このブログについて:
奈良県生駒・郡山地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書くようにしています。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しました。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
大和郡山市 | |
額安寺五輪塔 | (1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8) |
松尾寺本堂 | |
慈光院 | 書院、茶室 |
小泉神社本殿 | |
五輪塔覆堂 | |
春日神社本殿 | |
矢田坐久志玉比古神社 | 本殿、末社八幡神社社殿 |
旧臼井家住宅 | 主屋、内蔵 |
旧岩本家住宅 | |
生駒市 | |
高山八幡宮本殿 | |
宝幢寺本堂 | |
円証寺本堂 | |
円証寺五輪塔 | |
長弓寺本堂 | |
長福寺本堂 | |
宝山寺獅子閣 | |
宝篋印塔 | |
圓福寺本堂 | |
圓福寺宝篋印塔 | (1)、(2) |
生駒郡平群町 | |
藤田家住宅 | |
生駒郡三郷町 | |
八幡神社本殿 | |
生駒郡安堵町 | |
中家住宅 | 主屋、新座敷、持仏堂、持仏堂庫裏、表門、米蔵及び牛小屋、新蔵、米蔵、乾蔵 |
鎌倉墓の五輪塔群
がくあんじごりんとう
額安寺五輪塔
がくあんじごりんとう
大和郡山市額田部北町
額安寺五輪塔 | (1) | 34.602895, 135.772805 鎌倉後期 石造五輪塔 永仁五季七月八日の刻銘がある |
(2) | 34.602919, 135.772805 鎌倉後期 石造五輪塔 永仁五年十月五日の刻銘がある | |
(3) | 34.602940, 135.772809 鎌倉後期 石造五輪塔 | |
(4) | 34.602953, 135.772812 鎌倉後期 石造五輪塔 | |
(5) | 34.602971, 135.772815 鎌倉後期 石造五輪塔 | |
(6) | 34.602969, 135.772841 鎌倉後期 石造五輪塔 | |
(7) | 34.602967, 135.772869 鎌倉後期 石造五輪塔 | |
(8) | 34.602960, 135.772887 鎌倉後期 石造五輪塔 |
額安寺は大和郡山の市街地南方の田園地帯の集落に位置する古刹で、聖徳太子が創建した熊凝(くまごり)の精舎の跡に建てられたものと伝わります。額安寺の北西にある石造五輪塔群は、鎌倉墓とも言われています。第八塔と第四塔の銘から鎌倉時代後期に造立されたものと考えられています。
・五輸塔は西側に東面して第一塔から第五塔までの5基(写真左)、北側に南面して第六塔から第八塔までの3基が鍵の手に並ぶ |
・手前の第一塔が忍性菩薩、その隣の第二塔が善願上人の供養塔 |
・第四塔には永仁5年(1297)の銘がある |
・第五塔の地輪には梵字が刻まれている |
・手前が東端の第八塔で、これにも永仁5年の銘がある |
アクセス 近鉄橿原線平端駅西1.1kmです。五輪塔は額安寺の境内ではなく、境内の北約400mの額田部窯跡の東にあります。向かって左端が第一号で、第八号までの8基の五輪塔が並んでいます。 |
見学ガイド 五輪塔は常時自由に見学することができます。 |
感想メモ 文化庁のデータベースの位置表示が間違っているので、少し迷いましたが、無時たどり着けました。大型のものから中型のものまで、鎌倉時代の五輪塔8基が、くの字型に並んでいる姿は壮観です。 (2022年12月訪問) |
参考 額安寺公式サイト |
中世の大型仏堂
まつおでらほんどう
松尾寺本堂
まつおでらほんどう
大和郡山市山田町
