国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

各地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物の一覧です。実際に訪問したものからコツコツと上げています。
国宝・重文指定の建造物は全国に5,612棟ありますが、ここで紹介しているのは現時点で1,445棟、カバー率は25.7%です。まだまだ先が長いです。

国宝・重文建造物の特別公開情報はこちら
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更新履歴
2026/9/5重要文化財新指定に伴い、岡山県(1)岡山・備前編、長野県(2)上田・佐久編、石川県(2)能登編、埼玉県(2)川越・比企編を更新
2026/9/1愛媛県(3)南予編を追加
2026/8/13岡山県(1)岡山・備前編に餘慶寺を追加
2026/7/18長野県(1)長野・北信・東信編に、真田信之霊屋、真田信重霊屋、旧横田家住宅を追加し(1)長野・北信編と(2)上田・佐久編に再編
2026/7/12滋賀県(6)湖北・湖西編を追加
2026/7/4福井県編に、明通寺、神宮寺、荻野家住宅、木下家住宅を追加し、嶺北編と嶺南・若狭編に再編
2026/6/23和歌山県(1)和歌山・海南編に和歌山城、阿弥陀寺、琴ノ浦温山荘を追加し、和歌山市編と海南・紀美野編に再編
2026/6/19広島県(2)三原・尾道・福山編に常称寺、吉備津神社を追加
2026/6/15茨城県(1)水戸・県北・鹿行編に佛性寺、薬王院、八幡宮を追加
2026/6/11奈良県(2)高田・橿原編を追加
2026/5/26福島県(2)会津編に天鏡閣、旧高松宮翁島別邸、旧馬場家住宅を追加
2026/5/18香川県(1)高松・東讃・小豆編に男木島灯台を追加
2026/4/10石川県(2)能登編を追加
2026/4/5佐賀県編に旧高取家住宅を追加

宮城県
全域
瑞巌寺、鹽竈神社、円通院、石井閘門、旧大沼家住宅
2025/9/15更新

秋田県
全域
藤倉水源地水道施設、嵯峨家住宅、旧秋田銀行本店本館、旧奈良家住宅、赤神神社、神明社観音堂、旧小坂鉱山事務所、康楽館ほか
2026/2/10更新

福島県
(1)中通り・浜通り
旧広瀬座、旧福島県尋常中学校、旧亀岡家住宅、白水阿弥陀堂、飯野八幡宮、専称寺、旧武山家住宅ほか
2023/4/30更新
(2)会津
八葉寺、延命寺、勝福寺、熊野神社、恵隆寺観音堂、旧五十嵐家住宅、奥之院弁天堂、弘安寺旧観音堂厨子ほか
2026/5/26更新

茨城県
(1)水戸・県北・鹿行
旧弘道館、塙家住宅、鹿島神宮、山本家住宅、西蓮寺、佛性寺、薬王院、八幡宮
2026/6/15更新
(2)土浦・つくば・県南
旧茨城県立土浦中学校本館、旧飛田家住宅、善光寺楼門、来迎院多宝塔、竜禅寺三仏堂、横利根閘門ほか
2025/5/18更新

栃木県
(1)県央・足利・那須
鑁阿寺、旧下野煉化製造会社煉瓦窯、旧青木家那須別邸、那須疏水旧取水施設
2025/12/16更新
(2)真岡・益子
専修寺、西明寺、綱神社、地蔵院、羽石家住宅、入野家住宅、円通寺
2025/12/16更新

群馬県
(1)前橋・桐生・東毛
臨江閣、阿久沢家住宅、塩原家住宅、彦部家住宅、天満宮、長楽寺宝塔ほか
2025/12/21更新
(3)富岡・西毛
貫前神社、旧茂木家住宅、妙義神社、旧碓氷峠鉄道施設、旧黒澤家住宅
2025/8/24更新

埼玉県
(2)川越・比企
喜多院、東照宮、日枝神社、旧山崎家別邸、大沢家住宅、光福寺、広徳寺、箭弓稲荷神社
2026/9/5更新
(3)西部・所沢・秩父
旧台徳院霊廟、黄林閣、小野家住宅、福徳寺阿弥陀堂、高倉寺観音堂、出雲伊波比神社
2022/2/22更新

東京都
(3)副都心四区
早稲田大学大隈記念講堂、旧磯野家住宅、旧東京医学校本館、旧加賀屋敷御守殿門、明治神宮
2025/9/6更新
(4)23区西部・南部
旧前田家本邸、本門寺、大場家住宅、旧渋沢家飛鳥山邸、旧醸造試験所第一工場ほか
2024/6/16更新
(5)多摩
正福寺、金剛寺、観音寺、旧宮崎家住宅、旧永井家住宅、小林家住宅
2024/6/16更新

神奈川県
(1)鎌倉・県央・箱根
建長寺、円覚寺舎利殿、旧一条恵観山荘、旧石井家住宅、浄光明寺五輪塔、宝城坊ほか
2026/1/19更新

富山県
(1)富山・新川・砺波
富岩運河水閘施設(中島閘門)、白山宮本殿、村上家住宅、羽馬家住宅、岩瀬家住宅
2023/10/16更新
(2)高岡
瑞龍寺、気多神社本殿、勝興寺、菅野家住宅
2024/9/29更新

石川県
(2)能登
気多神社、妙成寺
2026/09/04更新

福井県
(1)嶺北
大滝神社、旧谷口家住宅、大塩八幡宮、旧木下家住宅、大谷寺九重塔、春日神社
2026/7/4更新
(2)嶺南・若狭
気比神宮大鳥居、羽賀寺、飯盛寺、妙楽寺、明通寺、神宮寺、荻野家住宅
2026/7/4更新

山梨県
(1)甲府・中北・峡南
善光寺、旧睦沢学校、武田八幡神社、長谷寺、安藤家住宅、八代家住宅、本遠寺、最恩寺ほか
2023/9/6更新
(2)山梨・石和
清白寺、天神社、窪八幡神社、中牧神社、山梨岡神社
2025/5/27更新
(3)塩山・勝沼
大善寺、雲峰寺、恵林寺、熊野神社、向岳寺、旧高野家住宅
2022/2/6更新
(4)東部・富士五湖
北口本宮富士浅間神社、旧外川家住宅、富士御室浅間神社、観音堂ほか
2024/3/10更新

長野県
(1)長野・北信
真田信之霊屋、真田信重霊屋、旧横田家住宅、水上布奈山神社、智識寺大御堂、浄光寺薬師堂ほか
2026/7/18更新
(2)上田・佐久
国分寺、前山寺、中禅寺、安楽寺、常楽寺、法住寺、六地蔵幢、春原家住宅、旧中込学校校舎
2026/09/04更新
(3)松本・安曇野・大町
松本城、旧松本高等学校、旧松本区裁判所庁舎、馬場家住宅、筑摩神社、若一王子神社ほか
2025/2/9更新
(4)塩尻・木曽・伊那
光前寺、旧竹村家住宅、小野家住宅、堀内家住宅、小松家住宅、嶋﨑家住宅、読書発電所
2025/3/19更新

愛知県
(2)犬山・尾張北部
旧正伝院書院、如庵、旧伊勢郵便局舎、旧三重県庁舎、旧西郷従道住宅、旧品川燈台、高田寺ほか
2025/1/22更新

三重県
(1)中勢・伊勢志摩
専修寺、金剛證寺本堂、旧松坂御城番長屋、来迎寺本堂、庫蔵寺、菅島灯台
2024/8/4更新
(2)北勢・伊賀
末広橋梁、諸戸家住宅、旧諸戸家住宅、地蔵院、大村神社宝殿、町井家住宅、観菩提寺
2024/1/28更新

滋賀県
(1)草津・栗東
観音寺、老杉神社、志那神社、石津寺、小槻大社、大野神社楼門、宇和宮神社、大角家住宅ほか
2023/6/11更新
(2)守山・野洲
懸所宝塔、勝部神社、小津神社、圓光寺、春日神社神門、御上神社、大笹原神社、生和神社ほか
2024/12/27更新
(3)甲賀・湖南
油日神社、新宮神社表門、善水寺本堂、常楽寺、吉御子神社本殿、長寿寺、多宝塔
2024/12/14更新
(4)近江八幡・竜王
長命寺、捴見寺、桑実寺、浄厳院、奥石神社、小田神社、苗村神社、勝手神社、鏡神社ほか
2024/11/17更新
(5)彦根・湖東
彦根城、千代神社、有川家住宅、金剛輪寺、大行社、豊満神社四脚門、西明寺
2023/8/18更新
(6)湖北・湖西
田中家住宅、辻家住宅、五村別院、観音寺、若宮神社、白鬚神社、思子淵神社
2026/7/12更新

京都府
(1)右京・西京
福王子神社、神護寺、高山寺、松尾大社、大覚寺、覚勝院、為因寺
2026/3/6更新
(2)南区
教王護国寺
2025/1/26更新
(3)伏見・山科
醍醐寺、安楽寿院、与杼神社、勧修寺、本圀寺
2023/8/6更新
(4)宇治
宇治上神社、宇治神社、平等院、浮島十三重塔、十八神社本殿、萬福寺
2022/8/29更新
(5)田辺・八幡・西山城
久世神社、水度神社、荒見神社、伊佐家住宅、佐牙神社、白山神社、酬恩庵、寶積寺三重塔ほか
2026/2/10更新
(6)丹波
梅田神社、出雲大神宮、春日神社、普濟寺、九品寺大門、福光寺、渡邊家住宅、大山祗神社
2026/3/29更新
(7)丹後・中丹
旧岡花家住宅、旧三上家住宅、智恩寺多宝塔、舞鶴旧鎮守府倉庫施設、石田神社、本願寺ほか
2026/3/29更新

大阪府
(1)大阪市・北摂
四天王寺、旧松坂屋大阪店、住吉大社、杭全神社、旧緒方洪庵住宅、八坂神社本殿、普門寺方丈ほか
2025/9/4更新
(2)堺・泉北
海会寺、南宗寺、大安寺、法道寺、桜井神社、旧浄土寺九重塔、聖神社ほか
2024/1/12更新
(3)泉南
孝恩寺、積川神社、願泉寺、意賀美神社、奥家住宅、中家住宅、来迎寺、船守神社ほか
2024/4/3更新

兵庫県
(1)神戸中心部・灘
旧ハンター住宅、旧ハッサム住宅、旧小寺家厩舎、船屋形、徳光院、旧トーマス住宅ほか
2026/1/9更新
(2)須磨・西神・北神
移情閣、石峯寺、太山寺、箱木家住宅、福祥寺、八幡神社三重塔
2026/1/9更新
(3)東播磨・北播磨・淡路
浄土寺、明石城、鶴林寺、江埼灯台、伽耶院
2025/4/3更新
(4)西脇・加西・加東
旧西脇尋常高等小学校、一乗寺、酒見寺多宝塔、住吉神社
2025/4/3更新

