このブログについて:
富山県高岡地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書くようにしています。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しました。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
高岡市 | |
瑞龍寺 | 仏殿、法堂、山門、総門、禅堂、大茶堂、高廊下、北回廊、南東回廊、南西回廊 |
武田家住宅 | |
気多神社本殿 | |
勝興寺 | 本堂、大広間及び式台、唐門、経堂、御霊屋、鼓堂、宝蔵、総門、式台門、台所、書院及び奥書院、御内仏 |
佐伯家住宅 | |
菅野家住宅 | 主屋、土蔵 |
加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺
ずいりゅうじ
瑞龍寺
ずいりゅうじ
高岡市関本町
瑞龍寺 | 仏殿 | 36.735580, 137.010497 国宝・江戸前期 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、鉛瓦葺 |
法堂 | 36.735617, 137.010007 国宝・江戸前期 桁行十一間、梁間九間、一重、入母屋造、銅板葺、向拝 桁行二間、梁間一間、一重、向唐破風造、銅板葺 | |
山門 | 36.735537, 137.011154 国宝・江戸後期 三間一戸二重門、入母屋造、こけら葺、左右山廊付 各桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、こけら葺 | |
総門 | 36.735505, 137.011751 江戸前期 三間一戸薬医門、切妻造、こけら葺、左右袖壁附属 | |
禅堂 | 36.735272, 137.010814 江戸末期 桁行七間、梁間五間、正面向唐破風向拝付、背面・両側面庇附属、一重、切妻造、こけら葺 | |
大茶堂 | 36.735935, 137.010093 江戸末期 桁行23.6m、梁間9.8m、一重、入母屋造、こけら葺 | |
高廊下 | 36.735828, 137.010124 江戸前期 桁行七間、梁間二間、一重、両下造、こけら葺、南面法堂・北面大茶堂に接続 | |
北回廊 | 36.735839, 137.010650 江戸中期 桁行折曲り延長五十六間、梁間一間、一重、両下造、鐘楼及び大庫裏付、北面西端番所附属、こけら葺 | |
南東回廊 | 36.735307, 137.011028 江戸中期 桁行折曲り延長二十間、梁間一間、一重、両下造、こけら葺 | |
南西回廊 | 36.735366, 137.010211 江戸中期 桁行折曲り延長三十五間、梁間一間、一重、両下造、こけら葺 |
瑞龍寺は高岡駅近くに位置する曹洞宗の寺院で、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立されたものです。造営は正保年間から利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要しました。延享三年(1746)に山門と回廊の前半部分及びその脇にあった禅堂などが焼失しましたが、江戸時代後期にほぼ旧状の配置で再建されました。
伽藍配置(境内の案内看板より): ・総門、山門、仏殿、法堂の主要伽藍を一直線上に並べ、禅堂と大庫裏を左右対称に配置し、この周囲に回廊をめぐらして諸堂を結ぶ禅宗様式の典型的な伽藍配置 ・七間浄頭と浴室は現存しない |
・山門の北(写真右)に北回廊、南に南東回廊が伸びる ・それぞれの背後に大庫裏(北回廊の一部として重文指定)と禅堂の妻が左右対称に並ぶ |
・手前が仏殿で、奥に法堂が建つ |
・写真右が北回廊で、大庫裏(写真右)とその西の鐘楼も北回廊の一部として重文指定されている ・鐘楼の西の白い破風が大茶堂で、これから法堂(仏殿の陰)に向けて高廊下が延びる |
・写真左が禅堂で東(写真手前)に向けて南東回廊、西に向けて南西回廊が延びる |
・中央が仏殿の背面で、右に山門、左に北廊下と鐘楼が見える |
仏殿 |
仏殿背面 |
仏殿南側面 |
仏殿裳階: ・花頭窓や藁座付きの桟唐戸など、禅宗様の特徴が見られる |
仏殿上層軒廻り: ・禅宗様の三手先の詰組で、柱頭には粽 |
