このブログについて:
福岡県筑後地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
大牟田市 | |
三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱宮原坑施設 | 第二竪坑櫓、第二竪坑巻揚機室 |
早鐘眼鏡橋 | |
久留米市 | |
高良大社 | 本殿・幣殿・拝殿、大鳥居 |
善導寺 | 本堂、広間、書院、役寮及び対面所、大庫裏、中蔵、釜屋、大門 |
有馬家霊屋 | 梅林院霊屋、春林院霊屋、瓊林院位牌廟、春林院位牌廟、長壽院位牌廟 |
八女市 | |
松延家住宅 | 座敷部、土間部 |
大川市 | |
旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋) | |
風浪神社本殿 | |
風浪神社五重塔 | |
旧吉原家住宅 | |
うきは市 | |
平川家住宅 | 主屋、納屋 |
三井郡大刀洗町 | |
今村天主堂 |
明治後期における三池炭鉱の主力坑の1つ
みついせきたんこうぎょうかぶしきがいしゃみいけたんこうみやのはらこうしせつ
三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱宮原坑施設
みついせきたんこうぎょうかぶしきがいしゃみいけたんこうみやのはらこうしせつ
大牟田市宮原町1丁目
三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱宮原坑施設 | 第二竪坑櫓 | 33.013680, 130.455836 明治 鋼製櫓、高さ21.33m、コンクリート造基礎部附属 |
第二竪坑巻揚機室 | 33.013855, 130.455983 明治 煉瓦造、建築面積127.1平方メートル、スレート葺、巻揚装置1基及びウィンチ1基を含む |
三池炭鉱宮原坑は福岡県の南端、熊本県境近くに位置します。宮原坑は、1889(明治22)年に三池炭鉱が明治政府から三井組への払下げ後の1895(明治28)年に開削工事が開始され、1898(明治31)年に第一竪坑(たてこう)が、1901(明治34)年に第二竪坑が竣工しました。宮原坑は、当初、坑内の湧水を汲み上げて排水することを主な目的として設置された坑口ですが、採炭作業にも利用されるようになり、第二竪坑は、主として人員の昇降のために用いられました。
第二竪坑櫓(左の鋼構造物)と第二竪坑巻揚機室(右の煉瓦造り): ・人員や資機材を載せたケージを櫓直下の坑内に上げ下げするための施設 ・ケージを吊るワイヤーロープは櫓から斜めに巻揚機室に引き込まれ、室内の巻揚機に巻き取られる ・櫓の左の煉瓦壁は隣接していたポンプ室の建物の一部 |
・第二竪坑櫓櫓は現存最古の鋼鉄製櫓 ・鋼板をリベット止めし、ラチス組した柱や梁を用いている ・筋交いなど一部は後補 |
第二竪坑巻揚機室: ・比較的規模の小さな煉瓦建築で窓上部はアーチを組んでいる |
第二竪坑巻揚機室内の巻揚機 ・当初の蒸気動のものではないが、現存の電動式の巻上機も1933年以来使われてきたもの ・巻揚機も重要文化財の一部 |
アクセス JR・西鉄大牟田駅からバスで末広町下車、南約1kmです。早鐘眼鏡橋や熊本県荒尾市の万田鉱施設も巡る場合は、大牟田駅のレンタサイクルが便利です。駅からは約2.5kmで、緩やかな上りです。 |
見学ガイド 宮原坑施設は、9:30~17:00(最終入場は16:30まで)の間、無料で公開されています。休業日は月曜日、年末年始などです。 |
感想メモ 20年ほど前に訪問した時は塀越しに廃墟を眺めた記憶がありますが、今では周辺がきれいに整備されて文化遺産にふさわしい景観になっています。 (2021年11月訪問) |
参考 大牟田市公式サイト、現地解説板 |
三池藩が築いた国内最古の石造水路橋
はやかねめがねばし
早鐘眼鏡橋
はやかねめがねばし
