滋賀県の国宝・重要文化財建造物 (2)守山・野洲編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

滋賀県守山市、野洲市で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

守山市
懸所宝塔
東門院五重塔
最明寺五重塔
勝部神社本殿
小津神社本殿
野洲市
大行事神社本殿
圓光寺本堂
圓光寺九重塔
春日神社神門
御上神社本殿
御上神社拝殿
御上神社楼門
御上神社摂社若宮神社本殿
稲荷神社境内社古宮神社本殿
日吉神社本殿
大笹原神社本殿
大笹原神社境内社篠原神社本殿
生和神社本殿
生和神社末社春日神社本殿

 

 

鎌倉後期の大型の宝塔

懸所宝塔


かけしょほうとう
守山市金森町
懸所宝塔35.057094, 135.978618
鎌倉後期
石造宝塔

懸所宝塔は、江戸時代に近郷から現在地に移築したものと伝わり、様式や手法からみて鎌倉時代後期の造立と考えられています。規模が大きく全体に均整がよく取れており、細部意匠も精巧で優美な塔です。
・花崗岩製の宝塔で、高さは383㎝
・相輪を含め当初材がよく残されている

相輪: 
・伏鉢上に、八弁の請花、九輪、請花、宝珠を刻んでいる

・屋根には隅棟が造り出されている

・塔身首部は胴部とは別石とし、下段に縁高欄を、上段に柱を刻んでいる

・塔身胴部には扉構えを彫り出している

・基礎部は四石からなり、各石とも格狭間を入れ、その中に孔雀を各面で向き合う形に浮彫りしている

アクセス
JR東海道本線守山駅下車、北西1.85㎞です。バス便もあります。この地域の文化財巡りには草津駅・栗東駅のレンタサイクルが便利です。
見学ガイド
懸所は通常閉門のため、宝塔を見学する場合は、懸所を管理する善立寺に事前連絡が必要です。

感想メモ
常時閉門で少し敷居が高いかもと緊張して連絡しましたが、直前にもかかわらず非常に丁寧に対応していただけました。
宝塔は規模の大きな存在感のあるもので、また、細部の繊細な意匠も非常によく残されていました。
(2023年5月訪問)

参考
現地解説板

 

 

鎌倉後期の石造五重塔

東門院五重塔


とうもんいんごじゅうのとう
守山市守山町2丁目
東門院五重塔35.055628, 135.990765
鎌倉後期
石造五重塔

東門院は、延暦年間に比叡山の僧坊のひとつとして最澄が開き、桓武天皇から「比叡山を守る東門」として寺名を賜ったと伝えます。五重塔は各重とも塔身と笠からなる層塔形式の石造五重塔で、その様式から鎌倉時代の造立と考えられています。
・各重の笠と塔身を別石で造るなど古式な手法
・屋根は軒裏が軒先に 向かって反り上がり、軒反りは少ないが、屋根勾配は強い

第四重及び第五重(相輪は後補)

第二重及び第三重

初重正面: 
・基礎は四面とも素面で、幅が広く、成が低い
・初重の塔身は前後二石からなり、舟形輪郭内に、正面は阿弥陀と見られる仏座像を刻む

・初重背面には釈迦と見られる仏座像を刻む

アクセス
JR東海道本線守山駅下車、北西800mです。五重塔は東門院の山門の手前の路地を少し入ったところにあります。
見学ガイド
五重塔は常時自由に、すぐ近くから見ることができます。

感想メモ
背の高い塔ですが、全体に風化が進み、丸みを帯びていてやわらかい表情をしています。
(2023年5月訪問)

参考
現地解説板、守山市公式サイト

 

 

執権・北条時頼の寄進とされる石造五重塔

最明寺五重塔


さいみょうじごじゅうのとう
守山市勝部1丁目
最明寺五重塔35.050350, 135.992497
鎌倉後期
石造五重塔(相輪上部を欠く)

