和歌山県の国宝・重要文化財建造物 (2)紀中・紀南編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

和歌山県紀中・紀南地方で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

有田市
浄妙寺本堂
浄妙寺多宝塔
田辺市
鬪雞神社本殿、西殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿
熊野本宮大社第一殿・第二殿(西御前・中御前)、第三殿(証誠殿)、第四殿(若一王子)
新宮市
旧西村家住宅主屋
有田郡湯浅町
角長(加納家住宅)主屋、土蔵、穀蔵、麴室、仕込蔵、醤油蔵、樽蔵、醤油蔵(北)、醤油蔵(南)、角蔵、辰巳蔵
有田郡広川町
濱口家住宅主屋、本座敷、御風楼、新蔵、文庫、南米蔵、北米蔵、大工部屋、左官部屋
広八幡神社本殿
広八幡神社拝殿
広八幡神社摂社高良社本殿
広八幡神社摂社若宮社本殿
広八幡神社摂社天神社本殿
広八幡神社楼門
法蔵寺鐘楼
有田郡有田川町
白岩丹生神社本殿
吉祥寺薬師堂
法音寺本堂
薬王寺観音堂
長樂寺仏殿
雨錫寺阿弥陀堂
鈴木家住宅
安楽寺多宝小塔
日高郡日高川町
道成寺本堂
道成寺仁王門
東牟婁郡那智勝浦町
熊野那智大社第一殿(滝宮)、第二殿(証誠殿)、第三殿(中御前)、第四殿(西御前)、第五殿(若宮)、第六殿(八社殿)、御県彦社、鈴門及び瑞垣
那智山青岸渡寺本堂
那智山青岸渡寺宝篋印塔

 

 

紀中・紀南で唯一の鎌倉建築

浄妙寺


じょうみょうじ
有田市宮崎町
浄妙寺本堂34.076404, 135.114647
鎌倉後期
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺
浄妙寺多宝塔34.076611, 135.114478
鎌倉後期
三間多宝塔、本瓦葺

浄妙寺は有田川南岸、河口に近い丘陵地に位置します。寺伝によれば大同元年(806)に律宗寺院として創建されたと伝えられています。室町時代には当地の豪族の庇護を得ましたが、天正年間、兵火にあい本堂と多宝塔を残して建物の多くが焼失しました。これを紀州初代藩主徳川頼宣が復興させ、臨済宗に改宗しました。
本堂:
・桁行三間、梁間三間、寄棟造で、様式や手法から鎌倉時代の建築と考えられている
・ただし、当初の部材は組物、軒廻り、天井などのみで、他は江戸時代中期の後補
・もとは和様を基調とした建築だったが、江戸時代の修理で禅宗様を取り入れた

本堂左側面: 
・創建当初のものと考えられる和様の出組と腸の少ない蟇股
・禅宗様の花頭窓や柱上部の粽は江戸時代の後補
・向拝の手鋏には近世風の派手な彫刻

多宝塔: 
・本堂と同時期に建てられたと考えられているが、この建物も江戸時代中期に柱まわりが取り替えられている

多宝塔の相輪

・多宝塔上層の組物は四手先の尾垂木付

多宝塔下層: 
・組物は和様の出組に拳鼻を出す
・古風な左右対称の蟇股が見られる
・柱は粽のついた禅宗様に改修されている

アクセス
JR紀勢線箕島駅の南東1.8kmです。駅前のシェアサイクルも便利です。電動アシストはついていませんが、急な上りは寺の手前の200mほどだけなので、問題ないと思います。
見学ガイド
浄妙寺は常時自由に見学することができます。本堂は西面しています。

感想メモ
江戸時代の改変が大きいとのことですが、建物全体としては鎌倉建築の落ち着きを残しているように見えます。訪れる人がそれほど多くないお寺ですが、紀中・紀南地方には2棟しか残されていない鎌倉時代の木造建築が揃って静かに佇んでいました。
(2022年1月訪問)

参考
和歌山県公式サイト

 

 

社会思想家の洋風建築

旧西村家住宅


にしむらけじゅうたく
新宮市丹鶴1丁目
旧西村家住宅33.727850, 135.992663
大正
木造、建築面積129.70平方メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺、石段附属

旧西村家住宅は熊野川下流右岸、新宮城址近くに位置します。社会思想家で建築家でもあった西村伊作が、自邸として設計したもので、従来の家長中心の間取りとは大きく異なり、家族全員で過ごす一体的な空間をつくっています。
南面: 
・1階に、この住宅の中心となる居間と食堂を南庭に面して配置している
・2階には南面バルコニーに面して洋間の寝室を並べている

