このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
(半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 7月22日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報52・中篇・3」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が 繋 がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)
さて、本日 すなわち 7月22日(土)の「菜食のおかず・486(味噌汁)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る 5年前の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 昨年の3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。因みに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、両親と 共に 頂いている気持ちでおります。なお、 勿論、毎日のように 御仏壇に お供えを致して お線香を あげております。序で乍ら、父親も 母親も、神様であります。従いまして、両親を想うことは、神様を想うことであると思われます。
ならびに、去る 昨年の9月22日(木)の『菜食のおかず・172(大和芋)・洗濯物』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 一昨々年の2月24日(日)の【母親の一周忌の挨拶】のブログ そして 去る 一昨年の2月27日(木)の【母親の三回忌の挨拶】のブログの上段に、
【(前略)〖今日は、何が食べたい?〗、〖少し暖かくなったね。〗と、誠に有り難いことに、毎日 会話しました。(後略)】と 記させて頂きました。なお、僧侶を招いて 供養することも 必要であるか と存じますが、人に両親の話をすることが 供養であるとされています。更に、お供えをすることも 大事ですが、一番 大切な供養は、日々 両親に 上記のように、【少し暖かくなったね。】と話し掛けることであると思われます。(後略)』と 記させて頂きました。
および、去る 3月5日(日)の『父親の 一周忌での 挨拶』のブログ、去る 昨年の7月11日(月)の『父親の 初盆(新盆)での 挨拶』のブログ そして 去る 昨年の3月20日(日)の『父親の告別式[家族葬]での 挨拶』のブログのそれぞれ上段に、
『(前略)当方から【よかったね。御飯 食べられて。】 そして 父親から【美味しかった。】が 毎朝の言葉の遣り取りでした。
母親との言葉の遣り取りは、【暖かくなったね。今日は、何が食べたい?】などでありました。すなわち、 去る 一昨々年の2月27日(木)の【母親の三回忌の挨拶】のブログの上段に記させて頂きましたように、毎日 会話しました。
(中略)
なお、【よかったね。御飯 食べられて。】は、日々 食べることが出来ることに 感謝の気持ちを捧げた言葉であります。(後略)』と 記させて頂きました。(後略)」と 記させて頂きました。
しかも、去る 7年前の9月18日(日)の「北海道旅行・6( 層雲峡)」のブログの上段に、
「(前略)去る1月5日(火)の『母親の新年会』のブログ の上段に、
『(前略)去る11月5日(木)の【法人マイ・ナンバー】のブログ の上段に、両親は約8年前に商売を廃業したと記させて頂きました。この商売をしていたときの 住み込みの従業員(後略)』と記させて頂きました。この親戚の長男が、上記のような住み込みの従業員として 来てくれていました。(後略)」と記させて頂きました。姉によりますと、この親戚の長男が住んでいる 北海道に行くといいとのことでありました。そして、姉によりますと、上記のように 昨年 旭川に行って いいとのことでありました。それから、姉によりますと、今は ラベンダーが綺麗とのことでありました。 因みに、以前 姪を含めた 姉家族は、ラベンダーで有名な 北海道富良野に スキーに行っています。なお、姉によりますと、去年 旭川から 電車に乗って 富良野に行ったけど、凄い いい所だったとのことでありました。序で乍ら、姉によりますと、その親戚の長男のところに行かせてもらったらとのことでありました。しかも、気を遣わなくていいから との旨でありましたが、そういう訳には 参りませんよね。
