年の花火は 低いのであります。ついながら、この話を 画像を見せて 家政婦に話しましたら、さびしいとのことでありました。そして。この家政婦によりますと、経費がかるから 縮小した とのむね でありました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 

花火

 

 

 

 そのうえ、去る 8年前の12月11日(金)の「クリスマス・イルミネーション」のブログの中段やや上に、

「(前略)約20年前 すなわち 平成7年に、母親に誘われて この最後の国営昭和記念公園に行きました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、本日は 国営昭和記念公園でも 花火大会が開催されています。 ちなみに、誠に有り難いことに、上記のように 約28年前 すなわち 平成7年(1995年)の夏に、母親に誘われて 二人 ふたり で その花火大会にいきました。そして、帰りは、西立川駅から 立川駅まで  歩いて、パレスホテル立川 一階の喫茶店に入り 休憩しました。

 さら に、去る 6年前の8月14日(月)の「さかき(両親の食事)・8」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る5月27日(土)の『トイレ介護(両親の食事)』のブログに記させて頂きました 排泄介助のかたが、誠に有り難いことに 昨日も 昼過ぎに見えました。ちなみに、この排泄介助のかたによりますと、先のことを考え いろいろ考えると 不安になる とのことでした。それで、『今を 一所懸命行うことのみで 精一杯せいいっぱいですね。』と話しましたら、今日は 今日のことしか考えない とのことでした。貧乏ひまなしだそうです。頭がわるい とのことでした。孫が 東大和市に住んでいて 夏休みが 8月25日までなので、不満に思っているそうです。それで、この前日に 西武園に 花火を見に行ったそうです。入園すると お金がかるので、園内の近くの橋の所で見た とのことでした。この橋の所で見ても 将来 お金がかることになるのでしょうか とのことでした。ならびに、昨年 娘が 浴衣を着て 隅田川の花火を見に行ったが、一杯いっぱいだった とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。 ちなみに、学部生の頃 すなわち 約37年前の昭和61年(1986年)の夏に、上記の 隅田川の花火を見に行ったことがありました。ところが、人で 一杯いっぱいであり、最寄もより駅の地下鉄浅草駅の通路も、人で渋滞でありました。すなわち、その地下鉄浅草駅から 地上に上がる階段が 一杯いっぱいなのであります。そして、ようやく 地上に出たと思いましたら、道も 人で 一杯いっぱいであり、前に進みませんでした。つまり、隅田川まで  辿たどり着かないのであります。それで、肝腎の花火は 建物に邪魔されて 見ることが出来ません。ときたま 建物と建物の狭い空間から、花火の一部を見ることが出来るのみでありました。そこで、早々に 帰ったことがありました。

 のみならず、去る 昨年の3月13日(日)の「肉親の来訪・12・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)姉の結婚前に、千葉県の鴨川や伊豆の熱川に 家族旅行した話になりました。(後略)」と記させて頂きました。 ちなみに、約52年前 すなわち 昭和46年(1971年)の夏に、上記のように 伊豆の熱川に行きました。なお、街中まちじゅうから 温泉が出ていて、夏に訪れるのは 暑過あつすぎる所であると思われました。しかも、海岸で泳げないので、海水プールに行きました。但し、当方は 小学5年生であり その海水プールは 足の届かない深さでありましたので、浮き輪を使いました。ついながら、祖母(母親の母親)、母親、叔母(三女) そして 姉が 一緒でありました。 ちなみに、当時、テレビ ドラマである 細腕繁盛記が試聴されていました。それで、母親は テレビ ドラマで見た所に 行く傾向がありますので、このときも 同様でありました。なお、二泊三日でありましたが、途中の夜に 伊東で花火大会がありました。それで、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉とともに、熱川から 電車に乗って 伊東に行きました。ついながら、この電車の中で、「私は貝になりたい」 そして 「ママは 殺されたの」という漫画を見ました。

 それから、去る7月22日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報52・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)姉によりますと、(叔母[三女]は、)一人ひとりで よく 頑張ってきたとのことでありました。それで、本当に よく 頑張ってこられたと答えました。(後略)」と記させて頂きました。 ちなみに、叔母(三女)は 上記の伊東の花火大会に行かずに、宿泊場所で 留守番をしているとのことでありました。それで、電動マッサージ機にすわっていました。なお、叔母(三女)は 未亡人になってからは 一人ひとりのことが多かったですが、元々もともと 一人ひとりほうを好む人であったのかもしれませんね。おそらく、ずっと 集団生活でありますと、疲れてしまうのでありましょうね。それで、一人ひとりで 休憩したかったのかもしれません。ついながら、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉と一緒に 伊東の花火大会に行きましたが、事故がありました。すなわち、ビルの屋上で 花火を見たのでありますが、老人が そのビルの階段から 落ちたとのことでありました。それで、搬送されていました。