奈良県
(1)生駒・郡山
額安寺五輪塔、松尾寺、旧臼井家住宅、高山八幡宮、長弓寺、長福寺、宝山寺獅子閣ほか
2025/10/5更新
(2)高田・橿原
不動院、旧米谷家住宅、木家住宅、河合家住宅、称念寺、今西家住宅、富貴寺ほか
2026/6/11更新

和歌山県
(1)和歌山市
護国院、天満神社、東照宮、加太春日神社、和歌山城岡口門、阿弥陀寺
2026/6/23更新
(2)海南・紀美野
地蔵峰寺、福勝寺、善福院、長保寺、琴ノ浦温山荘
2026/6/23更新
(3)高野
金剛峯寺、金剛三昧院、普賢院
2025/1/7更新
(4)紀の川
三船神社、粉河寺、鞆淵八幡神社、根来寺、丹生都比売神社、慈尊院、丹生官省符神社ほか
2024/10/30更新
(5)紀中・紀南
浄妙寺、旧西村家住宅、道成寺、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、広八幡神社、角長ほか
2024/2/18更新

岡山県
(1)岡山・備前
守福寺宝殿、八幡神社鳥居、吉備津神社、真光寺、岡山城、旧旭東幼稚園
2026/09/04更新

広島県
(1)広島・安芸・県北
不動院、國前寺、旧広島陸軍被服支廠倉庫施設、旧呉鎮守府司令長官官舎、桂濱神社ほか
2025/1/20更新
(2)三原・尾道・福山
向上寺、磐台寺、明王院、沼名前神社、安国寺、太田家住宅、常称寺、吉備津神社
2026/6/19更新

山口県
(1)西部・中部・東部
功山寺、住吉神社、瑠璃光寺、洞春寺、今八幡宮、閼伽井坊、四階楼、吉香神社ほか
2026/1/21更新
(2)萩・長門
東光寺、旧厚狭毛利家萩屋敷、菊屋家住宅、熊谷家住宅、早川家住宅ほか
2021/6/19更新

徳島県
(1)徳島・鳴門
丈六寺、福永家住宅、一宮神社、三河家住宅
2025/4/7更新
(2)中部・西部
箸蔵寺、田中家住宅、武知家住宅、粟飯原家住宅
2025/4/7更新

香川県
(1)高松・東讃・小豆
高松城、屋島寺、志度寺、長尾寺、香川県庁、明王院、男木島灯台
2026/5/18更新
(2)琴平・善通寺
金刀比羅宮、善通寺、旧善通寺偕行社
2025/10/1更新
(3)坂出・丸亀・西讃
丸亀城、白峯寺、本山寺、観音寺、覚城院、常徳寺
2025/9/29更新

愛媛県
(3)南予
大洲城、長浜大橋、本芳我家住宅、上芳我家住宅、大村家住宅
2026/9/1更新

福岡県
(1)北九州・筑豊・宗像
門司港駅、旧門司三井倶楽部、旧松本家住宅、宗像神社、旧志免鉱業所、横大路家住宅ほか
2024/6/23更新
(2)福岡・糸島・筑紫・朝倉
香椎宮、筥崎宮、住吉神社、福岡城、櫻井神社、太宰府天満宮、普門院、岩屋神社ほか
2024/6/23更新
(3)筑後
三池炭鉱宮原坑、早鐘眼鏡橋、善導寺、高良大社、有馬家霊屋、松延家住宅、風浪神社、平川家住宅ほか
2026/3/31更新

佐賀県
全域
多久聖廟、佐賀城、与賀神社、川打家住宅、田嶋神社、旧田代家西洋館、旧高取家住宅ほか
2026/4/5更新

長崎県
全域
崇福寺、清水寺、眼鏡橋、興福寺、針尾送信所、青砂ヶ浦天主堂、頭ヶ島天主堂ほか
2024/2/23更新

沖縄県
全域
園比屋武御嶽石門、天女橋、旧円覚寺放生橋、新垣家住宅、豊見親墓、瀬底土帝君、中村家住宅、高良家住宅ほか
2023/3/13更新

岡山県岡山・備前地域にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
岡山市北区
守福寺宝殿
八幡神社鳥居
岡山城月見櫓
岡山城西丸西手櫓
吉備津神社本殿及び拝殿
吉備津神社御釜殿
吉備津神社南随神門
吉備津神社北随神門
鼓神社宝塔
旧犬養家住宅主屋、土蔵
旧旭東幼稚園園舎
備前市
旧閑谷学校講堂、習芸斎及び飲室、文庫、小斎、公門
旧閑谷学校聖廟大成殿、中庭、文庫、東階・西階(東階)、東階・西階(西階)、校門(鶴鳴門)、石階、繋牲石、外門、厨屋、練塀
旧閑谷学校石塀
閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)本殿(芳烈祠)、幣殿(階)、拝殿(中庭)、神庫(庫)、石階、繋牲石、中門(外門)、練塀
真光寺本堂
真光寺三重塔
大滝山三重塔
瀬戸内市
本蓮寺本堂
本蓮寺番神堂東祠、中祠、西祠
本蓮寺中門
餘慶寺本堂
旧服部家住宅主屋、長屋門、宝蔵、大蔵、西米蔵、東米蔵、納屋
和気郡和気町
旧大國家住宅主屋、蔵座敷、酉蔵、中蔵、乾蔵、井戸場
加賀郡吉備中央町
吉川八幡宮本殿
妙本寺番神堂

 

 

室町時代の石造の権現堂

守福寺宝殿


しゅふくじほうでん
岡山市北区下足守
守福寺宝殿34.726474, 133.816240
室町前期
石造、切妻造、妻入、向拝一間
暦応元年戊寅十一月二十二日の刻銘がある

守福寺宝殿は、岡山市北西部、下足守の集落奥の山林に入ったところにあります。王子権現を祀る王子堂として、室町時代初期に前身の建物(平安時代の絵図に描かれている)から建て替えられたものであると考えられています。
・花崗岩製で、間口0.8m、高さ2m、奥行きは1.4m
・長方形の板石で三方を囲み、側面は二石からなる
・向拝柱と身舎の間に板石を渡して、高床にしている
・正面は切妻で中央に束を刻み出し、背面は寄棟
・軒には垂木を刻み出している

・向かって左側向拝柱正面には「王子・・」の文字が刻まれている

・向かって右側向拝柱正面には「暦応元年戊寅十一月二十二日」の文字が刻まれているとのことだが、判読は難しい

アクセス
JR吉備線足守駅下車、北4kmです。備中高松駅のレンタサイクルを利用することができます。守福寺までは6kmで、後半は高低差80mの上りです。
見学ガイド
守福寺宝殿は常時自由に参拝することができます。すぐ近くから見ることができます。

感想メモ
吉備路レンタサイクルで向かいました。平地用のレンタサイクルなので上りはなかなか大変でした。宝殿は集落の裏山の人の気配のないところにあって、少し鳥肌が立ちます。
宝殿は素朴な石造物ですが、垂木や束なども丁寧に刻み出しています。
(2024年5月訪問)

参考
岡山県公式サイト、おかやまの石造物(岡山県)

 

 

在銘の石鳥居として最古級

八幡神社鳥居


はちまんじんじゃとりい
岡山市北区下足守
八幡神社鳥居34.720080, 133.807523
室町前期
石造両部鳥居
康安元年辛丑十月二日の刻銘がある

八幡神社は岡山市北西部の田園地帯に鎮座する旧足守藩の総鎮守です。石鳥居は康安元年(1361)の造立で、近隣の鼓神社宝塔(重要文化財)と同じく石工妙阿の作です。
・花崗岩製の明神鳥居で、高さ4.3メートル
・柱が太く低目ぎみに見える時代的特徴を示す
・柱の基部に稚児柱(後補)を伴う両部鳥居で、石鳥居では珍しい形式

・向かって右側の柱の内側に「康安元年辛丑十月二日、願主神主賀陽重人」、「大工沙弥妙阿」、「祝主僧頼澄」の刻銘がある

アクセス
JR吉備線足守駅下車、北3kmです。備中高松駅のレンタサイクルを利用することができます。守福寺までは4.5kmで、ほぼ平坦です。
見学ガイド
八幡神社鳥居は常時自由に見学することができます。

感想メモ
しっかりと安定感のある鳥居です。風化が進んでいて銘文を読むことはできませんでした。
(2024年5月訪問)

参考
岡山県公式サイト、岡山市公式サイト、石仏と石塔!(河合哲雄)

 

 

要塞と展望座敷の二つの顔を持つ櫓

岡山城


おかやまじょう
岡山市北区丸の内一丁目、二丁目
岡山城月見櫓34.665349, 133.935145
江戸前期
二重二階隅櫓、一部地階、本瓦葺
岡山城西丸西手櫓34.664943, 133.930906
桃山
二重二階隅櫓、本瓦葺

岡山城は、岡山駅の東方、旭川右岸に位置しています。岡山に進出した戦国武将・宇喜多直家の子である宇喜多秀家によって築城され、天守は1597年に完成したとされています。その後、城主となった小早川秀秋や池田氏によって城郭および城下町はさらに拡張され、現在の姿へと発展しました。
天守は第二次世界大戦で失われましたが、江戸時代以前の建築としては、月見櫓と西丸西手櫓が現存しています。西丸西手櫓は、姫路藩主・池田輝政の子である利隆が岡山に入城した慶長8年(1603)頃に建築されたものです。一方、月見櫓は元和から寛永年間(1615~1643)にかけて建築されたと考えられています。
・写真右が黒漆塗の下見板が特徴で烏城と呼ばれる天守(昭和時代の再建)で、左は対照的に白漆喰の月見櫓



月見櫓

・岡山城本丸中の段の北西隅にあり、城の裏口を守備する役割を担っていた
・一部地下付きの塗籠造り本瓦葺き二階建

・城内(南東)側から眺めると三層の層塔型を呈している

・城外側から眺めると二層の望楼型を呈している

・南面及び東面は一階と地階の間に庇が設けられている

・棟の鬼瓦は池田家の家紋である揚羽蝶の意匠

・一階は、西面(下段写真)が唐破風造りの出格子窓、北面(上段写真)が片流屋根を持つ出格子窓を設け、共に石落しを組み込んで、城外側へ備えとしている
・二階は、西面の初層屋根の妻部に千鳥破風の格子窓、北面の踊場に唐破風造りの武者窓、北壁に引き違い窓を設けて、一階同様に城外側への備えを厳しくしている