大牟田市合成町
早鐘眼鏡橋 | 33.019823, 130.460069 江戸中期 石造単アーチ橋 輪石に延宝二甲寅二月吉祥日の刻銘がある |
早鐘眼鏡橋は大牟田の市街地の東端に位置します。眼鏡橋は、延宝二年(1674)に三池藩が大牟田川を渡す灌漑用の水路橋として架橋したものです。国内最古の石造水路橋の遺構で、長崎の石造アーチ橋を参考にして建設されたものと考えられています。
・眼鏡橋は凝灰岩製の単アーチ石橋 |
アーチの要石: ・要石には2石にわたり、建設年(延宝二年)や、藩主立花和泉守源種長の銘(上段写真)、福田五右衛門尉大蔵直基ら藩の重臣の銘(下段写真)が刻まれている |
アクセス JR・西鉄大牟田駅下車、バスで早鐘眼鏡橋下車すぐです。宮原坑施設や熊本県荒尾市の万田鉱施設も巡る場合は、大牟田駅のレンタサイクルが便利です。駅からは約2kmで、緩やかな上り、宮原坑に向かう経路からそれほど離れていません。 |
見学ガイド 早鐘眼鏡橋は、常時自由に見学することができます。橋の近くまでは立ち入ることはできますが、橋の周辺は立入禁止でフェンスで囲われているので、橋面の水路などは見ることができません。 |
感想メモ 美しい石造アーチです。少し劣化が進んでいて、それも良い雰囲気を出しています。 (2021年11月訪問) |
参考 文化遺産オンライン、現地解説板 |
霊山に鎮座する古社
こうらたいしゃ
高良大社
こうらたいしゃ
久留米市御井町
高良大社 | 本殿・幣殿・拝殿 | 33.301641, 130.565834 江戸中期 本殿 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺 幣殿 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、こけら葺 拝殿 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、こけら葺 |
大鳥居 | 33.306041, 130.554397 江戸前期 石造明神鳥居 |
高良大社は久留米の市街地の東に位置する高良山の中腹に鎮座します。高良山は古くから霊山として人々の信仰の対象とされてきました。高良大社が正史上初めてその名が見えるのは延暦14 年 (795) です。
現在の社殿は、久留米藩第 3 代藩主有馬頼利の寄進により、明暦2年(1656) から寛文元年 (1661) にかけて造営されたものです。大鳥居は承応4 年 (1655) 第 2 代藩主有馬忠頼が寄進したものです。
・社殿の形式は本殿(写真右)、幣殿(本殿左の前後方向の棟)、拝殿(写真左)が接続した権現造 |
・右が本殿で、その左の障子の部分が幣殿 |
本殿右側面軒廻り: ・軒は二軒の繁垂木で、柱上は木鼻付きの二手先、中備は彩色が施された蟇股 |
拝殿: ・軒唐破風付の三間の向拝が設けられている |
拝殿正面の軒廻り ・軒や組物、中備は本殿と同様 |
拝殿向拝の千鳥破風 |
拝殿右側面軒廻り |
拝殿右側面腰組 |
拝殿妻飾り |
・大鳥居(上段写真が正面で下段が背面)は花崗岩製の明神鳥居 |
・大鳥居の扁額は、安永2年(1773)に久留米藩第七代藩主が寄進したもので、額字は上野寛永寺の門主の筆によるもの |
アクセス 登山道入口の二の鳥居までは、久大本線久留米大学前駅から南東に1.4kmです。ここから高低差約150mを上ります。自然石の石段で良い雰囲気ですが、かなり大変です。重文指定された大鳥居は登山道のかなり手前、九州道の高架の手前にあります。登山道入口までは西鉄久留米駅のレンタサイクルも便利です。駅からの距離は約4kmで、緩やかな上りです。大鳥居から先はやや急な上りになるので、適当なところで徒歩に切り替えることになります。 |
見学ガイド 本殿等の参拝時間は6時~17時で、参拝時間内であれば、自由に見学することができます。瑞垣の中に立ち入ることができるので、本殿・幣殿・拝殿を間近に見ることができます。本殿・幣殿・拝殿は北西に面しています。大鳥居は公道を跨いで建てられています。 |