西面: 
・外観は、洋風にまとめる一方で、軒下には、紀伊熊野地方の民家でみられるガンギと呼ばれる雨よけも用いている

一階居間: 
・与謝野晶子と西村伊作が議論した応接セットもそのまま残されている

一階食堂

アクセス
JR紀勢線新宮駅下車、北西に500mです。
見学ガイド
旧西村家住宅は有料で公開されています。開館時間は9:00~17:00で、月曜日と年末年始は休業です。建物内部も見ることができます。

感想メモ
家長制から脱却した新しい家族の姿を思い描いて構想された間取りと、紀州の昔ながらの住宅様式の組み合わせが興味深いです。
(2020年12月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

湯浅の醤油醸造元

角長(加納家住宅)


かどちょう(かのうけじゅうたく)
有田郡湯浅町湯浅
角長(加納家住宅)主屋34.037198, 135.174279
江戸末期
木造、桁行15.9m、梁間7.9m、一部二階建、切妻造、南面及び北面東半下屋附属、西面突出部附属、本瓦葺、角屋附属、桟瓦葺一部銅板葺、離れ附属、本瓦葺一部桟瓦・銅板葺、作業場附属、本瓦葺
土蔵34.037343, 135.174317
明治
土蔵造、桁行6.9m、梁間4.0m、二階建、切妻造、本瓦葺
穀蔵34.037301, 135.174080
江戸末期
土蔵造、桁行11.8m、梁間5.1m、一部二階建、切妻造、本瓦葺一部桟瓦葺
麹室34.037293, 135.173990
明治
木造、桁行9.0m、梁間9.1m、切妻造、本瓦葺
仕込蔵34.037276, 135.173874
江戸末期
木造、桁行13.9m、梁間10.5m、二階建、切妻造、本瓦葺
醤油蔵34.037146, 135.173930
江戸末期
西棟、中棟、東棟からなる
西棟 木造、桁行14.4m、梁間8.0m、一部二階建、切妻造、本瓦葺
中棟 木造、桁行4.9m、梁間8.0m、切妻造、本瓦葺
 東棟 木造、桁行8.8m、梁間9.7m、切妻造、本瓦葺一部桟瓦葺
樽蔵34.037070, 135.174208
江戸末期
土蔵造、桁行7.9m、梁間7.0m、一部二階建、切妻造、本瓦葺
醤油蔵(北)34.037052, 135.174109
大正
木造、桁行11.9m、梁間8.4m、切妻造、桟瓦葺
醤油蔵(南)34.036971, 135.174182
明治
木造、桁行19.9m、梁間10.9m、切妻造、本瓦葺
角蔵34.037095, 135.174332
明治
土蔵造、桁行6.8m、梁間4.9m、二階建、切妻造、本瓦葺
辰巳蔵34.037086, 135.174435
江戸末期
土蔵造、桁行南辺12.6m、桁行北辺13.1m、梁間8.4m、切妻造、本瓦葺

角長(加納家住宅)は、湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区の北西部に位置し、大仙堀に面して敷地を構えた醤油醸造家の住居及び醸造施設群です。角長は、天保 12 年(1841)に現在地で創業し、順次敷地を拡大しながら現在に至るまで醤油醸造を続けています。
北町通りの北側には、醤油の積み出しに使われた大仙堀を背に、東半に居住部及び店舗である主屋や土蔵、穀蔵が建ち、西半には麹室、仕込蔵が並びます。北町通り南の南西部には樽蔵、醤油蔵(北)、醤油蔵(南)が建ち、南東部には角蔵と辰巳蔵が建ちます。
・写真中央奥が主屋、向かって右が角蔵、左の蔵が樽蔵、左端の板壁が醤油蔵(南)

主屋:
・木造、平屋建一部二階建、瓦葺で、東側や北側に座敷や離れを突き出す
・主体部は天保 12 年の創業時のものと考えられ、近代になって増築を繰り返した
・表構えは格子窓と縦板張りを基調とし、二階には虫籠窓(むしこまど)を開いた伝統的な町家の外観

角蔵:
・南東部の敷地の西側に建つ、土蔵造、二階建、瓦葺の小ぶりな土蔵
・墨書から明治 44 年(1911)に建築されたことが知られている

辰巳蔵:
・南東部の敷地の東に立地する規模の大きな蔵で、土蔵造、平屋建、瓦葺
・別の醸造家により慶応 2 年(1866)に醸造蔵として建てられたが、明治後期に角長が取得し西側を増築した

