大阪府の国宝・重要文化財建造物 (1)大阪市・北摂編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

大阪市内・北摂・三島・豊能地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

大阪市天王寺区
四天王寺六時堂、元三大師堂、五智光院、本坊方丈、本坊西通用門、石舞台
四天王寺鳥居
勝鬘院塔婆
大阪市浪速区
旧松坂屋大阪店(髙島屋東別館)
大阪市住吉区
住吉大社本殿第一殿、第二殿、第三殿、第四殿
住吉大社摂社大海神社本殿
住吉大社幣殿及び渡殿 (第一殿)、幣殿及び渡殿 (第二殿)、幣殿及び渡殿 (第三殿)、幣殿及び渡殿 (第四殿)、摂社大海神社幣殿及び渡殿、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿(旧護摩堂)、石舞台、東楽所、西楽所、南高蔵、北高蔵、南門
大阪市平野区
奥田家住宅主屋、米蔵 (1)、米蔵 (2)、旧綿蔵、乾蔵、納屋、表門
杭全神社本殿(第一殿)
杭全神社本殿(第二殿)
杭全神社本殿(第三殿)
大阪市北区
大阪市中央公会堂
大阪府立図書館本館、左翼、右翼
淀川旧分流施設毛馬第一閘門、毛馬洗堰
旧造幣寮鋳造所正面玄関
泉布観
大江橋及び淀屋橋大江橋、淀屋橋
大阪市中央区
愛珠幼稚園園舎
綿業会館
旧緒方洪庵住宅
旧小西家住宅主屋、衣装蔵、二階蔵
大阪城大手門、桜門、一番櫓、六番櫓、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、金蔵、金明水井戸屋形、焔硝蔵、塀(大手門南方塀)、塀(大手門北方塀)、塀(多聞櫓北方塀)
豊中市
原田神社本殿
旧山田家住宅
旧泉家住宅
旧椎葉家住宅主屋、馬屋
金禅寺三重宝篋印塔
池田市
八坂神社本殿
五社神社十三重塔
久安寺楼門
吹田市
旧西尾家住宅主屋、離れ西棟、離れ東棟、積翠庵、戌亥角土蔵、米蔵、戌亥土蔵
高槻市
普門寺方丈
三島郡島本町
水無瀬神宮客殿
水無瀬神宮茶室

 

 

我が国最初の官寺

四天王寺


してんのうじ
大阪市天王寺区四天王寺1丁目
四天王寺六時堂34.654827, 135.516379
江戸前期
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
元三大師堂34.655539, 135.515354
江戸前期
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、本瓦葺
五智光院34.655917, 135.517008
江戸前期
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺
本坊方丈34.655601, 135.517588
江戸前期
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
本坊西通用門34.655126, 135.516927
江戸前期
四脚門、切妻造、本瓦葺
石舞台34.654587, 135.516403
江戸前期
石橋及び石造高舞台、木造高欄付
四天王寺鳥居34.653669, 135.514530
鎌倉後期
石造明神鳥居、島木木製銅包、貫柱間、額束及び額銅製

四天王寺は大阪市の中心部、谷町筋の東に位置します。推古天皇元年(593)に建立された我が国最初の官寺です。昭和20年(1945)の大阪大空襲により、境内のほぼ全域が灰燼に帰してしまいましたが、この時に残った建物が重要文化財に指定されています。
六時堂:
・境内中央に位置する大規模な堂で、昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名がある

元三(がんさん)大師堂:
・叡山中興の祖、第18代天台座主元三大師を祀る
・元和4年(1618年)の建立

五智光院:
・大日如来を本尊とする五智如来を安置する道場で、灌頂堂ともいわれる
・徳川家代々の位牌を納めている

本坊方丈:
・住職の居室で、1623年に徳川秀忠により再建
・天海大僧正が四天王寺執務の時、在住した

本坊西通用門

石舞台:
・亀の池の上に架かる石橋に組まれた舞台
・高欄の親柱に彫られた舞台講とは舞台再建に寄進した大阪の材木問屋の講

鳥居:
・1294年に木造から石造に改められた
・元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより伝わったもので神社に限ったものではなく、寺院にも設けられていた
・扁額の「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」は、この場所が極楽浄土の東門であるとの意味