・一階北面出格子窓には石落としが設けられている

・二階西側の千鳥破風の裏は武者隠しの小部屋で、外部を監視・攻撃できるようにしてある

・二階北面の踊場の唐破風造りの武者窓

・地階部分にあたる石垣頂部には半円形の刳りを入れた銃眼がほぼ一間おきに開けられている

・二階の城内側の東面と南面には雨戸を持った手摺付きの縁側が廻り、内側に明り障子を立てるなど、日常生活向けの御殿仕様となっている
・これは、櫓が建てられたのが元和の偃武の時期にあたり、豊臣家が滅亡して戦乱の危機が低下したことによるもの

・二階は天井を張り、柱に釘隠しの装飾なども施し、障子も入れている



西丸西手櫓

・塗籠造り、二階建入母屋造、本瓦葺で大棟両端に一対の鯱をのせる
・東面(城内側)一階には二か所の小窓が設けられている
・内部は土間で武器や兵糧の保管場所として利用された
・東面二階の窓は広く開放的で障子や雨戸が入り、内部は座敷になっている
・こうした造りは戦乱の危機が低下した時期になって改装された結果と考えられている

・二階は南・西・北の三面に堅牢な格子付きの出窓を設けて城外への視界を確保し、内部も板張りの廊下を設けて守備兵が迅速に動けるようになっている

・一階城外側(西)壁面には壁から張り出した石落しと格子窓が二か所設けられ、唐破風が飾られている

・出入口は妻側の南北両面に設けられている

アクセス
月見櫓はJR山陽本線岡山駅下車東1.7kmです。岡山電軌を利用する場合は城下電停下車東600mです。西丸西手櫓は月見櫓の西方にあって、城下電停下車すぐです。
見学ガイド
月見櫓は常時外観を見学することができます。不定期で雨戸が開かれ内部が公開されます。西丸西手櫓は西側の公道から駐車場越しに見学することができます。東側にある旧内山下小学校が行事等で開放されているときは櫓をすぐ近くから見ることができます。

感想メモ
月見櫓の特別公開に合わせて訪問しました。普段は公開されていないため、石段は非常に急で手すりもなく、往時のままの城を訪ねているような感覚を味わえました。城外側が堅固な守りのいかめしい造りであるのに対し、城内側は月見を楽しむのにふさわしい、のどかなお座敷となっており、その対照が実に興味深いものでした。
また、西丸西手櫓は通常、ビルの谷間から眺めることしかできませんが、この日は幸いにも隣接する小学校跡地でイベントが開催されており、敷地内に立ち入ることができました。そのおかげで、櫓を間近からじっくりと眺めることができました。
(2025年11月訪問)

参考
岡山城公式サイト、現地案内板、月見櫓特別公開パンフ、岡山県公式サイト

 

 

比翼入母屋造の国宝社殿

吉備津神社


きびつじんじゃ
岡山市北区吉備津
吉備津神社本殿及び拝殿34.670784, 133.850602
国宝・室町中期
本殿 桁行正面五間、背面七間、梁間八間、一重、比翼入母屋造、檜皮葺
拜殿 桁行三間、梁間一間、一重、正面切妻造、背面本殿屋根に接続、檜皮葺
   三方もこし付、もこし本瓦葺
吉備津神社御釜殿34.669686, 133.849624
桃山
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
吉備津神社南随神門34.670584, 133.850414
室町前期
三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺
吉備津神社北随神門34.671137, 133.850675
室町後期
三間一戸八脚門、入母屋造、檜皮葺

吉備津神社は、備前国と備中国の境に位置する吉備の中山の西麓に鎮座します。創立はきわめて古く、古来、備中国の一宮、吉備国の総鎮守として尊崇を受けてきました。現本殿・拝殿は、明徳元年(1390)に後光厳天皇の勅命を受け、足利義満が再興に着手し、応永32年(1425)に竣工したものです。


本殿及び拝殿:

・本殿は、桁行正面五間、背面七間、梁間八間の大建築で、入母屋造を前後に二つ並べた比翼入母屋造

・妻飾は前後とも同じ意匠で、虹梁大瓶束

・軒は一軒で、組物は、神社建築としては非常に珍しい挿肘木を用いた大仏様の二手先

・本殿は和様の亀腹上に建ち、縁を大仏様の挿肘木と皿斗付の組物で支え、禅宗様の擬宝珠高欄を回す

・拝殿(写真は東側面)は、本殿正面に接続して建つ
・正面一間、側面三間、檜皮葺、妻入りで、正側面三方に裳階がつく
・柱は本殿と同じ太さの円柱を用いている

・拝殿の身舎は、二軒で、全体に縦格子がはめられている

・拝殿の裳階は、一軒で、組物は和様の出三斗

拝殿内部



御釜殿:

・現在の建物は慶長11年に再建されたもの
・桁行七間、梁間三間、単層、入母屋造、平入、本瓦葺
・南北に伸びた長方形で、北二間(下段写真)に釜を安置する釜屋の古形式を伝える遺構
・ここでは、古来から吉凶を占う「鳴釜神事」が行われている

・周囲の四面とも柱間に二段の連子窓をつくりつけ、その下方を板壁にしている

・柱頂部の粽、隅扇垂木など禅宗様の特徴がみられる
・柱上に禅宗様の台輪を回しているが、一般的な禅宗様とは異なり木鼻の上には台輪を突出させていない



南随神門:

・長い回廊の中間にある三間一戸の八脚門で、延文2年(1357)の再建
・桁行約6.2m、梁間約3.2m、棟高約7m、単層、入母屋造、本瓦葺
・木部は丹塗り、壁は白壁
・和様に唐様がとり入れられ、木割も太く、板蟇股や木鼻には鎌倉時代の様式・手法がみられる
・本殿より70年余り古く、吉備津神社では最古の建物



北随神門:

・三間一戸の八脚門で、室町時代中期の再建と考えられている
・桁行約7.5m、梁間約3.9m、棟高約8.2mで、単層、入母屋造、檜皮葺
・木部は丹塗り、白壁で、南随神門と構造・様式がよく似ているが、細部の意匠にはより繊細な表現がみられる

アクセス
JR吉備線吉備津駅下車、南700mです。
見学ガイド
吉備津神社は常時自自由に参拝することができます。本殿・拝殿は北面していますが、東側面が広く空いているので、午前中は比翼入母屋造の姿を奇麗に見ることができます。御釜殿も午前中の方がきれいに見ることができます。

感想メモ
以前訪問した時は午後で、本殿が逆光になっていましたが、今回は快晴の朝に訪問したので、比翼入母屋造の美しい姿を見ることができました。
(2024年5月訪問)

参考
岡山県公式サイト、国指定文化財等DB、岡山市公式サイト

 

 

梅鉢型園舎の原型

旧旭東幼稚園園舎


きょくとうようちえんえんしゃ
岡山市北区二日市町
旧旭東幼稚園園舎34.645108, 133.929220
明治
木造、建築面積350.63平方メートル、桟瓦葺一部銅板葺

旧旭東幼稚園園舎は、岡山市中心部の南方、旭川右岸近くの岡山市立中央図書館に移築復原されています。岡山市旭東尋常小学校附属幼稚園の園舎として、明治四十一年に竣工したもので、移築前は、旭川対岸に位置していました。遊戯室を園舎の中心に置き、遊戯室の周囲に保育室を配置した平面を最初に採用した幼稚園園舎建築であり、梅鉢型園舎の原型となったものであるとされています。
・木造平屋建で、八角形平面の遊戯室(写真中央)の四方に保育室(写真右端)三室と保姆室(写真左から二番目)が取り付く、梅鉢型園舎の形態
・保姆室北西面には棟を直交させた桁行五間、梁間三間、切妻造、桟瓦葺の幼児昇降所及湯呑所棟(写真左端)が取り付く
・遊戯室はマンサード風の八注屋根を架け、桟瓦を葺き、小屋根は銅板葺とする

・遊戯室(写真中央)の東西南北の各面は、中央間に内開きのガラス入両開戸を建て込み、その両脇は半間幅のガラス窓を嵌め込む
・花崗岩の石階段を設けて園庭への出入口とする
・採光に配慮し、天井下は引違ガラス窓の連窓を入れた高窓層とする

・外部意匠は、腰を目板打ちの縦板張、上部を下見板張とし、化粧の柱形や筋違などを現して強調するスティックスタイル

・保育室(写真右)は、桁行四間、梁間三間規模、切妻造、桟瓦葺

・遊戯室は、各辺三間規模で、中心に八角形断面の柱を立てる
・天井は棹縁で、天井板を大和張風に張る

アクセス
岡山電気鉄道清輝橋駅下車、南1㎞です。もう少し近くまで入る路線バスもあります。
見学ガイド
旧旭東幼稚園園舎は内部も一般公開されています

感想メモ
外観も美しいですが、採光が工夫されていて、内部がたいへん明るい建物です。訪問したのは休館日でしたが、窓ガラスがきれいに掃除されいるので、ガラス越しに室内の様子をよく見ることができました。
(2025年11月訪問)

参考
月刊文化財平成19年7月号

 

 

備前四十八ケ寺の一つに数えられる古刹

真光寺


しんこうじ
備前市西片上
真光寺本堂34.744795, 134.180319
室町後期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
真光寺三重塔34.744501, 134.180084
室町中期
三間三重塔婆、本瓦葺

真光寺は片上湾の最奥部に面した高台に位置します。行基が開基し、その後報恩大師が備前四十八ケ寺の一つとして加えた真言宗の古刹です。


本堂:

・応永年間再建の三間堂を永正13年(1516)に五間堂に改修したもの
・単層の本瓦葺の入母屋造
・軒は二重繁垂木、柱は総円柱で長押で固めている
・組物は出三斗で、中備は絵様を施した実肘木付の蓑束



三重塔:

・方三間本瓦葺きの三重塔
・寺伝によると、牛窓の蓮華頂寺にあったものを慶長十八年(1613)、現在地に移築したもの
・様式、手法などから、室町時代のものと考えられている
・総高が18.2m(うち相輪高5.9m)のやや小規模な塔で、軒先の反転が美しく三重の逓減も安定している

写真上段から,第三重、第二重、初重:
・各重とも二軒の繁垂木で、尾垂木付きの和様の三手先の組物
・各重に高欄を設け、初重のみが擬宝珠高欄で他は跳ね高欄

・第二重、三重には縁板を張っていないが、切目縁を模した意匠が施されている(写真は第二重)

