このブログについて:
山口県北部(萩・長門地域)で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
萩市 | |
東光寺 | 大雄宝殿、鐘楼、三門、総門 |
大照院 | 本堂、書院、庫裏、経蔵、鐘楼門 |
常念寺表門 | |
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 | |
菊屋家住宅 | 主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場 |
熊谷家住宅 | 主屋、離れ座敷、本蔵、宝蔵 |
口羽家住宅 | 主屋、表門 |
森田家住宅 | |
長門市 | |
早川家住宅 |
長州藩主が開いた黄檗寺院
とうこうじ
東光寺
とうこうじ
萩市椿東
東光寺 | 大雄宝殿 | 34.412813, 131.426052 江戸中期 桁行正面五間、背面三間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 |
鐘楼 | 34.413196, 131.425738 江戸中期 桁行三間、梁間一間、一重二階もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし桟瓦葺 | |
三門 | 34.413436, 131.424627 江戸後期 三間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付 山廊 各桁行二間、梁間二間、切妻造、本瓦葺 | |
総門 | 34.413705, 131.424029 江戸中期 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造段違、本瓦葺 |
東光寺は萩の市街地東方の丘陵に位置する黄檗宗の寺院です。長州藩主毛利吉就が開いたもので、大雄宝殿(だいおうほうでん)、鐘楼、三門、総門の4棟が重要文化財に指定されています。伽藍は西に向き、正面の総門を入ると三門、大雄宝殿がほぼ一直線上に並び、鐘楼は大雄宝殿の北脇にあって南面しています。総門、鐘楼、大雄宝殿の三棟は1693年(元禄6)から1698年(元禄11)の間に建立されたものであり、三門は遅れて1812年(文化9)に竣工しています。
大雄宝殿: ・桁行が正面五間、背面三間、梁間四間、一重裳階付の仏殿で、正面一間通りは吹放ち ・屋根は本瓦葺きで、棟の中央に宝珠(写真下段)、両脇に鯱(しゃち)をのせる ・軒は身舎が扇垂木、裳階が平行垂木 ・内部は土間で、天井は中央部に格天井を張り、その周囲は化粧屋根裏 ・黄檗宗建築特有の本堂形式 |
鐘楼: ・黄檗宗建築特有の裳階付で、主屋の組物などは大雄宝殿と同じ手法 ・楼上には太鼓も置かれ、鼓楼も兼ねている ・もとは正面一間通りが廻廊に接続していた |
三門: ・桁行三間、梁間三間の二階二重門で、左右に山廊を配する ・禅宗様を基調としている |
総門: ・掲げられている扁額(写真中段)の銘から元禄年間の建設と考えられている ・桁行三間、梁間二間で、中央部に一段高く切妻造りの屋根をかけて、大棟上に怪魚マカラ(写真下段)を飾る ・黄檗宗総門の形式を示す中国風の門 |
アクセス 市内循環バス東光寺前バス停下車すぐです。東萩駅から約2kmの軽い登りですが電動アシストレンタサイクルなら苦にならないと思います。松陰神社付近からは川沿いの自転車歩行者専用道です。 |
見学ガイド 総門は公道に面しており、いつでも見学することができます。その他の3棟は有料区域内にあるので、開門中のみ見学可能です。鐘楼周辺は立入りが制限されているので、少し離れた場所からの見学になります。 |
感想メモ 大規模な黄檗寺院ですが、明治維新後に取り壊された堂宇も多く、境内全体が草木に覆われています。時代の流れを感じさせられます。境内の毛利家墓所は萩を代表する景観の一つです。 (2004年11月訪問、2020年8月再訪) |
参考 山口県教育庁公式サイト、東光寺公式サイト |
京都聚楽第裏門であったとされる四脚門
じょうねんじおもてもん
常念寺表門
じょうねんじおもてもん
萩市下五間町
常念寺表門 | 34.414206, 131.402214 桃山 四脚門、切妻造、両袖潜戸付、本瓦葺 |
常念寺は萩の市街地に位置します。寺伝によれば、この門は、もと京都聚楽第にあった裏門とされ、これを豊臣秀吉から毛利輝元がもらい受けて伏見の自邸に移建し、のちに輝元が萩城内に移し、さらに常念寺に移したといわれています。
・桁行3.66mの四脚門で、切妻造り本瓦葺き ・両袖にくぐり戸がつく |
・板蟇股の繰形の豪放さに桃山時代の特徴が表れている |
アクセス JR山陰線東萩駅から西に徒歩15分です。循環バスの吉田町バス停からは徒歩3分です。 |
見学ガイド 常念寺表門は公道に面して建てられているので、いつでも自由に見ることができます。 |
感想メモ 小規模な門なので見逃してしまいそうですが、大胆な意匠の板蟇股など、見どころがあります。 (2020年8月訪問) |