 なお、この伊豆の熱川に来るときに、途中 すなわち 伊東から 私鉄の伊豆急行に乗りました。ところが、この伊豆急行の車内が 渋滞で しかも きわめて 暑いのであります。それで、隣の車両は 冷房がいていて 涼しいのであります。そこで、隣の車両に移動しましたら、あとから気が付いたのでありますが、グリーン車だったのであります。それで、車掌が来て 倍以上の料金を支払わされました。しかも、グリーン車であっても、すわれずに 立っていなければなりませんでした。ついながら、以上は、花火に関連した 話であります。

 そして、去る 4年前の3月28日(木)の「うなぎ蒲焼かばやき・282(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 一昨々年さきおととしの4月7日(木)の『大東亜戦争の真実』のブログの上段に、

『(前略)去る 昨年の4月6日(月)の【桜の花(玉川上水)】のブログ の上段に、

【(前略) 一昨日おとといは、花散らしの雨が降る前の、桜の花を見る最後の機会でした。クリーニング店に行きましたら、店員から、風(南風)が強くて、桜は散ってしまうから、と否定的なニュアンス( フランス語:nuance)(言葉などの微妙な意味合い。また、言外に表された話し手の意図のこと)の言葉がありました。そこで、このブログを御覧になられておられる 方々かたがたも充分に御承知のことであらせられることを話しました。すなわち、桜の花の生命は短くて、散り際が潔くていいのですね。その潔い 散り際が日本人の心に合うのでしょうね。日本の美、散り際の美学ですね。その最も美しいときが短期間しかなくて、いつでも見られるものではないから 稀少価値があるのですね。(後略)】と記させて頂きました。なお、【同期の桜】という歌がありますね。先日 郵便局員との話で、会話の流れから 東京に 桜の開花を告げるのが 靖国神社の桜であることを申しました。(後略)』と記させて頂きました。なお、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、桜(染井吉野ソメイヨシノ)は 散る とのことでした。しかしながら、上記のように 桜の花は、散り際が潔くていいのですね。ついながら、このことを もう一人ひとりの ヘルパー(日本語:家政婦)に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、桜の花は はかないですね。つまり、花火も、桜の花と同様に はかないから 日本人に好まれるのでありますね。

 

 ときに、ヘルパー(日本語:家政婦)にちなませて頂きます。すなわち、去る 昨年の4月1日(金)の「家政婦さんの入院」のブログに記させて頂きましたように、約4年8ヶ月 勤務してくれた 家政婦さんが入院しました。そして、誠に有り難いことに、去る 昨年の4月18日(月)に 退院しました。

 

  つぎ に、昨日、一日の食事(菜食)を 感謝の気持ちを めさせて頂いて 記させて頂きます。なお、去る 7年前の10月6日(木)の「3年目の感謝」のブログの下段などに、

「(前略)昨日も、おかずどころではありませんでした。そして、昨日も やはり 90分 睡眠でした。(後略)」と 記させて頂きました。昨日も、いつものことですが、結局 蒲団ふとんに入ることが かないませんでした。ついながら、去る 7年前の9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの下段やや上に、

「(前略)レム睡眠(英語: rapid eye movement sleep, REM sleep) と ノンレム睡眠の1周期が 約90分とされています。但し、個人差があり、この1周期が 80分の人もいれば 110分の人もいるようです。ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、自分は 60分とのことでした。ちな みに、去る12月21日(月)の『催眠に効果的な言葉』のブログ の上段に、

『(前略)一般的に、顕在意識が5%くらい また 潜在意識が95%くらいと  われますが、個人差があります。顕在意識が2~3%くらいの場合もあります。(後略)』と記させて頂きました。こちらも、同様に 個人差があります。(後略)」と 記させて頂きました。

 

 話を戻しますが、取り えず 納豆であります。 ちな みに、前述の 去る 7年前の9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの上段に、

「(前略)去る 一昨年 おととし の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ』のブログ の下段やや上に、

