東京都の国宝・重要文化財建造物 (3)副都心四区編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

東京都副都心4区で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

新宿区
聖徳記念絵画館
学習院旧正門
早稲田大学大隈記念講堂
旧馬場家牛込邸
新宿御苑旧洋館御休所
文京区
根津神社本殿、幣殿、拝殿、唐門、西門、透塀(唐門西門間)、透塀(唐門東方)、透塀(西門北方)、楼門
旧磯野家住宅主屋、表門
護国寺本堂
護国寺月光殿(旧日光院客殿)
旧東京医学校本館
旧加賀屋敷御守殿門(赤門)
渋谷区
旧朝倉家住宅主屋、土蔵
旧久邇宮邸(聖心女子大学)御常御殿・小食堂、正門
明治神宮本殿、内拝殿及び祝詞殿、内院渡廊(1)、(2)、外拝殿、宝庫、神庫、内透塀及び北門、神饌所及び渡廊、旧祭器庫、北回廊(1)、(2)、外透塀(1)、(2)、(3)、北神門、外院回廊(1)、(2)、(3)、(4)、東神門、西神門、南神門、宿衛舎、玉垣(1)、(2)、(3)、(4)、祓舎、南手水舎、西手水舎、東手水舎、神橋、南制札、北制札、西制札
明治神宮宝物殿中倉、東西倉(東倉)、東西倉(西倉)、東西廊(東廊)、東西廊(西廊)、東西橋廊(東橋廊)、東西橋廊(西橋廊)、東西渡廊(東渡廊)、東西渡廊(西渡廊)、北廊、車寄、事務所、正門
代々木競技場第一体育館、第二体育館
豊島区
雑司ケ谷鬼子母神堂
自由学園明日館中央棟、東教室棟、西教室棟、講堂

 

 

早稲田のシンボル

早稲田大学大隈記念講堂


わせだだいがくおおくまきねんこうどう
新宿区早稲田鶴巻町
早稲田大学大隈記念講堂35.708910, 139.721575
昭和
鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積1,225.95平方メートル、三階建、地下一階、鉄筋コンクリート造時計塔付

早稲田大学大隈記念講堂は、早稲田大学早稲田キャンパスに位置します。創立者である大隈重信に対する記念事業として計画され、昭和2年(1927)に竣工しました。
・ロマネスク様式を基調としてゴシック様式を加味したもの
・わが国近代の折衷主義建築の優品として、高い価値があるとされている

アクセス
東京メトロ早稲田駅北500mです。
見学ガイド
大隈記念講堂の外観は常時自由に見学することができます。

感想メモ
改めて文化財としてゆっくりと眺めると、すっきりとした美しい建築です。
(2021年4月訪問)

参考
文化遺産オンライン

 

 

銅(あかがね)御殿として知られる

旧磯野家住宅


いそのけじゅうたく
文京区小石川5丁目
旧磯野家住宅主屋35.719002, 139.738238
大正
木造、建築面積547.08平方メートル、一部3階建、銅板葺
表門35.718854, 139.737694
大正
四脚門、切妻造、南北屋根塀及び脇門附属、銅板葺

旧磯野家住宅は、茗荷谷駅から湯立坂を上ったところに位置します。実業家の磯野敬が建設した住宅です。 主屋の屋根は銅板葺で、外壁にも銅板を張ることから、銅御殿と称されています。
主屋南面: 
・大正元年(1912)竣工で、車寄を備えた平屋建の書院棟、3階建の応接棟、平屋建の旧台所棟などからなる

主屋西面(応接棟三階部分)

主屋内部(玄関より)

表門: 
・大正2年(1913)竣工の四脚門で、尾州檜の太い丸太材を柱に用いている

アクセス
東京メトロ丸の内線茗荷谷駅北東250mです。
見学ガイド
磯野家住宅は通常非公開ですが、表門は公道に面しているので、常時見学することができます。主屋の一部は西側の遊歩道から見ることが出ます。

感想メモ
普段は非公開で、都心にあって深い木立に囲われた神秘的な住宅です。西側の遊歩道の階段からちょうどうまく主屋を見ることができる場所がありますが、目の前の電線に邪魔をされます。
(2020年4月訪問)
特別公開の日に訪問しました。普段固く門を閉ざした謎めいた屋敷の敷地内に入ることができました。コロナの影響で前庭からのみの見学でしたが、ちょうどいい角度で住宅を見ることができる場所があってよかったです。この日は午後の遅い時間の訪問になったので日が陰ってしまっていたのは残念でした。Google Mapに投稿された写真を見ると、早い時間だときれいに日が当たっていたようです。
(2022年10月訪問)

