香川県の国宝・重要文化財建造物 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

香川県内で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

高松市
高松城旧東之丸艮櫓、北之丸渡櫓、北之丸水手御門、北之丸月見櫓
披雲閣(旧松平家高松別邸)本館、本館付倉庫、倉庫
小比賀家住宅主屋、土蔵、米蔵、午門
国分寺本堂
旧下木家住宅
旧河野家住宅
屋島寺本堂
香川県庁舎旧本館及び東館
丸亀市
丸亀城天守
丸亀城大手一の門、大手二の門
坂出市
神谷神社本殿
白峯寺本堂、大師堂、阿弥陀堂、行者堂、薬師堂、頓證寺殿、勅額門、客殿、御成門
白峯寺十三重塔(1)、(2)
鍋島灯台
善通寺市
善通寺金堂、五重塔
旧善通寺偕行社
観音寺市
豊稔池堰堤
観音寺金堂
さぬき市
志度寺本堂、仁王門
細川家住宅
旧恵利家住宅
長尾寺経幢(1)、(2)
三豊市
覚城院鐘楼
常徳寺円通殿
本山寺本堂
本山寺二王門
小豆郡小豆島町
明王寺釈迦堂
仲多度郡琴平町
金刀比羅宮旭社
金刀比羅宮奥書院
金刀比羅宮表書院及び四脚門表書院、四脚門
旧金毘羅大芝居

 

 

瀬戸内海に面した海城

高松城


たかまつじょう
高松市玉藻町
高松城旧東之丸艮櫓34.348768, 134.051999
江戸中期
三重三階隅櫓、入母屋造、本瓦葺南面続櫓一重櫓、南端入母屋造、本瓦葺
北之丸渡櫓34.351096, 134.051671
江戸中期
一重櫓、入母屋造、本瓦葺
北之丸水手御門34.351173, 134.051687
江戸末期
一間薬医門、切妻造、本瓦葺
北之丸月見櫓34.351299, 134.051743
江戸中期
三重三階隅櫓、入母屋造、本瓦葺、南面続櫓一重櫓、南端入母屋造、本瓦葺
披雲閣(旧松平家高松別邸)本館34.350278, 134.051622
大正
木造、建築面積1,916.51㎡、一部2階建、入母屋造及び寄棟造、南面車寄附属、桟瓦葺
本館付倉庫34.350382, 134.051923
大正
木造、建築面積38.79㎡、寄棟造、桟瓦葺
倉庫34.350258, 134.052005
大正
木造、建築面積48.49㎡、寄棟造、桟瓦葺

高松城は高松市中心部の海岸沿いに位置します。天正15年(1587)に讃岐一国を与えられた生駒親正が築城したもので、生駒氏転封後の寛永19年(1642)には、松平頼重が東讃12万石が与えられ、城の大規模な改造を行いました。松平氏の治世は幕末まで続きました。
「高松城」として重文指定された4棟は松平氏による東ノ丸・北ノ丸の新造に伴い建設されたものです。披雲閣(ひうんかく)は、大正時代に旧城主の松平氏が高松城三ノ丸の御殿跡に建設した邸宅です。
城内側より見た月見櫓(写真右)と付属する続櫓(写真中央):
・北之丸月見櫓は北ノ丸の最北端に位置し、かつては瀬戸内海に面していた
・「(舟の)到着を見る」という意味の着見櫓が本来の名称
・三重三階の総塗籠で、各階に2本の長押をめぐらす
・初重には切妻破風が見られ、その下部に石落としが設けられている
・南面には続櫓と呼ばれる小規模な平櫓が付属する
・延宝4年(1676年)の上棟と考えられている

城内側より見た水手御門(写真右)と渡櫓(わたりやぐら、写真左)

城外側より見た渡櫓(写真右)、水手御門(中央)、続櫓(左)
北之丸渡櫓:
・月見櫓の南に位置する総塗籠の平櫓
・南側3間分は北ノ丸の新造前に所在した海手門の部材を再利用しており、柱が細く、内壁も波型真壁となってい
・月見櫓と同時期に建築されたと考えられている
北之丸水手御門:
・月見櫓の続櫓と渡櫓の間に設けられた一間の薬医門
・月見櫓と同時期頃に建設されたと考えられているが、地下から古い礎石が発見されており、幕末頃に建替えられたと推定されている
・海に向かって開いた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけた

旧東之丸艮櫓(うしとらやぐら): 
・延宝5年(1677)に東ノ丸の北東隅に建築された三重三階の隅櫓で、名称は高松城の丑寅(うしとら)にあたることに由来
・三重三階の総塗籠で、初重には二重の屋根を貫く千鳥破風が設けられ、城外側の隅には袴型の石落としがある
・昭和42年に現在地(高松城の南東隅)に移築

披雲閣本館:
・木造で、接客、居住、家政などの機能をもつ各部を渡廊下で接続
・建築面積は1916平方メートルに及ぶ
・南を正面として玄関を構え、西から北へ蘇鉄の間、大書院(写真上)、槙の間(写真下)の各広間を並置し、北方の庭園を望む接客空間としている
・玄関の北には居住と宿泊のための部屋が連なり、玄関の北東には勝手と調理場を設けている

披雲閣本館付倉庫(写真中央)と倉庫(写真左):
・本館付倉庫は、木造、二階建、桟瓦葺で、小屋組は和小屋、外壁は下見板張
・倉庫は、本館付倉庫の東南に建ち、木造、二階建、寄棟造、桟瓦葺で北面に戸口を開き、小屋組はトラス構造、外壁は擬石塗

アクセス
高松城まではJR高松駅から徒歩数分です。琴電高松築港駅は高松城に隣接しています。
見学ガイド
「高松城」として重文指定された4棟は有料公開されています。これらは公道に面しているので、有料区域外からも見ることができます。東之丸艮櫓は堀を挟んでの見学となります。毎週日曜日には月見櫓の内部公開と水手御門の開扉が行われるようです。
披雲閣も有料公開されています。内部は非公開です。披雲閣は公道からは見ることができません。披雲閣の倉庫と本館付倉庫の周辺は立入りが制限されています。本館東側の裏庭を挟んで倉庫と本館付倉庫の一部をみることができます。
高松駅前の高松シンボルタワー展望台などからも高松城・披雲閣を遠望できます。

感想メモ
海と高松港の間には道路が通っており、海城の風情を失っているのは残念ですが、道路のおかげで月見櫓をいつでも近くから見ることができます。
(2018年10月訪問)

参考
高松市公式サイト

 

 

屋島山上の復古調の建築

屋島寺本堂


やしまじほんどう
高松市屋島東町
屋島寺本堂34.357945, 134.101269
江戸前期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺

屋島寺は高松の市街地東方にそびえる屋島南峯に位置する古刹で、弘法大師を中興の祖としています。本堂は元和4年(1618年)に再建されたものですが、昭和の修理の際に各所に鎌倉時代の特徴の古材が見られたことから、鎌倉様式に復元されています。
・屋根は一重の本瓦葺、入母屋造
・正面中央の3間は両折両開き桟唐戸、側面の上は連子窓、腰貫の下は板壁など鎌倉時代の様式
・内部は前2間が外陣、後3間が内陣と脇陣からなる

正面軒廻り:
・二軒の繁垂木で、和様の出組、中備は蓑束、支輪を飾る
・向拝の海老虹梁や装飾の多い手挟は近世風

外陣の格天井

アクセス
屋島山上にはJR屋島駅から、ことでん屋島駅経由のバスが運行されています。バスは重文民家のある四国村も経由するので周遊に便利です。屋島寺はバスの終点からすぐです。
見学ガイド
本堂はいつでも自由に見学することができます。

感想メモ
晴天に恵まれ、屋島からの眺めを堪能することができました。本堂は江戸時代の建築ですが復古調で全体としては落ち着いた雰囲気です。
(2021年4月訪問)

参考
四国八十八ヶ所霊場会公式サイト、高松市公式サイト

 

 

高さ日本一「石垣の名城」

丸亀城


まるがめじょう
丸亀市一番丁
丸亀城天守34.286285, 133.800210
江戸前期
三重三階櫓、本瓦葺
丸亀城大手一の門34.287458, 133.799361
江戸中期
櫓門、入母屋造、本瓦葺
大手二の門34.287615, 133.799452
江戸中期
高麗門、本瓦葺