仏殿裳階軒廻り: ・柱上は出組で、中備は木鼻付きの平三斗 |
仏殿内部 |
仏殿裳階内部(右が身舎): ・湾曲の大きな海老虹梁が身舎と裳階を繋ぐ |
法堂 |
法堂内廊下 |
法堂内部 |
山門(外側): ・延享三年(1764)に山門と回廊の前半部分及びその脇にあった禅堂などが焼失したが、江戸時代後期にほぼ旧状の配置で再建された ・山門は創建時の加賀藩御大工の後裔にあたる大工が建てたもの ・禅宗様の手法になる三間一戸の二重門で、古式な手法をもつ |
山門(境内側) |
山門上層軒廻り: ・粽付きの柱頭に台輪を廻し、禅宗様の三手先の詰組で桁を受ける ・軒は二軒の扇型繁垂木 |
山門下層軒廻り: ・上層と同様に粽付きの柱頭に台輪を廻し、禅宗様の三手先の詰組で桁を受ける ・軒は二軒の平行繁垂木 |
総門 |
総門軒廻り |
禅堂 |
禅堂の妻 |
禅堂内部 |
禅堂内廊下 |
大茶堂(右が北回廊、左が高廊下): ・住職の接賓等に使用するもので、全国で他に1例を数えるのみ |
大茶堂内部: ・天井は舟底形に漆喰仕上げされた「土天井」 ・これは、大茶堂の奥に日常の生活空間である書院などがあり、ここで火災が発生した場合に七堂伽藍への類焼を防ぐためのもの |
北回廊(中央が大庫裏で奥が鐘楼) |
大庫裏の妻 |
鐘楼 |
北回廊内部 |
南西回廊(奥が禅堂と南東回廊) |
南西回廊内部 |
アクセス とやま鉄道高岡駅下車、南西1㎞です。 |
見学ガイド 瑞龍寺は有料で公開されています。主要な堂宇は東面しています。 |
感想メモ 立派な仏堂が整然と並ぶ寺院で威厳にあふれています。前田氏の隆盛を感じさせます。 (2023年8月訪問) |
参考 現地解説板、瑞龍寺公式サイト、国指定文化財等DB |
能登の氣多大社を勧請したとされる越中一宮
けたじんじゃほんでん
気多神社本殿
けたじんじゃほんでん
高岡市伏木一宮
気多神社本殿 | 36.800211, 137.044287 室町後期 三間社流造、向拝一間、こけら葺 |
気多神社は、伏木の町並みの背後の台地上、越中国分寺跡近くに鎮座します。社伝によると、天平年間に越中より能登国が分立した後、能登・羽咋にある氣多大社を、現在地に勧請したものとされています。盛時には、越中一宮として神宮寺の大伽藍が並立していたと伝えられていますが、寿永年間に木曽義仲、天文年間には上杉謙信と2度にわたる兵火で、ほとんど全てが灰燼に帰しました。現在の本殿は永禄年間(1558~570年)に再建されたものです。
・三間社流造、こけら葺きで、正面に一間の向拝が付く ・意匠は簡素だが、全体に木割が大きく、雄大 |
・前列の柱は角柱で、身舎は円柱 ・古風な直線的な虹梁が架けられている |
側面妻の装飾: ・柱上は拳鼻付きの平三斗 |
・一宮の扁額は空海の筆によるものと伝えられている |
アクセス JR氷見線越中国分駅下車、南1.3㎞です。JR高岡駅からは伏木循環バスで伏木一宮下車、800mです。 |
見学ガイド 本殿の前面は拝殿で塞がれていますが、拝殿の両脇から斜め方向に本殿を見ることができます。 |
感想メモ 木割の大きな素木の重厚な社殿です。 境内から富山湾と背後の山並みの美しい景色を見ることができます。 (2023年8月訪問) |
参考 気多神社公式サイト |
西本願寺阿弥陀堂を手本とした巨大な本堂
しょうこうじ
勝興寺
しょうこうじ
高岡市伏木古国府
勝興寺 | 本堂 | 36.792329, 137.052656 国宝・江戸後期 桁行39.3m、梁間37.5m、一重、入母屋造、向拝三間、金属板葺(亜鉛合金:本来は鉛板) |
大広間及び式台 | 36.793209, 137.052841 国宝・江戸中期 大広間 桁行18.5m、梁間15.8m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、北面及び南面庇付、こけら錣葺、南面庇板葺、背面下屋及び渡廊下附属、板葺 式台 桁行16.5m、梁間19.5m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、正面南寄り起破風、玄関及び北寄り二口脇玄関、北面庇付属、背面台所に接続、大広間・式台間を切妻造屋根で繋ぐ、こけら葺 | |
唐門 | 36.792455, 137.053633 江戸後期 四脚門、切妻造、前後唐破風造、檜皮葺 | |
