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さて、去る 5年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。
ときに、一昨年 すなわち 4月2日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・208」のブログの中段やや上に、
「(前略)両親には 毎日のように、生きていてくれて とても 有り難くて 嬉しいとのことを伝えて参りました。すると、誠に有り難いことに 両親も喜んでくれましたが、今では 父親のみになりました。そして、このことを伝え続けますと、誠に有り難いことに 父親も 喜んでくれます。
ならびに、父親によりますと 前日 姉に電話したが、『恐ろしい。あいつは 鬼だ!』とのことでした。そして、父親の本意では ありませんが、デイ・サービスに行くように言われたとのことでした。因みに、去る 昨年の4月8日(水)の『鰻の蒲焼・593(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る 昨年の7月2日(火)の【榊(カレーうどん・父親の食事)・15】のブログの下段にやや上に、
【(前略)父親によりますと、姉に譲渡した土地を 売らなければよかった とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。そして、昨日も、父親によりますと、姉に 土地を譲渡しなければよかったとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。昨日も、父親によりますと、姉に 土地を譲渡しなければよかったとのことでした。それで、父親によりますと、姉のことで 『死にたい!生きていたくない!』とのことでした。但し、人は この世の修行が終わらなければ、あの世に移行することは 適わないとされています。なお、今迄 父親は、姉に電話をする度に もう懲りたと話していました。それでも、繰り返し 姉に電話をしました。因みに、去る 6年前の5月23日(土)の『親の言葉』のブログの上段に、
『(前略)去る5月18日(月)の【一大事とは】のブログに記させて頂きました吉田松陰によりますと、江戸在獄中の、安政6年10月20日(旧暦)付(刑死の約1週間前)、父、叔父、そして、兄等に宛てた書状の中で、【親思う心に勝る親心 けふの訪れ何と聞くらむ】という句が詠まれています。子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうが遥かに深いということを伝えています。この吉田松陰の言葉も有名なので、以前、父親から、よく聞かされました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、父親は、姉のことを思っているのであります。そして、父親によりますと、本当に 懲りたとのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、当方が 毎日 父親の枕元に行くと、生前 父親は、しばしば 「私が死んだら、どうする。」と話してくれました。 因 みに、この言葉は 正しく、上記の「親思う心に勝る親心 けふの訪れ何と聞くらむ」の如くであると思われました。
次 に、吉田松陰の残した 「留魂録」の中に、「四時ノ順環」(人生にも 四季があります)が書かれています。 因 みに、「私は 三十歳、四季は 既に備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが 単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは 私の知るところではない。」とのことであります。
また、「死んだ後の業苦を思いわずらうな。」とのことであります。
しかも、「余 寧ろ 人を信ずるに失するとも、誓つて 人を疑ふに 失することなからんことを欲す。」とのことであり、これは、吉田松陰が「講孟箚記」の中で残した言葉であります。すなわち、現代語に訳すと、「私は、人を信じて 失敗するとしても、人を疑って 失敗することがないようにしたい。」というような内容です。
親父さん そして おふくろさん、お二人の御冥福を 心より お祈り申し上げます。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)