このブログについて:
山梨県東部富士五湖地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
富士吉田市 | |
北口本宮富士浅間神社本殿 | |
北口本宮富士浅間神社東宮本殿 | |
北口本宮富士浅間神社西宮本殿 | |
北口本宮冨士浅間神社 | 拝殿及び幣殿、惠毘壽社及び透塀、神楽殿、手水舎、隨身門、福地八幡社、諏訪神社拝殿、社務所 |
小佐野家住宅 | 主屋、蔵 |
旧外川家住宅 | 主屋、離座敷、中門 |
大月市 | |
星野家住宅 | 主屋、籾蔵及び味噌蔵、文庫蔵 |
八ツ沢発電所施設 | 取水口沈砂池、取水口制水門、取水堰堤、第一号開渠、第一号水路橋、第二号水路橋、第三号水路橋、第四号水路橋、第一号隧道、第二号隧道、第三号隧道、第四号隧道、第五号隧道、第六・七・八・九・一〇号及び一一号隧道 |
上野原市 | |
八ツ沢発電所施設 | 第一二・一三・一四・一五・一六・一七及び一八号隧道、大野調整池堰堤、大野調整池制水門、大野調整池余水路、水槽、水槽余水路 |
南都留郡富士河口湖町 | |
富士御室浅間神社本殿 | |
北都留郡小菅村 | |
観音堂 |
富士山登山口に鎮座
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ
北口本宮冨士浅間神社
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ
富士吉田市上吉田
北口本宮富士浅間神社本殿 | 35.470645, 138.792265 江戸前期 一間社入母屋造、向拝唐破風造、檜皮葺 | |
北口本宮富士浅間神社東宮本殿 | 35.470509, 138.792364 室町後期 一間社流造、檜皮葺 | |
北口本宮富士浅間神社西宮本殿 | 35.470723, 138.792079 桃山 一間社流造、檜皮葺 | |
北口本宮冨士浅間神社 | 拝殿及び幣殿 | 35.470774, 138.792436 江戸中期 拝殿 桁行七間、梁間三間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、唐破風造、瓦棒銅板葺 幣殿 桁行四間、梁間一間、前面拝殿に接続、切妻造、瓦棒銅板葺 |
惠毘壽社及び透塀 | 35.470616, 138.792226 江戸後期 惠毘壽社 桁行二間、梁間一間、向唐破風造、瓦棒銅板葺 透塀 二棟 惠毘壽社東方 折曲り延長九間、両下造、瓦棒銅板葺、霧除付 惠毘壽社西方 折曲り延長九間、両下造、瓦棒銅板葺、霧除付 | |
神楽殿 | 35.470968, 138.792623 江戸中期 桁行一間、梁間一間、入母屋造、瓦棒銅板葺 | |
手水舎 | 35.470888, 138.792797 江戸中期 桁行一間、梁間一間、入母屋造、銅板葺 | |
隨身門 | 35.471124, 138.792794 江戸中期 三間一戸八脚門、切妻造、瓦棒銅板葺 | |
福地八幡社 | 35.471099, 138.793037 江戸中期 一間社流造、銅板葺 | |
諏訪神社拝殿 | 35.471438, 138.791973 江戸中期 桁行正面三間、背面五間、梁間四間、入母屋造、鉄板葺 | |
社務所 | 35.470631, 138.792917 江戸中期 桁行15.3m、梁間11.3m、一部二階建、切妻造、正面式台附属、唐破風造、背面張出附属、鉄板葺 |
北口本宮冨士浅間神社は富士吉田の市街地南端、富士山登山口に鎮座します。延暦7年(788)に現在地に遷座され、平安時代を通じて朝廷の尊崇を受けてきました。江戸時代には富士登山礼拝の富士講と密接な関係を持ちながら発展してきました。
永禄4年(1561)に武田信玄が川中島の戦いの戦勝を祈願して再建した本殿が現存する社殿の中では最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側に、また、文禄3年(1594)浅野氏重殿造営の社殿は「西宮本殿」として現本殿の西側に遷されています。現在の本殿は、元和元年(1615)に都留郡の領主鳥居成次が創建したものです。
本殿(左側面): ・桁行一間、梁間二間の入母屋造りの身舎に唐破風造りの向拝一間が付く ・桃山時代の装飾的な建築 |
拝殿・幣殿越しに見た本殿正面 |
東宮本殿: ・本社本殿の東に北面し、富士権現とも呼ばれている ・本社本殿として造営したもので、文禄3年(1594)に東宮に移された ・一間社流造で桧皮葺で、本社本殿及び西宮本殿に比較してやや小規模 ・北口本宮冨士浅間神社では最古の建築で、構造や手法に室町時代の特色を示す ・外部の彩色や彫刻などの意匠は桃山時代以降の後補 |
西宮本殿: ・本社本殿の西に北面して建つ ・一間社流造り桧皮葺で、比較的木割も大きく、唐草文の彫刻や飾金具などの装飾意匠は、桃山時代の特色をよく表す |