松尾寺本堂 | 34.634109, 135.728114 室町前期 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺 |
松尾寺は矢田丘陵の松尾山の山頂近くに位置する古刹で、養老2年(718)、舎人親王が日本書紀の無事完成と42歳の厄除けの願をかけて建立したと伝わります。現在の本堂は、建武4年(1337)に再建されたもので、中世の大型仏堂の貴重な遺構です。
・本堂は、桁行五間、梁間五間、単層、入母屋造、本瓦葺の和様を基調とした比較的簡素な建築意匠 ・木鼻、桟唐戸などに大仏様の様式も取り入れている |
本堂向拝 |
本堂左側面の軒廻り: ・二軒の繁垂木で、柱上は和様の出三斗、中備は間斗束 ・大仏様の木鼻(写真左下)が見られる |
アクセス 松尾寺はJR関西本線大和小泉駅からバスで山田町下車、西1.2mの山中にあります。矢田寺と松尾寺の間には遊歩道が整備されています。3km程度ですが山越えなので多少体力が必要です。 |
見学ガイド 松尾寺本堂はいつでも自由に見学することができます。 |
感想メモ 矢田寺からショートカットでということで山越えルートを選びました。想定以上のアップダウンの山道でビジネスシューズの限界を超えていました。 本堂は折衷様の立派なお堂でした。 (2021年4月訪問) |
参考 松尾寺公式サイト、大和郡山市公式サイト |
郡山城主の墓所
ごりんとうおおいどう
五輪塔覆堂
ごりんとうおおいどう
大和郡山市長安寺町
五輪塔覆堂 | 34.608622, 135.783146 桃山 桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、本瓦葺 |
五輪塔覆堂は、大和郡山市南部の田園地帯にある郡山城主筒井順慶 (1549~1584) の墓所の五輪塔に掛けられた覆堂です。
・覆堂は1間四方宝形造の建物 ・板塔婆を目透かしに打ち付け、頭貫と内法長押の間は連子窓とする |
アクセス 近鉄橿原線平端駅北300mです。 |
見学ガイド 覆堂周辺は柵で囲われているので、前面は少し離れたところから見ることになりますが、側面は比較的近くから見ることができます。 |
感想メモ 板塔婆を目透かし、斬新でびっくりしました。文化財巡りをしていると無粋な覆屋が最大の障害で、いつもフラストレーションが溜まりますが、こういう気の利いた覆堂なら大歓迎です。 (2022年12月訪問) |
参考 現地解説板 |
矢田山金剛山寺の鎮守
かすがじんじゃほんでん
春日神社本殿
かすがじんじゃほんでん
大和郡山市矢田町
春日神社本殿 | 34.649807, 135.736950 室町後期 一間社春日造、檜皮葺 |
春日神社は矢田山金剛山寺の境内の一角に鎮座します。もとは金剛山寺の鎮守でした。
・一間社春日造、檜皮葺 ・矢田久志玉比古神社の末社八幡神社社殿に似ているが、各部がやや形式化し、細部の手法からみてもやや時代の下ったものと考えられている |
向拝の蟇股(上)と組物(下) |
アクセス 春日神社は矢田寺の境内、本堂の手間、一段下がった場所にあります。矢田寺はJR関西本線大和小泉駅と近鉄郡山駅を結ぶバスで横山口下車、西に1.2mです。後半はやや急な上りです。矢田寺と松尾寺の間には遊歩道が整備されています。3km程度ですが山越えなので多少体力が必要です。 |
見学ガイド 春日神社本殿はいつでも自由に見学することができます。玉垣の内側から間近に見ることができます。 |
感想メモ こちらの社殿はすぐ近くから見ることができて有難かったのですが、似ているとされる矢田久志玉比古神社の末社本殿は近くから見ることができないので、似ているのかどうかよく分かりませんでした。 大和郡山市公式サイト |
参考 (2021年4月訪問) |