参考
東京都文化財情報DB

 

 

明治初期の木造擬洋風建築

旧東京医学校本館


とうきょういがっこうほんかん
文京区白山3丁目
旧東京医学校本館35.721400, 139.741150
明治
木造、建築面積430.6m2、二階建、桟瓦葺、正面玄関及び中央部塔屋付

旧東京医学校本館は、もとは東大本郷キャンパスにありましたが、現在は小石川植物園に隣接した場所に移築されています。東京大学の前身にあたる東京医学校時代の建物で、明治9年(1876)に概成したものです。東京開成学校と東京医学校が合併され、東京大学が創設された以後は、医学部本部・病室などの用途に用いられました。明治44年(1911)に建物の前半部が赤門脇へ移され、この際に平面規模の縮小とともに、形状が一部変更され現在見るような姿となりました。明治初期の木造擬洋風建築の特徴を示す建物です。
・小石川植物園から池越しに眺めた医学校本館

・塔屋は明治44年の規模縮小時に改変されたもの

・二階ベランダには和風の擬宝珠付き親柱の高欄が用いられている

アクセス
東京メトロ丸の内線茗荷谷駅から700mです。
見学ガイド
旧東京医学校本館は東京大学総合博物館分館として無料で公開されています(耐震診断のため令和3年から休館中)。開館時間は10時-16時30分 (入館は16時まで)で、休館日は月・火・水曜日です。本館は隣接する小石川植物園からきれいに見ることができます。植物園入口は医学校本館から700mほど離れた植物園南東端にあります。

感想メモ
もとは本郷キャンパスの人の往来のある所に建っていたのでしょうが、今は小石川植物園西端の池の畔で静かに余生を過ごしています。明治の擬洋風建築の中には背伸びをして西洋建築を模倣しようとしているようなものもありますが、この建物はそういう感じではなく、西洋の良いところは取り入れてやろうといったどっしりと構えたところがあるように感じました。
(2021年10月訪問)

参考
(参考:東京大学総合博物館公式サイト)

 

 

東京大学の代名詞

旧加賀屋敷御守殿門(赤門)


かがやしきごしゅでんもん(あかもん)
文京区本郷7丁目
旧加賀屋敷御守殿門(赤門)35.710606, 139.760356
江戸後期
三間薬医門、切妻造、本瓦葺、左右繋☆塀及び離番所付
繋☆塀 左右各4.1m、本瓦葺
番所 左右各桁三間、梁間二間、一重、前後唐破風造、本瓦葺

旧加賀屋敷御守殿門は、東大本郷キャンパスの赤門として広く知られています。もとは加賀藩上屋敷の御住居表御門で、文政10年(1827)に、加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れする第11代将軍徳川家斉の第21女溶姫を迎えるために建てられたものです。御守殿とは、三位以上の大名が将軍家から迎えた妻、またはその居所を意味します。通常、御守殿門は輿入れした姫がなくなると取り壊されますが、溶姫が輿入れしたのが幕末で、この土地が新政府に移管されたため、取り壊されることなく残されました。旧加賀屋敷御守殿門は、加賀百万石にふさわしい豪華な構造と構成となっています。
・切妻造、本瓦葺の薬医門で、門の左右に繋塀と唐破風付きの番所を配している
・唐破風の番所の付く門は格式の高い大名にのみ許された
・大名屋敷の赤色の門は御守殿にのみ許された

・重厚な冠木で、金物で装飾されている
・柱は長辺を正面に向ける長方形断面で、外見を重厚に見せている。

・本瓦葺きで、棟には重厚な意匠が見られる

向かって左側の番所:
・左右の番所の外側には海鼠壁が続く

番所の唐破風:
・兎の毛通しや笈形などに装飾が凝らされている

アクセス
東京メトロ・都営地下鉄本郷三丁目駅下車、本郷通を北にすぐです。
見学ガイド
赤門は常時自由に見学することができます。2022年3月時点では、耐震診断中であるため、門を潜ったり近くには立ち入ったりすることはできません。赤門は西面しています。

感想メモ
耐震診断のため周辺に立ち入ることができませんでしたが、風格のある門でした。
(2021年11月訪問)

参考
東京都文化財情報DB、東京大学公式サイト、東京大学youtube

 

 