最明寺は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が入洛する途中この地に立ち寄って開いたと伝えられる寺院で、寺号も時頼が出家・隠棲後「最明寺殿」と呼ばれていたことにちなみます。石造五重塔は、このとき時頼が寺院とともに寄進したと伝えられています
・基礎から最上端の相輪までは約二・四メートル
・各層の屋根石は軒反りが弱く、屋根勾配も緩いことや軸部一体のつくりから、鎌倉時代後期の造立と考えられている

第四重及び第五重(相輪は一部欠損)

第二重及び第三重: 
・各重の屋根は上重の軸部と一体化している

・初重軸部は幅に対して高さがあり、四方仏が刻まれている

アクセス
JR東海道本線守山駅下車、西400mです。石造五重塔は本堂の右側、墓地の前にあります。
見学ガイド
最明寺の開門中は自由に五重塔を見ることができます。

感想メモ
いい感じに風化が進んでいて、実際よりもさらに古い石塔のようにも見えました。
(2023年5月訪問)

参考
守山市公式サイト

 

 

近江守護職佐々木高頼が再建した前室付本殿

勝部神社本殿


かつべじんじゃほんでん
守山市勝部1丁目
勝部神社本殿35.050892, 135.990772
室町後期
三間社流造、向拝一間、檜皮葺

勝部神社は大化5年(645)創建と伝わる古社で、中世武家時代には近江守護職佐々木六角・高頼、豊臣秀次、織田信長らの信仰を受けました。現在の本殿は、佐々木高頼が再建したと伝えます。
・この地域に多い前室付き三間社流造

前室前面

向拝の連三斗

精巧な手挟

アクセス
JR東海道本線守山駅下車、西600mです。
見学ガイド
勝部神社は常時自由に参拝することができます。本殿は土塀越しに見ることができます。

感想メモ
本殿の前面は拝殿でしっかりとふさがれていますが、側面の土塀の背が低く、地面が少し盛り上がっているところもあったので、前室付き三間社流造の本殿をよく見ることができました。
(2023年5月訪問)

参考
守山市公式サイト、現地解説板

 

 

装飾を前室と向拝に集中させた本殿

小津神社本殿


おずじんじゃほんでん
守山市杉江町
小津神社本殿35.073126, 135.959393
室町後期
三間社流造、向拝一間、檜皮葺

小津神社は小津氏が祖神と五穀の神を祀ったのに始まり、応仁の乱頃には、六角高頼により再興されたと伝わります。現本殿は、社記の記録から大永六年(1526)頃に改築されたものと考えられています。本殿の柱、組物などには当初材が良く残っています。
・滋賀県下に中世遺構の多い三間社流造前室付の本殿

本殿左側面: 
・前室の側面は板壁で、前室部分は床を一段低くし、長押も下げている

本殿背面: 
・隅柱上を舟肘木とするが、背面内側の柱上は軒桁を直接受ける

本殿前室: 
・出三斗とし、正面両脇間、側面に蟇股を飾る

本殿前室正面向かって左側の脇間の蟇股

本殿前室向かって左側の側面の蟇股

本殿身舎向かって左側の側面: 
・中央の柱上は大斗絵様肘木と簡素
・身舎の装飾を簡素にし、装飾を前室と向拝に集中させているのがこの本殿の特徴

・向拝は一間で、連三斗として中央に蟇股を置く

向拝の手挟

アクセス
JR東海道本線守山駅下車、北西4.5㎞です。バス便もあります。この地域の文化財巡りには草津駅・栗東駅のレンタサイクルが便利です。
見学ガイド
小津神社は常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣越しに見ることができます。

感想メモ
境内に入ると本殿正面は立派な拝殿でふさがれていて、ちょっと嫌な予感がしましたが、側面に回ると瑞垣の背が低く、規模の大きな前室付三間社流造の本殿をよく見ることができました。装飾の多い前室部分と簡素な身舎が対照的な興味深い社殿です。内々陣を豪華絢爛に飾り、内陣はこれよりは簡素な造りとする例はありますが、逆のパターンは珍しいように思います。
(2023年5月訪問)

参考
現地解説板

 

 