式内大社
やたにいますくしたまひこじんじゃ
矢田坐久志玉比古神社
やたにいますくしたまひこじんじゃ
大和郡山市矢田町
矢田坐久志玉比古神社 | 本殿 | 34.651901, 135.748134 室町前期 一間社春日造、檜皮葺 |
末社八幡神社社殿 | 34.651930, 135.748084 室町中期 一間社春日造、檜皮葺 |
矢田坐久志玉比古神社は矢田丘陵の東の田園地帯に鎮座します。貞観元年(859)に神戸(かんべ)を賜った記録があり、また、延喜式では大社に列していることから、かなり古い時期に成立していると考えられています。本殿は、室町時代初期に建立されたものです。
本殿: ・一間社春日造、檜皮葺の小社だが、木割りは荘重で、蟇股、木鼻の彫刻など、細部の手法も優れている |
末社八幡神社社殿: ・本殿の西に位置し、構造や手法が本殿に類似しているが、建築年代は少し遅れて室町時代中ごろと考えられている |
アクセス JR関西本線大和小泉駅と近鉄郡山駅を結ぶバスで横山口下車、北に500mです。神社周辺には案内標識が設置されているので迷うことはないと思います。 |
見学ガイド 矢田坐久志玉比古神社は、拝殿の手前までしか立ち入ることはできません。本殿と八幡神社社殿は、拝殿の手前左側から瑞垣越しに見学することになります。かなり距離があるので細部は見ることができません。 |
感想メモ 市の公式サイトを見入ると、荘重で細部意匠も優れた素晴らしい社殿であるようですが、遠くからしか見ることができないので、よく分かりませんでした。 (2021年4月訪問) |
参考 大和郡山市公式サイト |
藩の公用伝馬役の住宅
きゅううすいけじゅうたく
旧臼井家住宅
きゅううすいけじゅうたく
大和郡山市矢田町
旧臼井家住宅 | 主屋 | 34.652226, 135.753424 江戸中期 桁行17.6m、梁間7.0m、切妻造、茅葺、南面及び北面庇付、本瓦葺北面便所及び渡廊下附属、桟瓦葺 |
内蔵 | 34.652356, 135.753424 江戸中期 土蔵造、桁行4.8m、梁間3.8m、二階建、切妻造、本瓦葺 |
臼井家は、高取の植村藩城下に屋敷を構え、屋号を「伊勢屋」 と称して藩の公用伝馬の役を務める傍ら酒・醤油の販売を営んでいました。臼井家住宅は矢田の大和民俗公園内に移築保存されています。
主屋表側(上)と右側面(下): ・正面左端2間を格子構えとしながら、農家風の平面・外観を持つ |
主屋背面(左)と内蔵(右) |
主屋内部: ・右は背面側の庇を取り込んだ天井 |
・主屋土間の天井は竹簀子 |
内蔵: ・二階建で、建築年代は、主屋と同じ頃 |
アクセス 旧臼井家は矢田の大和民俗公園内にあります。民俗公園はJR関西本線大和小泉駅と近鉄郡山駅を結ぶバスで横山口下車、北に1.2km。矢田坐久志玉比古神社の近くを経由します。 |
見学ガイド 開園は午前9時~午後4時で、月曜日は休園です。建物の内部は主屋の土間のみ立ち入りが可能です。 |
感想メモ 移築建築ですが、周辺が街道風に整備されており、往時の風景を偲ぶことができます。武家屋敷、商家、農家の要素が混じった興味深い住宅です。 (2021年4月訪問) |
参考 現地解説板 |
室生の茅葺農家
きゅういわもとけじゅうたく
旧岩本家住宅
きゅういわもとけじゅうたく
大和郡山市矢田町
旧岩本家住宅 | 34.654776, 135.750664 江戸末期 桁行13.9m、梁間11.7m、入母屋造、茅葺 |
岩本家は宇陀市室生に所在していた農家で、庄屋を務めていたと伝えられています。臼井家住宅は矢田の大和民俗公園内に移築保存されています。
・桁行14メートル、梁間11メートル、入母屋造、茅葺の大型の住宅で、表側をせがい造りにしている |