アクセス
地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘下車すぐです。
見学ガイド
本坊方丈と五智光院は本坊庭園の有料区域内にあります。庭園の公開時間は8:30 ~ 16:30(10月から3月は8:30 ~ 16:00)で閉園日もあるようです。本坊西通用門は通行が禁止されていますが、近くの参道から見ることができます。その他の指定建造物はいつでも自由に見学することができます。

感想メモ
歴史の深い寺院ですが、世俗的な雰囲気もあって大阪らしい光景です
(2018年10月訪問、2021年8月再訪)

参考
四天王寺公式サイト

 

 

アール・デコ調の百貨店

旧松坂屋大阪店(髙島屋東別館)


きゅうまつざかやおおさかてん
大阪市浪速区日本橋3丁目
旧松坂屋大阪店(髙島屋東別館)34.662517, 135.506269
昭和
鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積四、八三一・五七平方メートル、七階建一部八階建、地下三階、屋上塔屋三所付

高島屋東別館は大阪ミナミの繁華街の近くに位置します。昭和のはじめに松坂屋大阪店として建築されたものです。
・建物全体はヨーロッパ歴史様式にアール・デコ調の装飾デザインが取り入れられている

上層階の装飾:
・アール・デコ調の幾何学的な意匠が見られる

・堺筋に面して11連アーチが設けられている

・アーチ周辺にはアカンサスの葉をモチーフにしたテラコッタの装飾が施されている

・大階段のまわりにも細かな装飾が施されている

アクセス
南海なんば駅東500m、近鉄・地下鉄日本橋駅南500mです。
見学ガイド
外観は常時見学することができます。内部の大階段は史料館開館時間中であれば自由に見ることができます。

感想メモ
なんばの高島屋には子供の頃、親によく連れてきてもらいましたが、東館の存在は文化財に指定されるまで全く知りませんでした。
11連のアーチはインパクトがありますが、一方で装飾は控えめで、落ち着いたいい感じです。足元にアールデコとは全く無縁な東京チカラメシが貼り付いているのも面白かったです。ちなみに、昭和初期の写真を見ても、この場所には木造の商店が貼り付いています。
(2022年8月訪問)

参考
高島屋公式サイト

 

 

古事記・日本書紀にその名の見える古社

住吉大社


すみよしたいしゃ
大阪市住吉区住吉2丁目
住吉大社本殿第一殿34.612394, 135.493842
国宝・江戸後期
住吉造、檜皮葺
第二殿34.612428, 135.493361
国宝・江戸後期
住吉造、檜皮葺
第三殿34.612448, 135.493031
国宝・江戸後期
住吉造、檜皮葺
第四殿34.612317, 135.493014
国宝・江戸後期
住吉造、檜皮葺
住吉大社摂社大海神社本殿34.613892, 135.493720
江戸中期
住吉造、檜皮葺
住吉大社幣殿及び渡殿 (第一殿)34.612395, 135.493745
江戸後期
幣殿 桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、 檜皮葺、渡殿 桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺、鳥居付
幣殿及び渡殿 (第二殿)34.612426, 135.493280
江戸後期
幣殿 桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、 檜皮葺、渡殿 桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺、鳥居付
幣殿及び渡殿 (第三殿)34.612452, 135.492940
江戸後期
幣殿 桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、 檜皮葺、渡殿 桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺、鳥居付
幣殿及び渡殿 (第四殿)34.612325, 135.492921
江戸後期
幣殿 桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、 檜皮葺、渡殿 桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺、鳥居付
摂社大海神社幣殿及び渡殿34.613909, 135.493627
江戸中期
幣殿 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺、渡殿 桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺、鳥居付
摂社大海神社西門34.613937, 135.493416
江戸前期
四脚門、切妻造、本瓦葺
末社招魂社本殿(旧護摩堂)34.613025, 135.494596
江戸前期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
石舞台34.611952, 135.493743
桃山
石造桁橋及び石造高舞台、木造高欄付
東楽所34.611756, 135.493820
桃山
桁行十一間、梁間二間、一重、東面入母屋造、西面切妻造、本瓦葺
西楽所34.611759, 135.493619
桃山
桁行五間、梁間二間、一重、西面入母屋造、東面切妻造、本瓦葺
南門34.611756, 135.493717
桃山
四脚門、切妻造、本瓦葺
南高蔵34.612298, 135.494113
桃山
桁行三間、梁間二間、板倉、寄棟造、本瓦葺
北高蔵34.612424, 135.494124
桃山
桁行三間、梁間二間、板倉、寄棟造、本瓦葺

