佐賀県の国宝・重要文化財建造物 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

佐賀県内で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

文化財マップ:

佐賀市
佐賀城鯱の門及び続櫓
山口家住宅
吉村家住宅
与賀神社三の鳥居及び石橋三の鳥居、石橋
与賀神社楼門
唐津市
旧高取家住宅大広間棟、居室棟
多久市
多久聖廟
川打家住宅
伊万里市
田嶋神社本殿
武雄市
武雄温泉新館及び楼門新館、楼門
嬉野市
西岡家住宅
西松浦郡有田町
旧田代家西洋館
杵島郡大町町
土井家住宅

 

 

江戸後期の平和な時代の城門と櫓

佐賀城鯱の門及び続櫓


さがじょうしゃちのもんおよびつづきやぐら
佐賀市城内2丁目
佐賀城鯱の門及び続櫓33.245946, 130.302860
江戸末期
鯱の門 櫓門、入母屋造、本瓦葺
続櫓 一重二階櫓、西橋入母屋造、東橋鯱の門に接続、本瓦葺

佐賀城は佐賀市の中心部に位置します。慶長13年(1607)から慶長16年までの佐賀城総普請で、鍋島氏が龍造寺氏の居城・村中城を整備拡張したものです。鯱の門及び続櫓は、天保 6年(1835)の大火災後の本丸再建時に整備され天保9年(1838)に完成したものです。この門は明治7年(1874)の佐賀の役でも弾雨にさらされ、現在でも弾痕が残っています。
・右の二重二階の櫓門が鯱の門で、左に突出した一重二階部分が続櫓
・櫓門は桁行5間、礎石上から棟瓦上までは12.5メートル

鯱の門(城内側): 
・門内で番所(写真の右側)が接続されるなど、近世城郭の初期には見られない機能的な形態

・大棟上の鯱の高さは約1.7m

続櫓:
・石垣天端いっぱいには建てられておらず、石落もないなど、江戸時代後期における城の防備機能の形骸化があらわれている

アクセス
JR長崎本線佐賀駅から南2kmです。佐賀城址まで入るバスのほか、近辺を通過するバス便は多数あります。
見学ガイド
鯱の門及び続櫓は常時自由に見学することができます。鯱の門は夜間、早朝には閉門します。西面しているので、午後の見学が良いと思います。

感想メモ
一見したところ厳めしい造りですが、続櫓の石垣の上に犬走があるなど緩いところがあって面白かったです。
(2021年8月訪問)

参考
現地解説板、佐賀市教育委員会公式サイト

 

 

佐賀城の鬼門を守る

与賀神社


よがじんじゃ
佐賀市与賀町
与賀神社楼門33.248788, 130.294501
桃山
三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺
与賀神社三の鳥居及び石橋三の鳥居33.248777, 130.294342
桃山
石造明神鳥居
石橋33.248783, 130.294411
桃山
石造反橋、橋脚六基、擬宝珠高欄付

与賀神社は佐賀市の中心部、佐賀城の西に位置しており、鎌倉時代には与賀庄鎮守宮で、建暦二年(1212)北条義時が社殿を再興したと伝えられています。室町後期に、太宰府長官であった少弐政資公は山口から佐嘉に落ち延びて来て、与賀城を築き、当神社を鬼門の鎮守として崇敬し社殿を再興しました。その後も与賀神社は領主・藩主の厚い崇敬を受けてきました。
手前から、三の鳥居、石橋、楼門

楼門: 
・構造形式から桃山時代の建築であると考えられている
・軸部、軒廻、斗栱等の大部分の化粧材を丹塗とし、格子組は黒塗、木口は黄土塗
・全体的には和様を基調とするが、細部には禅宗様の手法も使われている

楼門上層: 
・和様の出組で、二軒の疎垂木、頭貫鼻には絵模様彫刻

楼門腰組: 
・連三斗と特徴的な蟇股

三の鳥居: 
・慶長8年(1603)、佐賀藩祖鍋島直茂の北方藤女の奉献で、高さ3.90メートル、笠木の長さ5.65メートル
・典型的な肥前鳥居で、笠木と島木が一体化し、先端は流線形
・笠木・貫・柱が3本継で、柱の下部は張り出して生け込みとする

石橋: 
・長さ10.5メートル、幅3.15メートルの反り橋で、欄干には、10個の擬宝珠がつく
・擬宝珠の線刻銘から江戸時代初期の建設であるとされる

アクセス
JR長崎本線佐賀駅からバスで辻の堂下車。クリーク沿いを南に進むとすぐです。
見学ガイド
重文指定建造物は常時自由に見学することができます。楼門は西面しているので、午後の見学が良いと思います。