切妻造の珍しい様式の本堂

圓光寺・大行事神社


えんこうじ・だいぎょうじじんじゃ
野洲市久野部
圓光寺本堂35.073559, 136.025805
鎌倉前期
桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺
圓光寺九重塔35.073436, 136.025915
鎌倉前期
石造九重塔
康元□の刻銘がある
大行事神社本殿35.073665, 136.025867
室町中期
一間社流造、檜皮葺

円光寺は、江戸時代に天台山門派の長福寺と真盛派の円光寺とを統合して再興された寺院です。大行事神社は圓光寺の鎮守として創建されたものと考えられています。
圓光寺本堂: 
・鎌倉前期の康元二年(1257)建立で、江戸時代に入母屋造に改造されたが、昭和の解体修理の際に本堂建築としては珍しい切妻造に復原された

圓光寺本堂左側面: 
・円柱上に舟肘木を置き、内法長押は母屋か ら庇の間へ順に低く取り付き、板扉を釣り込む部分では二重長押としている

圓光寺九重塔(背後は本堂): 
・九重塔にも康元の刻銘がある
・相輪は欠落している

圓光寺九重塔軸部初層の仏像

大行事神社本殿: 
・室町中期に再建された一間社流造

大行事神社本殿の向拝の木鼻(背後は身舎前面の花狭間格子)

アクセス
JR東海道本線野洲駅北東700mです。大行事神社は圓光寺の境内にあります。
見学ガイド
圓光寺・大行事神社は、常時自由に見学することができます。大行事神社本殿は瑞垣越しの見学になります。覆屋の支柱等で視界が一部遮られます。

感想メモ
本堂は、巨大な流造の神社本殿のようで不思議な建築でした。
(2022年1月訪問)

参考
現地解説板

 

 

神社前の広場に残る室町後期の棟門

春日神社神門


かすがじんじゃしんもん
野洲市高木
春日神社神門35.099863, 136.056353
室町後期
棟門、檜皮葺

春日神社は奈良時代の創建と伝えられ、神門は室町後期に建てられた棟門です。
・本柱上部に冠木を渡し、腕木でこれを押さえ、腕木に板蟇股をのせて棟木を受ける
・腕木の両端に桁をわたして切妻屋根を乗せる

アクセス
JR東海道本線篠原駅西1.4kmです。野洲の文化財巡りには野洲駅近くのシェアサイクルが便利です。電動アシストはありませんが、平坦な土地なので問題ないと思います。神社まで野洲から5.2kmです。
見学ガイド
神門は常時自由に見学することができます。

感想メモ
両袖の壁がすでに跡形もなく失われており、神社の前の広場に棟門だけが孤立している不思議な景色でした。
(2022年1月訪問)

参考
現地解説板

 

 

近江富士三上山の麓に鎮座する明神大社

御上神社


みかみじんじゃ
野洲市三上
御上神社本殿35.049994, 136.027382
国宝・鎌倉後期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
御上神社拝殿35.049812, 136.027391
鎌倉後期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺
御上神社楼門35.049619, 136.027373
鎌倉後期
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺
御上神社摂社若宮神社本殿35.049998, 136.027249
鎌倉後期
一間社流造、檜皮葺

御上神社は、近江富士三上山の麓に鎮座しています。養老二年(718)に藤原不比等が勅命を拝して現在の鎮座地に社殿を造営し、以来朝野の尊崇を受けてきました。延喜の制では、明神大社に列せられています。武家執政の世になっても、源頼朝を始め各武将が崇敬し、徳川幕府に至るまで代々、神領の寄進や社殿の修営を行ってきました。
写真右が拝殿、中央が本殿、左が摂社若宮神社本殿