住吉大社は古事記や日本書紀にその名の見える古社で、大社が鎮座するかつての住吉浜は旧淀川が大阪湾に注ぐ水陸交通の要衝でした。
本殿は四棟すべて海に向かって西面し、西から第三殿、第二殿、第一殿の順に縦に並び、第三殿の南に第四殿が建ちます。祭神は住吉三神で。第四殿は神功皇后を祀ります。本殿は、平安時代初期以来二十年ごとに式年遷宮が行われていましたが、途中、戦乱による空白期があり、十七世紀始めに再興されました。現本殿は文化七年(1810)の造替時のものです。
各本殿は前面に渡殿を介して幣殿を付属しています。各幣殿及び渡殿は、本殿とともに再建されたものですが、第一殿の幣殿は中世には存在していたとみられ、他の三殿の幣殿は慶長以後に設けられたものと考えられています。
本殿第一殿:
・四つの本殿はすべて檜皮葺、切妻造、妻入で、前後二室からなる住吉造
・柱はすべて丸柱で礎石上に立ち、側面・背面は板壁
・破風と垂木は直線、軒は一軒、妻飾は豕扠首
・床が比較的低く張られ、周囲に縁をめぐらさないことも、古式を残すもの
・瑞垣は縦板を貫にすきまなく打ちつけて本殿の下半をかくしており、玉垣はその外に頭部を丸くした角柱を立て、貫で連結している

本殿第二殿(右が本殿で、左が幣殿、両者を繋ぐのが渡殿)

本殿第二殿(手前)と第三殿(右奥)

本殿第三殿(右)と第四殿(左)

摂社大海神社本殿:
・宝永五年(1708)造営の住吉造りで、本社本殿よりも古い

幣殿(第一殿):
・桁行五間、梁間二間、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺で、甍棟を積む
・割拝殿形式で、正面中央間を馬道とし、左右に二間四方の部屋を配している
・軒は二軒疎垂木
・渡殿は、桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺

幣殿(上段写真は第二殿、下段写真は第三殿(左)と第四殿(右)):
・第二殿・第三殿・第四殿の幣殿は、桁行三間である以外は第一殿と同様の構成

摂社大海神社幣殿:
・本殿の宝永五年(1708)の造替時に、本社に倣って新たに設けられたものと考えられている
・本社第二殿以下の幣殿と同形式だが若干小振りで、正面に千鳥破風や軒唐破風を付けない点が異なる

摂社大海神社西門:
・江戸初期の建築とされる四脚門で、切妻造、本瓦葺
・軸部は、親柱を円柱、控柱を面取角柱として、腰を貫と長押、上部を冠木、貫、虹梁で固める
・組物は、柱上に三斗を置き、妻虹梁上の板蟇股で棟木を受ける

末社招魂社本殿(旧護摩堂):
・境内に残る唯一の仏教建築で、元和五年(1619)の建立と考えられている
・桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺で、正面に向拝一間を付ける
・軸部は、円柱を貫と長押で固め、組物は三斗で、中備は中央間を蟇股、脇間を間斗束
・軒は二軒繁垂木で、妻飾は虹梁大瓶束として大瓶束を笈形で飾る