醤油蔵:
・北町通りに面して建つ木造、平屋建、一部二階建の長大な建物
・江戸末期に建設されたが、後に増築を繰り返した結果、構造は大きく三棟にわかれる
・内部は間仕切りのない大きな土間の空間で、仕込作業や圧搾、火入などの工程を行う

樽蔵(写真左奥は醤油蔵(南)):
・敷地南西部の東角に建つ土蔵造、二階建、瓦葺で、江戸末期に建設されたもの
・醤油販売用の樽を収納していた蔵

醤油蔵(南)(上段写真左側)と醤油蔵(北)(下段写真):
・樽蔵の西と南に並び建つ、木造、平屋建、瓦葺の規模の大きな蔵で、前者は大正 12 年(1923)、後者は明治後期に建設された
・醤油の貯蔵などを行う蔵

大仙堀に面した敷地北面:
・西端(写真右側)に規模の大きな仕込蔵、その東隣に麹室、その東に角長の文字が書かれた穀蔵、主屋の付属屋が続き、東端に土蔵が建つ

仕込蔵:
・醤油の醸造を行う規模の大きな蔵
・木造、二階建、瓦葺で、江戸末期に建設された
・仕込蔵の二階は天井を張らない一室の大空間で、梁や棟木には、醸造による酵母が付着し、角長の醸造施設のなかでも特に重要な空間となっている

麹室:
・仕込蔵の東に隣接して建つ、木造、平屋建、瓦葺で、醤油作りに必要な麹を仕込む建物
・明治 39 年(1906)の建築で、内部はレンガ積みの壁で東西二室に区切る

穀蔵:
・一部二階建の規模の大きな土蔵で、麹室の東に建つ
・当初は米蔵として使用されていたもので、主屋主体部と同じ江戸末期の建築と考えられている

土蔵:
・主屋の北東に隣接して建つ二階建の土蔵で、建設年代は明治中期にさかのぼるもの考えられている

アクセス
JR紀勢本線湯浅駅下車、北西1kmです。
見学ガイド
角長の重文指定建造物はすべて公道から見ることができます。現役の醸造施設であり、内部は非公開です。

感想メモ
大仙堀側も北町通側も、醤油の町を象徴する素晴らしい景観です。お土産に生醤油を買って帰りました。重文建築で育った麹で作られた醤油は昔懐かしい豊かな香りがします。
(2023年12月訪問)

参考
和歌山県記者発表資料

 

 

濱口梧陵とともに広村堤防を築いた東濱口家

濱口家住宅


はまぐちけじゅうたく
有田郡広川町広
濱口家住宅主屋34.026689, 135.172136
江戸後期
木造、建築面積86.00㎡、北面切妻造南面入母屋造、本瓦葺
本座敷34.026614, 135.171968
江戸後期
木造、建築面積154.81㎡、入母屋造、本瓦及び桟瓦葺
御風楼34.026790, 135.172114
明治
木造、建築面積275.10㎡、三階建、入母屋造、西面物置及び階段附属、桟瓦、本瓦及び銅板葺、石組附属
新蔵34.026927, 135.172094
明治
土蔵造、建築面積39.37㎡、二階建、切妻造、本瓦及び桟瓦葺
文庫34.026491, 135.171978
明治
土蔵造、建築面積34.71㎡、二階建、切妻造、本瓦及び桟瓦葺
南米蔵34.026843, 135.171698
江戸末期
土蔵造、建築面積58.42㎡、二階建、切妻造、本瓦及び桟瓦葺
北米蔵34.026963, 135.171821
明治
土蔵造、建築面積77.76㎡、二階建、切妻造、本瓦及び桟瓦葺
大工部屋34.026910, 135.171756
明治
木造及び煉瓦造、建築面積41.29㎡、二階建、切妻造、本瓦及び桟瓦葺
左官部屋34.026933, 135.171928
明治
土蔵造、建築面積23.22㎡、二階建、切妻造、本瓦葺

濱口家住宅は、紀伊水道に面した湯浅湾湾奥の広港近くに位置します。西濱口家の濱口梧陵とともに広村堤防の築造を支えた濱口吉右衛門家(東濱口家)の本宅です。東濱口家は西濱口家と遠祖を同じくし、銚子でヤマサ醤油を創業し、銚子の醤油産業の基礎を築いています。
主屋:
・安政の大津波で旧宅が壊滅したため、宝永4年~同5年(1707~1708)頃に初代吉右衛門が建築
・背後の建物は御風楼(ぎょふうろう)