大正期の邸宅

旧朝倉家住宅


あさくらけじゅうたく
渋谷区猿楽町
旧朝倉家住宅主屋35.647508, 139.700916
大正
木造、建築面積573.76平方メートル、一部2階建、桟瓦葺
土蔵35.647643, 139.700691
大正
鉄筋コンクリート造及び木造、建築面積29.03平方メートル、2階建、桟瓦葺、東面庇附属

旧朝倉家住宅は代官山に位置します。朝倉家は、明治以降、精米業などにより発展した家で、住宅は東京府議会議長などを務めた朝倉虎治郎が大正8年(1919)に建設したものです。宅地北側に主屋が建ち、西に土蔵があります。
主屋東面玄関:
・主屋は、木造2階建てで、ほぼ全室が畳敷き、屋根は瓦葺、外壁は下見板張、一部が漆喰塗り

主屋南面

主屋二階広間

主屋平面図

主屋西側の土蔵:
・軸部を木造、外壁を鉄筋コンクリート造とし、入口や窓は重量感のある鉄扉で作られている

アクセス
東急東横線代官山駅下車すぐです。JR渋谷駅からだと徒歩20分程度です。
見学ガイド
朝倉家住宅は、有料で公開されています。公開時間は、10:00~18:00(ただし、11月~2月は10:00~16:30)で、月曜日は休館です。主屋は内部も見ることができます。

感想メモ
植栽が多いため、主屋、蔵とも外観の視角は限られていました。2020年には特に土蔵周囲に植栽が繁茂していて全体像を見ることができなかったので、2009年に撮影した写真を引っ張り出してきました。
(2009年6月訪問、2020年11月再訪)

参考
東京都文化財情報DB、渋谷区公式サイト

 

 