初重軒回り:
・蟇股、間斗束なども、時代の特色を示している

・初重の各面の中央間に置いた蟇股には、月輪に種子を書いた彫刻が飾られている

・和様を基調としているが、木鼻は禅宗様

アクセス
赤穂線西片上駅下車、西300mです。
見学ガイド
真光寺は常時自由に参拝することができます。本堂、三重塔とも、すぐ近くから見ることができます。

感想メモ
瀬戸内海の入り江の奥の小高い丘の上の位置していて、かつては趣の大変深い場所だったのでしょうが、今は目の前に国道のバイパスが通っていて、そういった風情はちょっと失われています。でも、そのおかげで、駅からアップダウンなしで楽に参拝することもできるようになっていて、国道の歩道橋が三重塔を眺めるのにちょうど良い場所にもなっています。
三重塔の上重には縁が設けられていませんが、切目縁を模した意匠を施してごまかしているなど興味深い建築です。
(2024年5月訪問)

参考
現地解説板、岡山県公式サイト

 

 

室町末期の伝統的密教本堂

餘慶寺本堂


よけいじほんどう
瀬戸内市邑久町北島
餘慶寺本堂34.654438, 134.061394
室町後期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、背面下屋附属、本瓦葺

餘慶寺は吉井川河口近くの左岸丘陵地に位置します。寺伝によれば天平勝宝元年草創の日輪寺を慈覚大師が再興して本覚寺と改め、さらに後年餘慶寺と改称したとされています。現在は天台宗寺門派に属しています。本堂は、棟札により永禄十三年 (1570)に上棟されたことが明らかにされています。
・入母屋造、本瓦葺で東面する
・桁行五間、梁間五間の本格的な密教本堂
・正面中央三間を扉口とし腰高の格子戸をいれる
・周囲には高い縁をめぐらす
・正面の向拝は江戸後期の後補

・背面の庇も江戸後期の後補

・妻飾は二重虹梁大瓶束

・軒は二軒緊垂木
・柱はすべて円柱で組物は出三斗、中備は箕束
・木柄の太い堂々とした造り

・向拝は彫刻を多用した江戸後期の様式だが、彫刻は上品で、くどさはない

・内部は前方二間通りを外陣、後方中央の方三間を内陣(写真右)としている

・外陣は前後に四通り大虹梁を架け、大斗実肘木で天井桁を受ける
・入側通り(写真左)は化粧屋根裏とする

・外陣妻中柱上には装飾的な手挾(写真右)を置く

・外陣隅木下端の持送りも装飾的

・内外陣境は各間とも中敷居を入れ結界をつくり、中三間は菱欄間をはめる
・内陣須弥壇や厨子も建物と同時期のもので、意匠が優れている

・内外陣境両端間は海老虹梁で繋ぐ

・後方両端間は脇陣とする

アクセス
JR赤穂線大富駅下車、南西1.6kmで、標高差60mの上りです。JR赤穂線大富駅と邑久駅を結ぶ南回りのコミュニティバス(平日のみ運行)が門前まで入ります。
見学ガイド
餘慶寺は常時自由に参拝することができます。本堂は内部も拝観することができます。

感想メモ
邑久駅からコミュニティバスに乗り、餘慶寺へ向かいました。バスは田園地帯に点在する集落を巡りながら、病院やスーパーなど地域の暮らしに欠かせない場所に停車して進みます。その停留所の一つが餘慶寺であり、この寺が今も地域の生活と深く結び付いていることがうかがえます。
よく手入れされた境内には、参拝者から奉納された福鈴が涼やかな音色を響かせ、真夏の暑さをひととき忘れさせてくれます。
本堂は、江戸時代に改変された大きな唐破風の向拝によって、やや世俗的な印象を受けますが、その部分に目を向けずに眺めると、長く伸びる降棟や反りのある軒は、中世の禅宗様仏殿にも通じる威厳を感じさせます。
(2026年8月訪問)

参考
解説版新指定重要文化財11、現地解説板

長野県上田・佐久地方にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
上田市
旧常田館製糸場施設五階繭倉庫、撰繭場、事務所兼住宅、五階鉄筋繭倉庫、文庫蔵、四階繭倉庫、三階繭倉庫
国分寺三重塔
前山寺三重塔
中禅寺薬師堂
安楽寺八角三重塔
常楽寺多宝塔
法住寺虚空蔵堂
小諸市
小諸城三之門、大手門
釈尊寺観音堂宮殿
旧小諸本陣主屋、表門
東御市
春原家住宅
佐久市
旧中込学校校舎
駒形神社本殿
新海三社神社三重塔
新海三社神社東本社
六地蔵幢
八幡社境内神社高良社本殿(旧八幡社本殿)
真山家住宅主屋、土蔵
北佐久郡軽井沢町
旧三笠ホテル
軽井沢夏の家(旧アントニン・レーモンド軽井沢別邸)
旧吉村順三別邸
小県郡青木村
大法寺観音堂厨子及び須弥壇
大法寺三重塔

 

 

外観は和様で内部を禅宗様とした折衷様

国分寺三重塔


こくぶんじさんじゅうのとう
上田市国分
国分寺三重塔36.382673, 138.271363
室町中期
三間三重塔婆、銅板葺

国分寺は上田市街地南方、千曲川右岸の集落に位置します。信濃国分寺が現在地に移されたのは平安末期であると考えられています。三重塔は様式から室町中期の建立であると考えられています。外観は和様で、内部を禅宗様とした折衷様の三重塔です。
・三間三重塔婆で、屋根は明治時代にこけら葺きから瓦棒付銅板葺きに改められた

・九輪は上部に向けての低減が大きい
・九輪と水煙は昭和初期に改鋳されている

・上段写真から、第三重、第二重、初重
・各重とも長押を多用し、木鼻を出さないなど和様の特色が色濃く出ている
・上重には跳ね高欄を設けている

・先端部の太い尾垂木、軒支輪と小天井など細部にも和様の特徴が見られる
・中備は間斗束ではなく巻斗のみを宙に浮いたように取り付けている

アクセス
しなの鉄道信濃国分寺駅下車、北500mです。
見学ガイド
国分寺は常時自由に参拝することができます。三重塔も近くから見ることができます。

感想メモ
外観は和様でほぼ統一されていますが、内部が禅宗様という非常に珍しい三重塔。通常内部は非公開ですが、ぜひ一度は見てみたいものです。束を省いた間斗束は山梨の武田神社でも見たことがありますが、このあたりの職人さんが考案したものなのでしょうか。
(2018年11月、2023年9月訪問)

参考
上田市公式サイト、現地解説板、東信ジャーナル

 

 

未完成の完成塔

前山寺三重塔


ぜんさんじさんじゅうのとう
上田市前山
前山寺三重塔36.340744, 138.197429
室町後期
三間三重塔婆、こけら葺

前山寺は塩田平の南端部に位置します。塩田城の鬼門にあたり、その祈願寺であったと伝わります。三重塔は様式から室町後期の建立であると考えられています。
・こけら葺きの三重の塔で、和様と禅宗様を折衷している

・上段写真が第三重で、下段写真が第二重
・和様の先端の太い尾垂木を出した三手先組物で、禅宗様の拳鼻を付ける
・柱に長押仕口が切られているが、窓や扉は設けられていない
・長い胴貫が四方に飛び出しているが、縁や高欄は設けられていない
・このように細部が未完成でありながら、全体としては均整の取れた美しい塔であることから「未完成の完成塔」とも呼ばれている

・初重には桟唐戸、擬宝珠高欄、切目縁が設けられているが、窓は設けられていない

・初重の頭貫木鼻は禅宗様の象鼻

アクセス
上田電鉄中野駅下車、南3㎞です。塩田平の文化財巡りには、別所温泉駅などのレンタサイクルが便利です。
見学ガイド
前山寺は有料で拝観することができます。三重塔も近くから見ることができます。

感想メモ
本当に文字通り未完成の完成塔で、美しい姿でありながら壁面がのっぺらぼうで、不思議な感じです。
(2023年9月訪問)

参考
前山寺公式サイト、現地解説板、上田市公式サイト

 

 

信州最古の木造建築

中禅寺薬師堂


ちゅうぜんじやくしどう
上田市前山
中禅寺薬師堂36.336112, 138.185614
鎌倉前期
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、茅葺

中禅寺は塩田平の南端部、独鈷山の麓に位置します。古来、地域の信仰を集めてきた古刹ですが、度重なる火災により多くの記録が失われ、創建については不明です。薬師堂は鎌倉前期の建立で、信州最古の建築です。
・方三間の阿弥陀堂形式
・正面三間と、側背面の各一間に板戸を吊り、その他は板壁としている

・柱は大面取角柱で、これを長押で固めている
・柱上は簡素な舟肘木で、軒は一軒

・堂内中央に四天柱を立て、本尊を祀る
・これは中尊寺金色堂などと同じ古い形式で、時代が下ると本尊の位置が堂の後壁方向に移る

アクセス
上田電鉄舞田駅下車、南3㎞です。塩田平の文化財巡りには、別所温泉駅などのレンタサイクルが便利です。
見学ガイド
中禅寺は有料で拝観することができます。薬師堂も近くから見ることができます。

感想メモ
非常に古い様式の質素なお堂で、見ごたえがあります。
(2023年9月訪問)

参考
中禅寺公式サイト、上田市公式サイト、現地解説板

 

 

日本最古の禅宗様建築

安楽寺八角三重塔


あんらくじはっかくさんじゅうのとう
上田市別所温泉
安楽寺八角三重塔36.352388, 138.152302
国宝・鎌倉後期
八角三重塔婆、初重もこし付、こけら葺

安楽寺は別所温泉北方の山裾に位置します。鎌倉中期の大覚禅師語録にもその名が見られる古刹で、もとは臨済禅宗寺院であったものが、天正16年(1588)ころ曹洞宗に改められています。
八角三重塔は、用材の伐採年代が正應2年(1289)であることが判明し、鎌倉時代後期の建立であることが明らかになりました。わが国最古の禅宗様建築です。
・八角形の平面を持つ三重塔で、初重に裳階を付けた珍しい様式
・細部にわたるまで禅宗様が用いられている
・軒が深く、裳階も含め各重とも二軒の扇型垂木
・各重とも縁、高欄を持たない

・塔身に対して相輪の比率が大きいのも、この塔の特徴

・第三重は禅宗様尾垂木付き三手先詰組
・柱間には連子窓を開き、扉はない

・第二重も第三重と同じ様式だが、塔身が上重ほど低減するので組物の間隔は第三重よりも大きい

・初重も同じく三手先詰組だが、二手先までは肘木を二段に重ね、複雑な形状としている

・初重裳階は出組の詰組
・禅宗様の弓欄間、藁座付き桟唐戸が見られる

アクセス
上田電鉄別所温泉駅下車、西700mです。
見学ガイド
安楽寺は有料で拝観することができます。八角三重塔も近くから見ることができます。

感想メモ
最古の禅宗建築で、日本で唯一の八角三重塔。見どころが凝集されています。林の奥深くの静寂な環境の中、美しくそびえています。見る角度や距離によっても表情が異なり、遠くから見ると裳階がどっしりとしているので、奈良時代の百万塔のような姿に見えます。
(2023年9月訪問)