石舞台:
・南門北側の池に架かる石造桁橋の上に方約六メートル、高さ約〇・五メートルの舞台を築いたもの
・羽目石には格狭間を刻み、上面には高欄を取付けるほぞ穴がある
・高欄は木製で、舞楽を演じる時以外は楽所に納められている(写真は仮設の金属製高欄)

南門(門の右が東楽所で、左が西楽所):
・東西楽所とともに慶長十二年(1607)豊臣秀頼の再興によるもの
・切妻造、本瓦葺の四脚門で、親柱は円柱、控は角柱
・組物は出三斗、中備に蟇股を配し、木割も太く、絵様など細部も桃山時代の特徴がよく表れている

・南門の棟は妻梁上に板蟇股をおき舟肘木で支える
・二軒で化粧裏板

東楽所(上段写真)と西楽所(下段写真):
・梁間二間の建物で、東楽所は桁行十一間、西楽所は五間
・入母屋造で、南門寄りは切妻
・東楽所は中央間を土間の入口とし、左右二室、西楽所は一室で床張りとする
・正面側は連子窓、背面(内方)は蔀戸を吊る
・柱上に舟肘木を置く

北高蔵(手前)と南高蔵(奥):
・双方とも、慶長一二年(1607)の造営で、昭和時代に現在地に移築されたもの
・桁行三間、梁間二間、板倉、寄棟造、本瓦葺で、北高蔵の方がやや大きい
・西面を出入口として木階を設ける
・軒は一軒半繁垂木で、上部の壁板や腕木を差し出して出桁を受ける

・高蔵の軸部は円束上に台輪を組んで壁板を組上げている(写真は北高蔵)

アクセス
南海本線住吉大社駅と南海高野線住吉東駅の中間に位置します。両駅から500mあまりです。阪堺電車の住吉鳥居前なら下車すぐです。
見学ガイド
境内は常時自由に見学することができます。本社本殿の開門時間は朝6時~夕方5時(10月~3月は朝6時半~夕方5時)です。主要な社殿は西面していますが、本殿については前面が幣殿で覆われていて側面・背面から見ることになるので、夕方近くになると逆光になります。本殿第一殿、大海神社本殿以外は、すぐ近くから見学することができます。

感想メモ
式年遷宮の伝統があったため本殿は比較的新しい建築ですが、住吉造の古制を守った四殿が並び立つ姿は壮観です。
(2018年10月訪問、2021年8月再訪)

参考
国指定文化財等DB

 

 

三殿が並び立つ

杭全神社


くまたじんじゃ
大阪市平野区平野宮町2丁目
杭全神社本殿(第一殿)34.629283, 135.554776
江戸中期
一間社春日造、檜皮葺
杭全神社本殿(第二殿)34.629245, 135.554913
室町後期
三間社流造、檜皮葺
杭全神社本殿(第三殿)34.629275, 135.555139
室町後期
一間社春日造、檜皮葺

杭全神社は平野の市街地に鎮座します。平安時代の貞観4年(862)に坂上田村麿の孫当道が、素盞鳴尊を祀る祇園社を創建したのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰をあつめてきました。本殿は、第一殿から第三殿までの三殿が向かって左から右に並立しています。元享元年(1321)に熊野三所権現を勧請し第二本殿を建立して以来、熊野権現社が総社となっていましたが、明治になって、社号を杭全神社と定め、本来の祇園社(第一殿)が本社とされました。
第一殿:
・式年造替で取壊された春日大社本社本殿(第三殿)を移したもので、一間社春日造、檜皮葺
・後世の改修はほとんどなく、よく旧規を保っている

・右手前の春日造が第三殿で、中央の流造が第二殿、奥に第一殿が見える

第二殿:
・第三殿とともに永正十年(1513)の建立で、三間社流造、檜皮葺

第三殿:
・一間社春日造で、檜皮葺

アクセス
JR関西本線平野駅下車、徒歩数分です。駅南口を出て、左斜め前方です。地下鉄谷町線の平野駅からは徒歩で15分程度です。
見学ガイド
杭全神社は常時自由に参拝することができます。3棟の本殿は、それぞれの前の瑞垣に設けられた拝所の隙間から一部見ることができます。