・出入り口に向かって左半分(上段写真手前、下段平面図上側)を土間とし、正面側に馬屋、背面側にかまやを配している ・右半分は食違い三間取りに座敷三室を加えた6間取り |
アクセス 旧岩本家は矢田の大和民俗公園内にあります。民俗公園はJR関西本線大和小泉駅と近鉄郡山駅を結ぶバスで横山口下車、北に1.2km。矢田坐久志玉比古神社の近くを経由します。 |
見学ガイド 開園は午前9時~午後4時で、月曜日は休園です。建物の内部は土間のみ立ち入りが可能です。 |
感想メモ 軒の深い大型の堂々とした茅葺き農家住宅です。 (2021年4月訪問) |
参考 現地解説板 |
東大寺鎮守社の頓宮
たかやまはちまんぐうほんでん
高山八幡宮本殿
たかやまはちまんぐうほんでん
生駒市高山町
高山八幡宮本殿 | 34.745138, 135.722301 室町後期 三間社流造、檜皮葺 |
高山八幡宮は、奈良県最北部の丘陵地に鎮座し、天平勝宝元年(749)宇佐八幡宮の祭神を東大寺の鎮守社に勧請する際に頓宮を置いたのが始まりと伝えられています。本殿は、文明3年(1474)の焼討ち後、元亀3年(1572)に再建されたものです。
本殿: ・井桁の上に建てられた三間社流造、檜皮葺で、軸部は丹朱塗り ・梁間二間で、円柱上に舟肘木を組み、妻は豕扠首 ・向拝は中央間を広く取り、柱上は三斗で、中備は蟇股 |
・向拝内側には特徴的な繰型の手挟を備える |
・向拝西端の象鼻の図案は桃で、西の蟇股の図案は隼人瓜 ・向拝部分は後補も多い |
アクセス 近鉄奈良線富雄駅から近鉄けいはんな線学研北生駒駅経由のバスで高山八幡宮前下車、すぐです。このほか、近鉄奈良線生駒駅から近鉄けいはんな線白庭台駅経由のバスでひかりが丘下車、徒歩で900mのルートがあります。ともに、バスの頻度は1時間に1本程度です。 |
見学ガイド 高山八幡宮は常時自由に参拝することができます。本殿前面は拝殿が建てられていて、本殿を正面から見ることはできませんが、拝殿の左側面から瑞垣前に回り込むことができるので、本殿の左斜め前から瑞垣越しに見ることができます。背面も瑞垣越しに見ることができます。 |
感想メモ 細部には近世的な装飾が見られますが、全体として形の整った風格のある社殿です。 (2021年11月訪問) |
参考 生駒市デジタルミュージアム、高山八幡宮公式サイト、重要文化財高山八幡宮の保存修理(岩永雄一) |
和様を基調とした鎌倉時代の密教建築
ちょうきゅうじほんどう
長弓寺本堂
ちょうきゅうじほんどう
生駒市上町
長弓寺本堂 | 34.718596, 135.727310 国宝・鎌倉後期 桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 |
長弓寺は矢田丘陵東の新興住宅地に囲まれた丘の上にある真言宗寺院です。奈良時代、小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)らが、聖武天皇に従ってこのあたりで狩猟をした時に、誤射で長弓が命を落としたことから、聖武天皇がこの地に御堂を建て長弓の菩提を弔ったと伝えられています。現本堂は鎌倉時代の弘安2年(1279年)に建立されたものです。鎌倉時代初め南都では東大寺などの大寺院で復興改築がおこなわれましたが、その復興の気運が地方の寺院に至る起点となった遺構であるとされています。
・桁行五間、梁間六間、入母屋造、檜皮葺の和様を基調とした密教本堂 細部の意匠に大仏様を採り入れている |
正面軒廻り: ・軒は二軒の繁垂木で、柱上は和様の出三斗で、中備に左右対称の図案の蟇股を入れる |
右側面軒廻り: ・側面の中備は間斗束としている ・扉は大仏様の桟唐戸としている |
・頭貫の木鼻には大仏様の繰形が見られる |
・外陣は格天井で、前面一間は垂木を見せ化粧屋根裏としている |
