このブログについて:
富山県富山・新川・砺波地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書くようにしています。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しました。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
富山市 | |
浮田家住宅 | 主屋、表門、土蔵 |
富岩運河水閘施設(中島閘門) | 閘門、放水路、中島橋(1)、中島橋(2)、閘門操作室 |
旧森家住宅 | 主屋、南土蔵、北土蔵 |
常願寺川砂防施設 | 白岩堰堤、泥谷堰堤、本宮堰堤 |
小矢部市 | |
護国八幡宮 | 本殿、拝殿及び幣殿、釣殿 |
南砺市 | |
白山宮本殿 | |
村上家住宅 | |
羽馬家住宅 | |
岩瀬家住宅 | |
旧富山県立農学校本館(富山県立福野高等学校巌浄閣) | |
中新川郡立山町 | |
立山室堂 | 南棟、北棟 |
旧嶋家住宅 | |
雄山神社前立社壇本殿 |
富山の産業開発の歴史を物語る
ふがんうんがすいこうしせつ(なかじまこうもん)
富岩運河水閘施設(中島閘門)
ふがんうんがすいこうしせつ(なかじまこうもん)
富山市興人町、中島二丁目
富岩運河水閘施設(中島閘門) | 閘門 | 36.725919, 137.219861 昭和 鉄筋コンクリート造閘門、合掌扉開閉装置、通水扉設備、量水計3基を含む |
放水路 | 36.725182, 137.219875 昭和 鉄筋コンクリート造放水路、引上戸付 | |
中島橋(1) | 36.725958, 137.219878 昭和 鉄筋コンクリート造単桁橋 | |
中島橋(2) | 36.725836, 137.220232 昭和 鉄筋コンクリート造単桁橋 | |
閘門操作室 | 36.725736, 137.219932 昭和 木造、建築面積72.8平方メートル、鉄板葺 |
富岩運河は、神通川河口に位置する伏木富山港富山地区と富山市街を結ぶ運河で、周辺の工業開発と、神通川改修により生じた廃川地の埋立土確保のため、昭和9年に開削されたものです。中島閘門は運河のほぼ中間地点に位置し、標高差が2.5mある上流側・下流側の間で船舶航行を可能とするよう設けられたものです。
中島橋(1)から見た閘室(左の建物が閘門操作室、写真奥が上流側) |
上流側扉 |
下流側扉(背後は中島橋(1)) |
放水路(下流側より): ・上流側とは水位差があることがわかる ・この差を超えて船舶を航行させるために、写真右の堤防の向こう側にこの水路と並行して閘門が設けられている |
中島橋(2): ・この橋梁は放水路上に架けられている |
中島橋(2)の橋面(奥が中島橋(1)) |
閘門操作室 |
アクセス 富山地方鉄道越中中島駅下車、北西700mです。 |
見学ガイド 中島閘門は常時自由に見学することができます。 |
感想メモ ミニパナマ運河のようで面白かったです。高度成長期に埋め立てられず、生き残ったのは奇跡かもしれません。 (2023年8月訪問) |
参考 富山市公式サイト |
室町時代の簡素な見世棚造の社殿
はくさんぐうほんでん
白山宮本殿
はくさんぐうほんでん
南砺市上梨
白山宮本殿 | 36.411200, 136.930465 室町後期 一間社流見世棚造、板葺 |
白山宮の祭神は、白山菊理媛命で、十一面観世音菩薩妙理大権現の御神体を安置しています。由緒によれば、元正天皇の時代に、飛騨国境の人形山頂に創建され、平安末期の天治2年(1125)に現在地に移遷したとされています。本殿は、棟札より文亀2年(1502)に建立されたものであることが知られています。
・一間社流見世棚造、板葺の簡素な建築 |
・向拝中央には秀麗な蟇股を飾る |
・軒は繁垂木で、向拝は出三斗、木鼻を飾る |
アクセス とやま鉄道高岡駅から世界遺産バスで上梨下車すぐです。 |
見学ガイド 白山宮は常時自由に参拝することができます。本殿は覆屋の中にありますが、覆屋正面の格子に拝観用の穴があけられているので、本殿の正面部分を見ることができます。毎年9月25日、26日のこきりこ祭りでは覆屋が開扉されます。 |
感想メモ 本殿の覆屋は無粋な安普請であることが多いですが、白山宮の覆屋は茅葺でそれ自体味わいのある建物です。また、本殿を拝観できるように覆屋内の照明のスイッチまで備えられていたのは大変ありがたかったです。 風雨から守られているので、室町建築とは思えないほど奇麗な状態でした。木鼻の口の部分が実用されているのは新鮮でした。 (2023年8月訪問) |
参考 南砺市文化芸術アーカイブス(南砺市公式サイト) |
合掌造りの基本的な形を留める住宅
むらかみけじゅうたく
村上家住宅
むらかみけじゅうたく
南砺市上梨
村上家住宅 | 36.410547, 136.930988 江戸後期 桁行22.2m、梁間11.4m、一重四階、切妻造、妻入、南面庇付、茅葺、北面下屋附属、こけら葺 |