『(前略)医科学の大事典に、【穀物に大豆食品をとれば、蛋白質の量 及び 質ともに、完全ではないが、大きな欠陥は無いようになる。なお、植物性食品では、カルシウム(Ca)、鉄(Fe)、ビタミンB1(チアミン) 及び B2(リボフラビン)の少ないものが多く、また、ビタミンB12(シアノコバラミン)は まったく含まれていない。したがって、菜食では、いろいろ多種の食品を 摂取 ることが大切で、・・・食事の量が多くなるので、子供や老人には適当でない】とのむね が書かれてあります。(後略)』と記させて頂きました。上記のように、最低限 穀物に大豆食品と思われました。(後略)」と記させて頂きました。なお、納豆の食べ かた ですが、たれも付けずに 納豆の味を そのまま頂きます。ちな みに、去る 9年前の10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山 」のブログ そして 去る 8年前の1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログのそれぞれ上段などに、

「(前略)18年間、月二回 日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々かたがた二人ふたりに委託されて、おこなって参りました。そのボランティアで、過日 子供達と父兄を連れて、スタッフとともに、東京都八王子市にある 高尾山に登りました。(^O^)(後略)」と お伝え申し上げました。当時 そのボランティアのスタッフから 食べかたを かれましたので、上記のように 納豆を そのままあじわう と回答致しましたら 「ええ!」とのことでありました。ついながら、納豆パワーですね。

 

 ところで、去る 4年前の6月13日(木)の「うなぎ蒲焼かばやき・339(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下などに、

「(前略)一昨日おととい すなわち 6月11日(火)の『理容店 ・続報 21(カレーうどん・父親の食事)』のブログの下段に、

『(前略)去る 一昨々年さきおととしの7月17日(日)の【歯科受診・続報6(父親への贈り物)】のブログなどに、部分入れ歯をすることを勧められた と記させて頂きました。この 33ヶ月以上、この部分入れ歯を める時間の余裕もありませんでした。すると、家政婦によりますと、入れ歯が合わなくなる とのことでした。なお、父親の入れ歯は、毎日 洗われています。(後略)』と記させて頂きました。そして、一昨日おととい すなわち 6月11日(火)の『歯科受診・続報8(抜歯)』のブログの下段やや上に、

『(前略)局所麻酔で 抜歯となりました。なお、この左下大臼歯のこと、長年 本当に 御苦労様でした。ちなみに、この左下大臼歯を抜歯したために、下の画像の部分入れ歯は 使うことが出来なくなりました。ついながら、上記のように 何回も 通って この部分入れ歯が作られましたが、ほとんど使用することがかないませんでした。(後略)』と記させて頂きました。なお、この部分入れ歯は、去る 一昨々年さきおととしの7月17日(日)の『歯科受診・続報6(父親への贈り物)』のブログに記させて頂きましたように 一昨々年さきおととしの7月16日(土)に作られたものです。上記のように ほとんど使用することがかないませんでした 部分入れ歯ですが、今回の抜歯により まったく使うことが出来なくなりました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 

国産の 納豆

 

 

 

 同居していた両親は、と以前  かれましたので、お伝え申し上げましたが、両親はなんでも食べました。

 

 去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・前編」のブログ去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・中編」のブログ そして 去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ・後編」のブログ、それから、当初の 前述の 去る 9年前の10月9日(木)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ」のブログ そして 去る 7年前の1月12日(火)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ ・続報」のブログ に記させて頂きました過程があり、誠に有り難いことに、母親の理解を得て、菜食にさせて頂いております。ちなみに、去る 5年前の1月8日(月)の「うなぎ蒲焼かばやき・40(両親の食事)」のブログの下段に、

「(前略)毎年 年賀状の交換をしていて、今年 来ました 東京大学医学部卒業の 90歳近い心療内科医からの年賀状によりますと、誠に有り難いことに 『【菜食療法】が ついにモノになりましたね。たいしたことです。』とのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。なお、去る 一昨々年さきおととしの2月24日(土)の「三回忌さんかいき・前編」のブログなどに、母親の三回忌さんかいきのことを記させて頂きました。母親の この三回忌さんかいきを迎え、菜食に理解をた 母親に 感謝の気持ちをささげさせて頂きたい と思い 「笑いと菜食療法」を 製本させて頂きました。すると、誠に有り難いことに 家政婦によりますと、今は亡き母親が 喜んでいるとのことでした。そして、これが 何よりも のことでありますが、前述の 去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ・後編」のブログの下段に、

「(前略)この『菜食さいしょく療法』は、両親との合作とも 申すべき 治療法であります。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、その「笑いと菜食療法」は、両親を含めた 三人さんにんの合作 ということなのであります。ちなみに、誠に有り難いことに、父親のため に 一筆いっぴつ入れて 進呈した その「笑いと菜食療法」の成書を 父親は 肌身はだみから 離そうとしませんでした。すなわち、誠に有り難いことに、大事にしてくれました。