感想メモ
3棟の本殿は、背の高く連子の隙間が狭い瑞垣に囲まれていて、各本殿の前の瑞垣に設けられた拝所には奥行きの深い屋根がかけられているので、各社殿ともごく一部しか見ることができません。
でも、訪問時には瑞垣の右端の掖門が迎春準備のため開放されていたので、この部分から社殿を見ることができました。
(2020年12月訪問)

参考
国指定文化財等DB、平野区公式サイト

 

 

現存最古の幼稚園建築

愛珠幼稚園園舎


あいしゅようちえんえんしゃ
大阪市中央区今橋3丁目、北浜3丁目
愛珠幼稚園園舎34.690906, 135.502876
明治
遊戯室棟、玄関棟、西保育室棟、北保育室棟、便所棟、東棟からなる
遊戯室棟 木造、建築面積265.42平方メートル、西面下屋・北面下屋及び庇付、桟瓦葺、北面突出部附属
玄関棟 木造、建築面積127.86平方メートル、桟瓦葺、南面西突出部・南面中央玄関車寄・南面東突出部附属、北面遊戯室棟に接続
西保育室棟 木造、建築面積186.59平方メートル、東面庇付、桟瓦葺、北面下屋・南面廊下附属
北保育室棟 木造、建築面積99.26平方メートル、南面庇付、桟瓦葺
便所棟 木造、建築面積17.55平方メートル、桟瓦葺、東面西保育室棟附属廊下に接続
東棟 木造、建築面積79.99平方メートル、西面及び北面庇付、桟瓦葺、西面南端渡廊下附属

愛珠幼稚園は大阪の古くからの市街地、淀屋橋に位置します。明治13年に創立され、現在の園舎は明治34年に竣工しました。園舎は、遊戯室棟、玄関棟、西保育室棟、北保育室棟、便所棟、東棟からなり,これら全体を1棟の建造物として重文指定されています。愛珠幼稚園園舎は,現存最古の幼稚園建築です。
玄関棟(南面):
・車寄が付き、和風で重厚な外観を呈している

戯室棟(中央の建物):
・たちの高い木造平屋建で、屋根は入母屋造、桟瓦葺

アクセス
京阪電鉄・地下鉄の淀屋橋駅と北浜駅の中間にあり、どちらの駅からも徒歩数分です。緒方洪庵旧宅のすぐ近くです。
見学ガイド
現役の園舎なので非公開ですが、公道に面しているため、外観はいつでも見ることができます。

感想メモ
一般公開の機会がなかなかなくて、塀越しに外観しか見たことがありませんが、大変重厚な建築です。
(2020年7月訪問)

参考
文化遺産オンライン

 

 

大阪の町屋建築の代表例

旧緒方洪庵住宅


おがたこうあんじゅうたく
大阪市中央区北浜3丁目
旧緒方洪庵住宅34.691343, 135.503279
江戸末期
一階 十二畳半(床、棚、附書院、縁側付)、八畳(押入付)、四畳半三室(二室に押入付)、六畳、四畳半(床、押入付)、四畳半(押入付)、四畳、八畳、六畳、四畳半(押入付)、台所土間及び玄関土間(二畳付)より成る
二階 八畳(床、床脇、縁側付)、四畳(押入付)、階段室、七畳、六畳、二十七畳及び八畳より成る
棧瓦葺 附;土蔵及び納屋(各1棟)"

旧緒方洪庵住宅は淀屋橋に位置します。江戸時代末期の大阪の町屋建築の代表的なもので、天保九年(1838)緒方洪庵がここで医者を開業し、また塾を開いて人材を養成しました。福沢諭吉や大村益次郎など多くの著名人を輩出しています。
正面(北面)と東面

中庭(北側二階より)

二階北側の27畳間

アクセス
京阪電鉄・地下鉄の淀屋橋駅と北浜駅の中間にあり、どちらの駅からも徒歩数分です。
見学ガイド
公道に面しているので外観はいつでも見ることができます。内部は有料公開されています。