御風楼:
・著名な客人を招いたとされる木造三階建ての建物で、独創性に富んだ意匠が随所に凝らされている

本座敷
・江戸後期の文化11年(1814)頃に6代目・吉右衛門が建築した入母屋造りの平屋敷

文庫

敷地西面:
・写真中央の煉瓦の建物が大工部屋、その向かって右隣りが南米蔵、左隣が北米蔵

アクセス
紀勢本線湯浅駅下車、南西1.2㎞です。
見学ガイド
濱口家住宅は非公開ですが、公道から新蔵、左官部屋以外の重文指定建築を部分的に見ることができます。濱口家住宅は毎年秋に特別公開されます。

感想メモ
この年の一般公開は諸般の事情で地元の方限定になったとのこと。何か大変そうです。そういうことで、公開日ではなかったですが、天気も良かったし、隣の公園から少しは見学できることも期待して訪問しました。公園は期待外れでしたが、周辺の公道から主要な建物をある程度見ることができました。御風楼はインパクトが大きいです。
(2023年12月訪問)

参考
広川町日本遺産推進協議会公式サイト、東浜植林株式会社公式サイト

 

 

「稲むらの火」で村人が避難した神社

広八幡神社


ひろはちまんじんじゃ
有田郡広川町広
広八幡神社本殿34.017710, 135.175327
室町中期
三間社流造、檜皮葺
広八幡神社拝殿34.017734, 135.175155
江戸中期
桁行二間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺
広八幡神社摂社高良社本殿34.017779, 135.175313
室町後期
一間社隅木入春日造、檜皮葺
広八幡神社摂社若宮社本殿34.017635, 135.175273
室町後期
一間社隅木入春日造、檜皮葺
広八幡神社摂社天神社本殿34.017829, 135.175344
江戸前期
一間社隅木入春日造、檜皮葺
広八幡神社楼門34.017782, 135.174909
室町後期
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺

広八幡神社は、紀伊水道に面した湯浅湾湾奥の高台に鎮座します。安政元年(1854)の津波の際、濱口梧陵が稲むらに火を放ち、村人たちをこの高台に一時避難させました。広八幡神社は6世紀に河内国誉田八幡宮から勧請されたと伝えられる古社で、天正年間には豊臣氏の紀州征伐により一部焼失しましたが、江戸時代には紀州徳川家の手厚い保護を受け、次第に興隆していきました。境内には室町時代に造営された本殿をはじめ、6棟の国指定重要文化財を有しています。
本殿(写真右奥)と拝殿(写真左)

本殿(写真奥)と摂社若宮社本殿(写真手前)

本殿:
・室町時代の大型の三間社流造で、檜皮葺
・木割も大きく、また細部の意匠も優れている

・本殿の蟇股は、輪郭・左右対称の内部彫刻が優れたものとされている

摂社若宮社本殿:
・一間社隅木入春日造、檜皮葺で、明応2年(1493)年の建築

・摂社若宮社本殿の身舎正面には蔀戸を吊り、繋虹梁は古風な直線的なもの

摂社高良社本殿:
・若宮社本殿と同規模・同形式の社殿で、文亀2年(1502)の建築

摂社高良社本殿(写真手前)と摂社天神社本殿(写真奥)

摂社天神社本殿:
・他の二つの摂社と同様に一間社隅木入春日造、檜皮葺だが、江戸時代の建築
・他の摂社と比較して一回り大きく、木鼻を出したり、近世風の写実的な蟇股を用いるなど、異なる点も多い

拝殿:
・桁行二間、梁間三間、入母屋造、妻入、こけら葺の建築
・吹き放ちで、正面両側間、側面前方間のみ腰壁を設ける
・疎垂木で柱上は舟肘木とする簡素な構成

楼門:
・三間一戸の楼門で室町時代の建築だが、一部鎌倉時代の様式も用いられている

・楼門は二軒繁垂木で、柱上は二手先の組物、中備は間斗束と比較的簡素

・楼門の腰組も二手先で、中備に間斗束を入れる

アクセス
紀勢本線広川ビーチ駅下車、北東1.6㎞です。湯浅駅のレンタサイクルも利用することができます。湯浅駅からは約2㎞で、緩やかな上りです。
見学ガイド
広八幡神社は常時自由に参拝することができます。本殿・摂社本殿は瑞垣に囲われていますが、瑞垣越しに見ることができます。西面しているので、午後の方が日の当たりが良くなります。