経堂 | 36.792043, 137.053168 江戸後期 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、杮葺、八角輪蔵付 | |
御霊屋 | 36.792604, 137.052341 江戸後期 桁行6.7m、梁間6.5m、一重、入母屋造、妻入、唐破風造向拝一間、こけら葺 | |
鼓堂 | 36.792772, 137.053654 江戸中期 桁行7.5m、梁間7.5m、二重二階、入母屋造、杮葺 | |
宝蔵 | 36.792809, 137.053298 江戸末期 土蔵造、桁行4間、梁間3間、乱石積基壇、二階建、置き屋根入母屋造、妻入、こけら葺 | |
総門 | 36.792799, 137.054035 江戸末期 一間高麗門、切妻造、本瓦葺、両脇築地塀附属 | |
式台門 | 36.793155, 137.053222 江戸後期 三間一戸薬医門、切妻造、こけら葺、北側面番所・南側面屋根塀附属 | |
台所 | 36.793421, 137.052561 江戸末期 桁行16.4m、梁間30.0m、一重、切妻造、妻入、背面庇付属、石置木羽葺、正面玄関付属、桟瓦葺 | |
書院及び奥書院 | 36.792966, 137.052508 江戸中期 書院 桁行23.5m、梁間10.5m、一重、東面切妻造、西面寄棟造、北面東方近侍溜付属、南面庇付属、北面東端渡廊下接続、東面本堂北廊下に接続する廊下付属、東面大広間西廊下に接続、こけら錣葺、近侍溜のみ石置木羽葺 奥書院 桁行21.7m、梁間12.3m、一重、寄棟造、東・北・西面庇付属 書院西南と奥書院北東を矩折に繋ぐ、こけら錣葺 | |
御内仏 | 36.792741, 137.052334 江戸中期 桁行9.6m、梁間8.2m、一重三方裳階付、寄棟造、北面奥書院に接続、こけら葺 |
上表中の構造様式は、平成の大改修後のものを示しているため、重文指定時の告示内容とは異なる |
勝興寺は浄土真宗の寺院で、港町伏木の市街地の背後、富山湾を望む古代越中国府跡と伝わる台地上に境内を構えます。
本願寺八世蓮如上人が、文明3年(1471年)に越中の布教の拠点として、現在の南砺市にに土山御坊を開き、永正14年(1517年)寺号を勝興寺と改めました。戦国時代には、越中一向一揆の拠点となり、越前朝倉氏、甲斐武田氏などの戦国大名や、本願寺、京都公家などと関係を深めていくようになります。天正12年(1584年)に現在地に移り、藩政時代に入ると加賀藩前田家と関係を深めるようになり、越中における浄土真宗の中心として繁栄しました。現存の堂宇は、江戸時代中期から後期にかけて建てられたものです。
本願寺八世蓮如上人が、文明3年(1471年)に越中の布教の拠点として、現在の南砺市にに土山御坊を開き、永正14年(1517年)寺号を勝興寺と改めました。戦国時代には、越中一向一揆の拠点となり、越前朝倉氏、甲斐武田氏などの戦国大名や、本願寺、京都公家などと関係を深めていくようになります。天正12年(1584年)に現在地に移り、藩政時代に入ると加賀藩前田家と関係を深めるようになり、越中における浄土真宗の中心として繁栄しました。現存の堂宇は、江戸時代中期から後期にかけて建てられたものです。
本堂: ・勝興寺住職より還俗して、加賀藩主第11代を継いだ前田治脩の支援を受け、西本願寺の阿弥陀堂を模して寛政7年(1795年)に建立された ・桁行約39.3m、梁間約37.5m、高さ約23.5mの巨大な建造物 |
・本堂側面後方二間は縋破風を架けている |
本堂妻の装飾 |
本堂正面 |
本堂向拝の手挟 |
・本堂内部は柱を省き、広い礼拝空間を確保している |
大広間(写真左)及び式台(写真右): ・大広間は、承応2年(1653)建立で、対面所とも呼ばれる128畳敷きの奥行きの深い構成 ・式台は、18世紀末建立で、外来客の家来の控え所や挨拶の場として利用された |
式台 |
大広間内部 |
唐門: ・明治時代に京都の興正寺から移築されたもので、明和6年(1769)の建立 ・間口6mの四脚門で、屋根は北陸では珍しい檜皮葺、前後とも軒唐破風付 ・彫刻や金具などの装飾が随所に施された四脚門で、勅使門のような華麗な意匠 |
唐門破風の装飾 |
経堂: ・文化2年(1805)建立の禅宗様建築 ・方形基礎上に建つ三間の宝形造に五間の裳階がつく ・浄土真宗の寺院に禅宗様建築が残されているのは稀な例 |