そのうえ、姉によりますと、来週から 猛暑になるとのことでありました。それで、梅雨明けすると思うと伝えました。 因みに、姉によりますと、北海道とか 涼しい所に行って ゆっくりしてきたら とのことでありました。なお、飛行機に乗って(「飛行機に乗る為に」であると思われます)、羽田迄 行かなければならないのが たいへんとのことでありました。それで、上記のように、両親の供養があることを伝えました。しかも、日々 行なっている 当家の庭の植物への水 撒きのこともあります。そこで、今は亡き 父親と同様に、冷房の中で 暑さを凌ぐ と伝えました。
それから、去る6月14日(水)の「自分の身体」のブログのことを伝えました。また、その親戚の長男は 風俗の話になって、話題に ついていけないからと伝えました。そして、姉によりますと、10年前 その親戚の長男を 丸の内に連れて行ってあげた とのことでありました。すなわち、兜町や東京タワーに行っているのであります。そうして、姉によりますと、その親戚の長男も、心臓の調子が悪いと言っていた とのことでありました。序で乍ら、その約10年前 その親戚の長男は 宿泊所に風俗の女性を呼んでいたので、大丈夫なのだろうかとの話になりました。すなわち、心臓だと 腹上死にならなくて よかったとの話になりました。 因みに、姉によりますと、元気、それ位 楽しんでいるんだから とのことでありました。なお、海外旅行も 行っているようとのことでありました。序で乍ら、姉によりますと、独身で話が合うとのことでありました。
しかして、去る7月6日(木)の「夢について・続報76・シンクロニシティ・後編」のブログの下段に、
「(前略)前述の 去る 8年前の8月8日(土)の『ボランティア・地域医療・その4』のブログの上段に、
『(前略)去る11月17日(月)の【黒胡麻】のブログ の中段に、
【(前略)去る10月7日(火)の〖ボランティア・地域医療〗のブログ で記させて頂きました地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っておりました。夏の健康診断は3日間ありますので、4泊5日になることがあり、その間の食事となる玄米を酢でしめて持って行きます。夏でありますが、冷蔵庫に入れられませんので、あと梅干しで補います。古来、中国では、梅は薬用として用いられ、三毒(食物の毒、身体の毒、そして、水の毒)を消すとされています。因みに、大乗仏典・維摩経によりますと、三毒とは貪・瞋・癡とされています。
この無医村のフィールド(英語:field)へは、ディーゼル・エンジン(英語:diesel engine)であるJ.R.八高線、バス、そして、村営バスを乗り継いで行くのですが、村営バスの運行が 一日 2本であり、バスから村営バスに乗り換えるときに、約1時間40分の待ち時間がありました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、一日 2本である 村営バスの運行が、化学反応に喩えると 律速段階であると 学生たちには説明しました。(後略)』と記させて頂きました。つまり、上記の埼玉県神泉村(当時・無医村)のフィールドで、診療を行なっていました。(後略)」と記させて頂きました。
なお、姉によりますと、海外旅行に 行ったら とのことでありました。それで、上記のように 宿泊分の玄米を持って行かなければならないと伝えました。そして、去る 一昨々年の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編」のブログの上段に、原則として 外食しません。すると、姉によりますと、海外には vegan(英語)レストランがあるとのことでありました。それで、上記のように まず 外食をしないことと、まだまだ veganレストランは少なく、しかも、一人で レストランに入ることになると話しました。すると、姉によりますと、その親戚の長男のところは お米を作っているから 玄米を食べさせてもらえるとのことでありました。但し、学部生のときに 行ったときに、電車で 18時間以上も 掛かっているのであります。そして、行くのであれば、生命懸けで行かなければならないと話しました。すると、姉によりますと、松尾芭蕉のように 生命懸けで行ってみたら とのことでありました。それで、愛国の為に 生命懸けならば いいですが と伝えました。しかも、松尾芭蕉には、旅をする 動機があった訳であります。ところが、姉に勧められているのみでありまして、動機がないのであります。すなわち、単に 姉が 旅行を勧めるのは 上記のように 自分が 小淵沢の方に 1ヶ月位行くからであり、共犯者にしたいのでありますね。そこで、愛国の為に死ぬのであればいいがと話しました。すると、誠に有り難いことに、漸く 諦めてくれたようでありました。そして、「あなたのいい様に」とのことでありました。暑くなるから 涼しいところにと思ったとのことでありました。それで、父親と同様に エアコンの中で 凌ぐと伝えました。姉によりますと、これから 暑くなるとのことでありました。それで、「お身體 お大事にして下さい。」と伝えました。すると、姉によりますと、暑いところを逃れて、小淵沢の白州という サントリー工場がある 近くに泊ることになっているとのことでありました。それで、自家用車で行くので、足を延ばせば ビーナス ラインもあると伝えました。すると、姉によりますと、「そうそう」とのことでありました。涼しいところに行くとのことでありました。 因みに、学部生の頃 倶楽部で 先輩と 夜行の普通列車で 小淵沢の馬場に行かされたことがあります。