感想メモ
稲むらの火で有名な神社です。このあたりには大津波の際に撞かれた鐘、大津波後に築かれた広村堤防や、その建設に尽力した濱口氏の住宅が残されていて、津波防災の生きた教科書のようになっています。
迎春準備のため鈴門が開放されていたので、美しい室町時代の社殿をよく見ることができました。
(2023年12月訪問)

参考
広川町公式サイト、廣八幡宮公式サイト、広川町日本遺産推進協議会公式サイト

 

 

安政の大津波の際に村人に危険を知らせた

法蔵寺鐘楼


ほうぞうじしょうろう
有田郡広川町上中野
法蔵寺鐘楼34.013500, 135.176169
室町中期
桁行三間、梁間二間、袴腰付、寄棟造、本瓦葺

法蔵寺は広八幡神社の近くの高台に位置します。この寺院も安政の津波での避難場所となったとされています。寺伝によれば、鐘楼はもと湯浅の勝楽寺にあったもので、元禄8年(1695)に広八幡神社に移築され、明治の神仏分離の際、現在地に移されたものとされています。形式・技法より室町中期を降らないものと考えられています。安政の津波の襲来時には広八幡神社でこの鐘がつかれ、村人に危機を知らせたとされています。
・袴腰付の鐘楼は入母屋であることが多いが、この鐘楼は類例の少ない寄棟造
・軒は二軒の繁垂木で、軒支輪を持ち、柱上は禅宗様の三手先、中備は蓑束
・腰組も三手先で刎高欄をつけた切目縁を支える

アクセス
紀勢本線広川ビーチ駅下車、北東1.5㎞です。湯浅駅のレンタサイクルも利用することができます。湯浅駅からは約2.6㎞で、緩やかな上りです。
見学ガイド
法蔵寺鐘楼は常時自由に見学することができます。

感想メモ
軒廻りが繊細で、軒の出の大きな鐘楼です。この鐘楼の一番の特徴である寄棟屋根がよくわかる写真を取り忘れたので、2019年に訪問した時の写真を引っ張り出してきました。
(2023年12月訪問)

参考
広川町公式サイト

 

 

安珍清姫の物語で知られる

道成寺


どうじょうじ
日高郡日高川町鐘巻
道成寺本堂33.914487, 135.174551
室町前期
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、正面向拝三間、本瓦葺
道成寺仁王門33.914084, 135.174529
江戸中期
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺

道成寺は御坊の北東、日高川の田園地帯に位置します。大宝元年(701年)に創建されたと伝わる古刹で、現在の堂宇も古代伽藍の跡地に建てられています。一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」は11世紀に記されたものです。
・写真右の仁王門が古代伽藍の中門の位置、左の本堂は講堂の位置で、これらを廻廊が取り囲んでいた
・撮影している場所は三重塔と対称の位置で金堂の跡地あたる

本堂: 
・南北朝時代の承平12年(1357)に建立された、桁行七間、梁間五間の規模の大きな建築

・本堂の柱は円柱で柱上の組物は簡素な出三斗
・長押を用いず貫で軸組を固めている

・本堂向拝の中備は蟇股で、身舎正面中央の中備は特徴的な花肘木双斗

・本堂内陣は格子・菱格子の結界で区切られている

本堂脇陣: 
・外周の一間(写真右)は海老虹梁で結ばれている

仁王門:
・六十二段の石段は能楽「道成寺」の乱拍子を生んだとされる
・両脇の土手は逆ハの字に配置されており、下から見上げた時に遠近法で門が近くに見えるよう工夫されている
・仁王門は元禄4年(1691)に建立された三間一戸の楼門

・仁王門の組物は、腰組が二手先、上層が出組でやや簡素なもの

・仁王門の天井は小組格天井

アクセス
JR紀勢線道成寺駅下車、北400mです。
見学ガイド
道成寺は、常時自由に見学することができます。

感想メモ
道成寺には以前にも行ったことがありますが、道成寺物ばかりに気を取られて、古代伽藍の上に建てられた寺院であることは、すっかり頭から抜けていました。そういう目で改めて見てみると、一見少し雑然とした境内から古代寺院の整然とした伽藍が浮かび上がるように思えました。
帰路、門前の土産物屋で名物の釣鐘饅頭を買って食べました。おいしかったですが、清姫の怨念の釣鐘を饅頭にしてしまうことを思いついた人はすごいなと思いました。
(2022年1月訪問)