経堂裳階: ・礎盤上に粽付きの円柱を立て、柱上は出三斗、中備は両側間が蟇股で、それ以外は出三斗の詰組 ・中央三間は桟唐戸で、両側間は花頭窓 |
経堂裳階軒廻り: ・軒は二軒の平行繁垂木で、柱頭は粽、柱上に台輪を廻し、木鼻は禅宗様 |
経堂身舎軒廻り: ・軒は二軒の扇型繁垂木で、尾垂木付の二手先の詰組 ・柱は粽付きの円柱で、柱上に台輪を廻し、木鼻は禅宗様 |
・経堂内の大型の八角輪蔵は、形式、細部とも本格的で極彩色が施されている |
平成の大修理前の経堂 |
御霊屋: ・18世紀中ごろに建立されたもの ・寺族専用の仏壇が安置されている |
鼓堂: ・享保18年(1733)建立の入母屋造、こけら葺、二重櫓式の建築 |
平成の大修理前の鼓堂 |
宝蔵: ・江戸時代末期建立の二階建の土蔵 ・乱石積基壇の縁に布石をまわし、その上に建つ ・壁体は下部の腰壁を海鼠壁とし上部は漆喰塗 |
・宝蔵の屋根は入母屋造の置屋根 |
総門: ・天保11年(1840)建立の大形高麗門 ・高麗門は、薬医門を簡略化し控え柱側の見通しを良くしたもので、城門として用いられることが多く、大型の高麗門が寺院に残されているのは珍しい |
式台門: ・宝永2年(1705)建立 ・間口4.3mの薬医門で、木柄が太く、親柱の見付が60cm、両端柱が50cm角の欅材 ・屋根はこけら葺で、大棟は熨斗積みで重厚な構え |
台所: ・文久3年(1863)建立の大規模な建築 ・一部に屋根裏の二階があり、講中の宿舎に供されていた |
・台所内部は豪快な梁組を見せる |
書院及び奥書院(右が書院で、左が奥書院): ・18世紀中期の建立 ・書院は、寺の事務所として使われていた ・奥書院は住職の居間で、金の間とも呼ばれ、金の壁紙、襖紙で仕上げられている |
御内仏(写真左端が御内仏で、右は奥書院): ・18世紀中期の建立で、寺族専用の仏壇が安置されている |
アクセス JR氷見線伏木駅下車、西500mです。高岡駅からのバス路線もあります。 |
見学ガイド 勝興寺は有料で公開されています。本堂、大広間及び式台、書院、台所は内部に立ち入ることができます。主要な堂宇は東北東に面しています。 |
感想メモ ながらく続いていた修復工事が竣工したので、十数年ぶりに訪問しました。 改めて見ても、本当に壮大な本堂でした。境内の工事が終わり、きれいに整備されていました。ただ、真宗建築や禅宗建築、城郭風の建築など、様式がバラバラなので、何か統一感のない雑然とした印象を受けました。 (2008年1月、2023年8月訪問) |
参考 勝興寺境内の文化的価値に関する調査研究報告書、勝興寺公式サイト、国指定文化財等DB、現地解説板 |
防火を徹底した土蔵造の商家
すがのけじゅうたく
菅野家住宅
すがのけじゅうたく
高岡市木舟町
菅野家住宅 | 主屋 | 36.747827, 137.011765 明治 土蔵造、建築面積288.45m2、二階建、桟瓦葺、背面西方浴室及び便所附属 |
土蔵 | 36.748002, 137.011636 明治 土蔵造、建築面積33.81m2、二階建、桟瓦葺、蔵前及び覆屋根附属 |
菅野家住宅は、高岡市の市街地中心部の山町筋(国重要伝統的建造物群保存地区)に位置する商家です。主屋は明治33年の高岡大火の直後に再建されたと伝え、土蔵も同時期の建設と推定されています。
主屋: ・土蔵造り、2階建の町家で、黒漆喰仕上 |
・主屋の側面には御影石のウダツ柱と釉薬をかけた煉瓦積みの防火壁が設けられている |
・主屋二階の窓は観音開きの土扉を備える |
主屋正面庇 |
主屋正面庇の鋳鉄製の支柱柱頭の装飾 |
主屋正面庇の天井飾 |
・屋根の雷文を施した大きな箱棟には、鯱や雪割を載せる |
土蔵: ・2階建で、蔵前も土蔵造としており、防火に念入りに備えたつくりとなっている |
アクセス とやま鉄道高岡駅下車、北西1kmです。駅からバス、路面電車を利用することができます。 |
見学ガイド 菅野家住宅は有料で公開されています。土蔵は主屋から庭越しに少し見えます。主屋は公道に面して建てられていて、外観は常時見学することができます。 |
感想メモ 高岡の町の歴史を詳しくうかがうことができました。重厚な外観と軽快な内部意匠のコントラストが面白いです。細部にも繊細な意匠や多くの工夫が見られます。 (2023年8月訪問) |
参考 とやまの文化遺産、現地説明 |