ならびに、「涼しい」に因ませて頂きますと、去る 5年前の8月3日(金)の「父親の食事、洗濯 そして 入浴・71」のブログの中段に、
「(前略)51年前の8月初旬 つまり 今頃の季節に、上記のように 東京都新宿区から 東京都下に 引っ越しました。このとき、朝 起きて 母親 と 姉と話したことですが、東京都新宿区に比べて 涼しかったです。それで、この話を 上記の介護福祉士の方に話しましたら、東京でも 三鷹を超えて 西側に来ますと、都心に比べて 涼しいと感じられるのだそうです。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、この話をしました。
および、姉によりますと、私自身も いいときに生まれたなと思うとのことでありました。それで、例年でありましたら、梅雨明けしている頃と話しました。
また、去る 昨年の8月20日(土)の「赤とんぼ」のブログの上段に、
「(前略)53年前 すなわち 昭和44年の今頃、家族 三人 つまり 母親、姉 そして 当方で 蓼科・霧ヶ峰に行きました。因みに、中央本線で 長野県 茅野の駅で降りましたら、霧の中でした。そして、バスで 宿泊先の旅館のようなホテルに向かいました。それから、バス停で降りると、美智子皇太子妃(当時)が 車で通るというので 皆が待っていました。それで、当方たちも 約40分待って 美智子皇太子妃(当時)を見送りました。そうして、そのホテル迄 数分以上 歩きました。なお、その途中に 楽焼が行なわれていましたので、三人で 行いました。序で乍ら、赤の染料を使うと 別料金が掛かるというので、母親と当方は使いませんでした。ところが、姉は、赤の染料を使いました。因みに、最近 姉に これらの旅行の思い出を伝えても、覚えていませんでした。
なお、去る 7年前の11月5日(木)の『法人マイ・ナンバー』のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、15年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。ところが、当時 当家は 金物業をしていて、毎月 8月20日頃に 請求書の発送がありました。その為に、8月下旬にならないと、母親は 時間が取れませんでした。序で乍ら、父親は 数年間 続いた 8月下旬の 家族旅行には行きませんでした。すなわち、父親は、自宅で 祖母と待っていました。
ところで、上記の赤とんぼが、沢山 飛んでいました。それで、子供ですから 珍しくて 持ってきた虫取り容器に 採取した 赤とんぼを入れました。因みに、クルクルと 赤とんぼの目を回しても、簡単に取ることが出来ました。なお、虫取り容器が一杯になりました。母親は 何も言いませんでしたので、それを そのまま 自宅に持ち帰りました。すると、皆 死んでしまいました。可哀想なことをしたと思われました。因みに、現地で 逃がしてやればよかったと思われました。そこで、赤とんぼのお墓を作りました。序で乍ら、去る 4年前の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。生前の母親に このことを伝えましたら、逃がしてやるように言えばよかったとのことでした。しかし乍ら、後の祭でした。なお、自宅の前で 赤とんぼが 交尾をしていました。因みに、沢山 孵化してもらうように 心より祈りました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記のように、昭和44年の8月下旬に 二泊三日で、母親 と 姉と 三人で 蓼科・霧ヶ峰に行きました。 因みに、今回も 姉に 上記の 楽焼のことを話しましたが、覚えていませんでした。また、姉によりますと、母親は 美智子皇太子妃(当時)のことが好きだったので、感激して 喜んだでしょうとのことでありました。ファンだからとのことでありました。誠に有り難いことに、姉によりますと、品があったでしょうねとのことでありました。しかも、姉によりますと、霧ヶ峰は夕焼けが綺麗だったとのことでありました。そのうえ、グライダーが飛んでいたと話しましたら、誠に有り難いことに 覚えてくれていました。おまけに、霧ヶ峰は 馬の糞が 道に 一杯 ありました。思い出が共有出来て 誠に有り難いと伝えました。そして、当方は、あの思い出で 生きていくから と話しました。なお、生前の母親にも、二人で 一緒に お経を唱えた後 仏壇の前で、母親との思い出で 生きていくから と伝えたことがありました。