内務省神社局の設計

明治神宮


めいじじんぐう
渋谷区代々木神園町
明治神宮本殿35.676384, 139.699385
昭和
木造、建築面積一〇八・七〇平方メートル、正面向拝付、銅板葺
内拝殿及び祝詞殿35.676214, 139.699381
昭和
内拝殿 木造、建築面積二二六・一三平方メートル、正面千鳥破風及び軒唐破風付、銅板葺
祝詞殿 木造、建築面積六五・三七平方メートル、銅板葺
内院渡廊(1)35.676110, 139.699549
昭和
東方内院渡廊 木造、建築面積三七・一八平方メートル、銅板葺
内院渡廊(2)35.676090, 139.699245
昭和
西方内院渡廊 木造、建築面積三七・一八平方メートル、銅板葺
外拝殿35.675961, 139.699416
昭和
木造、建築面積五〇七・二一平方メートル、銅板葺
宝庫35.676535, 139.699513
昭和
鉄筋コンクリート造、建築面積六一・九二平方メートル、地下一階、東西出入口付
神庫35.676501, 139.699189
昭和
木造、建築面積一一・五七平方メートル、銅板葺
内透塀及び北門35.676523, 139.699351
昭和
内透塀 東方及び西方 各折曲り延長六七・七メートル、銅板葺
北門 木造、建築面積一〇・九七平方メートル、銅板葺
神饌所及び渡廊35.676231, 139.699034
昭和
神饌所 木造、建築面積五九・四九平方メートル、銅板葺
渡廊 木造、建築面積二八・九二平方メートル、銅板葺
旧祭器庫35.676228, 139.699761
昭和
木造、建築面積四四・六二平方メートル、銅板葺
北回廊(1)35.676668, 139.699499
大正
東方北廻廊 木造、建築面積一〇四・一一平方メートル、銅板葺
北回廊(2)35.676621, 139.699181
大正
西方北廻廊 木造、建築面積一〇四・一一平方メートル、銅板葺
外透塀(1)35.676116, 139.699756
昭和
南東方外透塀 木造、延長一六・四メートル、銅板葺
外透塀(2)35.676407, 139.699722
昭和
北東方外透塀 木造、延長三二・七メートル、銅板葺
外透塀(3)35.676417, 139.698999
昭和
北西方外透塀 木造、延長二二・七メートル、銅板葺
北神門35.676648, 139.699325
大正
木造、建築面積一八・五八平方メートル、銅板葺
外院回廊(1)35.675505, 139.699800
大正
南東方外院廻廊 木造、建築面積一一一・七三平方メートル、銅板葺
外院回廊(2)35.675438, 139.699145
大正
南西方外院廻廊 木造、建築面積一一一・七三平方メートル、銅板葺
外院回廊(3)35.675787, 139.699766
大正
北東方外院廻廊 木造、建築面積六七・〇〇平方メートル、銅板葺
外院回廊(4)35.675655, 139.699107
昭和
北西方外院廻廊 木造、建築面積三七・二二平方メートル、直会殿附属 木造、建築面積五九・四九平方メートル、銅板葺
東神門35.675620, 139.699778
大正
木造、建築面積一六・四五平方メートル、銅板葺
西神門35.675570, 139.699122
大正
木造、建築面積一六・四五平方メートル、銅板葺
南神門35.675396, 139.699477
大正
木造、建築面積四一・七〇平方メートル、銅板葺
宿衛舎35.675052, 139.699339
大正
木造、建築面積八一・九九平方メートル、東面式台玄関附属、銅板葺
玉垣(1)35.674986, 139.699933
大正
南東方玉垣 木造、折曲り延長一三六・五メートル、銅板葺
玉垣(2)35.674948, 139.699246
大正
南西方玉垣 木造、折曲り延長一〇二・四メートル、銅板葺
玉垣(3)35.675785, 139.700256
大正
北東方玉垣 木造、折曲り延長一一〇・七メートル、銅板葺
玉垣(4)35.675711, 139.698924
大正
北西方玉垣 木造、折曲り延長一六九・二メートル、銅板葺
祓舎35.674817, 139.699746
大正
木造、建築面積五五・二四平方メートル、銅板葺
南手水舎35.674781, 139.699364
大正
木造、建築面積二二・二〇平方メートル、銅板葺、手水舟付
西手水舎35.675605, 139.698752
大正
木造、建築面積一一・九七平方メートル、銅板葺、手水舟付
東手水舎35.675597, 139.700394
大正
木造、建築面積一一・九七平方メートル、銅板葺、手水舟付
神橋35.671734, 139.701656
大正
鉄筋コンクリート造反橋、橋長一〇・三メートル、幅員一四・五メートル、親柱及び高欄付
南制札35.670054, 139.701820
大正
木造、銅板葺
北制札35.678950, 139.702270
大正
木造、銅板葺
西制札35.678187, 139.695380
大正
木造、銅板葺
明治神宮宝物殿中倉35.679990, 139.697960
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積423.55平方メートル、切妻造、瓦葺
東西倉(東倉)35.680157, 139.698471
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積93.17平方メートル、切妻造、瓦葺
東西倉(西倉)35.679897, 139.697461
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積93.17平方メートル、切妻造、瓦葺
東西廊(東廊)35.679918, 139.698380
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積114.84平方メートル、入母屋造、瓦葺
東西廊(西廊)35.679733, 139.697705
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積114.84平方メートル、入母屋造、瓦葺
東西橋廊(東橋廊)35.680081, 139.698288
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積130.29平方メートル、切妻造、瓦葺
東西橋廊(西橋廊)35.679911, 139.697668
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積130.29平方メートル、切妻造、瓦葺
東西渡廊(東渡廊)35.680110, 139.698410
大正
石造及び鉄筋コンクリート造桁橋、橋脚3基、高欄付
東西渡廊(西渡廊)35.679879, 139.697561
大正
石造及び鉄筋コンクリート造桁橋、橋脚3基、高欄付
北廊35.680114, 139.697929
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積26.95平方メートル、切妻造、銅板葺
車寄35.680177, 139.697902
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積103.47平方メートル、切妻造、東西軒唐破風付、銅板葺
事務所35.680257, 139.697881
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積三二八・三七平方メートル、本館、附属屋及び渡廊下よりなる
本館 入母屋造、正面千鳥破風付、銅板葺
附属屋 入母屋造、銅板葺
渡廊下 両下造、北面下屋附属、銅板葺
正門35.679591, 139.698131
大正
鉄筋コンクリート造、建築面積87.14平方メートル、切妻造、瓦葺

明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社として、大正9年に代々木に鎮座しました。創建時の設計は伊東忠太が指導し、内務省神社局によるものです。昭和20年に空襲で本殿ほかを焼失し、同33年に再建されました。再建設計は、もと内務省神社局の角南隆が担当しました。再建設計においては焼失を免れた社殿を生かしつつ、内拝殿での祭式が見通せる外拝殿の形態など、参拝の便を図りながら、大規模な社殿群が優秀かつ特徴的な意匠でまとめられました。
本殿東側面(写真左):・本殿の右には宝庫、北神門の屋根の一部が見える
・手前が外透塀で、これらすべてが重文指定されている