感想メモ
存在感のある肥前鳥居と独特の表情の楼門が西日に美しく映えていました。
(2021年8月訪問)

参考
与賀神社公式サイト、佐賀市教育委員会公式サイト

 

 

中国風の意匠の孔子廟

多久聖廟


たくせいびょう
多久市多久町
多久聖廟33.260005, 130.097816
江戸中期
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、向拝一間、唐破風造、本瓦葺
奥陣 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、前面本屋根に接続、本瓦葺

多久聖廟は、佐賀県中部・多久の市街地南側の山裾に位置します。宝永5年(1708)多久茂文が孔子像を安置し、領民に敬の心を培わせるために建てた孔子廟です。 現存する聖廟としては足利学校(栃木県)、閑谷学校(岡山県)に次ぐ古い建物です。
・一重裳階付の禅宗様仏堂で、正面に大きな唐破風の向拝をつける
・中国建築を意識して豊かに施された絵様彫刻や彩色は壮麗

・正面と側面前方は1間の吹き放ちとしている

・背後に接続する張り出し部「室」(写真左)に神壇を構えて八角形の厨子「聖龕」を安置する

・向拝正面唐破風には精緻な卍崩し文様の欄間が見られる

・向拝右側面には中国風の竹の意匠の欄間が見られる
・向拝柱(写真左)の梁行方向(写真左方向)に龍鼻が付き、これに直行して象鼻が付く
・龍鼻・象鼻は阿吽形で、向かって右(写真手前)が阿形、左が吽形

アクセス
JR唐津線多久駅から武雄温泉方面行バスで西町下車、南に1.83kmです。多久駅のレンタサイクルも便利です。駅から多久聖廟までは約4kmです。聖廟周辺はやや急な上りですが、それ以外は平坦です。
見学ガイド
多久聖廟は常時自由に見学することができます。廟内は春秋のお祭りである釈菜(せきさい)の時のみ公開されます。

感想メモ
正面の唐破風が特徴的なよく知られた建築ですが、改めてよく見ると、細部の意匠も非常に凝ったものであることに気づきます。
(2021年10月訪問)

参考
孔子の里公式サイト、多久市公式サイト、文化遺産オンライン

 

 

「くど造」の典型的な民家

川打家住宅


かわうちけじゅうたく
多久市西多久町大字板屋
川打家住宅33.263691, 130.052718
江戸中期
正面13.7m、側面8.6m、コの字形寄棟造、茅葺、背面庇付、桟瓦葺

川打家住宅は伊万里街道に沿った山間の平地に建ち、正徳3年(1719)から享保14年(1729)の大洪水による被災後に建替えられたと考えられています。この建物は佐賀県南部に分布するくど造民家(棟がカマド(くど)のようにコの字型寄棟造りになった形式)の典型です。
街道に面した北面

くど造の特徴がみられる南面: 
・平面は、東側(写真右)の棟が土間で、接続部と西側の棟が床上部

棟の接続部

四間取の床上部: 
・左端の部屋が棟の接続部に当たる

アクセス
JR唐津線多久駅から武雄温泉方面行バスで西町下車、西に3kmです。直売所幡船の里の隣接地です。多久駅のレンタサイクルも便利です。駅から川打家までは約7kmで、軽い上りです。多久聖廟を経由することもできます。
見学ガイド
川打家住宅は、9時~16時30分の間、無料で公開されています。内部も見学することができます。月曜日と第一第三水曜日は休館です。旧所在地から移築され周辺整備がされているので、南側からくど造りの特徴をよく見ることができます。

感想メモ
移築されたものですが、不自然な感じはなく、また、建物全体をよく見ることができるようになっていたのでありがたかったです。
(2021年10月訪問)

参考
全国重文民家の集い公式サイト

 

 

三間社流見世棚造の社殿

田嶋神社本殿


たじまじんじゃほんでん
伊万里市波多津町畑津
田嶋神社本殿33.365084, 129.875135
室町前期
三間社流見世棚造、こけら葺

田嶋神社は伊万里市北部の山合の集落に鎮座します。宗像三女神を主神とし、海上交通の守り神として信仰を集めています。呼子町加部島の田嶋神社の分霊を勧請したものと考えられています。本殿は15世紀の建立と考えられています。
・三間社流見世棚造で、身舎部は柱頭に平三斗を置き、中備を置かない
・向拝中央の桁の湾曲はこの地域の特色
・向拝の桁・垂木より上は近年の修補