本殿: 
・様式手法からみて鎌倉時代後期の建立と推定されている
・入母屋造、漆喰壁、連子窓など仏堂的要素が融合した神社建築で、御上造とも呼ばれる

本殿左側面: 
・隅柱上にのみ舟肘木をのせる

本殿背面: 
・中央の扉は三上山の遥拝のためのもの

本殿の縁束: 
・縁束石には反花が刻まれている
・縁束石の地中部分に建武四年(1337)の刻銘があることから、縁廻り及び向拝はこの時期の改造と考えられている

本殿の向拝: 
・手挟(写真中央上部)は非常に珍しい形

拝殿: 
・鎌倉時代後期に旧本殿の部材を再利用して建立されたものと伝わる四方吹放ちの建物

拝殿(左手前)と本殿(右奥): 
・拝殿は、本殿の柱間寸法と殆ど変らない規模で、入母屋の破風を小さく構えるなど様式もよく似ている

拝殿細部(写真左が拝殿正面): 
・隅柱上のみに舟肘木をもち、二軒繁垂木である点も本殿と共通する
・正面中央間(写真左端)は内法長押を一段高くしている

楼門: 
・墨書から康安五年(1365)の建立とされる三間一戸の和様を基調とした楼門

楼門上層の組物: 
・頭貫に木鼻(写真中央下)をつけたのは禅宗様細部の混用
・組物は三手先だが、尾垂木が無いのは珍しい形式

・楼門の腰組は上層と同様に三手先の組物

摂社若宮神社本殿: 
・鎌倉時代後期の建築で、浜床を低く作る形式は古式に属する

摂社若宮神社本殿右側面: 
・母屋の円柱上には舟肘木をのせ、向拝は大面取の方柱で母屋との間に古式の直線的な繋虹梁をかける

摂社若宮神社本殿の向拝: 
・内部彫刻が簡素な古式の本蟇股を飾る

アクセス
JR東海道本線野洲駅南2.7kmです。野洲駅近くのシェアサイクルを利用することができます。
見学ガイド
御上神社は常時自由に拝観することができます。本殿の周囲に瑞垣等が設けられていないので、間近に見ることができます(正面、拝殿との間は立入禁止です。)

感想メモ
見ごたえのある鎌倉建築を間近に自由に見ることができて、大変ありがたかったです。滋賀は文化財の宝庫でありながら京都のように観光地化されていないので、こういった所が多いように思います。
(2022年1月訪問)

参考
御上神社公式サイト

 

 

室町中期の中規模の一間社

稲荷神社境内社古宮神社本殿


いなりじんじゃけいだいしゃふるみやじんじゃほんでん
野洲市小篠原
稲荷神社境内社古宮神社本殿35.066786, 136.034330
室町中期
一間社流造、こけら葺

古宮神社の草創は鎌倉時代で、本殿は近くの福林寺境内にあった十二所神社の建物を、大正三年に稲荷神社の境内に移築したものです。
・本殿は中規模の一間社で、室町時代の建立

・頭貫に禅宗様の木鼻をつけ、母屋正面の鴨居上の欄間や向拝の墓股に、唐草文様が見られる

アクセス
JR東海道本線野洲駅東1.3kmの国道沿いにあります。文化庁のDBには全く別の神社の場所が記載されています。
見学ガイド
稲荷神社は常時自由に拝観することができます。境内社は本社本殿の左にあり、西面しています。社殿は一段高い基壇上にあり、瑞垣の格子の隙間から見上げるような形になります。

感想メモ
文化庁のDBの位置情報はかなりいい加減で、間違っていることもしばしばあります。近年指定された文化財では時々こういうこともありますが、この神社のように古くから指定されている神社で間違っていることは珍しいと思います。
この日は自転車で大笹原神社に向かっている途中、偶然に稲荷神社を見つけることができたので、実害はありませんでした。
(2022年1月訪問)

参考
現地解説板

 

 

鎌倉時代後期に建立された一間社流造

日吉神社本殿


ひよしじんじゃほんでん
野洲市小篠原
日吉神社本殿35.071501, 136.041190
鎌倉後期
一間社流造、檜皮葺

日吉神社の創建については明らかにされていません。本殿は鎌倉時代後期に建立された一間社流造です。
アクセス
JR東海道本線野洲駅東2km、旧中山道をさくらばさまこども園の先で山側に入ったところにあります。文化庁のDBには同名の全く別の神社の場所が記載されています。
見学ガイド
日吉神社は常時自由に拝観することができます。本殿は瑞垣の格子越しの見学になります。

感想メモ
ここでも、文化庁DBの位置情報の間違いに出くわしてしまいました。この日二度目です。DBどおりの場所に確かに日吉神社があって、本殿に向かいましたが、どうも様子が違うし、文化財の表示もありません。調べてみると文化財のある日吉神社とは全く別の日吉神社であることが分かりました。この地域の座標の入力を担当した人、疲れていたのかな。
(2022年1月訪問)