感想メモ
内部もよく保存されていて見ごたえがあります。
(2020年7月訪問)

参考
文化遺産オンライン

 

 

大規模な五間社

原田神社本殿


はらだじんじゃほんでん
豊中市中桜塚1丁目
原田神社本殿34.779441, 135.465696
江戸前期
五間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺

原田神社は豊中の市街地、岡町商店街の近くに鎮座します。7世紀の創建と伝える古社で、社殿は天正6年(1578)の兵火により焼失し、現在の本殿は慶安5年(1652)に再建されたものです。
・五間社流造で、正面に千鳥破風および軒唐破風を有し、屋根は檜皮葺
・妻飾りに配置した邪気、虹梁の配置や身舎とのつなぎ方などに特徴がみられる

アクセス
阪急宝塚線岡町駅下車、すぐです。駅東口を出たら目の前に神社の木立が見えます。
見学ガイド
境内にはいつでも自由に入ることができます。本殿は背の高い瑞垣に囲われており、周囲には樹木も多いので、あまりよく見ることはできません。

感想メモ
駅近なのはありがたいのですが、大きな拝殿や背の高い瑞垣、繁茂した植栽が邪魔をして五間社の雄大さを味合うことができないし、細部も金網でブロックされていて良く見えないのは残念でした。
(2020年9月訪問)

参考
豊中市公式サイト、現地解説板

 

 

珍しい層塔型の宝篋印塔

金禅寺三重宝篋印塔


こんぜんじさんじゅうほうきょういんとう
豊中市本町5丁目
金禅寺三重宝篋印塔34.789225, 135.466008
室町前期
石造三重宝篋印塔

金禅寺は豊中市の市街地に位置する黄檗宗の寺院です。三重宝篋印塔は基壇背面の刻銘から南北朝時代の貞和5年(1349)の造立であることが知られています。
・花崗岩を用材とし、現在失われている相輪の部分を加えて六個の部材から成る

・初層塔身の四面の四仏は一面が像容で三面が梵字で現されている

・基壇背面には「貞和五年己丑十二月廿六日一結衆等敬白」と刻まれている

アクセス
阪急豊中駅から徒歩10分弱です。駅東口から人工地盤を横切ってまっすぐ進み、スクランブル交差点の先の坂を上りきる手前を右折し、さらに右に回り込みます。それほど複雑な経路ではありませんが、金禅寺周辺の道路はやや入り組んでいるので、間違うとかなり迷うことになると思います。
見学ガイド
金禅寺境内にはいつでも入ることができます。宝篋印塔は本堂前に囲いなどもなく建てられているので、自由に見ることができます。基壇背面の碑文は本堂が近接していて直接見ることはできません。

感想メモ
本堂と宝篋印塔の隙間に手を入れて基壇背面の写真を撮りました。不審者のような格好で気が引けました。残念ながら銘文ははっきりとは判別できませんでした。
(2020年9月訪問)

参考
豊中市公式サイト

 

 

桃山様式の極彩色の社殿

八坂神社本殿


やさかじんじゃほんでん
池田市神田4丁目
34.812684, 135.421989
桃山
一間社流造、檜皮葺

八坂神社は池田市の猪名川に近い住宅地に鎮座します。もとは素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社と呼ばれていました。本殿は、天正7年(1579)に織田信長の兵火にかかり全焼し、慶長15年(1610)に再建されました。木鼻や蟇股などに桃山時代の特徴が見られます。
・一間社流造、檜皮葺で、柱等の軸部は丹塗、壁板等は胡粉塗、組物や梁等は極彩色
・垂木の先端や破風板等の要所には金箔で仕上げた金具で飾られ、非常に華やかな外観

向拝の装飾

身舎正面の装飾

左側面の妻

背面

修繕工事前の本殿(2008年撮影)

アクセス
阪急宝塚線池田駅南1.4kmです。神社近くの早苗の森を通るバスもありますが、本数は非常に少ないです。
見学ガイド
八坂神社は常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣越しに見ることができます。