参考
安楽寺公式サイト、上田市公式サイト

 

 

類例の少ない石造多宝塔

常楽寺多宝塔


じょうらくじたほうとう
上田市別所温泉
常楽寺多宝塔36.353635, 138.154127
鎌倉後期
石造多宝塔

常楽寺は別所温泉北方の山裾に位置し、多宝塔は境内奥の杉木立の中にあります。銘文には、「天長二年(825)、火焰の中から北向観音がこの地に出現した。そこで木造の宝塔を建立したが、寿永年間(1182~84)に焼失した。弘長二年(1262)本塔を造立し、金銀泥で書かれた一切経一部を奉納した。」と記されています。
・安山岩製の石塔だが、様式は基本的には木造多宝塔と同じ
・笠や裳階が鎌倉時代の多宝塔の典型を示している
・重文指定の石造多宝塔は、この塔と滋賀県の小菩提寺の塔のみ

・銘文は追刻であるともいわれている

アクセス
上田電鉄別所温泉駅下車、西700mです。
見学ガイド
常楽寺は常時自由に参拝することができます。多宝塔も近くから見ることができます。

感想メモ
境内奥の神秘的な杉木立の中にあります。銘文が非常に明瞭に読みとれるので喜んでいましたが、追刻の可能性があるとのこと。ちょっと興ざめです。
(2023年9月訪問)

参考
現地解説板

 

 

上田の虚空蔵信仰の中心

法住寺虚空蔵堂


ほうじゅうじこくぞうどう
上田市東内
法住寺虚空蔵堂36.303723, 138.195302
室町後期
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺

法住寺は、塩田平の南方、独鈷山を越えた先の谷あいに位置します。平安時代に創建されたと伝える天台宗の古刹で、独鈷山の虚空蔵信仰の山麓寺院です。虚空蔵堂は、室町時代の文安年間の兵火に よる焼失後、文明十八年(1486)に再建されたものと考えられています。
・桁行三間梁間四間の入母屋造、こけら葺で、一間の向拝を設ける
・全体として和様を基調とし、細部には禅宗樣を用いている

左側面: 
・正面は屋根の妻が深く入り禅宗様の風情があるが、側面は落ち着いた和様

向拝

左側面: 
・前方一間は吹き放ちの外陣
・組物は出三斗で、中備は斗のみで束のない特異な形式

左側面の妻: 
・鬼面を飾り、懸魚は禅宗様の蕪懸魚

・周囲に切目線を廻す
・堂は基壇を設けず、自然石の礎石の上に建てられている

・附指定の厨子は虚空蔵堂と同時期の制作で、禅宗様の方一間入母屋造

アクセス
しなの鉄道上田駅から大屋駅経由鹿教湯行バスで虚空蔵下車すぐです。
見学ガイド
虚空蔵堂は、常時自由に見学することができます。外陣内部も見ることができます。

感想メモ
境内を進むと、反りのある屋根の禅宗様に見える虚空蔵堂が見えてきますが、堂の背後の小高いところから見ると落ち着いた和様。不思議な建物です。
(2021年8月訪問)

参考
現地解説板

 

 

元禄時代の大規模農家建築

春原家住宅


すのはらけじゅうたく
東御市和
春原家住宅36.375761, 138.341286
江戸中期
桁行19.1m、梁間7.8m、寄棟造、茅葺

春原家住宅は東御市街地を見下ろす田園地帯に位置します。建物の年代を示すものは見つかっていませんが、江戸時代初めごろの建築であると考えられています。
・茅葺、寄棟造で、開口部の少ない閉鎖的な構造
・煙出しの部分が土間とチャノマの境界で、それより下手(写真右)が土間
・土間が全体の三分の二程度と非常に大きい

・厚い茅で深く葺き下ろしている

・小屋梁は細い木材を用いている
・土間とチャノマの間に壁が設けられており、内部も閉鎖的な構造

・広い土間の下手中央には馬屋が設けられている
・馬屋部分には二階を設け、物置などとして利用されている

・軒桁の外側に、さらに半間張り出して軒を深くしている

アクセス
しなの鉄道田中駅下車、北3.1kmです。田中駅の電動シェアサイクルを利用することができます。高低差130mの一様な上りです。
見学ガイド
春原家住宅は現住の民家の敷地内にありますが、常識的な時間帯であれば、自由に見学することができます。内部見学が可能な時間帯について表示はありませんでしたが、振替休日の四時頃に訪問したときは内部が公開されていました。

感想メモ
駅からずっと上りで少し大変でしたが、扇状地を上るに従い視界が広がり爽快でした。春原家住宅は、屋内を壁で仕切っているなど農家建築としては珍しい点が多く、興味深いです。
(2023年9月訪問)

参考
東御市公式サイト

 

 

西洋づくりのギヤマン学校

旧中込学校校舎


なかごみがっこうこうしゃ
佐久市中込
旧中込学校校舎36.237522, 138.472217
明治
木造、建築面積259.4m2、二階建、桟瓦葺、正面玄関及び中央八角塔屋付

旧中込学校は佐久平南部の集落に位置します。
明治六年(1873)、学制の施行に伴い、北佐久郡の下中込・今井・三河田の三村による組合立学校として「成知学校」が設立されました。校舎は、村人たちが資金を出し合い、明治八年に完成しました。翌明治九年には「中込学校」と改称され、大正八年まで小学校として使用されました。その後は中込村役場などに転用され、地域の公共施設として活用されました。
この建物は、中込村出身で米国から帰国した大工・市川代次郎によって設計・施工されたもので、「ギヤマン学校」と呼ばれていました。旧中込学校は、明治初期に建てられた小学校建築として現存する数少ない遺構のひとつです。
・縦長平面、妻入の木造二階建で、桟瓦葺
・寄棟造の屋根上には塔屋を設けて、時報を知らせる太鼓を釣っていた
・西向きの正面にはベランダ、ポーチがつく

・塔屋は八角の下見板張りで、尖頭飾には方位指針文字板をつける

・ベランダ、ポーチの柱列には柱頭飾が付く
・一階ベランダ天井には網目の装飾が施されている
・外装は漆喰大壁造で、窓廻りや隅石は漆喰で擬石風に造り出して墨塗仕上げとしている

・二階ベランダも柱頭飾を付けるが、天井の装飾は省略されている
・西洋の住宅建築では一階を接客空間、二階を居住空間として二階部分の装飾を簡略化することがあるが、これを模したものであると考えられる

・玄関ポーチの半円形天窓(上段写真)や二階廊下背面の丸窓(背面写真)には色ガラスを用いており、「ギヤマン学校」の由来となっている

アクセス
JR小海線滑津駅下車、西400mです。
見学ガイド
旧中込学校校舎は有料で公開されています。

感想メモ
佐久平の静かな集落に、白く輝く本格的な西洋風校舎のコントラストが面白いです。米国で学んだ地元の大工が地元住民の資金で建てたものとのこと。養蚕で栄えたこの地域の豊かさと子弟の教育に対する熱心さを窺い知ることができます。
(2025年6月訪問)

参考
解説版新指定重要文化財13

 

 

六面に地蔵菩薩を刻む室町時代の石幢

六地蔵幢


ろくじぞうとう
佐久市入澤
六地蔵幢36.172293, 138.490134
室町中期
石造幢
龕部頂面に永享十二稔庚申の刻銘がある

六地蔵幢は佐久平の南方、武州街道沿いに位置します。笠浦の刻銘によると建立が享12年(1440)で室町時代のものです。
・高さ2.188mで赤味のある安山岩で作られている
・中国の石幢は幢身に経文などを刻して人々に示したものだが、これに室町時代の地蔵信仰が結びつき、龕部の中をくりぬいて六面体に陽刻した六地蔵を納めた六地蔵幢になったもの

・笠裏には二軒の扇型垂木が彫りこまれている

アクセス
JR小海線羽黒下駅下車、北700mです。道路沿い西側にあります。
見学ガイド
六地蔵幢は、常時自由に見学することができます。

感想メモ
その文化的価値を過度に主張することなく、道路脇にひっそりと立つ石幢でした。こういった文化財が地域の文化的な奥深さを感じさせてくれます。
(2021年8月訪問)

参考
佐久市公式サイト

石川県能登地方にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
七尾市
藤津比古神社本殿
座主家住宅
輪島市
時国家住宅
上時国家住宅主屋、納屋、米蔵
旧角海家住宅主屋、塩物蔵、小豆蔵、米蔵、家財蔵
總持寺祖院大祖堂、仏殿、山門、鐘鼓楼及び回廊(鐘鼓楼)、鐘鼓楼及び回廊(回廊)、放光堂、経蔵、慧心廊、玄風廊、伝燈院御霊屋、伝燈院唐門、白山蔵、慈雲閣観音堂、白山社本殿、三樹松関、裏門
珠洲市
黒丸家住宅主屋、味噌蔵、米蔵、納屋
白山神社本殿
禄剛埼灯台
羽咋市
気多神社本殿、拝殿、摂社若宮神社本殿、摂社白山神社本殿、神門
妙成寺本堂
妙成寺祖師堂
妙成寺経堂
妙成寺書院
妙成寺庫裏
妙成寺五重塔
妙成寺三光堂
妙成寺三十番神堂
妙成寺鐘楼
妙成寺二王門
羽咋郡志賀町町居
松尾神社本殿
羽咋郡宝達志水町
喜多家住宅主屋、道具倉、味噌倉、表門
鳳珠郡穴水町
明泉寺五重塔
鳳珠郡能登町
中谷家住宅主屋、離座敷、土蔵、奉公人部屋及び東塀、正面門

 

 

能登一之宮の社殿群

気多神社


けたじんじゃ
羽咋市寺家町
気多神社本殿36.926077, 136.767534
江戸後期
桁行三間、梁間四間、一重、両流造、向拝一間、檜皮葺
摂社白山神社本殿36.926068, 136.767594
江戸後期
三間社流造、向拝一間、檜皮葺
摂社若宮神社本殿36.926095, 136.767451
室町後期
一間社流造、檜皮葺
拝殿36.925949, 136.767518
江戸前期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺
神門36.925728, 136.767464
室町後期
四脚門、切妻造、檜皮葺

気多神社は千里浜の北端近くの集落に鎮座しています。延喜式の名神大社に列し、古来能登一の宮として崇敬されてきました。応仁文明頃兵乱により荒廃しましたが、永禄年間には再興されています。本殿を中心として向って右に白山神社本殿、左に若宮神社本殿が並び、本殿の前に拝殿、その前方に神門が建ち、整った社頭景観をみせています。
・写真中央が拝殿で、右奥が摂社白山神社本殿、左奥が摂社若宮神社本殿