参考
現地解説板

 

 

入母屋造の仏堂のような国宝本殿

大笹原神社


おおささはらじんじゃ
野洲市大篠原
大笹原神社本殿35.076517, 136.065854
国宝・室町中期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
大笹原神社境内社篠原神社本殿35.076487, 136.065744
室町中期
一間社隅木春日造、檜皮葺

大笹原神社は、社伝によると寛和2年(986)に吉備国より祭神を勧請したのがはじまりとされていますが、詳細は不明です。
右が本殿で、制札を挟んで左が境内社篠原神社本殿

本殿: 
・応永21年(1414)に再建された入母屋造の仏堂のような建築で、鰹木・千木も見られない
・正面三間と側面前方一間には花狭間格子戸を立て、廻縁も一段低くしている
・柱上は出三斗で、中備は蟇股
・蟇股のほか腰板の格狭間、脇障子の薄肉彫り、向拝の手鋏、花狭間格子戸の欄間などに華麗な彫刻装飾を豊富に取り入れている

本殿正面の花狭間格子戸

本殿正面右側の蟇股: 
・蟇股のほか出三斗の実肘木にも繊細な彫刻が見られる

本殿左側面

境内社篠原神社本殿: 
・軒の出が深い一間社隅木入り春日造の小社で、棟札から応永34年(1427)の建築とされる
・母屋の正側面に廻縁をつけ、脇障子は設けない
・母屋柱上に舟肘木、向拝柱上は連出三斗で、細部意匠も優れている

向拝の蟇股

アクセス
JR東海道本線篠原駅南西3.3kmです。村田製作所の南の森の中にあります。野洲駅近くのシェアサイクルを利用する場合は神社まで5kmです。軽い上りがあります。野洲駅から村田製作所行きのバスを利用する場合は、大篠原下車800mです。
見学ガイド
大笹原神社は常時自由に拝観することができます。拝殿脇に背の低い瑞垣が設けられており、その先には進むことはできません。少し離れたところからの見学になりますが、建物全体はよく見ることができます。細部の彫刻は少し見づらいと思います。

感想メモ
深い木立の中に建つ素木の桧皮葺の社殿が素晴らしかったです。装飾性の高い建物ですが、華美ではなく、全体として気品を感じることができました。
(2022年1月訪問)

参考
現地解説板、国会図書館レファレンス共同DB

 

 

室町前期と鎌倉後期の二殿が残る

生和神社


いくわじんじゃ
野洲市冨波乙
生和神社本殿35.079119, 136.033794
室町前期
一間社流造、檜皮葺
生和神社末社春日神社本殿35.079095, 136.033854
鎌倉後期
一間社流造、檜皮葺

生和神社の草創は平安時代で、その後、 鎌倉時代に領主鎌倉氏が祖先を氏神として祀ったとも伝えらています。
左が本殿で右が末社春日神社本殿

本殿: 
・大型の一間社で、墓股、花肘木及び格狭間などの意匠が近在の大笹原神社本殿 (応永二十一年(1414))よりやや古式なため、南北朝時代の建立と考えられている

本殿左側面: 
・脇障子の背後、本殿背面にも縁を廻す

本殿向拝の連三斗(左)と身舎の出三斗(右)

末社春日神社本殿: 
・規模の小さな一間社流造で、様式から鎌倉時代の建立と考えられている

末社春日神社本殿右側面: 
・身舎の組物は舟肘木で向拝は連三斗
・舟肘木や向拝の手挟などに鎌倉時代の様式を見て取れる
・向拝の水引虹梁は後補

アクセス
JR東海道本線野洲駅北東1.6kmです。
見学ガイド
生和神社は常時自由に拝観することができます。本殿及び末社は瑞垣の菱格子越しの見学になります。

感想メモ
もう、夕刻になっていたので、社殿の細部はうまく撮影出ませんでした。出直しかなぁ。
(2022年1月訪問)

参考
現地解説板