それから、去る 6月29日(木)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報28・前編」のブログ そして 去る 6月29日(木)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報28・後編」のブログなどを記させて頂きました。
そして、姉によりますと、これからでも 伊に行きたいとのことでありました。因みに、伊は 女性に人気がありますね。すると、姉によりますと、早く コロナがすっかりという訳には いかないでしょうけど とのことでありました。それで、世界的には 武漢ウイルスは 終わっていると答えました。日本だけ と伝えました。すなわち、マスコミが 煽り立てているからと回答しました。つまり、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)が、マスコミを支配しているのであります。
すると、姉によりますと、誠に有り難いことに マスクをする必要がないのかしら とのことでありました。因みに、去る 昨年の5月25日(水)の「菜食のおかず・61(ひじきの煮物)」のブログの上段に、
「(前略)マスクを していると、鼻水を処理しなくて そのまま 出していればいいと言う人が居ました。但し、不衛生ですね。(後略)」と記させて頂きました。
それで、厚労省が 漸く 「令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本」としました。それで、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)の中には マスクをすることを求める 施設も ありますが、マスクは、全く 必要ないと されています。しかも、マスクをすると 酸素の取り込みに 支障をきたすことがあると伝えました。すなわち、酸素を取り込みにくくなるということでありますね。つまり、低酸素になる怖れがあるということでありますね。そのうえ、マスクを 頻繁に交換していても 口の周りとか 不衛生になることがあると話しました。すると、誠に有り難いことに、姉によりますと、マスクを止めるとのことでありました。それで、「お身體 お大事にして下さい。」と伝えました。なお、上記のように 武漢ウイルスのワクチンのことも これ迄 再三 伝えてきましたが、漸く マスクのことは 分かってくれました。
更に、姉によりますと、上記の叔母(三女)のことは 今のところは ちょっと 連絡待ちとのことでありました。そして、叔母(四女)が ひょっとしたらと言っていたから とのことでありました。それで、季節の変わり目は 気を付けないとねと答えました。すると、姉によりますと、ope.(手術のことです)した後に 上記のように やっぱり体力が落ちちゃうから、食欲が もう あまりないみたいで、心臓のこともあるし とのことでありました。因みに、そもそも 年齢的に高齢であります。なお、姉によりますと、一人で よく 頑張ってきたとのことでありました。それで、本当に よく 頑張ってこられたと答えました。そこで、姉によりますと、上記のように お見舞いに行きたいと思ったのだけれど そんなんで とのことでありました。そして、ちょっと まあ 行かれないからとのことでありました。
それから、姉の誕生日である 今頃は、幼少の頃は 夏休みで いい思い出があります。序で乍ら、誠に有り難いことに、姉によりましても、いい時期に生まれた とのことでありました。因みに、このことは、誠に有り難いことに、両親に関係することであり、あの世の両親に報告しました。
なお、誠に有り難いことに 身體 気を付けてとのことでありましたので、「お身體 お大事にして下さい。」と伝えました。序で乍ら、約22分もの通話時間でありました。因みに、この電話に対応する為に、食料品の買い物に行く時間が 大幅に 遅れてしまいました。
次に、叔母(三女)の お見舞いのことで、叔母(四女)に 丁重に手紙を添えて 速達の現金書留で お見舞い金を送りました。
お見舞い
しかも、上記のように 姉から聞かされたので、北海道の親戚の長男を含めて 更に 2名の親戚に 速達の手紙を書かなければならなくなりました。それで、合計で 3名の親戚に、速達の現金書留、速達の特定記録郵便 もしくは レターパック(速達扱いです)の 便りを発送致しました。因みに、兄弟姉妹の対応は 修行であります。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)