・写真中央が本殿で、右奥が摂社白山神社本殿、左が摂社若宮神社本殿、右手前の見切れた建物が拝殿



本殿

・藩主前田家の寄進により天明7年(1787)に造営されたもの
・類例の少ない三間社両流造で、梁行四間に一間向拝を付ける
・四周に擬宝珠高欄付きの縁を巡らす
・内部は前庇を外陣、身舎前の間を中陣、身舎後の間と後ろ庇を内陣とする
・これは神仏習合の影響を示すもの

・外陣、中陣、内陣のそれぞれの境には建具が入れられている

・向拝は江戸期の建築らしく多くの立体的な彫刻で飾られている

・身舎の装飾は抑制的で、蟇股の意匠も室町風

・組物の木鼻に鳳凰をかたどった意匠を採り入れているのは珍しい

・側面中央二間の欄間の雲をかたどった意匠も珍しい



摂社白山神社本殿

・本社本殿の右側に並んで建つ
・本社本殿と同年の棟札があり、本殿に合わせて規模意匠を整えている
・庇に高床を張った三間社流造で、一間向拝が付く

・妻には彫刻を多用するが、意匠は抑制的
・中間の柱上の鳳凰を形どった木鼻は本社本殿と同様

・内部は内陣と外陣に仕切られており、間に建具を入れる

・向拝の彫刻は江戸時代風の立体的なもの

・身舎の彫刻は室町風の抑制のきいたもの



摂社若宮神社本殿

・室町時代の永禄12年(1569)に能登守護畠山義綱により再建されたもの
・一間社流造り、檜皮葺で、全体的に繊細な建築
・四周に高欄付の切目縁をめぐらす

・蟇股の意匠は時代の特色をよく表す

・向拝は、大面取り角柱に連三斗で桁を受ける



拝殿

・小屋梁の墨書により承応二年(1653)より四年にかけての造立と知られている
・切石積基壇上に建ち、方三間、入母屋造、桧皮葺妻入で、切目縁を四方に回らす
・高欄は付けず、正面と両脇に石段を設ける
・・正背面中央間は栈唐戸を吊込み、他はすべて舞良戸引違とする

・総円柱で上部に粽を付ける
・木鼻付頭貫、台輪、出組の詰組など禅宗様を基調とするが、軒は平行垂木

・妻は組物を置き虹梁大瓶束とする

・内部は一室で、出組の通肘木上に格天井を張る



神門

・拝殿の前方に立つ四脚門で、全体に木割が太い
・建立年代は様式から桃山時代と推定されている

・親柱は円柱、柱上には冠木長押を置き、面取角柱の控柱と頭貫、腰貫、腰長押で繋ぐ

・軒は二軒で、組物は出三斗、棟下及び桁行中央にも組物上に梁を架して側桁と組み回している
・両妻は板墓股、中央は撥型の束を立てて棟を受ける

アクセス
JR七尾線羽咋駅からバスで一の宮下車、北500mです。
見学ガイド
気多神社は常時自由に参拝することができます。各社殿は近くから拝観することができますが、本殿と両摂社は壇上にあって、周囲の建物ら植栽のため視角は限られます。

感想メモ
能登地震後はじめて能登を訪問しました。この辺りは被害も少なかったようで、全く平常通りでした。国道を通る多くのダンプカーが奥能登の被害の大変さを物語っていました。気多神社は江戸時代の見地が多いのですが、抑制的な装飾で、中世の社殿のような落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
(2026年3月訪問)

参考
月刊文化財1982年5月号、新指定重要文化財11、石川県公式サイト

 

 

近世初期の日蓮宗伽藍

妙成寺


みょうじょうじ
羽咋市滝谷町
妙成寺本堂36.954435, 136.776027
桃山
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺
妙成寺祖師堂36.954420, 136.776294
桃山
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、こけら葺
妙成寺三光堂36.954439, 136.775759
江戸前期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、こけら葺
妙成寺経堂36.953613, 136.775824
江戸中期
桁行五間、梁間三間、一重、寄棟造、桟瓦葺
妙成寺五重塔36.953856, 136.775599
江戸前期
三間五重塔婆、とち葺
妙成寺三十番神堂36.954182, 136.775592
桃山
三間社流造、正面軒唐破風付、こけら葺
妙成寺書院36.954314, 136.776820
江戸前期
桁行15.0m、梁間14.0m、一重、寄棟造、こけら葺
妙成寺庫裏36.954119, 136.776993
江戸前期
桁行16.4m、梁間10.2m、一重、正面切妻造、背面入母屋造、東面庇付、妻入、こけら葺
妙成寺鐘楼36.954000, 136.776254
江戸前期
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、こけら葺
妙成寺二王門36.953853, 136.776278
江戸前期
三間一戸楼門、入母屋造、桟瓦葺

妙成寺は、羽咋市北端部の田園地帯に位置します。永仁年間(1295頃)、日乗上人によって開創された寺院で、北陸における日蓮宗の本山として信仰を集めてきました。近世に入って前田家の帰依を受け、慶長十七年(1612)から万治二年(1659)の間に、伽藍が整備されました。重要文化財に指定されている本堂ほか八棟は、このときに建立されたものであり、庫裏については前田家との関係を持つ以前にあたる文禄二年 (1593)頃の建立であると推定されています。
・本堂を中心に祖師堂、三光堂を横一線に並べる伽藍配置は近世以前の日蓮宗寺院に見られる様式だが、現存するものは非常に珍しい

・写真左が本堂で、右が祖師堂

・写真左手前が三光堂で、右が本堂

・鐘楼と仁王門

・鐘楼に左奥が祖師堂で、その隣が本堂



本堂

・桁行五間、梁行五間、入母屋造り、平入り、柿葺で、正面に一間の向拝を付ける
・切目縁を巡らせ、正面の中央柱間に双折の桟唐戸を建て込み、両脇の二間と側面の五間及び背面の五間には舞良戸を入れる
・全体として禅宗様を基調としている

・妻飾は虹梁大瓶束

・身舎の柱は円柱で、柱頭は粽、頭貫を通して台輪をのせる
・組物は簡素な平三斗の詰組

・向拝柱は大面取角柱

・内部は、内外陣に別れ、境には蔀戸を吊り込み、その上に吹寄菱格子の欄間を入れる
・内陣には禅宗様の須弥壇を設けている

・外陣天井は、外側を化粧屋根裏とし、内側に鏡天井を張る

・内陣は格天井を出組で支える



祖師堂

・宗祖日蓮上人、開山日像、その師の日朗の座像を祀る仏堂
・桁行五間、梁行五間、入母屋造り、柿葺の禅宗様を基調とした建築

・妻飾は二重虹梁大瓶束で、中央に装飾を施した双斗を置く珍しい様式

・柱頭に粽を持ち、柱上に台輪を回す
・組物は禅宗様尾垂木付きの三手先詰組

・内部は正面一間通りを外陣、両側面一間通りを脇間とし、中央部正面三間、側面四間に円柱を建てて内陣とする

・内外陣間の結界内法上に天人の図の欄間を飾る

・外陣の天井を化粧屋根裏とし、禅宗様の扇垂木を見せている

・内陣の天井を和様の小組格天井とし、これを禅宗様の三手先詰組で受ける

・内陣後方に須弥壇を造り禅宗様の厨子(附指定)を置く



三光堂

・堂内に日天・月天・明星天の三光天像を安置し、鎮守堂とも呼ばれる
・桁行五間、梁行五間、入母屋造、柿葺
・祖師堂と似た禅宗様を基調とする仏堂だが、柱間寸法が、祖師堂よりも短い

・粽付きの円柱、台輪は祖師堂と同様だが、組物は簡素な平三斗

・内外陣の区画や、結界内法上に欄間を置くことも祖師堂と同様



経堂

・加賀藩4代藩主前田光高の遺願によって建てられたもので、堂内には天海版一切経と妙法蓮華経の版木64枚が納められている
・桁行五間、梁行三間、寄棟造、妻入り、桟瓦葺で、禅宗様を基調とした簡素な仏堂
・周囲に切目縁を巡らし、前面一間通りを吹放しとする
・内部との境には中敷居を入れて格子戸を建て、他の三方は横羽目の板壁とし、背面中間に桟唐戸を入れる

・角柱に粽を付けた珍しい様式

・内部は拭板敷とし、中央後方に禅宗様の須弥壇を設け、来迎壁をつける
・来迎柱の上に禅宗様の三斗を組み、左右を虹梁で繋ぎ、梁上に大瓶束をたて、三斗組の上に格天井を張っている



五重塔

・方三間の和様を基調とした五重塔で、屋根は柿葺、相輪を含めた総高は34.18メートル

・初層の四周には、擬宝珠高欄を付けた切目縁を巡らす
・柱は円柱で、各重とも組物は和様尾垂木付きの三手先、中備は間斗束

・四周の各中央間の入口には幣軸付きの桟唐戸を入れ、人物・鳥獣・植物の浮彫を施す

・第二重より上は、柱間寸法を垂木3本ずつ逓減し、四周に組高欄を巡らしている(写真は第二重)



三十番神堂

・加賀3代藩主前田利常の大坂冬の陣の出陣祈願のために建立されたもので、別名を祈願堂とも称した
・内陣に、日蓮宗と密接に関係する三十番神(毎日交替して国家守護の祈願を受ける全国30柱の神々)祀る
・三間社流造り、正面軒唐破風付、柿葺
・身舎は円柱で、亀腹に据えた野面石の基礎の上に柱を建てる
・向拝は、大面取り角柱を三間の両端にのみ建てて一間とする
・柱・虹梁の木割が細く、全体に繊細で軽快

・組物は、和様三斗で、中備は四面ともに優美な蟇股を入れる

・向拝は角柱で、古風な水平の虹梁で身舎と繋いでいる



書院

・加賀藩5代藩主前田綱紀が、御霊屋を営み、あわせて参詣の休息所にあてるため建立したと伝えられる
・桁行7間、梁行7間、寄棟造り、柿葺で、石鬼・石棟を置く

・室境の内法長押上に優れた彫刻欄間を置く



庫裏

・前田家造営の諸堂とは異なり、柱間を京間ではなく、これより狭いものとしていることから、地元大工の手によるものであると考えられている
・正面切妻造、背面入母屋造、妻入で、妻壁は格子窓、無双窓、小庇のほか、柱・桁・束・貫を縦横に組み込む
・全体に木割が細く、端正な形の住房を兼ねた庫裏