アクセス 近鉄けいはんな線白庭台駅から東に徒歩20分です。学研北生駒駅から学園前駅行きのバスを利用することもできます。真弓3丁目で下車して西に約10分です。台地の上の住宅地を抜けて谷を下ったところです。 |
見学ガイド 長弓寺本堂はいつでも自由に見学することができます。外陣内部も見ることができます。 |
感想メモ 和様を基調とした柔らかなラインの建築です。新年ということで本堂には五色幕がかけられていて美しかったのですが、建物の細部は一部が見づらくなっていました。 (2021年1月訪問) |
参考 長弓寺公式サイト、生駒市デジタルミュージアム |
真言律宗寺院の鎌倉建築
ちょうふくじほんどう
長福寺本堂
ちょうふくじほんどう
生駒市俵口町
長福寺本堂 | 34.705607, 135.695229 鎌倉後期 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、背面下屋附属、本瓦葺 |
長福寺は生駒の市街地の北に位置する真言律宗の寺院です。行基が開創したと伝わる古刹で、鎌倉時代には実詮(じっせん)律師が中興しました。現在の本堂はそのときのものです。
・本堂は桁行五間、梁間三間、入母屋造で、一間の向拝が付く ・向拝も当初から付けられていたものと考えられている |
アクセス 近鉄奈良線生駒駅からバスで俵口下車、徒歩10分です。バス停から阪奈道路のガードを潜り、側道を西に上ります。上りきった辺りの阿弥陀寺の手前の路地を右折し、曲がりくねった道を北に進むと長福寺の山門前に出ます。 |
見学ガイド 長福寺本堂は、山門が開いていれば、自由に見学することができます。開門時間についての情報は見当たりません。 |
感想メモ 鎌倉時代の建物ですが、情報が非常に限られています。静かな良い雰囲気のお寺です。 (2021年1月訪問) |
参考 生駒市観光協会公式サイト、重要文化財長福寺本堂保存修理事業(奈良県教育委員会資料) |
擬洋風の客殿
ほうざんじししかく
宝山寺獅子閣
ほうざんじししかく
生駒市門前町
宝山寺獅子閣 | 34.684942, 135.686872 明治 建築面積92.1m2、二階建、寄棟造、車寄切妻造、桟瓦葺 |
宝山寺は生駒山の奈良県側の中腹に位置する寺院で、江戸時代から聖天信仰で栄えてきました。獅子閣は宝山寺の擬洋風の客殿で、横浜で洋風建築を学んだ日本人棟梁の手によるものです。
西面: ・総2階建、寄棟造で、漆喰壁に窓や出入口を開く |
南面ベランダ: ・1階は特に豪華で、柱間にアーチが渡され、天井にも装飾が見られる ・ベランダ柱間には円形断面の繰形をもつ手摺を設けている ・床下は懸造になっている |
一階ベランダ: ・アーチ中央には要石形の束が見られる |
二階ベランダ |
玄関の柱の装飾: ・フルーティング(縦方向の溝)や、柱頭と脚部の石造風の彫刻で飾っている |
一階洋室: ・出入口扉には、赤・緑・黄 朱・青紫の色ガラスを嵌め込んでいる ・西南隅に木製螺旋階段が設けられている |
二階和室: ・10畳2室を並べ、上の間に半間の床の間・違棚・押入を設け、金箔で豪華に仕上げている |
アクセス 近鉄奈良線生駒駅からケーブルカーで宝山寺下車、石段を200mほど上ったところです。獅子閣は宝山寺の中門をくぐり、右に入ったところにあります。 |
見学ガイド 獅子閣は通常非公開で、周囲の建物の間から一部を見ることができる程度です。獅子閣は不定期で特別公開されます。特別公開時は建物内部も見ることができます。山上の狭い場所に多くの建物が建てられていて視角が限られるため、建物の全体像をとらえるのは難しいと思います。 |
感想メモ 擬洋風でありながら、木材であることを隠しておらず、温もりのある建築です。 (2021年11月訪問) |
参考 宝山寺公式サイト |