感想メモ 公共交通でのアクセスは大変でしたが、見晴らしの良い山上に端正な造りの社殿が建てれており、苦労が報われます。 (2003年3月訪問、2021年11月再訪) |
参考 久留米市公式サイト、現地解説板 |
浄土宗の大本山
ぜんどうじ
善導寺
ぜんどうじ
久留米市善導寺町飯田
善導寺 | 本堂 | 33.330061, 130.603856 江戸後期 桁行七間、梁間八間、一重、入母屋造、向拝三間、背面後堂附属、本瓦葺 |
書院 | 33.330349, 130.604201 江戸中期 大書院及び小書院からなる 大書院 桁行17.8m、梁間7.9m、入母屋造、北面・西面及び南面庇附属、桟瓦葺 小書院 桁行11.8m、梁間7.9m、東面及び西面庇附属、桟瓦葺、北面大書院に接続 | |
広間 | 33.330176, 130.604265 江戸中期 桁行24.9m、梁間7.0m、入母屋造、正面玄関及び内玄関附属、桟瓦葺、東面大庫裏に接続 | |
役寮及び対面所 | 33.330417, 130.604313 江戸中期 役寮及び対面所からなる 役寮 桁行8.9m、梁間6.9m、切妻造、南面庇附属、桟瓦葺、西面大書院に接続 対面所 桁行8.0m、梁間5.9m、切妻造、西面庇附属、桟瓦葺、南面対面所に接続、 役寮及び対面所東面張出附属 桁行11.6m、梁間4.2m、切妻造、西面及び北面庇附属、桟瓦葺、南面大庫裏に接続 | |
大庫裏 | 33.330150, 130.604498 江戸中期 桁行15.9m、梁間12.0m、切妻造、桟瓦葺 | |
中蔵 | 33.330390, 130.604536 江戸後期 桁行11.6m、梁間4.2m、切妻造、西面及び北面庇附属、桟瓦葺、南面大庫裏に接続、中蔵・釜屋間差し掛け屋根附属 | |
釜屋 | 33.330281, 130.604539 江戸中期 桁行11.9m、梁間8.0m、切妻造、桟瓦葺、南面大庫裏に接続 | |
大門 | 33.329519, 130.606755 江戸前期 四脚門、切妻造、本瓦葺、左右袖塀各二間附属 |
上表は重文指定時の告示の内容を転記したものですが、平成の大修理において書院等の屋根が桟瓦葺から茅葺に改められるとともに中蔵が創建時の位置に移築され、役寮及び対面所の東側に他の寺院に移築されていた建築物が再移設されたため、記載内容が現状に即していない部分があります。緯度経度は大修理後のものを表示しています。 |
善導寺は筑後平野中部の田園地帯の集落に位置する浄土宗寺院で、承元2年(1208)に聖光上人により創建され、江戸時代には九州の浄土宗の本山として繁栄しました。堂宇の多くは延享5年(1748)の火災後、寛延・宝暦年間(1748〜1764)に再建されたものです。本堂の東に隣接して僧侶の居住や接客のための建築群である庫裏、釜屋、広間、書院、役寮および対面所、中蔵が立ち並びます。
本堂(写真左)と広間(写真右) |
本堂: ・天明6年(1786)久留米藩主有馬頼僮・頼貴父子により再建されたもの ・向拝三間のうち幅の広い中央間は勅使が昇殿するためのもので、左右は左大臣・右大臣の昇殿のためのもの |
・本堂の棟の5個の葵紋は、石高500石であったことを表している |
・本堂は二軒の繁垂木で、組物は木鼻付きの出組 |
書院: ・中央の茅葺が小書院で、左に折れ曲がった部分が大書院、右の桟瓦葺は広間 |
広間(写真右は大庫裏) |
広間の玄関 |
大庫裏(写真右奥が釜屋) |
大庫裏の妻: ・妻側に出入口が設けられておらず平入になっているのは、庫裏としては珍しい |
釜屋(左奥が大庫裏) |
中蔵: ・平成の大修理で創建当初の位置に復された |
大門: ・慶安4年(1651)建立の四脚門で、延享の火災の難を免れたもの ・山内に残された最古の建造物 |
アクセス 久大本線善導寺駅北1.2kmです。 |