丸亀城は丸亀の市街地中心部に位置します。慶長2年(1597年)、生駒氏が築城したのが始まりで、元和元年(1615年)の一国一城令により生駒氏が高松城を残し、丸亀城を廃城した後に、正保2年(1645年)、山崎氏が再築を始めたものです。
・右が大手一の門、左が二の門、奥が天守

天守北面と石垣:
・高さ約15メートルの三重三階の天守で、万治3(1660)年に完成したもの
・1層目は東西6間、南北5間で、高さ約2mまで腰板張りとし、北面に石落としを設け、二の丸搦め手に備えている
・2層目は東西4間半、南北3間半、南北に 唐破風をつけ、3層目は東西3間、南北2間、東西に千鳥破風、 北面には素木の格子窓を設ける

天守西面(左)と南面(右): 
・通し柱を使わず各階に柱を建て、上階を急激に狭めている
・本来なら間口の広い東西方向に棟を設けるべきところを南北方向に三角形の入母屋屋根を見せる
・これらにより、北側の城下から見上げたときに天守が大きく見える工夫がなされている

漆喰塗籠の天守軒廻り

大手一の門外面(上)と内面(下): 
・寛文10(1670)年頃に建築された櫓門で、東側(外面側)には、出陣に際し武者を一堂に集めるための大規模な桝形がある

大手二の門外面(上)と内面(下): 
・桝形の北側に位置する高麗門で、一の門と同時に建てられたもの
・丸亀城の正門であり、石垣に使用されている石も大きい

アクセス
JR予讃線丸亀駅下車、南東1kmです。
見学ガイド
城内は常時自由に見学することができます。天守閣内部は有料公開されており、開館時間は午前9時~午後4時半です。大手一の門内部は無料で見学が可能で、開館時間は午前9時~午後4時です。

感想メモ
大手口から眺めると大きな天守閣が遠くにそびえ立っているように見えて、あんな遠くまで上らないといけないのかと思いました。築城した人の策略にまんまとはまったようです。実際には天守まではそれほどの距離がなく、上りきったら目の前にはコンパクトなの天守閣がありました。ただ、距離が近い分、坂道の傾斜はかなり急でした。
(2021年4月訪問)

参考
現地解説板、丸亀城公式サイト

 

 

江戸期の四国遍路の様相を伝える伽藍

白峯寺


しろみねじ
坂出市青海町
白峯寺本堂34.334461, 133.927152
江戸中期
桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
大師堂34.334326, 133.927184
江戸後期
桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
阿弥陀堂34.334657, 133.926907
江戸中期
正面三間、側面二間、宝形造、本瓦葺
行者堂34.334541, 133.926661
江戸後期
桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
薬師堂34.334470, 133.926536
江戸後期
正面一間、側面一間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺
頓證寺殿34.334591, 133.926138
江戸中期
崇徳上皇殿 一間社、正面入母屋造、背面切妻造、妻入、向拝一間、銅板葺、渡廊下付
本地堂 正面三間、側面及び背面二間、宝形造、向拝一間、銅板葺、渡廊下付
白峯権現堂 一間社流造、銅板葺、渡廊下付
拝殿 桁行七間、梁間三間、入母屋造、正面向拝三間、軒唐破風付、背面向拝三間、軒唐破風付、銅板葺
勅額門34.334229, 133.926391
江戸中期
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
客殿34.333576, 133.926714
江戸中期
桁行18.0メートル、梁間11.0メートル、入母屋造、本瓦葺、西面玄関附属、入母屋造、妻入、軒唐破風付、銅板葺、南面渡廊附属、両下造、桟瓦葺
御成門34.333639, 133.926466
江戸中期
四脚門、切妻造、正面及び背面軒唐破風付、左右袖塀付、銅板葺
白峯寺十三重塔134.333812, 133.924597
鎌倉後期
石造十三重塔(相輪を除く)
弘安元年亥寅の刻銘がある
234.333822, 133.924485
鎌倉後期
石造十三重塔(相輪を除く)
元亨四年の刻銘がある