 

 玄米御飯で 御座 ござ います。玄米も、 庶民 しょみん 的に スーパー・マーケットで購入して来て参りましたが、最近では 通販を利用するようになりました。なお、去る 6年前の10月22日(日)の「うなぎ蒲焼かばやき・12(両親の食事)」のブログの下段に、

「(前略)昨日、この通販で 玄米が届きました。ところが、袋に穴が開いていて 米粒がばらまかれました。それで、一粒ずつ拾いました。 ちなみに、去る 一昨年おととしの11月20日(金)の『 仏花ぶっか(菊の花)』のブログ の中段に、

『(前略)昨日 すなわち 11月19日(木)の【父親の水】のブログ に、

【(前略)某・宗教では、食堂に落ちている米粒を拾う修行があるとのことです。お米は、誠に有り難いですね。(中略)昨日のブログの最後に、半角で4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。(後略)】と記させて頂きましたので、補足させて頂きます。すなわち、去る2月14日(土)の【絵本の影響】のブログ の中段やや下に、

【(前略)幼少のころ に受ける、絵本の影響は大きいと思います。たとえば、一粒のお米も拝んで食べようと思うのも絵本の影響です。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 なお、去る 8年前の11月20日(金)の「 仏花 ぶっか (菊の花)」のブログ の下段に、「古事記」と「日本書紀」を引用させて頂いて、日本人の主食である お米は 誠に有り難い という話を記させて頂きました。

 

 

おかず7・10月24日(金)

玄米御飯

 

 

 

 玄米の食べ かた につきましては、去る 9年前の11月17日(月)の「黒 胡麻 ごま 」のブログで記させて頂きました。また、玄米の かた につきましては、去る 9年前の11月26日(水)の「ふき 」のブログに記させて頂きました。なお、玄米を ため の前処理につきましては、去る 7年前の11月27日(日)の「両親の食事(玄米の前処理)」のブログの下段に記させて頂きました。ついながら、去る 4年前の6月15日(土)の「うなぎ蒲焼かばやき・340(てんぷら・カレーうどん・父親の食事)」のブログの下段に、

「(前略)家政婦に この 玄米を ため の前処理につきまして 話しましたら、知らなかった とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 

 しかも、去る 8年前の12月31日(木)の「 大晦日 おおみそか (火星か金星か)」のブログ の下段に、

「(前略) 御飯を食べましたら 当然のこと なが ら 以前から 茶碗 その他の食器を洗っております。(中略)高校生の ころ に触れた  趙州 じょうしゅう 和尚の『御飯を食べたら茶碗を洗え』の言葉を思い出しました。この『 趙州洗鉢 じょうしゅうせんぱつ 』の公案は、『 無門関 むもんかん 』(中国宋代に  無門慧開 むもんえかい によって編集された公案集)の第七則にある話です。(後略)」と記させて頂きました。なお、学部生のときに 安い学食を用いると 食器を洗うどころか 食器を下げることすらもいやとのことで、一般の食堂を利用している お坊ちゃんのような同期生がいました。このときは、当方は 自炊することもありました。それで、食器を どうしているのか と かれました。そこで、食事を しなが ら 食事中でも 片づけられる食器は 片づけなが ら 食事をしている と回答しましたら、納得してくれました。今では、食後に まと めて食器を洗っていますが、このときは 食器洗いの練習として 前述のように おこな っていました。

 そのうえ、別の同期生から この お坊ちゃんのような同期生は、放浪癖 ほうろうへき があると言われていました。おまけに、放浪癖 ほうろうへき があると言っていた この別の同期生は、自分のことを 投影(英語:project)(心理学用語)しているのだということが あと になって 分かりました。某・出版会社を退職して 入学して来ている 学士(四年生の大学を卒業していること)のかた でした。入学時に 30歳代のなか ばでした。この某・出版会社で 放浪癖 ほうろうへき があると言われていたので、同期生にも そう言ったのかもしれません。 ちな みに、この放浪癖 ほうろうへき は、去る 昨年の1月4日(火)の「男性看護師・続報42」のブログの中段やや上などに記させて頂きました A.D.H.D.(英語: attention deficit hyperactivity disorder)(ネガティブ[英語:negative]で御座 ござ いますし、お読み下さっている 方々 かたがた に影響を お与えすることの無いように、日本語で つづ ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。注意欠陥・多動性障害 のことで 御座 ござ います)と関係していたのかもしれません。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)