拝殿: ・元文4年(1739)に富士講中によって改築されたもの ・入母屋造で千鳥破風をつけ、さらに正面向拝には唐破風を架ける大型の建築 |
拝殿右側面 |
拝殿向拝の唐破風 |
左が幣殿で右が本殿 |
惠毘壽社: 本殿の裏手にあり、惠毘壽と大黒天の神像を祀る |
神楽殿: ・元文元年(1737)に富士講中による境内建物大修理の一環で建立されたもので、富士山御師により継承されてきた太々神楽が奉納される舞台 ・4本の柱で全体を支える大型建築で、意匠は18世紀前期の技法をもち、絵様彫刻はそれを顕著に示す |
手水舎: ・延享2年(1745)の建立で、彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石が特徴 |
隋神門: ・元文元年(1736)に再建されたもので、彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物 |
隋神門左側面 |
隋神門境内側 |
・隋神門表側脇間には随神を祀らず、入口を広く取り、境内側脇間に随神を祀っており、近世中期らしい構成 |
隋神門の軒廻り(上段写真が正面で下段写真が境内側) |
福地八幡社: ・貞享元年(1684)に東宮本殿と同規模・同一平面形式で再建され、元文5年(1741)に、軸部・組物をそのまま残して改修されたと考えられている |
福地八幡社左側面: ・身舎の頭貫木鼻は貞享期の古材を利用している可能性がある |
・福地八幡社向拝の獅子鼻、獏鼻も貞享期の古材を利用している可能性がある |
諏訪神社拝殿: ・諏訪神社は浅間神社創建以前からこの地に祀られていたもの ・建築様式から、元文期前後に建設されたものと考えられている |
社務所: ・寛保元年(1741)の建立で、唐破風の玄関が神社建築らしさを表すことを除いて、素朴な建物 ・間取りは吉田の御師住宅と類似しており、この流れの建物と考えられている |
アクセス 富士急富士山駅からバスで浅間神社前下車すぐです。駅からは2kmで徒歩圏内です。二件の重文民家を含め多くの御師の家が並ぶ街並みを富士山を正面に眺めながら進みます。 |
見学ガイド 社殿は常時自由に見学することができます。主要な社殿は富士山を背にして北東に面しているため、午前中早めの時間以外は逆光になります。本殿は瑞垣のほか樹脂版で保護されているので、あまりよく見えません。 |
感想メモ 北口本宮冨士浅間神社は吉田の市街地を富士山の方向に抜けたところに鎮座する神社で、深い杜に囲まれ、富士山に入山したことを感じさせる神社です。 (2009年5月訪問、2021年7月再訪) |
参考 山梨県公式サイト、富士吉田市公式サイト、現地解説板、北口本宮冨士浅間神社 |
冨士講の御師の住宅
おさのけじゅうたく
小佐野家住宅
おさのけじゅうたく
富士吉田市上吉田7丁目
小佐野家住宅 | 主屋 | 35.476094, 138.793883 江戸末期 居室及び座敷部 桁行15.5m、梁間12.7m、一部二階、切妻造、妻入、東面庇、北面下屋付、西面玄関附属、鉄板葺 台所部 桁行10.9m、梁間4.6m、切妻造、鉄板葺、西面居室及び座敷部に接続 神殿部 桁行7.3m、梁間6.4m、切妻造、鉄板葺、西面居室及び座敷部に接続 |
蔵 | 35.476289, 138.793710 江戸末期 桁行5.9m、梁間6.1m、切妻造、東面庇付、鉄板葺 |
小佐野家住宅は富士吉田の市街地南側に位置します。小佐野家は代々北口本宮冨士浅間神社に属する冨士講の御師(おし:講中に宿を提供し、先達を勤め、祈祷などを行う神職)を勤めてきた家柄です。家相図に記された文久元年(1861)が建立年代を示すと考えられています。主屋は妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を、背面南寄りに神殿部を付設した御師住宅の形式です。蔵は主屋台所部の前方に建ち、建築年代は主屋と同時期と考えられています。
奥の赤い屋根が主屋で、その左が蔵 |
アクセス 富士急富士山駅から南1.3kmです。北口本宮冨士浅間神社に向かう途中にあります。 |
見学ガイド 小佐野家住宅は非公開です。細長い敷地であるため、建物は公道からかなり離れた場所にあり、よく見ることはできません。 |
感想メモ 正確な位置を示しているサイトが見つからなくて(現在はGoogle Mapで検索可能)、観光案内所に問い合わせましたが、現住民家であるという理由で場所を教えてもらえませんでした。国道に面した部分に門があって、住宅前には文化財の解説版が設置されていたので、偶然見つけることができました。別の場所にある復元住宅を小佐野家住宅として紹介しているサイトもあるので紛らわしいです。 (2018年8月訪問、2021年7月再訪) |
参考 山梨県公式サイト |
現存最古の御師住宅
とがわけじゅうたく
旧外川家住宅
とがわけじゅうたく
富士吉田市上吉田3丁目