・内部は、南半が板の間、土間および台所で、土間境に式台を設け、中央に大黒柱を立てて牛梁を受ける



鐘楼

・桁行三間、梁行二間、袴腰付、入母屋造り、柿葺
・袴腰は、地覆石の上に土台を置き、ささら子下見を張り、その広がりは上層の軒の出と対応して均整のとれた姿をしている

・脇間には吹寄せ菱格子を入れる

・組物は和様の三手先で、腰組も和様の三手先
・切目縁を張り、刎高欄をまわす



二王門

・参道正面の石段の上に建つ三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造り、桟瓦葺(当初は柿葺)
・装飾の少ない質素な意匠

・はね高欄付きの切目縁の上に円柱を建てて内法長押を回す
・組物は和様尾垂木付三手先で、中備は間斗束
・正面と背面中央間には桟唐戸を吊り込み、両脇間は連子とする

・腰組は和様三手先で、柱上と二手目のみに三斗を置く

・天井は格天井で、三斗、板蟇股で支える

アクセス
JR七尾線羽咋駅からバスで妙成寺口下車、南東1kmです。
見学ガイド
妙成寺は有料で拝観することができます。重文指定の堂宇の内部に入ることはできませんが、鳶が開かれているものが多く、内部を窺い知ることができます。

感想メモ
羽咋駅に着いたときは好天に恵まれていましたが、雨雲レーダーを見ると小さな雨雲の塊が近づいていました。妙成寺に到着するころには雨が降り出し、時折雨宿りをしながら広い境内を拝観することになりました。
妙成寺は深い木立に囲まれた静かな寺院ですが、こうした日のほうがいっそう静寂と幽玄の趣が際立つように感じられます。境内には十棟もの重要文化財建造物があり見応え十分ですが、これらが能登地震でも大きな被害を受けることなく往時の姿を保っていることには、深い感銘を受けました。
(2026年3月訪問)

参考
新指定重要文化財11、石川県公式サイト、妙成寺サイト

埼玉県川越・比企地域にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
川越市
大沢家住宅
喜多院書院、客殿、庫裏、慈眼堂、鐘楼門、山門
東照宮本殿、瑞垣、唐門、拝殿及び幣殿、随身門、鳥居
日枝神社本殿
旧山崎家別邸
氷川神社本殿
東松山市
光福寺宝篋印塔
箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿
比企郡小川町
吉田家住宅
比企郡川島町
広徳寺大御堂
旧遠山家住宅
比企郡ときがわ町
慈光寺開山塔

 

 

川越の蔵造り商家のさきがけ

大沢家住宅


おおさわけじゅうたく
川越市元町1丁目
大沢家住宅35.924471, 139.483168
江戸後期
土蔵造、桁行10.9m、梁間8.5m、二階建、切妻造、正面庇付、桟瓦葺

大沢家住宅は川越の中心部、川越伝統的建造物群保存地区に位置します。呉服太物商、西村半右衛門が寛政4年(1792)に建てられたもので、明治の川越大火でも焼け残り、川越商人に蔵造りを建てさせるきっかけになった建物の一つです。
・間口6間、奥行4間と大きな店で平入
・桟瓦葺・切妻造桟瓦葺屋根の総二階で、前面に奥行4尺の下屋庇が付く
・正面2階は黒漆喰仕上げで、大火直後の姿
・2階正面の窓は土塗りの親子格子で構成されており、土蔵造というよりも塗家造の町家に近い

・軒は出桁で支えるが、明治大火後の店蔵と異なり軒蛇腹はない

・大沢家の鬼瓦の影盛(写真左)は、明治の大火以後に建てられた隣接住戸の影盛(写真右)と比較して非常に薄く板状

アクセス
西武新宿線本川越駅下車、北1.2kmです。バス便も多数あります。シェアサイクルも利用できます。
見学ガイド
大沢家住宅は公道に面しているので、いつでも外観を見ることができます。

感想メモ
江戸時代に建てられた川越の蔵造り商家で、細部において明治の川越大火後の蔵造りとは異なる点が多く、興味深いです。
(2021年9月訪問)

参考
川越市公式サイト

 

 

江戸城紅葉山の別殿が残る

喜多院


きたいん
川越市小仙波町1丁目
喜多院客殿35.918008, 139.488535
江戸前期
桁行八間、梁間五間、床、違棚及び仏間附属、一重、入母屋造、こけら葺
書院35.918148, 139.488624
江戸前期
桁行六間、梁間五間、床、床脇及び押入附属、一重、一部中二階付、寄棟造、こけら葺
庫裏35.917998, 139.488795
江戸前期
母屋 桁行十間、梁間四間、一重、一部中二階付、一端入母屋造、他端寄棟造、とち葺形銅板葺
食堂 桁行四間、梁間三間、一重、一端寄棟造、他端母屋に接続、とち葺形銅板葺
慈眼堂35.917236, 139.489547
江戸前期
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、背面一間通庇付、本瓦葺
鐘楼門35.917330, 139.490160
江戸中期
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
山門35.917812, 139.490093
江戸前期
四脚門、切妻造、本瓦葺

喜多院は川越の旧市街地の東側に位置する天台宗の古刹で、川越大師として知られています。天長7年(830)慈覚大師円仁により創建されたと伝わり、天文6年(1537)の兵火で炎上後、慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)が法灯を継ぎ、徳川家からの支援を得て堂宇を復興します。寛永15年(1638)の川越大火では山門を除き堂宇はすべて焼失しましたが、徳川家光が堀田加賀守正盛に命じて復興にかかり、江戸城紅葉山の別殿を移築して客殿、書院等に当てました。その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建しました。明治の神仏分離令で東照宮、日枝神社は分離されています。


客殿

(2003年撮影): 
・上段の間は、この建物が江戸城にあった頃、3代将軍徳川家光公が生まれた部屋



書院

(写真中央が書院): 
・一部を中二階としている
・この建物が江戸城にあった頃に春日局が使用していた部屋が残されている



庫裏

・桁行10間、梁間4間の母屋(写真)と裄行東4間、西3間、梁間3間の食堂からなる



玄関(附指定)

・玄関広間、渡廊及び接続室とともに重要文化財に附指定されている



慈眼堂

・天海僧正入寂の二年後の正保2年(1645)に僧正の供養のために建立されたもの
・7世紀の古墳の上に建つ

・方三間宝形造で、背面(写真左)に一間通庇が付く

・二軒繁垂木、出三斗で中備は蟇股
・柱上部は粽で、台輪を廻し、禅宗様の木鼻



鐘楼門

・桁行3間、梁間2間、袴腰付、重層入母屋造り、本瓦葺で、縁には勾欄をめぐらす

・前面には竜の木彫

・背面には鷹の木彫



山門

・上段写真が前面で下段写真が内面
・切妻造本瓦葺の四脚門で、天海僧正が寛永9年(1632)に建立し、同15年の大火を免れた喜多院では現在最古の建造物

・冠木上の笈形付の束と梁上の板蟇股で棟を支える

アクセス
JR川越線・東武線川越駅・西武線本川越駅から北東約1kmです。非常に本数が少ないですが週末のみ運行の循環バスのバス停が門前にあります。川越駅周辺のシェアサイクルも利用できます。喜多院近くにもポートがあるので返却もできます。駅周辺のポートにはそれなりの数の自転車が備えられていますが、不足気味で休日の昼前に行ったら、まともな自転車は残っていませんでした。
見学ガイド
書院、客殿、庫裏は有料で公開されています。内部を見ることができますが、庭に下りることができないので、書院・客殿の外観の視角は非常に限られます。2003年当時と比べると立ち入り可能な範囲が狭まっているように思います。その他の建物は常時自由に見学することができます。慈眼堂周辺は夜間立入禁止です。慈眼堂は東面しています。

感想メモ
広い境内に江戸期の建物が多く残されています。今は立入禁止ですが、いつか庭園から書院や庫裏を眺めてみたいものです。
(2003年11月訪問、2021年9月再訪)

参考
喜多院公式サイト、川越市公式サイト

 

 

家康の日光改葬道中に大法要が営まれた

東照宮


とうしょうぐう
川越市小仙波町1丁目
東照宮本殿35.916444, 139.489346
江戸前期
三間社流造、銅瓦葺
瑞垣35.916519, 139.489417
江戸前期
一周延長三十間、本瓦葺
唐門35.916454, 139.489429
江戸前期
一間一戸平唐門、銅板葺
拝殿及び幣殿35.916483, 139.489590
江戸前期
拝殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺
幣殿 桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造、前面拝殿に接続、銅瓦葺
随身門35.916614, 139.490576
江戸中期
八脚門、切妻造、とち葺形銅板葺
鳥居35.916527, 139.489924
江戸前期
石造明神鳥居 柱に寛永十五年九月十七日の刻銘がある

東照宮は喜多院の南に隣接しています。明治の神仏分離までは喜多院の一部でした。元和2年(1616)駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬られ、翌年に日光山に改葬されました。その改葬の道中の4日間、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営んだことから境内に東照宮が祀られ、寛永10年(1633)に正式な社殿が造営されました。その後、川越大火により社殿が類焼したため、徳川家光公の命により再建に着手し、寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿です。
・左が本殿、右が唐門、手前が瑞垣



本殿(特別公開時に撮影)

・銅瓦葺の屋根に置き千木、堅魚木を載せた三間社流造
・軸部は黒漆塗、壁面・ 木階・垂木などは朱に塗られ、長押・頭貫・虹梁・組物・蟇股などの装飾部材は極彩色が施されるなど、日光東照宮に倣った装飾豊かな建築

本殿右背後より

・向拝柱の組物と手挟

・向拝と身舎正面の装飾

身舎左側面の装飾

妻飾

棟飾り

背面の装飾



唐門

・主要部を黒と朱で塗り、頭貫・台輪・軒桁・組物・蟇股などに極彩色が施されている



拝殿及び幣殿

拝殿: 
・単層入母屋造りで、正面に一間の向拝
・軸部は赤漆塗で、組物などには極彩色が施されている

拝殿側面(特別公開のため蔀戸が上げられている)

拝殿の向拝

拝殿の妻の装飾

拝殿の蟇股

拝殿の小組格天井

幣殿: 
・背面(写真左)が入母屋造りで、前面は拝殿(写真右)の屋根に接続



瑞垣

・延長30間の瓦葺で、中央正面に平唐門を開ける
・壁面の腰上部分に竪格子がはめられた透き塀で、全体を朱、格子を緑で塗っている
・大面取の角柱から腕木を出して出桁を受ける出桁造



