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さて、去る7月9日(土)の「ボランティア・地域医療・その8(令和4年)赤とんぼ」のブログの下段に、
「(前略)今年も、8月の第2週になりました。 因みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。(後略)』と記させて頂きました。今年も、7月の第2週が終わろうとしています。 因みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記の 8月の第2週のことを思い出します。なお、その埼玉県神泉村(神川町と合併し 新しい神川町の一部となった為に 現在では 消滅しました。 因みに、埼玉県唯一の無医村でありました)では 標高が高いので、今頃の季節になると 秋を思わせる 赤とんぼが飛んでいました。なお、当市域の最高地点の標高は 九八・二メートルでありますが、誠に有り難いことに、本日 当家の庭に 赤とんぼが来ました。序で乍ら、 『ちいさい秋みつけた』という 日本の童謡がありますが、その歌詞を思い出しました。すなわち、その赤とんぼも 『ちいさい秋みつけた』ですね。
誠に有り難いことに、当家の庭に 来た 赤とんぼ
(後略)」と記させて頂きました。
ときに、53年前 すなわち 昭和44年の今頃、家族 三人 つまり 母親、姉 そして 当方で 蓼科・霧ヶ峰に行きました。因 みに、中央本線で 長野県 茅野の駅で降りましたら、霧の中でした。そして、バスで 宿泊先の旅館のようなホテルに向かいました。それから、バス停で降りると、美智子皇太子妃(当時)が 車で通るというので 皆が待っていました。それで、当方たちも 約40分待って 美智子皇太子妃(当時)を見送りました。そうして、そのホテル迄 数分以上 歩きました。なお、その途中に 楽焼が行なわれていましたので、三人で 行いました。序で乍ら、赤の染料を使うと 別料金が掛かるというので、母親と当方は使いませんでした。ところが、姉は、赤の染料を使いました。因 みに、最近 姉に これらの旅行の思い出を伝えても、覚えていませんでした。
なお、去る 7年前の11月5日(木)の「法人マイ・ナンバー」のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、15年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。ところが、当時 当家は 金物業をしていて、毎月 8月20日頃に 請求書の発送がありました。その為に、8月下旬にならないと、母親は 時間が取れませんでした。序で乍ら、父親は 数年間 続いた 8月下旬の 家族旅行には行きませんでした。すなわち、父親は、自宅で 祖母と待っていました。
ところで、上記の赤とんぼが、沢山 飛んでいました。それで、子供ですから 珍しくて 持ってきた虫取り容器に 採取した 赤とんぼを入れました。因 みに、クルクルと 赤とんぼの目を回しても、簡単に取ることが出来ました。なお、虫取り容器が一杯になりました。母親は 何も言いませんでしたので、それを そのまま 自宅に持ち帰りました。すると、皆 死んでしまいました。可哀想なことをしたと思われました。因 みに、現地で 逃がしてやればよかったと思われました。そこで、赤とんぼのお墓を作りました。序で乍ら、去る 4年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。生前の母親に このことを伝えましたら、逃がしてやるように言えばよかったとのことでした。しかし乍ら、後の祭でした。なお、自宅の前で 赤とんぼが 交尾をしていました。因 みに、沢山 孵化してもらうように 心より祈りました。
虫取り容器を持っています
誠に有り難いことに、蓼科湖の前で 母親と共に
虫取り容器を持っています
虫取り容器を持っています
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)