内拝殿及び祝詞殿の東側面

外拝殿

東神門(上)、西神門(中)と南神門(下):
・各神門の左右が外院回廊
・西神門の右の一段高い屋根は北西方外院廻廊に附属する直会殿

宿衛舎

祓舎

玉垣

南手水舎

神橋

南制札

明治神宮宝物殿は、明治天皇ゆかりの御物を収蔵し、拝観に供していた施設で、境内の北辺西寄りに位置します。宝物殿の建設は明治神宮の創建と一体的に計画され、設計は明治神宮造営局によるもので、工事は大正10年に竣工しました。宝物殿は、約三千坪の敷地の中央に中倉が南面して建ち、その側面から東橋廊・西橋廊、東廊・西廊が鉤の手に連なって前方に延びます。敷地の東西には東倉・西倉が中倉を挟んで建ち、東渡廊・西渡廊を介して東橋廊・西橋廊に接続しています。中倉の背面に軸線を合わせて事務所を配し、車寄、北廊を介して中倉に接続しています。敷地の境界は土塁を廻して限り、正面中央に正門を開きます。明治神宮宝物殿は、我が国の伝統的な建築様式を集成した独特の意匠を、鉄筋コンクリートを中心とした当時最新の建築技術を用いてまとめ上げたものです。また、架構を含む構造全体に鉄筋コンクリートを採用した和風意匠の建築物としては我が国最初のものです。
中倉:
・宝物殿の中心となる単層高床の展示施設で、正面に階(きざはし)を付し、側背面に廊を接続
・外壁は花崗岩(万成石)で化粧した校倉風の意匠
・床下の束柱上の組物と床梁を色石粉塗で仕上げ
・軒まわりは木造風に造り出し、二軒半繁垂木とする

東倉(上)と西倉(下):
・単層高床の収蔵施設で、渡廊に接続。意匠、構造とも中倉に準じた仕様

東廊(上及び中段、中段写真は東橋廊から撮影)と西廊(下):東西の廊は、中倉の玄関を兼ねた歩廊で、寝殿造の中門廊を連想させる構成。桁行中央を五間を吹放ちとし、両端部を袴腰の壁面で閉塞。北端は東橋廊・西橋廊に連なる階段室。外部は、柱と壁面を万成石で化粧し、組物と梁桁を色石粉塗で仕上げ。

東橋廊(上)と西橋廊(下):
・東西の橋廊は、各々東廊・西廊と中倉を繋ぐ高床の歩廊で、南面端部に切妻造の角屋を出して東廊・西廊と接続する階段室を設ける

東渡廊:
・東西の渡廊は各々東橋廊・西橋廊と東倉・西倉を結ぶ桁橋
・三基の橋脚を万成石による石造

・右端の一段高い銅板葺が北廊、その左の軒唐破風が車寄、さらにその奥が事務所、事務所の左に渡廊下で繋がるのが事務所の附属屋(西)
・北廊と車寄は貴賓用を兼ねたもの
・事務所は本館と二棟の附属屋、渡廊下の各棟からなる

正門(写真上から、外面、内面、柱上の装飾):
・長屋門風の単層門
・中央三間を吹放ち鉄扉を付し、両端部は袴腰の壁面で閉塞
・外部は東廊・西廊に準じた仕様で、柱上組物を青銅製の彫刻で飾る。

アクセス
JR山手線原宿駅、東京メトロ千代田線明治神宮前駅、副都心線北参道駅、小田急線参宮橋駅から境内入口まではすぐですが、境内が非常に広大なので歩く距離はかなりあります。
見学ガイド
明治神宮は日の出から日没までの間、自由に参拝することができます。外拝殿から奥の内院には入ることができません。外拝殿から内院の建物の一部を見ることができますが、ここからの写真撮影は禁止されています。神楽殿北側の玉垣の外から本殿などの一部を見ることができます。
宝物殿は通常非公開ですが、特別公開されることもあります。2021年の特別公開で内部に立ち入ることができたのは、中倉、東西橋廊、東西廊、正門のみでしたが、その他の建物についても全て公開区域から外観を見ることができました。非公開時でも正門の鉄扉越しに主要な建物の外観を見ることができます。

感想メモ
明治神宮は大正時代の創建で、本殿など主要な社殿は戦後の建築と神社建築としては非常に新しいものですが、何か大人の事情があって重要文化財に指定されたのかと思います。それにしても、制札まで重文指定してしまうのは、いくら何でもやりすぎだと思います。宝物館の方は意匠や構造に工夫が凝らされており、見ごたえがあります。
(2020年11月訪問、2021年10月再訪)

参考
国指定文化財等DB、東京都文化財情報DB