感想メモ
市街地の中にありますが、境内は広く、緑も豊かで心地よかったです。
本殿前面は拝殿で塞がれていて、前面の細部意匠をほとんど見ることができなかったのは残念でした。平成30年頃に保存修理工事がされたようで、まだかなり真新しい感じです。
(2008年10月訪問、2022年6月再訪)

参考
現地解説板、重要文化財八坂神社本殿保存修理工事(池田市資料)

 

 

古墳の玄室内の石塔

五社神社十三重塔


ごしゃじんじゃじゅうさんじゅうとう
池田市鉢塚2丁目
五社神社十三重塔34.817780, 135.437153
室町前期
石造十三重塔

五社神社は池田市の住宅地にあります。十三重塔は、本殿背後の鉢塚古墳の玄室内に建てられている石塔です。室町初期に造られ、玄室に持ち込まれたものです。
十三重塔(2008年10月撮影):
・笠石の最上部までよくそろっている
・相輪は後補だが、古いものが別に保存されている
・現在は写真撮影が禁止されており、玄室の手前に鉄格子が設けられている

アクセス
五社神社は、阪急宝塚線池田駅と石橋阪大前駅の中間にあります。両駅から約1.5kmです。両駅からのバス便もあります。十三重塔は神社の背後の鉢塚古墳の玄室の中にあります。玄室の入口は本殿右奥にあります。
見学ガイド
十三重塔は通常非公開です。祭礼時に公開しているようですが、写真撮影は禁止されています。

感想メモ
十三重塔の座標で検索したら、またgoogleに壁越えルートを案内されてずいぶんと遠回りしました。何度同じことを繰り返しも懲りないのが嫌になります。普通に五社神社の正面入口から入ると十三重塔(の入口)にアクセスできます。2022年に訪問した時は公開日ではなかったので見ることができませんでした。写真撮影ができないと貼紙がされていたので、過去に撮った写真がないか探したら14年前の写真が出てきました。そういえば、古墳の中の石塔を見たような、見なかったような、かなりあやふやな記憶です。
(2008年10月訪問、2022年6月再訪)

参考
国指定文化財等DB

 

 

隠元禅師が6年間暮らした

普門寺方丈


ふもんじほうじょう
高槻市富田町4丁目
普門寺方丈34.830541, 135.592917
江戸前期
桁行13.8m、梁間10.9m、一重、入母屋造、こけら葺

普門寺は、歴史的な街並みの残る高槻市富田に位置する臨済宗妙心寺派の寺院です。明徳年間(14世紀末)に創建されたと伝えられ、永禄年間(16世紀後半)には、室町幕府の管領細川晴元や14代将軍足利義栄が滞在しました。普門寺城とも呼ばれており、境内地の北端から南端にかけて土塁が残り城郭の面影を見てとることができます。江戸時代初期には、中国・明の高僧、隠元が宇治に萬福寺を開創して移るまでの約6年間をここて過ごしました。
方丈西面:
・方丈は永禄期の建築で、桁行七間、梁行五間半、入母屋造
・桁行方向に三室を二列に配した六間取りで一般的な禅宗方丈の構造、こけら葺で南面
・襖絵は狩野安信の水墨画

方丈南面

隠元禅師筆の『獅林(しりん、禅の修行の場の意味)』の大額

アクセス
阪急京都線富田駅南1km、JR東海道本線摂津富田駅南1.2kmです。普門寺の入口は境内南側、三輪神社の横の一カ所のみです。
見学ガイド
方丈は有料で公開されています。2022年に訪問した時は予約制でした。堂内も見学することができます。方丈周辺は他の建物があり、立ち入り範囲も制限されているので、視角は限られます。西側面は比較的広く空いています。

感想メモ
予約制とは知らず訪問しましたが、お寺の方のご好意で拝観することができました。建物内部を詳しく説明していただきました。
(2022年2月訪問)

参考
高槻市富田町4丁目公式サイト