アクセス
JR筑肥線・松浦鉄道伊万里駅から福島港行バスで内野口下車すぐです。松浦鉄道伊万里駅の電動アシスト付レンタサイクルを利用することもできます。田嶋神社までは約15kmで、国道経由のルートであれば、大きなアップダウンはありません。
見学ガイド
田嶋神社本殿は覆屋で覆われています。覆屋には明り取りがありますが湾曲し、汚れた樹脂板が張られているため、中の様子を見ることができません。

感想メモ
訪問時には運よく覆屋の扉が開放されていたので本殿の一部を見ることができましたが、通常は閉鎖されているようです。
(2021年8月訪問)

参考
伊万里市公式サイト、現地解説板

 

 

辰野金吾が故郷に残した建築

武雄温泉新館及び楼門


たけおおのせんしんかんおよびろうもん
武雄市武雄町
武雄温泉新館及び楼門新館33.196228, 130.014655
大正
建築面積409.53平方メートル、一部2階建、正面玄関ポーチ及び階段室、背面浴室及び便所付、桟瓦葺
楼門33.196579, 130.014320
大正
建築面積119.96平方メートル、両側両翼屋付、本瓦葺及び桟瓦葺

武雄温泉新館及び楼門は、近代に入り,観光温泉町として発展した武雄の拠点として武雄温泉組が建設を計画したものです。ともに辰野・葛西事務所の設計、清水満之助(清水建設3代店主)の施工で、大正4年に落成しています。伝統的な和風意匠を基調としつつも、細部意匠や架構等に新しい試みがみられます。東京駅等の設計で知られる辰野金吾は佐賀県唐津市出身ですが、佐賀県内に現存する辰野金吾の作品はこれのみです。
新館: 
・正面中央に玄関車寄を備えた木造二階建の主体部を中心に、両翼を張り出す左右対称の構成
・正面中央に玄関車寄、出窓、両脇に階段室を前面に突出させる
・屋根は主体部、両翼、車寄を入母屋造、出窓、階段室を唐破風造とし、起りのある洋風意匠の屋根窓を載せる
・背面に浴室、便所を別棟で附属

楼門: 
・入母屋造本瓦葺の木造二重門で、竜宮門形式
・左右に平家の翼屋を張り出す

アクセス
JR佐世保線武雄温泉駅から徒歩15分。
見学ガイド
いつでも、自由に見学することができます。日中は新館内部が無料で公開されています。

感想メモ
辰野金吾といえば東京駅などのちょっと肩肘張った建築のイメージですが、故郷に残した建築はそれとは全く違ったやわらかい表情です。
(2020年8月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

有田の貿易商が外国人の接遇のために建築

旧田代家西洋館


たしろけせいようかん
西松浦郡有田町幸平1丁目
旧田代家西洋館33.189901, 129.897649
明治
木造、建築面積85.01㎡、二階建、桟瓦葺

有田町有田内山伝統的建造物群保存地区内に位置する旧田代家西洋館は、有田を代表する貿易商の田代家が、外国人の接待や宿泊のため明治9年に建築したものです。
・木造2階建、桟瓦葺、外壁は漆喰塗
・正面に円柱を並べて1階をポーチ、2階をベランダとして、窓に色ガラスを用いたアーチ形の欄間を飾る

アクセス
JR佐世保線上有田駅から徒歩10分。
見学ガイド
公道に面しているので、いつでも自由に見学することができます。内部は有料公開されています。北面しているので、日中は逆光になります。

感想メモ
早い時間で開館前でしたが、まだ逆光ではなかったので外観はよく見ることができました。
(2020年8月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

長崎街道に面する町屋

土井家住宅


どいけじゅうたく
杵島郡大町町大町
土井家住宅33.213770, 130.122682
江戸末期
桁行17.2m、梁間14.8m、切妻造、妻入、本瓦葺、北面及び南面庇付、本瓦及び桟瓦葺

土井家住宅は佐賀と長崎を結ぶ街道沿いに建つ町家で、江戸末期の建築です。
・街道に面して切妻造り、妻入、屋根の勾配が緩い本瓦葺で、正面に瓦の庇が2段に付いている
・建物の正面には、大戸口、摺りあげ戸、蔀戸(しとみど)など各種の建具が用いられている

アクセス
JR佐世保線大町駅下車、東1.6㎞です。
見学ガイド
土井家住宅は公道に面しているため、外観は常時自由に見ることができます。北西に面しているので夕刻以外は逆光になります。

感想メモ
夕刻で大きな妻に奇麗に日が射していました。どっしりとした構えの住宅です。
駅に地元名物のたろめんの美味しそうな写真が出ていたので店を探してみましたが、見つかりませんでした。
(2022年8月訪問)

参考
​全国重文民家の集い公式サイト