見学ガイド 善導寺は常時自由に参拝することができます。本堂、大庫裏、釜屋、中蔵、大門はすぐ近くから見ることができます。書院、広間は塀越しに建物の一部を見ることができます。役寮及び対面所は非公開です。 |
感想メモ 浄土宗の大本山ということで、広大な境内に立派なお堂が立ち並んでいます。 平成の大修理で建物の位置や構造が一部改められているので、どの建物が重文建築なのか特定するのに苦労しました。 2022年の訪問時にはイベントが行われていて本堂内に入ることができ、本堂の縁から非公開の書院の一部を見ることができました。また、普段は閉ざされていることが多い広間前の勅使門も開放されていて、広間の玄関部分をよく見ることができました。 (2018年10月、2022年4月訪問) |
参考 福岡県教育庁公式サイト |
久留米藩の歴代藩主の霊屋や位牌廟
ありまけたまや
有馬家霊屋
ありまけたまや
久留米市京町
有馬家霊屋 | 梅林院霊屋 | 33.323725, 130.499378 江戸前期 桁行三間、梁間三間、入母屋造、妻入、本瓦葺 |
春林院霊屋 | 33.323721, 130.499556 江戸前期 正面三間、側面三間、宝形造、本瓦葺 | |
瓊林院位牌廟 | 33.323953, 130.499347 江戸前期 桁行二間、梁間正面三間、背面二間、入母屋造、妻入、桟瓦葺 | |
春林院位牌廟 | 33.323934, 130.499531 江戸前期 桁行二間、梁間正面三間、背面二間、入母屋造、妻入、桟瓦葺 | |
長壽院位牌廟 | 33.323919, 130.499639 江戸前期 桁行二間、梁間正面三間、背面二間、入母屋造、妻入、桟瓦葺 |
有馬家霊屋は、JR久留米駅の近く、筑後川に面した梅林寺の境内にあります。梅林寺は久留米藩主有馬家の菩提寺で、有馬家の歴代藩主の墓や位牌を納めた霊屋で寛永7年(1630)から承応4年(1655)にかけて順次建てられたものです。上下2段に敷地が造成されており、下段には藩祖則賴や妻、娘の墓が納められた梅林院霊屋と初代豊氏や二代忠賴などの墓が納められた春林院霊屋の2棟の霊屋、上段には初代豊氏などの位牌が納められた3棟の位牌廟が並びます。これらは霊廟として他に例を見ない配置です。
梅林院霊屋: ・実肘木付きの二手先組物、軒支輪、中央間の蟇股、二軒の繁垂木など華麗な構成 |
春林院霊屋: ・軒廻りの構成は梅林院霊屋とほぼ同じ |
上段に位置する位牌廟: ・手前から長壽院、春林院、瓊林院(けいりんいん) |
瓊林院位牌廟: ・軒廻りの構成は霊屋と比較すると非常に簡素 ・柱上部は禅宗様の粽が見られ、柱上に台輪を回す ・軒は一軒の疎垂木 |
春林院位牌廟 |
長壽院位牌廟 |
アクセス JR鹿児島本線久留米駅下車、北西600mです。有馬家霊屋は梅林寺の境内の奥、本堂の北西にあります。 |
見学ガイド 有馬家霊屋は、常時自由に見学することができます。 |
感想メモ あまり知られていないようで、いつ行っても大変静かです。霊屋と位牌廟の軒廻りの差がはっきりしていて、古建築の勉強になります。 (2019年10月訪問、2021年11月再訪) |
参考 福岡県文化財DB |
脇往還の宿場に建つ双子の建物
まつのぶけじゅうたく
松延家住宅
まつのぶけじゅうたく
八女市立花町兼松
松延家住宅 | 座敷部 | 33.200305, 130.599831 江戸末期 桁行13.1m、梁間10.2m、二階建、正面入母屋造、背面切妻造、桟瓦葺、四面下屋付、取合部を含む |
土間部 | 33.200245, 130.599913 江戸末期 桁行12.9m、梁間8.0m、二階建、正面入母屋造、背面切妻造、正面及び両側面下屋付、背面突出部 桁行5.0m、梁間4.9m、切妻造、桟瓦葺 |
松延家は久留米から熊本へ抜ける脇往還の宿場として栄えた兼松の商家です。建物は東側(街道から見て向かって左)の土間部と西側の座敷部からなります。土間部と座敷部とは、内部は一体化していますが建築構造的には別棟で、重要文化財指定の棟数も2棟となっています。