白峯寺は坂出市の東部、五色台の中腹に位置する四国霊場第81番札所です。白峯は古くより霊山として信仰され、崇徳上皇が崩御された後にこの地に葬られ、後に西行がその御陵を詣でるなどの記録が残ります。近世には高松藩の庇護を受けて伽藍が整備されています。白峯寺には、白峯寺十三重石塔として重文指定されている2基の石塔と、白峯寺として重文指定されている江戸時代の本堂、大師堂、阿弥陀堂、行者堂、薬師堂、頓證寺殿(とんしょうじでん)、勅額門、客殿、御成門の9棟の建造物があります。
十三重石塔:
・西塔(写真手前)は「元亨四(1324) 金剛佛子」の銘があり、東塔(写真奥)は弘安元年(1278)の建立
・東塔は板石を組み合わせた基壇で、基壇から七重までの内部を空洞とし、塔身の種子も不動三尊を刻んだ珍しいもの

御成門:
・山門を入ってすぐ右の四脚門
・切妻造、正面及び背面軒唐破風付、左右袖塀付、銅板葺で江戸中期の建築

客殿:
・御成門の奥に見える入母屋造、本瓦葺の建物
・高松藩主が寄進した建物で、桁行方向に左右三間続きの典型的な客殿方式

本堂:
・境内の一番奥、石段を上り詰めたところのある建物

大師堂:
・本堂に向かって右側の建物

阿弥陀堂:
・本堂に向かって左側にある正面蔀戸・両側面連子窓の建物
・白峯寺の堂宇の中では最も古いもの

行者堂:
・本堂の手前、一段下がったところにある建物

薬師堂:
・行者堂からさらに一段下がったところにある建物

頓證寺殿:
・讃岐に流された崇徳上皇を祀る建物で、延宝8年(1680)の建立
・拝殿(写真)の後方に崇徳上皇殿、本地堂、白峯権現堂を配し、各々と拝殿を渡り廊下で接続する特異な形態

勅額門:
・頓証寺の随身門

アクセス
JR坂出駅から市営バス王越線で高屋下車。バスの本数が少ないので注意が必要です。バス停から約6km舗装道路を上ります。十三重石塔は山上のドライブインから白峯寺への分岐を少し下ったところにあります。
見学ガイド
十三重石塔はいつでも自由に見学できますが、それ以外の建造物は山門内にあり、閉門時間が定められているので、要確認です。客殿については周辺の立ち入りは制限されているため、塀越しでの見学になります。

感想メモ
これまで訪ねた文化財の中で公共交通でのアクセスが大変なもののうちのひとつです。バス停からの距離がかなりあって、それもずっと上り。それでも、讃岐平野や瀬戸大橋の眺望がすばらしく、楽しく上ることができました。
文化庁のDBでは、大師堂の構造が板葺きで宝形造になっています。現地の建物と全く違うので重文指定時の官報を確かめると、DBの記載は附指定されている本堂内の厨子の構造を誤記したものであることが分かりました。
(2020年7月訪問)

参考
国指定文化財等DB、坂出市公式サイト

 

 

弘法大師空海の誕生の地

善通寺


ぜんつうじ
善通寺市善通寺町3丁目
善通寺金堂34.226339, 133.776227
江戸後期
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
五重塔34.225950, 133.776740
江戸末期
三間五重塔婆、本瓦葺

善通寺は讃岐平野西部・善通寺市に位置する四国霊場第75番霊場で、弘法大師空海の誕生の地とも伝えられています。金堂と五重塔が重要文化財に指定されています。
金堂:
・桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺の禅宗様の建物
・元禄12年(1699)の再建

五重塔:
・4代目の塔として幕末に着工し、明治35年に完成したもの
・人が立ち入ることができるよう各層に床が張られている
・心柱が吊り下げられており、基礎から浮き上がっている

アクセス
JR土讃線善通寺駅から徒歩20分です。
見学ガイド
重文指定建造物はいつでも自由に見学することができます。五重塔内部は通常非公開ですが、有料で特別公開されることもあるようです。

感想メモ
近世の再建ですが、弘法大師の生誕の地にふさわしい立派な建築です。
(2019年6月訪問)