随身門

・装飾の少ない簡素な朱塗の八脚門で、切妻造・とち葺形銅板葺



鳥居

・石造明神鳥居で、寛永15年(1638)に東照宮の造営奉行の堀田正盛が奉納
・柱に刻銘(下段写真)が見られる

アクセス
JR川越線・東武線川越駅・西武線本川越駅から北東約1kmです。喜多院の南隣に位置します。
見学ガイド
本殿、拝殿及び幣殿、唐門、瑞垣については周囲への立ち入りが制限されているので、瑞垣よりも外側の玉垣越しの見学になります。拝殿以外は正面からは見えないので、玉垣脇の狭い通路に回り込む必要があります。拝殿手前の扉は通常は閉鎖されていますが、休日等には開放されるようです。随身門と鳥居はいつでも自由に見ることができます。すべての重文建造物は東面しています。

感想メモ
東照宮には何度か行きましたが、うまく日の当たっているときにはなかなか当たりません。木立に囲われていて日が低いと日が射しません。昼間は銅瓦の反射が強いのと軒が深いのとで、うまく写真が撮れません。日が傾くと逆光になります。
(2020年7月訪問、2021年5月再訪)
社殿の特別公開の日に訪問しました。平日の早い時間に行きましたが、そこそこの人混みでした。瑞垣内に立ち入ることもできましたが撮影は禁止でした。瑞垣の連子の隙間からの撮影は御神体が写り込まない角度であれば大丈夫だということでした。連子の隙間が広いので助かりました。週末だと、人ごみで瑞垣外からの撮影は難しかったと思います。
(2022年11月訪問)

参考
喜多院公式サイト、現地解説板

 

 

東京赤坂・日枝神社の本社

日枝神社本殿


ひえじんじゃほんでん
川越市小仙波町1丁目
日枝神社本殿35.918217, 139.490625
室町後期
三間社流造、銅板葺

日枝神社は喜多院の北東に位置し、明治の神仏分離までは喜多院の一部でした。山王一実神道の関係から喜多院の草創時代から境内に祀られ、近江日枝神社を勧請したものといわれてます。なお、東京赤坂の日枝神社は、文明10年(1478)に太田道灌が江戸の地に城を築くに当たってここから江戸城内紅葉山に分祀したことにはじまるとされています。
・本殿は三間社流れ造り、銅版葺、朱漆塗りで、室町末期から江戸初期の様式をよく残す
・三間社としては規模が小さく、架構も簡素

アクセス
JR川越線・東武線川越駅・西武線本川越駅から北東約1kmです。喜多院と交差点を挟んで北東斜め向かいです。
見学ガイド
日枝神社には常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣越しの見学になります。瑞垣の背が高いので連子の隙間からしか見えませんが、本殿からの距離が近いので、ここからでは建物の全体像を写真に収めるのは難しいと思います。本殿の全体像をとらえることができるのは本殿右側の盛土の上しかないと思いますが、ここは切り崩された古墳の墳丘の一部であるとのことなので、お勧めしていいのかどうかよくわかりません。植栽が多いので、社殿全体に日が射すことはほとんどないと思います。

感想メモ
踏み固めた跡があったので、古墳の上から本殿を眺めました。やっぱりちょっと落ち着かないです。
(2020年7月、2021年9月訪問)

参考
喜多院公式サイト、川越市公式サイト

 

 

迎賓館としても利用された

旧山崎家別邸


きゅうやまざきけべってい
川越市松江町2丁目
旧山崎家別邸35.921732, 139.484459
大正
木造、建築面積一九二・三八平方メートル、一部二階建、一部地下一階、瓦葺一部銅板葺

旧山崎家別邸は川越の市街地に位置します。天明3年(1783)創業の老舗菓子店「亀屋」の五代目嘉七氏の隠居所として建てられました。山崎家は、山崎家別邸の設計は辰野金吾門下の保岡勝也で、陸軍大演習などで川越近郊を訪れた皇族方が宿泊されることもありました。
・洋館部(写真奥)と和館部(写真手前)からなる和洋館並列住宅で、洋館部だけが2階建となっている

・洋館庭園側にベランダが設けられ、その奥に客室、食堂が続く

アクセス
JR・東武川越駅から蔵の街方面行きバスで仲町下車、徒歩数分です。
見学ガイド
旧山崎家別邸は有料公開されており、内部も見学することができます。

感想メモ
展示物は興味深いものが多いのですが、主庭の一部しか立入りが認められていなくて、主庭に南面している別邸全体をを良い角度見ることができず残念でした。
(2020年7月訪問)

参考
川越市公式サイト

 

 

鎌倉後期の供養塔

光福寺宝篋印塔


こうふくじほうきょういんとう
東松山市岡
光福寺宝篋印塔36.089062, 139.405654
鎌倉後期
石造宝篋印塔

光福寺は東松山の郊外に位置します。宝篋印塔は、高さ2.1メートルで、基礎背面の銘文から元亨3(1323)年に藤原光貞と比丘尼妙明の供養のために建てられたものであることが知られています。
・笠や塔身に関東型の特徴を持つ一方で、基壇がないことや基礎の形状は関西型の特徴を持つ

・笠の上部に関東型の特徴が表れている

・塔身正面に「宝篋印塔」の文字が刻まれている
・塔身の縁取りは関東型の特徴

アクセス
JR熊谷駅と東武東上線東松山駅を結ぶバスで、東松山病院前下車徒歩5分。墓地の一角にあります。
見学ガイド
コンクリート製の覆屋がかけられ、正面のアルミ戸にはガラスがはめられていますが、覆屋の四隅にガラスのはめられていない隙間があり、コンデジならこの部分から撮影が可能です。いつでも自由に見学することができます。

感想メモ
無機質な覆屋で、多分見学も難しいかと思いましたが、四隅の隙間から宝篋印塔をよく見ることができたのでありがたかったです。細部まできれいに残っています。
(2020年7月訪問)

参考
東松山市公式サイト

 

 

精緻な彫刻で埋め尽くされた江戸末期の社殿

箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿


やきゅういなりじんじゃほんでん・へいでん・はいでん
東松山市箭弓町2丁目
箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿36.034511, 139.398444
江戸末期
本殿 三間社流造、背面軒唐破風付、銅板葺
幣殿 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、桟瓦葺、北面及び南面下屋附属、銅板葺
拝殿 桁行正面三間、背面五間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、桟瓦葺、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺

箭弓稲荷神社は東松山の市街地中心部に鎮座します。松山城主、川越城主をはじめ多くの信仰を集めた神社で、特に江戸時代には、江戸をはじめ、四方遠近からの参拝者で社前市をなしたといわれています。現社殿は、天保6年(1835)に本殿及び幣殿が上棟、天保11年(1840)までに拝殿が竣工した経過が明らかになっています。
・本殿(写真左)・幣殿(中央)・拝殿(右)からなる権現造の複合社殿
・各殿とも素木造りで精緻な彫刻が施されている

・拝殿は桁行が正面三間、背面五間、梁間三間の入母屋造、桟瓦葺
・正面に千鳥破風を飾り、軒唐破風付の向拝を付ける

・拝殿向拝の軒唐破風は彫刻で埋め尽くされている

・拝殿向拝柱と身舎は近世的な曲がりの大きな海老虹梁で繋がれている
・向拝手挟などの軒唐破風は彫刻で埋め尽くされている

・拝殿向拝虹梁や頭貫木鼻なども立体的な彫刻が施されている

・拝殿千鳥破風、拝殿向拝唐破風には複雑な形状の棟飾が載せられている

・拝殿大棟、下り棟も意匠が凝らされている

・幣殿は桁行三間、梁間一間、両下造で控えめな装飾としている

・本殿は梁間三間の大規模な三間社流造

・本殿の大きな妻飾は豪壮で、虹梁を三段重ね、彫刻を凝縮し、意匠性に富む

・本殿背面に軒唐破風を設けるのは珍しい

・本殿背後面には仙人の烏鷺(うろ)の彫刻が施されている
・烏鷺とは烏の黒、鷺の白から囲碁を意味し、この彫刻は木こりが仙人同士の囲碁を眺めている様子を示す
・いつの間にか時がたち、木こりの右手の斧の柄が朽ち果てている

・防火の願いを込めて、水に関わりのある霊獣の彫刻が縁の下に配置されている
・本殿四隅には龍の彫刻が施されている

・附指定の本宮本殿は本社本殿背後に位置する
・彫刻と彩色で装飾されている

アクセス
東武東上線東松山駅下車、西200mです。
見学ガイド
箭弓稲荷神社は常時自由に参拝することができます。本殿・幣殿・拝殿は近くから見ることができます。

感想メモ
重要文化財に新指定されたということで、少し前に出かけましたが、東松山駅でデジカメに電池を入れ忘れていることに気づいてUターン。今回改めて出直し。前回よりも天気が良くて結果は良かったかなと思います。
彫刻過多の建築はどちらかといえば苦手ですが、箭弓稲荷神社の彫刻は一つ一つが丁寧で力強く、見ごたえがありました。
本殿背面に日が射すのを待つ間、門前の茶店で田舎寿司を食べてゆっくりしていました。茶店のおかみさんによれば、昔は子供が多かったので七五三の季節は露店も多く出てもっと賑やかだったとのことです。
(2024年11月訪問)

参考
箭弓稲荷神社公式サイト、東松山市公式サイト、現地解説板、国指定文化財等DB

 

 

禅宗様の阿弥陀堂

広徳寺大御堂


こうとくじおおみどう
比企郡川島町表
広徳寺大御堂35.980203, 139.504357
室町後期
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺

広徳寺は荒川の右岸、川島町の田園地帯に位置します。大御堂とは、浄土信仰の盛んな平安末期から鎌倉期にかけての阿弥陀堂のことで、広徳寺の大御堂は13世紀はじめ、北条政子が創建したものと伝わり、現在の建物は、室町時代後期に再建されたものと考えられています。
・方三間の寄棟造、茅葺で関東地方では数少ない禅宗様の建築
・柱上の粽、台輪付きの木鼻、詰組などに禅宗様の特徴がみられる
・正面・側面とも中央間の幅が広く、この間の中備は2個の三斗

アクセス
JR高崎線桶川駅とJR川越線・東武線川越駅・西武線本川越駅を結ぶバスで牛ケ谷戸下車、南500mです。川越駅からは8km程度の平坦な道のりなのでシェアサイクルも利用できます。
見学ガイド
大御堂は常時自由に見学することができます。大御堂の周囲には低い鉄柵が設けられていますが、扉が開放されていたので間近に見ることができました。

感想メモ
禅宗様ですが屋根にはむくりがあって、柔らかな表情の建物です
川越駅周辺のシェアサイクルポートにはそれなりの数の自転車が備えられていますが、休日の昼前に行ったら、まともな自転車は残っていませんでした。ギア切り替えが安定しない自転車で往復16kmはちょっと大変でした。
(2021年9月訪問)

参考
川島町公式サイト