村上家住宅は、上梨集落の中心部、白山宮の近くに建つ合掌造りの民家です。構造、手法から江戸後期の建築であると考えられています。
・規模の大きな合掌造りで、一重四階、妻入り ・五箇山地方の民家の基本的な形式をもつ |
アクセス とやま鉄道高岡駅から世界遺産バスで上梨下車すぐです。白山宮のすぐ近くです。 |
見学ガイド 村上家住宅は有料で公開されています。外観は公道から見ることができます。 |
感想メモ 内部は、「戦国時代の武家造りから書院造りに移行する過渡期の様子を示し、多くの古風・古式の遺構がそのまま残っている」とのことですが、残念ながら定休日で見ることができませんでした。 (2023年8月訪問) |
参考 南砺市文化芸術アーカイブス(南砺市公式サイト) |
五箇山最古の合掌造り民家
はばけじゅうたく
羽馬家住宅
はばけじゅうたく
南砺市田向
羽馬家住宅 | 36.408428, 136.932033 江戸中期 桁行14.3m、梁間8.8m、一重三階、切妻造、妻入、西面及び東面庇付、茅葺 |
羽馬家住宅は、庄川右岸の段丘上の田向集落に位置します。田向集落は庄川で隔絶されているため、加賀藩の流刑地にもされていました。羽馬家住宅は、明和6年(1769)に、田向集落の大半が焼失したので、4キロ下流の集落にあった合掌造りを買い求めて移築したものと伝えられています。建築様式から寛文年間(1661~1672)ごろの建築であると考えられています。住宅は、オエ、デイ、ネマ、オマエの4室からなりますが、ネマおよびオマエの部分が非常に小さく作られており、これは五箇山地方民家としては、もっとも初期的な合掌造りの段階を示しています。
・妻入りの三階建ての合掌造で、前後に庇が設けられている ・比較て小規模で、全体に木割りが細く、繊細な印象を与える |
アクセス とやま鉄道高岡駅から世界遺産バスで上梨下車、500mです。庄川を渡り、段丘を一段上ったところです。 |
見学ガイド 羽馬家住宅は現住の民家なので通常は非公開です。外観は公道から見ることができます。ご家族は普段は少し離れたところにお住まいですが、奥様が住宅の管理のために来られているときは、ご都合がつけば内部を案内していただけるとのことです。 |
感想メモ 外観の写真を撮っていたら、ちょうどご当主と奥様が戻ってこられ、住宅内に招き入れていただきました。奥様からは羽馬家住宅や五箇山の歴史など、奥深いお話をたくさんうかがいました。一時間くらいお話をうかがったように思いますが、お話の引き出しを無限にお持ちで、大変興味深くうかがいました。お話のタイトルの一部を紹介すると、「『おしん』にはなりたくない」、「天明義民の不思議なご縁」、「加賀藩流刑人と村人との交流」、「物置づくり・野菜づくり」、「夏は天国、冬は玄関まで30分」、「ひろゆきが呟いたこと」、「一階は大工さん・二階から上は村人」、「麻の国」、「みんな合掌やめちゃった」、「この本、私が・・・」、「石川縣に納めた税金」、「『はばさ~ん』と声かけて」、「羽馬家に関する研究by北海道大学」などなどです。本当にありがとうございました。 (2023年8月訪問) |
参考 羽馬家奥様のお話、南砺市文化芸術アーカイブス(南砺市公式サイト) |
五箇山で最大の合掌造り民家
いわせけじゅうたく
岩瀬家住宅
いわせけじゅうたく
南砺市西赤尾町
岩瀬家住宅 | 36.381071, 136.870639 江戸後期 桁行23.9m、梁間13.0m、一重四階、切妻造、茅葺、四面庇付、鉄板葺 |
岩瀬家住宅は、五箇山の西赤尾に位置する合掌造民家です。この住宅は塩硝(鉄砲火薬)の生産が盛んだった五箇山で、塩硝上煮屋と地域の塩硝を取りまとめて加賀藩へ納める役宅を兼ねていたことから、この建物は当地方で最も高い格式を示しています。
・平入りで、間口26.4m〈14.5間〉と五箇山で最大の合掌造 ・中央部には式台(樹木の左の障子の部分)が設けられ、格式の高さを示す |
・梁間12.7m〈7間〉、1重4階で、高さ14.4m ・建物の北側(写真左)には融雪用の池が設けられている |
・三階から上は養蚕に用いられたため、妻には全面に明り取りの障子が嵌められている |
・出桁で軒を深くしている |
・手前が居間で、奥が家長の間 ・柱には良質の太い欅材が用いられている |
・鴨居も欅材で、高さが55㎝もある |
・奥には書院が設けられており、これも格式の高さを示す |
・屋根には釘を用いず、縄で部材を固定している |
・二階から上の床は簀子で、いろりの熱が養蚕部屋に伝わるようにしている |
アクセス とやま鉄道高岡駅から世界遺産バスで西赤尾下車すぐです。 |
見学ガイド 岩瀬家住宅は有料で公開されています。 |
感想メモ 非常に大規模な合掌造で、巨大な材木を用いていて圧巻です。囲炉裏端で薬草茶をいただきながら、お話をうかがい、こきりこ節の実演までしていただけました。 (2023年8月訪問) |
参考 現地の案内、南砺市文化芸術アーカイブス(南砺市公式サイト) |