参考 山口県観光連盟公式サイト、萩市の文化財(萩市立図書館公式サイト) |
厚狭毛利家萩屋敷跡に唯一残された建築
きゅうあさもうりけはぎやしきながや
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
きゅうあさもうりけはぎやしきながや
萩市堀内
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 | 34.415130, 131.382076 江戸末期 桁行51.4m、梁間5.0m、一重、入母屋造、本瓦葺、南面及び東面庇付、桟瓦葺 |
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋は萩城跡大手門前に位置します。この場所は、厚狭毛利家の屋敷のあったところで、屋敷内の建物は、明治維新に際に取り壊され、1856年(安政3)上棟の棟札があるこの長屋だけが残されました。仲間長屋であったとも伝えられています。
・桁行は51.4m、梁間は5mの長い建物です。屋根は一重、入母屋造り本瓦葺き ・西側(写真中段)は切断されており、当初はこれよりもさらに長い建物であった ・南面(写真上段)は開放的で、障子を建て、ぬれ縁を設け、軒も垂木を見せ、全面に庇を付けている ・内部は部屋部分と、中二階付物置、土間からなり、部屋部分は、梁行間仕切をくい違いにしているところが特徴 |
アクセス JR山陰線萩駅から循環バスで萩城址・指月公園入口下車すぐです。東萩駅を経由する循環バスは途中で乗り換えが必要になります。東萩駅からは3km。レンタサイクルでの街巡りに組み込めます。 |
見学ガイド 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋は有料で公開されています。縁側から見学します。北面は公道に面しています。 |
感想メモ 武士の質素な暮らしを窺うことができます。 (2004年11月訪問、2020年8月再訪) |
参考 山口県教育庁公式サイト |
最古級の大型町屋建築
ききやけじゅうたく
菊屋家住宅
ききやけじゅうたく
萩市呉服町1丁目
菊屋家住宅 | 主屋 | 34.412943, 131.393534 江戸中期 桁行13.0m、梁間14.9m、切妻造、北面庇、東面庇及び突出部、南面庇附属、 南面突出部 桁行6.7m、梁間7.1m、切妻造、桟瓦葺 |
本蔵 | 34.412728, 131.393535 江戸後期 土蔵造、桁行12.7m、梁間4.8m、二階建、切妻造、桟瓦葺 | |
金蔵 | 34.412668, 131.393440 江戸後期 土蔵造、桁行6.0m、梁間4.3m、二階建、切妻造、桟瓦葺 | |
米蔵 | 34.412577, 131.393418 江戸後期 土蔵造、桁行11.8m、梁間4.0m、切妻造、東面庇附属、桟瓦葺 | |
釜場 | 34.412661, 131.393534 江戸中期 桁行6.0m、梁間4.0m、切妻造、桟瓦葺 |
菊屋家住宅は萩城下町の中心部に位置します。菊屋家は慶長年間(1596~1615)萩に移り、以来代々藩の御用を勤めてきた豪商です。菊屋家住宅の主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵の5棟が重要文化財に指定されています。
主屋: ・桁行13.0m、梁間14.9m、切妻造り、桟瓦葺きの建物 ・平面は西側に通り土間があり、背面突出部の台所へ続く ・上手は前寄り一間半を「みせ」とする ・全国でも最古に属する大型の町屋建築であるとされている |
本蔵(写真左)、金蔵(写真中央)及び米蔵(写真右奥): ・本蔵は、主屋の後方にあり、土蔵造り二階建、切妻造りの桟瓦葺き ・金蔵は小規模な土蔵だが、石造の地下室を持つのが珍しい ・米蔵は桟瓦葺きの土蔵で内部は石敷の床、屋根は置屋根 |
金蔵(写真中央奥) |
釜場: ・金蔵の東側にある桁行6.0m、梁間4.0m、切妻造り、桟瓦葺きの小規模な建物 ・北面は吹き放し、ほか三方は大壁 |
アクセス JR山陰線萩駅から循環バスで萩博物館前下車すぐです。東萩駅を経由する循環バスは途中で乗り換えが必要になります。東萩駅からは2km。レンタサイクルでの街巡りに組み込めます。 |
見学ガイド 主屋は公道に面しているのでいつでも自由に見ることができます。米蔵、本蔵、金蔵は塀越しに公道から見ることができます。米蔵を除く各棟は有料公開されています。主屋、金蔵、釜屋の内部も見ることができます。 |
感想メモ 城下町を代表する立派な町屋です。 (2004年11月訪問、2020年8月再訪) |
参考 山口県教育庁公式サイト |
藩御用達の豪商の館
くまやけじゅうたく
熊谷家住宅
くまやけじゅうたく
萩市今魚店町
熊谷家住宅 | 主屋 | 34.416578, 131.395851 江戸後期 桁行14.4m、梁間15.4m、一部二階、切妻造、南面及び北面庇附属、東面及び西面各北端庇附属、 東面突出部 桁行7.7m、梁間7.0m、入母屋造段違、桟瓦葺、一部庇銅板葺 |