・土間部(写真左)、座敷部(写真右)とも、壁面を漆喰で塗り籠めた土蔵造で、妻入り、2階建てとし、屋根は桟瓦葺き ・入母屋の妻を正面に見せた同形の建物が左右に2棟並んだ外観に特色 |
アクセス 西鉄久留米駅から八女行バスで終点下車。徒歩50分です。本数は少ないですが、八女から立花方面行のバスに乗れば兼松三角下車すぐです。 |
見学ガイド 松延家住宅は非公開ですが、街道に面して建てられているので、外観はいつでも見ることができます。正面が北東方向を向いているため、順光の時間は長くありません。 |
感想メモ 双子型のユニークで美しい建築です。 (2020年8月訪問) |
参考 八女市公式サイト |
風浪の灘を守護する神
ふうろうじんじゃ
風浪神社
ふうろうじんじゃ
大川市酒見
風浪神社本殿 | 33.211203, 130.386826 室町後期 三間社流造、檜皮葺 | |
風浪神社五重塔 | 33.211492, 130.386706 室町前期 石造五重塔 |
風浪神社は大川の市街地の東部に鎮座しています。古来より風浪の灘を守護する神として、久留米藩主有馬家の崇敬が厚く、また、俗に「おふろうさん」と呼び親しまれ、地域の信仰を集めてきました。本殿と石造の五重塔が重要文化財に指定されています。
本殿: ・三間社流造、檜皮葺で室町時代後期の永禄3年(1560)に再建されたもの ・軸部に比して屋根が大きく、前後の流れも妻の出も深いのが特徴 |
五重塔右面: ・正平10年(1355)の紀年銘をもつため、俗に正平塔と呼ばれている ・二重基壇上に立つ五重の石塔で、相輪の先端は欠損しているが、総高は3.3m ・軒裏には垂木が彫り出され、大棟の両端よりやや下方降棟のあたりに大型の鬼面を置く |
五重塔左面第一層: ・各層の塔身には、仏龕(ぶつがん)とその中に、仏像などが彫り出されている ・これらは神仏習合の証とされている |
アクセス 西鉄柳川駅・JR佐賀駅を結ぶバスで中原高木病院前下車、徒歩15分です。旧吉原家とは逆方向です。本数は少ないですが西鉄八丁牟田駅からのバス便もあり、こちらの方が歩く時間が少し短そうです。 |
見学ガイド 本殿は瑞垣の外からの見学になりますが、瑞垣の高さがそれほど高くないので、比較的見やすいように思います。五重塔には覆屋がかけられていますが、壁のない開放的なもので、見学の支障にはなりません。 |
感想メモ 本殿は改修後間もないようでした。少し古色を帯びてくると趣が増すように思います。覆屋は目障りになることが多いですが、風浪神社五重塔の覆屋は意匠が周辺に調和していて良かったです。 (2020年6月訪問) |
参考 風浪宮公式サイト、大川市公式サイト |
大庄屋の居宅
きゅうよしはらけじゅうたく
旧吉原家住宅
きゅうよしはらけじゅうたく
大川市小保
旧吉原家住宅 | 33.206781, 130.370095 江戸後期 桁行16.9m、梁間12.9m、切妻造段葺、南面玄関附属、本瓦葺、一部桟瓦葺、 西面南突出部 桁行11.9m、梁間7.9m、切妻造、本瓦葺、 西面北突出部 桁行8.9m、梁間6.0m、切妻造、本瓦葺、 |
旧吉原家住宅は、大川市の中心部に位置します。柳河藩小保町の別当職を代々務め、後には大庄屋となった吉原家の居宅です。主屋の建設は文政八年(1825)で、藩の公用に利用されていました。大規模で細部の意匠に優れた住宅です。
塀越しに見る主屋(上)と附指定の御成門(下) |
アクセス 西鉄柳川駅・JR佐賀駅を結ぶバスで中原高木病院前下車、徒歩15分です。花宗川の葦を眺めながら歩きます。旧吉原家は川沿いから旧肥後街道に入ってしばらく進んだところです。 |
見学ガイド 旧吉原家住宅は無料で一般公開されています。内部も見ることができます。 |
感想メモ 式台を備えた立派な住宅です。 (2020年6月訪問) |
参考 大川市公式サイト |