参考
善通寺公式サイト

 

 

第十一師団将校の社交場

旧善通寺偕行社


きゅうぜんつうじかいこうしゃ
善通寺市文京町2丁目
旧善通寺偕行社34.227613, 133.787750
明治
木造、建築面積678.4m2、桟瓦葺、正面玄関ポーチ付

旧善通寺偕行社は善通寺市の中心部に位置します。偕行社は陸軍将校の親睦等を目的とする団体で、偕行社が社交場として建設した建物にもその名が用いられたため、偕行社という名の建物は全国の代表的な師団が開設された場所に存在していました。善通寺町にあった第十一師団は、日清戦争後の陸軍拡張期に増設された6師団のうちの一つで、旧善通寺偕行社は、第十一師団の将校のために明治36年(1903)に開設されました。
正面(北面):
・簡明なルネサンス様式の意匠でまとめられた洋風建築
・東西に長い木造平屋建で、主体部は桁行約41.8m
・中央は突出して玄関ポーチを設け、その左右に同形式の応接室を設ける

南面:
・芝庭に面し、ベランダを設けている
・東(写真手前)から、貴賓室、大広間、食堂が並ぶ

・北面には廊下が設けられている

アクセス
JR土讃線善通寺駅から徒歩5分です。
見学ガイド
建物正面はいつでも自由に見学できます。開館時間中は建物内部と庭園も自由に見学できます。

感想メモ
建物正面が北北西を向いているため、正面を順光で見学できる時間帯は限られています。
(2019年6月訪問)

参考
善通寺市公式サイト

 

 

四国霊場第86番札所

志度寺


しどでら
さぬき市志度
志度寺本堂34.324287, 134.179598
江戸中期
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、軒唐破風付、本瓦葺
仁王門34.323794, 134.178950
江戸中期
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

志度寺は県東部さぬき市の市街地に位置する真言宗の寺院で、四国霊場第86番札所です。高松藩によって造営された本堂と仁王門が重要文化財に指定されています。
本堂:
・桁行七間、梁間五間の大規模な仏堂

仁王門:
・三間一戸の八脚門
・中世以来の伝統を受けついで軸部が木太く堂々としているが、細部の意匠には近世的な特色もみられる

アクセス
琴電志度駅から徒歩10分程度です。
見学ガイド
境内は自由に見学できます。仁王門は西面しているので、午後の方が綺麗な写真を撮ることができます。

感想メモ
境内に植栽が多く、他の札所とは少し異なる雰囲気です。仁王門は古風で力強い建築です。
(2020年7月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

鎌倉時代の石塔

長尾寺経幢


ながおじきょうとう
さぬき市長尾西
長尾寺経幢(1)34.266180, 134.171663
鎌倉後期
石造幢
弘安歳次六年癸未七月日の刻銘がある
(2)34.266181, 134.171749
鎌倉後期
石造幢
弘安第九天歳次丙戌五月日の刻銘がある

長尾寺は県東部さぬき市の内陸部にある四国霊場第八十七番札所です。経幢は中国で唐から宋時代に多く建てられたもので、わが国では鎌倉中期ごろからつくられました。経文の埋納保存や、供養の標識とするため、各地に建てられています。長尾寺の経幢は、西側のものに弘安六年、東側のものに弘安九年の銘が あります。
・左の覆屋の中が弘安6年銘の経幢で、右が弘安9年銘

弘安6年銘の経幢:
・凝灰岩製で基礎の上に面取り四角柱の幢身を立て、その上に八角の笠と低い宝珠をのせたもの

弘安9年銘の経幢(4枚目の写真から「弘安第九天」の文字が読み取れる)

アクセス
長尾寺は、ことでん長尾駅下車、東250mです。経幢は長尾寺の正門の手前に建てられています。
見学ガイド
経幢は常時自由に見学することができます。覆屋の中にありますが、覆屋の正面上半分は開放されており、背面以外は隙間の大きな格子であるため、見学に大きな支障とはなりません。

感想メモ
素朴な感じを受ける石造経幢です。凝灰岩が良い感じに風化してやわらかい線を出しています。
(2021年4月訪問)

参考
現地解説板