参考
道成寺公式サイト、和歌山県公式サイト

 

 

那智大滝への自然崇拝が起源

熊野那智大社


くまのなちたいしゃ
東牟婁郡那智勝浦町那智山
熊野那智大社第一殿(滝宮)33.668944, 135.889849
江戸末期
桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺
第二殿(証誠殿)33.668870, 135.889835
江戸末期
桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺
第三殿(中御前)33.668805, 135.889794
江戸末期
桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺
第四殿(西御前)33.668728, 135.889762
江戸末期
桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺
第五殿(若宮)33.668655, 135.889743
江戸末期
桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺
第六殿(八社殿)33.668543, 135.889886
江戸末期
八間社流造、檜皮葺
御県彦社33.668460, 135.890051
江戸末期
一間社流造、檜皮葺
鈴門及び瑞垣33.668695, 135.889872
江戸末期
鈴門(七所) 棟門、檜皮葺
瑞垣 折曲り延長112.3m、檜皮葺

熊野那智大社は、那智山の中腹に鎮座し、那智大滝に対する原始の自然崇拝を祭祀の起源とする神社です。社殿は第一殿から第五殿までが横一列に並び、矩折して第六殿と御県彦社が建てられています。各社殿の前には鈴門が設けられており、これらは瑞垣で結ばれています。
第一殿: 
・桁行三間、梁間正面一間、背面二間、一重、切妻造、妻入、向拝一間、檜皮葺の熊野造の社殿で、第五殿まで同形式

第一殿(中央右寄り)と第二殿(左奥): 
・左手前の妻は第一殿の鈴門

・右が第二殿で、左が第三殿

・右が第四殿で、左が第五殿
・主祭神の夫須美神を祀る第四殿は一回り大きく作られている

第六殿: 
・八間社流造で、檜皮葺

・右が第六殿で、左が御県彦社

御県彦社: 
・一間社流造、檜皮葺

・左手前が第六殿の鈴門・瑞垣で、その右奥が第五殿の鈴門・瑞垣

アクセス
JR紀勢線那智駅から、那智山行きバスで終点下車。バス停近くから少し急な階段を15分ほど上がったところです。熊野那智大社は青岸渡寺に隣接しています。
見学ガイド
各社殿は自由に見学できますが、拝殿などに遮られるため。視角はかなり限られます。第一殿は青岸渡寺本堂の縁から側面を見ることができます。第二殿から第五殿までは玉垣の連子の隙間などから社殿の一部を見ることができます。第六殿は拝殿脇から見ることができます。御県彦社は間近に見ることができます。各社殿の前面の鈴門と瑞垣も同様です。

感想メモ
建物は近世のものですが、配置などに古制を残していて興味深いです。
バス停からの上りは意外と大変でした。
(2020年12月訪問)

参考
熊野那智大社公式サイト

 

 

熊野那智大社と一体の寺院

那智山青岸渡寺


なちさんせいがんとじ
東牟婁郡那智勝浦町那智山
那智山青岸渡寺本堂33.669145, 135.889841
桃山
桁行九間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺
那智山青岸渡寺宝篋印塔33.669286, 135.889700
鎌倉後期
石造宝篋印塔、基壇付

青岸渡寺は、明治初年の神仏分離以前は那智の如意輪堂と呼ばれ、もとは那智権現の供僧寺で、熊野那智大社と一体の寺院として発展してきました。また、青岸渡寺は、12世紀後半頃から始まる西国三十三所観音霊場巡礼の第一番札所としても知られています。
本堂: 
・天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残す

宝篋印塔: 
・鎌倉時代後期、元亨二年(1322)の銘があり、月輪内には金剛界四仏の種子

アクセス
JR紀勢線那智駅から、那智山行きバスで終点下車。バス停近くから少し急な階段を15分ほど上がったところです。青岸渡寺は熊野那智大社に隣接しています。
見学ガイド
青岸渡寺の本堂はいつでも自由に見ることができます。外陣まで立ち入ることができます。宝篋印塔は、本堂の右手背後、鐘楼などに囲まれた少し分かりにくい場所にありますが、いつでも自由に見学することができます。

感想メモ

(2020年12月訪問)

参考
和歌山県世界遺産センター公式サイト