旧外川家住宅 | 主屋 | 35.480091, 138.796450 江戸後期 桁行12.9メートル、梁間7.3メートル、切妻造、妻入、東面下屋附属、南北各面庇付、鉄板葺、式台 桁行1.5メートル、梁間3.7メートル、寄棟造、鉄板葺、勝手 桁行9.1メートル、梁間2.9メートル、切妻造、鉄板葺 |
離座敷 | 35.479994, 138.796606 江戸末期 桁行15.5メートル、梁間8.2メートル、切妻造、東西各面下屋附属、鉄板葺、渡廊下 桁行4.5メートル、梁間3.0メートル、南面下屋附属、切妻造、鉄板葺 | |
中門 | 35.480196, 138.796212 江戸末期 一間薬医門、切妻造、鉄板葺、左右袖塀附属 |
旧外川家住宅は富士吉田の市街地に位置します。外川家住宅は塩屋を屋号とし昭和30年代まで御師住宅として利用されていました。敷地は、間口約11メートルに対し奥行きが113メートルと細長く、富士道に面する敷地前半の南側にタツミチと呼ばれる引込路をもち、後半部に主屋と離座敷が前後に並び建つ、富士山御師住宅の典型的な屋敷構えです。
主屋: ・明和5年(1768)に建築されたもので、年代の明らかな最古の御師住宅 |
離座敷: ・大勢が宿泊できるように江戸末期に増築されたもの ・中央部に神殿を備え、奥に上段の間をつくるなど、富士信仰の流行とともに発展した姿をよくとどめる |
離座敷の神殿 |
中門の内側: ・門の外側にタツミチが伸びる |
アクセス 富士急富士山駅から南0.6kmです。北口本宮冨士浅間神社に向かう途中にあります。 |
見学ガイド 旧外川家住宅は有料で公開されています。内部を見学することもできます。 |
感想メモ 江戸時代の庶民信仰に触れることができて大変興味深いです。 (2018年8月訪問、2021年7月再訪) |
参考 山梨県公式サイト |
富士山に最初こ祀られた神社
ふじおむろせんげんじんじゃほんでん
富士御室浅間神社本殿
ふじおむろせんげんじんじゃほんでん
南都留郡富士河口湖町勝山
富士御室浅間神社本殿 | 35.509529, 138.745673 桃山 桁行正面一間、背面二間、梁間一間、一重、入母屋造、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺 |
富士御室浅間神社は699年に富士山に最初こ祀られた神社と伝えられています。以降、噴火などにより炎上と再興を繰り返し、現在の本殿は、慶長17年(1612)、富士山二合目に造営されたものてす。旧所在地が自然条件の厳しい場所であったため、昭和48年に河口湖南岸の里宮境内の現在地に移築復元されました。
・一間社入母屋造りで、正面は軒唐破風付向拝を設け、三方に高欄付縁が回り、背部両脇に彫刻をはめ込んだ脇障子が立つ ・柱上部、破風、垂木等に金箔飾 り金具を取り付けるなど桃山時代の特色を有する |
向拝と身舎正面の装飾 |
身舎左側面軒廻りの装飾 |
アクセス 富士急線河口湖駅からバスで富士御室浅間神社下車、すぐです。里宮の境内に近年移設されたものであるため、参道脇の摂社のような場所にあります。 |
見学ガイド 富士御室浅間神社本殿は常時自由に見学することができます。富士山を背にして北面しているので日中は逆光になります。 |
感想メモ 近年になって摂社の境内に移築されたということで、本社本殿が居候のような奇妙な社殿配置になっています。いかにも桃山建築といった派手な意匠の社殿です。 (2021年7月訪問) |
参考 現地解説板 |
和様の前室を持つ小堂
かんのんどう
観音堂
かんのんどう
北都留郡小菅村長作
観音堂 | 35.725481, 138.987844 江戸末期 桁行三間、梁間四間、一重寄棟造、銅板葺 |
観音堂は、明治時代に廃寺となった長谷寺の堂宇であったものです。
・方三間の身舎の正面に外陣状に一間通りの庇をつけ、一体的な平面とする ・正面は蔀戸で、切目縁には段差がある ・藤原期の住宅手法をひく仏堂建築の流れに沿うもの |
・大きく面をとった角柱上に舟肘木を置き、反りの強い疎垂木を乗せる |
アクセス 中央本線上野原駅と小菅の湯方面の結ぶバス路線(土日のみ運行)の沿線にありますが、この付近は自由乗降区間ではないので前後のバス停から歩くことになります。上野原寄りの飯尾バス停から3kmで120mの上り、小菅寄りの鶴峠バス停から1.6km、160mの下りです。 |
見学ガイド 観音堂は常時自由に見学することができます。 |
感想メモ 観音堂への公共交通アクセスはなかなか大変でした。バスの本数が非常に少ないので単純往復が難しく、この日は奥多摩駅からバスで小菅の湯に向かい、観音堂までの7kmを峠を二つ超えて歩きました。帰路は4kmほど下った一宮神社横の蕎麦屋さんで休憩し、上野原行きのバスを待ちました。 観音堂は正面から見ると一般的な様式の小堂ですが、側面は仏堂の前面に上代の住宅風の前室を付けた珍しいものです。 (2021年6月訪問) |
参考 現地解説板 |