離れ座敷 | 34.416812, 131.395975 江戸後期 桁行11.4m、梁間6.0m、切妻造、桟瓦葺、東西南各面庇付、桟瓦及びこけら葺、 西面突出部 桁行2.5m、梁間7.5m、両下造、南面庇付、桟瓦葺、西面便所附属 | |
本蔵 | 34.416812, 131.395901 江戸中期 土蔵造、桁行14.8m、梁間4.8m、二階建、切妻造、本瓦葺、南面及び東西渡り廊下附属、桟瓦葺 | |
宝蔵 | 34.416624, 131.396084 江戸後期 土蔵造、桁行5.9m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺 |
熊谷家住宅は海岸線にほど近い萩の市街地に位置します。熊谷家は問屋と金融、仲買、製塩を業とし、萩藩御用達として栄えた豪商です。熊谷家住宅は、熊谷五右衛門が明和5年(1768)に新築したものといわれており、主屋・離れ座敷・本蔵・宝蔵の4棟が国の重要文化財に指定されています。
主屋: ・南面し、桁行14.4m、梁間15.4m、一部二階建てで、屋根は切妻造り、桟瓦葺き ・東側面(写真右)には入母屋の突出部(茶室)を付ける ・離れ座敷は庭を隔てて主屋の後方にある桟瓦葺の数寄屋風の建物 ・本蔵は主屋の奥で離れの西、宝蔵は主屋の北東にある |
アクセス JR山陰線東萩駅から循環バスで熊谷美術館前下車すぐ。駅からは1.5kmで、レンタサイクル利用も便利です。 |
見学ガイド 主屋は公道に面しているのでいつでも自由に見ることができます。その他の建物は公道からは見ることができません。熊谷家住宅は熊谷美術館として有料公開されていますが、開館日は火曜日と土曜日だけです。訪問したのが閉館日であったため、有料区域からどの程度重文建築を見学できるかは確認できていません。 |
感想メモ 主屋しか見ることができませんでしたが立派なお屋敷です (2020年8月訪問) |
参考 山口県教育庁公式サイト |
吉田松陰の養母の実家
もりたけじゅうたく
森田家住宅
もりたけじゅうたく
萩市黒川
森田家住宅 | 34.437201, 131.450086 江戸後期 桁行18.7m、梁間14.4m、一部二階、入母屋造、四面庇付、北面湯殿及び雪隠附属、桟瓦葺 |
森田家住宅は萩の市街地東方、棚田の広がる山間地に位置します。森田家は、旧黒川村を開拓した功績により代々庄屋を勤め、苗字帯刀を許された家柄です。毛利藩主鷹狩の際には、休憩所や本陣にあてられたといわれています。重文指定された母屋は、18世紀中期の建築です。吉田松陰の養母の実家でもあり、松陰も幼い頃、通っていたといわれています。
・門の奥に見えている建物が重文指定の主屋 ・式台付きの玄関(写真左の倉庫の陰)を有し、武家屋敷をしのぐほど立派なもの |
アクセス JR山陰線東萩駅から、津和野行バスで吉田入口下車。バス停から少し進むと右手に森田家入口の案内看板があります。東萩からのバスは一日5本程度ですが、萩バスターミナルからの吉部止めのバスなども利用できます。東萩駅のレンタサイクルもりようできます。駅からは6km、高低差160mです。 |
見学ガイド 森田家は非公開です。生垣や前面の建物に遮られて、重文指定の主屋はほとんど見ることができません。 |
感想メモ 東萩電動レンタサイクルを利用しました。そこそこ上りますが、それほど大変ではなかったです。建物の一部を門の外から見ることができるのは上の写真にあるような門の手前くらいしかないと思います。この場所が私有地なのかどうか判別できませんが、バス通りに案内看板があったことから、この場所まで立ち入らせてもらいました。 (2020年8月訪問) |
参考 萩市公式サイト |
青海島の網頭の住宅
はやかわけじゅうたく
早川家住宅
はやかわけじゅうたく
長門市通
早川家住宅 | 34.419895, 131.252114 江戸後期 土蔵造、桁行12.8m、梁間11.5m、一部二階、南面入母屋造、北面切妻造、東面庇付、桟瓦葺 |
早川家住宅は、青海島の南東端、江戸時代の捕鯨基地であった通(かよい)集落に位置します。早川氏は通鯨組の創設に貢献し、代々網頭(あみがしら)や浦方役人を務めてきました。天明5年(1785)通浦大火で早川家は類焼し、もと網頭で廻船問屋を営んでいた黒川甚兵衛の蔵を買い取って移り住んだものが現在の住宅であると伝えられています。全国的に数少ない18世紀後半の漁家の遺例です。
・路地に接して東面し、西側は石垣を築いて海側道路に面した土蔵造り一部二階建 |
アクセス JR仙崎駅又は長門市駅から青海島・通行きバスで文化財早川邸前下車。バス停からすぐ。バス通りから一本山側の細い路地に面しています。バス通りに案内の石柱が立っています。 |
見学ガイド 非公開ですが、建物が公道に面しているため外観の見学は可能です。バス通りからも建物背面を見ることができます。 |
感想メモ 便数の非常に少ないバスが一つ先の終点で折り返すので、帰り便までの時間が短く、駆け足の見学でした。 (2020年8月訪問) |
参考 長門市公式サイト、全国重文民家の集い公式サイト |